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第43話『32歳、春の嵐』




「もしもし、松尾さん?」






 聞き慣れない声。

 誰だ?







「あの〜、駐車場ですけどね、夜中に荒らされたみたいでね、

タイヤ、パンクしてるんですよ。何台もね。」






「え?どういうことです?」








 私の車の駐車場の大家さんからの電話だった。

十台ほどの車のタイヤがパンクしているとのこと。

アイスピックのようなもので次々に刺してパンクさせる

悪質なイタズラ犯にその駐車場内が荒らされたのだ。






「今、警察にも来てもらっててですね、

色々調べてもらってる所ですから、

もし来られそうなら来て下さい。」




「あ、はい、すぐ行きます!」






 駐車場に着くやいなや、

私の車が傾いているのが目に飛び込んできた。

車高の高いジープタイプの4WD車だったので、

タイヤが大きく、凹むとその分だけ車も大きく傾くのだ。



 周りの車は、被害に遭ってても傾いては見えないので、

私の車だけが異様な傾きで目立ってた。



 パトカーが二台ほど来ていて、

警察官と車の持ち主、近所の人々がザワザワと…





「中にはねえ、四本ともやられた車もあったんですよ。」




 駐車場の大家さんが言う。




「おたくのは一本だけで良かったねえ、でも大きいタイヤだから

高そうだけどねえ…。」




「はあ…。」






 警察に被害などを話し終え、

とりあえずタイヤを交換しようと、

ロードサービスに電話。


 大きな四駆車だし、自力でジャッキで上げて交換は大変。

こういう時こそロードサービスを利用しなくちゃ。





 

 



 



 そして、その事件のあった数日後。

その日、出張から帰ってきた夕方。

車で食事にでも出かけようと、駐車場へ向かった。



「え?!ウソ…、

まさか、そんな、ウソでしょ?」




 またもや車が傾いていたのだ。






「ええええ!!!ありえない!!!」



 たぶんまた今朝家に電話が入っていたのだろう。

出張で留守にしていたので知らなかった。



 またヤラレタ!









 つい二〜三日前にやられて、また?









 ツいてない!

なんで立て続けにこんな目に遭わなきゃなんないの?



 なんだか狙われてるみたいで恐いし…


 またタイヤの交換…


 いちいちロードサーピス呼ばなくたって、

側に頼れる彼氏が居てくれれば、

ちっとも心配ないのに…



 600キロ離れた小栗君に電話したってグチ聞いてもらうだけだし。

まして彼はもう”フェードアウト”させなきゃいけない人。















 夕暮れ時の駐車場で傾いた車を前に一人ぼっちで、

ただ呆然と空しさに打ちひしがれてた。


 あまりに空しくて、身動き出来なかった…




 思えばずっとそうだった。




 そう、もうずっとこうだ。






 もうずっと長い間、

こんな時、

「助けて」

って、誰にも言えずに一人ぼっち…




 小栗君は遠距離、イザという時に急には会えない。



 小栗君と付合う前、

ノブヒコさんは既婚者、イザという時に急には会えない。





 ノブヒコさんと付合う前、

本木との結婚生活は長い間破たんしてた。

頼る事も甘える事も出来なかった。




 長い破たん期間中に復縁していた筒井君、

彼ともお互いに制約のある中での付き合い。





 本木とまだ上手く行ってた頃、

26位までか…

こんな時に頼れる誰かが居てくれたのは。


 もう六年ほどずっと、一人で我慢してばっかりなのか、私。






 疲れちゃったよ…
















 傾いた車を眺めながら、

しゃがみ込んでそんな事をグダグダ考えて泣いた。



 ずっと一人でも頑張って生きてる女性は沢山いる。

なのに私は、こんな時に頼れる誰かがたった六年居ないだけで、

グダグダ泣いている…



 会社を辞めて独立、一人で新しい事業を起こし、

順調に仕事を進めてきて、

収入も会社に居た頃の三〜四倍にもなった。

一見自立した32歳の大人の女だけど、

ただの寂しがり屋の情けない女だ…










 はあぁ。



 暗くなる前にどうにかしなくちゃ。






 またしてもロードサーピスに電話。

二十分ほど待つと隊員さんが現れ、

手際良くパンクしたタイヤを交換してくれた。




「ひどい目に遭いましたねえ。」




「ええ、二〜三日前にもヤラれたばかりで。

立て続けなんで、ほんと最悪です。」





「ええ〜!そうなんですか!そりゃヒドイな。

けしからん犯人ですねえ。」




「ええ、さっき警察も同一犯でしょうって。

しばらく近辺張るらしいです。」




「タイヤ代もバカにならないしねえ!

お嬢さんの車、タイヤでかいから高いし。」





(お、お嬢さんって歳じゃないんだけど…)





「ええ、二本はイタイです。」






「あ〜〜〜!!!」







「え???」






「ほら、よ〜く見て下さい。」







「え?」







「もう一本ヤラれてますよ。」







「うわ!ほんとだ。」







 一本交換してくれた後、

雑談しながら他の部分を確認してくれてた隊員さんが、

まだ微妙に車が傾いている事を指摘。





「ほら、このタイヤだ。

途中までしか刺さってなかったのかな、

ペチャンコにまでなってないですけど。」







「どうしよう。もうスペアタイヤが無い…」







「まあ、この状態なら、なんとか近くの修理工場に行くまでは

走れるでしょう。ちょっと恐いかも知れませんけど。」






「はあ…」






「今のうちに、ベチャンコになる前に、

ゆっくり走って工場に持って行くことですね。

すぐには凹まないから大丈夫!」


 タイヤを見るしゃがんだ体勢から、

クシャっとした笑顔で私に言う隊員さん。

帽子の中からのぞくその笑顔は、

なんだか「キラっ」と音がするような笑顔に見えた。





「そうなんですか。」



 といっても、どこに行けば良いのかもわからない。

探しまわってる猶予はない。

走っててどんどん車が傾いて行ったらどうしよう…






「もし良かったら、僕がついて行きましょうか?

僕は今もうこのタイヤ交換が終わったら今日の勤務は終了で、

事務所に引き上げるんですけど、

事務所のすぐそばに修理工場がありますから、

そこで良ければ帰りついでに並走してあげますよ。

一人じゃ不安でしょう。」








「え、ええ、でも…」






「業務外ですし、僕が会社に帰るのに、

一緒に走るっていうだけですから、別に遠慮いりませんよ。」




「はい…、もし傾いてきちゃったりしたら恐いんで、

じゃあ連れて行って頂けますか。」




「じゃあ、急ぎましょう。

急ブレーキとか急ハンドルとかが危険なんで、

ゆっくり運転して下さい。

後ろからついて行きますから、何かあったらすぐ止まって下さい。」




「はい。」




「道はこう行ってこの辺です。分りますよね?」



「ええ、大丈夫です。何かあったら止まりますので、

宜しくお願いします。」













 無事に修理工場にたどり着き、車を降りる。



「どうもありがとうございました!

業務外なのに、ほんとに御親切に。助かりました。」





 そこで彼は会社に帰るのだと思って挨拶をした。

ところが…



「いやいや、まあ、もうどうせここまで付合ったんですから、

最後まで見届けますよ。」




 そう言って、工場に先に入って行き、

工場の人に状況を説明、

交換の依頼もぜんぶ的確に手配してくれた。


 私は、工場の人と自分で話もせず、

ただボーっとしている間に、隊員さんが全てやってくれたのです。




「一応、他のタイヤもぜんぶ点検してもらうように

言っておきましたから。

それと、タイヤもちょっと安くしてくれるみたい。

良かったですね!」




 帽子の中からまだ「キラっ」と音がするような笑顔。

目尻をクシャクシャにして白い歯が笑った。









 なんだろう、この人の笑顔。

なんだか、漫画みたい。



 バキュンバキュン打たれるような感じのする笑顔。












 呆然としていた私の前にサっと現れて、

(というかロードサービスだから、呼んだだけか。)

颯爽と手際良くタイヤ交換をしてくれ、

さらに、

困った私に業務外で救いの手を差し伸べてくれ、

これまた手際良く工場とやりとりしてくれて…


 そしてこのなんとも言えないこぼれる笑顔。








 馬鹿げているけど、

その時の私にはヒーローっぽかった。
















 ”勤務はこれで終わり”そう言ってたよね、

私はこれから一人で食事に出かけるところだった。


 これって…






 

「あの〜、御礼にお茶でも…、

いや私、食事に行くところだったんで

よかったら御一緒に…」








 ドラマとかだと間違いなく、こんな感じ?







 っていうか、別に変に考えなくても、

本当にとってもお世話になったんだし、

御礼は申し出るべきよ!





 しかも、初対面の人の笑顔にバキュンバキュン打たれる感じがした

だなんて、そんな事未だかつてないじゃない。

そんな出会いを、このままで終わらせるの?



 小栗君依存から抜け出すきっかけになるかも知れないじゃない!













 何?何なんだ?

この胸騒ぎは。


 なんでこの人のこの笑顔、

クシャっとした、キラっとした、この笑顔、

なんでこんなに動揺するんだ?












 社交辞令でも良いから、

一声掛けるべきよ!



 ほら!



「よければ御礼に…」












 修理工場で待つ間じゅう、

ずっとそんな想いをめぐらせ、

何度も生唾を飲み込んだ。







「それじゃあ、お気をつけて!

またトラブルありましたら、お気軽にロードサーピスをご利用下さい。

…って、もうトラブルはゴメンですよね!」





「あ、ありがとうございました!

ほんとに、何から何まで、すっかりお世話になってしまって…」






「いえいえ。」








「あ、あの、……、」






(言え!言うのよ璃玖!)








「ほんとに助かりました!」





「いえ!もうこんな事無いといいですね!」






「はい。」




「じゃあ、お気をつけて!」





「あ、ありがとうございました!」














 言えなかった。






 言える訳が無かった。






 自分から声をかけるなんて、

したことないもん。




















「なんかねえ!ほんっと、笑顔に音がしたのよね〜…」



「そんな事ってあるんだ〜」





 親しい女友達数人と飲みながら、

この話をした。




「そんだけバキュンバキュン打たれた感じがしたっていうのは、

やっぱ特別な出会いだったんじゃない?」




「だよねえ〜、私もそう思った。」




「なのに、それっきりかあ〜!」




「バカバカバカバカ!もったいない〜〜〜〜」





「私だったら、迷わずお誘いしてるな。」






「ひゃー!それが出来ちゃう貴女はカッコイイ。」





「だって、後で後悔するのヤダもん。

そんなドキドキする出会いなんて、そうそう無いよ。」





「そうだよね、無いよね、ドキドキする出会いなんてね。」






「まして、今、その遠距離君と、そんな状況でさ、

抜け出すチャンスだったのに。」






「だよね。」





「あ〜〜もったいない〜〜」




「だって〜〜〜言えなかったんだもん。」




「どんなタイプ?歳は?いくつぐらいだった?」




 帽子の中の笑顔を思い出してみる。

程よく日焼けした肌に白い歯、

クシャクシャにして笑う人の良さそうな目元…




「あの目元のクシャクシャ具合から言って、

年下ではないと思う。たぶん。

話し方もすごくしっかりした感じだったし。

同じ位か、年上か、年上って言っても…40は過ぎてない感じかな。」






「まさに、イイカンジじゃん!ますます惜しい!」







「なんか、話してると、どんどん”惜しい事しちゃった”と

後悔が膨らんでくるな。」





「今頃気付いたか。おろかな璃玖め。」




「どうにか出来ないの?」






「どうにかって…、もう無理だよお。」





「私だったら、待ち伏せしてでも会いに行く!」





「そうだよ!だって事務所の場所、わかってるなら、

”先日はありがとうございました”とかってさ、

手みやげ持って行くとか。」






「そっか。ロードサーピスのレシートに名前が…、

隊員名…、寺脇さんか。」






「名前も分ってる!場所も分ってる!行けば良いじゃん!」





「で、でもねえ、ひかない?」






「ひいてる風だったら、

手みやげだけ渡してサっと帰ればいいじゃん。」




「う…。」






「行くべし!行くべし!このままじゃ勿体なさすぎる!

一期一会!大事にしなきゃ!」








「う、う、うん…」








 とは言え、やっぱり乗り込む勇気は無かった。

事務所にいきなり女が尋ねて行ったら、

彼が恥ずかしい立場にならないだろうか、

それに本人が居る日と居ない日があるだろうし…


 事務所前で彼を見かけるまで待ち伏せする?

そんなストーカーみたいな事するほど暇じゃないし…





 色んな事を考えたら、

会いに行くなんて出来なかった。











 でも、みんなが言うように、

確かに、このままにすべきじゃないかも。

それは凄く感じる。





 じゃ、どうすれば?








 手掛かりは、名前と事務所…

彼はロードサービスの隊員、私は利用客。




 そうか。

御礼状を書こう!


 昔、デパートに勤務していた頃、

素晴らしいサービスを受けて感激した御客様から

デパート宛に御礼状が送られてくるのを目にした事が有る。


 お世話になった販売員さんを名指しで褒めちぎる御礼状、

デパートにとっても御客様から褒められて上機嫌、

そして名指しされた販売員さんはデパートから褒められ、

時には表彰されちゃったり…




 ロードサービスだって、一種のサービス業。

御客様からそんな御礼状がくれば、

彼の迷惑にはならないだろう。

あわよくば彼が事務所で評価されることになるかもしれないし。



 そして、なんらかのお返事が、もし貰えたらラッキー。








 事務所からの定型の返事がくるだけかも知れないけど。






 そのぐらいしか、

私には出来なかった。


 それでも精いっぱい。












「なあ〜〜んだあ。それだけ?」



「うん。」



「でもまあ、どうにも出来ないって言ってたのに、

一応アクションしたんだ。」




「ま、一応ね、自分的には物凄い頑張って行動したつもり。」





「リアクション、あるかな?」





「う〜ん…、ま、無いんじゃない?」




「かな?」



「ま、リアクション無くて元々、あったとしても会社からの定型文かな。

ま、それでもね、やっぱあんなに親切にしてもらって、

ほんと感謝してるの事実だからさ…」




「うんうん。」



「なんていうか、あのままじゃ感謝し足りないっていうか。

あの隊員さんの素晴らしい仕事ぶりを、

ぜひとも会社にも知ってもらいたい!っていう気持ちがあったからね。

御礼状だけは出しておこうって。」





「あ〜〜ん、でもでもやっぱ、なんかこのまま終わりたくないなあ〜」




「ははは…、そんなドラマみたいにはいかないってば。」




「まあね〜、これで発展したら、マジでドラマだよね。」




「そそ、ドラマじゃないんだもん。」












 足早に二月が終わろうとしていた…



 今月は小栗君と一度も逢わなかった。

一月の後半に逢いに行ったっきり逢いに行かなかった。


 電話やチャットでの会話は今までと変わりなく、

その場しのぎな付き合いを続けているけど。



 仕事が忙し過ぎたせいもあるけど、

意識的に、

逢いに行くのを我慢してた。







「ホワイトデーにはデートしましょう。」



 その約束以外、逢いに行く事はしなかった。





 寂しくて、壊れそうだった…


















 二月の最後の日、

帰宅してポストを開けると、

DMや業務的な郵便物たちの中に

雰囲気の違う一枚の葉書が…







「ま、まさか…」








 文末に目をやると、そこには

”●●ロードサービスセンター寺脇でした。”

との一文が!











「は、は、は、ハガキが来た〜〜〜〜〜〜!!!」



 ポストの前で大はしゃぎで友達に電話。




「きゃ〜〜〜〜!!!マジで!マジで!?ヤッタ〜〜〜」






「ど〜〜しよ、びっくりしたあああ。」




「どういうカンジ?ドウイウかんじ?」




「う〜ん、んとね、定型じゃ、ない。」




「いや〜ん♪それでそれで!」




「なんていうか…、個人的な感じとビジネスライクな感じの中間?」





「おおお〜〜〜、なるほど、流石大人だわね。」





「だね。」




「で?」




「で?って?」




「個人的な連絡先!書いてないの?」




「あ…、そうね…」



「そうねじゃない!一番重要!」




「えっと…」









───────────

前略、

 お礼状有り難うございました。


 お礼状なんて貰ったことがなかったので、凄く

喜んでいます。

その後はいかがでしょうか?

本当に災難でしたねぇ!二度とあんな事がなけ

ればいいのですが・・・

もし何かありましたら遠慮なくお電話して下さい。


 手紙なんて殆ど書く事がないので脈略のない

文章になってしまいましたが、

嬉しかったので取りあえずお返事書かせていた

だきました。

 もう暫くは寒い日が続くかと思いますが、風邪

など引かないように気を付けて下さいね。




 ●●ロードサービスセンター寺脇でした。

〒●●●●●●●

●●市●●区●●町●ー●

         寺脇康文

携帯 090-●●●●-●●●●

e-mail ●●●@●●.ne.jp

───────────




(※名前は仮名です)












「書いてあるのって会社の連絡先だけなの?」




「いや…、会社は全く書いてない。

自宅住所、名前、携帯、メアド…」




「え〜〜〜〜!!!それって、超プライペートってことじゃん!」





「だね…、どうしよ…」




「そりゃ、連絡するっきゃないっしょ!」





「ええ〜〜〜、でも、それは……」





「これで、アレっきりじゃ無くなったんだよ、

糸は繋がった!ドラマみたいなミラクルじゃん!

切れないように大事にしなきゃ!」



「そうなんだけど…」






「璃玖はさ、御礼状にメアドとか携帯番号なんて書いた?」





「書いてないよ、そんなの。なんかアピール見え見えで変じゃん。」





「だよね。書いてないんでしょ。

だけど、彼は書いてきた。

それって、脈アリじゃない?」




「そ、それは、深読みし過ぎっつか、自惚れ過ぎじゃない?」





「でもさ、単なる御礼状の返事だったら、

わざわざ個人の住所とかメアドとか携帯なんて、

書かなくたって良い訳じゃん。」




「そりゃそうだけど…」



「個人的に連絡下さい、ってさり気ないアピールだと

アタシは思うけどな〜♪」




「勘違いだったら、赤っ恥じゃん。もう。」





「そういう意味が無きゃ、どういう理由で

個人的な連絡先なんて書いてくるのよ。」





「それは……。」











 そのハガキの消印が冬の終わり、

二月の二十八日だった。



 その年、

暖かく優しいハズの春の風は、

激しい突風に息も詰まるような春の嵐だった。






















 寺脇さんのメールアドレス。

そして携帯電話の番号。




「そんなの連絡してきて欲しいから書く、

それ以外に何の意味があってわざわざ書くと思う?」





 友達の言葉は確かにその通りかもしれない。

いくら考えても、他に自然な理由など見当たらない気もする。







 親切で親身になってくれた隊員さんだから、

”また何か困った時は”

というつもりで書いてくれただけかも知れない。

それは大いにある。





 だとしても、

ハガキの御礼を一言挨拶するくらいは、

リアクションしてもおかしくないよね…


 むしろノーリアクションも不自然?











 なんだか延々とグズグズ考えを巡らした挙げ句、

とりあえず、

一言ご挨拶のメールを入れてみることにした。





「わざわざハガキ、どうもありがとうございました!

お返事頂けるなんて思わなくて、ビックリしちゃいました。」









 そんな感じの短くて当たり障りの無いメールを送った。

文末は”風邪など召されませんようお元気でお仕事頑張って下さい”

という風に、つまり続きや返事が必要の無い、

完結させた形のメール。


 これを機にメールのやりとりを始める、というような匂いは一切させず、

あくまで社交辞令的なご挨拶メールを送るだけにした。


 気があると思われるのは嫌だったし、

かといって、このまま縁が切れるのも勿体ない気がしていたから…

メールすることでこちらのメアドが相手に伝わって、

一応糸を繋いだら、それで、おしまい。

それでOK。

そう思った。
















 



 ところが、あっという間にまた返信メールが届いた。


 しかもそれは、こちらが返事をしないと不自然になってしまうような、

会話が続くタイプのメールだった。


 寺脇さんはとても楽しそうにメールを送ってきた。

「松尾さんは●●●●●ですか?」

などといった質問が入ったりしていて、

返事を続けないわけにはいかない感じのメール…







 




 あれよあれよと、メル友状態になっていきました。














 


 ほどなく、三月も半ばに差し掛かり、

楽しみにしていた小栗君とのデート。



 一月の終わり頃に会って以来、

ずっと電話やメールやチャットだけ。


 小栗君依存から抜け出さなきゃいけないと、

無理に我慢して会うのを減らしていた分、

久しぶりのデートは愛しさが募る。








 二泊三日の短い滞在。


 24時間勤務のレスキュー隊員小栗君は、

勤務明けの朝から私を迎えてくれ、

翌日、翌々日の休暇を一緒に過ごす。



 マジメ一筋な小栗君は、

いつも電話やチャットで会話している時でも、

翌日が勤務だと決まって、

「明日は勤務ですので早めに失礼します。」

と言って23時頃、遅くとも24時迄には必ず就寝。


「命を預かる公務員ですので、常に万全でなければ…」

それが小栗君の信条。

そういう精神が私にも共感出来たし、

大好きだった。







 デートの時は大抵、日程に余裕をもたせ、

夜行バスで帰るようにしてた。

新幹線だと最終は21時過ぎ。

夜行バスなら23時頃まで一緒にいられるからだ。

翌日勤務の小栗君にとってもギリギリの時間。


 そのわずか二時間が、とても愛しかった。

少しでも一緒に居たい、

そんな二人にとっての二時間は大きかった。











 久しぶりに会ったホワイトデーのデート。

その最終日。










 彼は早々と帰ってしまった。



 体調が芳しくないという理由で、

「今日は早めに明日の勤務の準備に掛かりたいと思いますので。

ごめんなさい。璃玖さんお気をつけてお帰り下さい!」





 彼は私を都内に残し、見送りもせず、

千葉の自宅へ。








 こんな事は初めてだった。







 きっと彼は彼なりに、私との関係を変えようとしている。




 私たちはもう、ラブラブなままではいられない、

変わっていかなきゃならない…












 解ってはいるけれど…

予想外の急な態度に、

私は普通に戸惑い、

心を乱されてしまう。



 ずっと寂しくても我慢してきたのに。



 やっと久しぶりに会えたのに。



 わずか二時間ですら少しでも長く一緒に過ごそうって、

いつもそう言ってくれてたじゃない。












 置き去りにされた東京で一人、

私は呆然としてた。






 何よ!

私以上に好きな人には巡り会えないんでしょ?

私を失ったら後悔するわよ?!


 後悔して泣きついてきても知らないから!



 後で寂しがっても知らないから!



 また急に「来ますか?」なんて言ったって、

もう来てやんないんだから!



 まだ昼間だっていうのに、明日の準備?

遥々会いに来ている私より、明日の準備?






 ホワイトデーだから、デートしようって、

ずっと言ってたのは小栗君じゃない。

だから遥々来たのに。

勝手に放ったらかして帰るなんて…


 なんでそんな風に振り回されなきゃなんないの?




 もう!


 ホントに私も帰る!



 帰っちゃうからね!















 


 帰れなかった。




 私は都内から電車で1時間、

小栗君の家の最寄り駅に来ていた…



 駅のベンチに座り、

深いため息をつく。




 何やってんだろ私。













 どうする事も出来ず、ただベンチに座ってた。













 ここから小栗君に電話したら…




 以前の彼なら、喜びハシャイで会いに来てくれただろう。





 でも、今日、さっき私を置いて帰った彼は違う。
















 

 だいいち、さっき置いて帰られたのに、

やっぱり追いかけて来ちゃったなんて、

情けな過ぎて言えないよね。





 じゃあ、何しに来たの?

わざわざこの駅まで。





 ただ、

このままじゃ帰れなかったから…





 やっぱりもう少し一緒に居たかったから…




 お互いにまだ時間があって、近くにいるのに、

なのに帰るなんて…















 ベンチに座ったまま、

時間だけが流れて行く。




 三月の半ば、日が落ちると肌寒い。




 もう何時間ここでこうしているんだろう…





 いつまでこうしてるつもり?











 このまま、あと数時間したらトボトボ帰るの?

なら、何でここに来たの?

ここで何してるの?















 冷え込んで来た身体を震わせながら、

半ばヤケクソで電話を手にする。


 散々迷った挙げ句に、

ボタンを押す…








「もしもし小栗君?」



「璃玖さん!どうされましたか!」



「どうもしないけど…」



「もう自宅に着かれたんですか?」



「あ、いや…、まだブラブラしてて、こっちにいるよ。」



「そうなんですか。まだこれから帰るところですか。」



「うん…。」




「まだ渋谷ですか?」




「いや、渋谷じゃ…ない。」



「どこですか?」




「う〜んとね〜…、どこかなあ…」




「?」



「わかんない。」




「は?」




「わかんないけど、いいじゃん、そんなのどうでも。」



「はあ。」




(気付いて!貴男の家の側の駅にいるのよ!)




「外ですか?」




「うん。まあ、外かな。」



「寒くないっすか?」




「ちょっと寒い…」



「今日は早々にスミマセンでした。

御陰さまで明日の勤務の準備も着々と整いまして…」




「そう。良かったね。せっかく早く帰ったんだもん、

万全でのぞまなきゃね。」



「はい!今度はいつ来ますか?」






(だから、今、すぐそこに来てるんだってば!)




「う〜ん…いつかな?

っていうか、まだ帰ってないけどね。」




「あはは、そうでしたね。」




「ははは…」



「で、どこなんですか?」



「どこだろうね?」





 電車のアナウンスが入り、

慌てて電話口をしっかり指で封じる。



 気付いて欲しい、

駆け付けて欲しいはずなのに…





「もしもし?」




「はい?なんか中途半端な時間だからさ、

そろそろ帰るか、それともどうしよかな〜って思って…

まだ大分時間あるし。」




「遅い時間の新幹線かバス、取ってるんですか?」



「ううん、取ってはないけどさ…」



「じゃ早めに帰ってゆっくり明日への英気を養われては如何ですか?」



「でも、せっかく来たのに、なんか勿体ないしさ…」



「そうですか…」




「そうだ!今から小栗君のほうの駅まで行っちゃおっかな〜…なんて。」




「ええ〜何しにですか?」



「何しにって…」



「あははは、そりゃ他に用事は無いですよね。」



「ははは。ウソだよウソ!」



「ウソつきは泥棒の始まり!」



「っていうか、もう今、小栗君の所の駅だよ、って言ったらどうする?」



「またまたあ〜。」



「居たらどうする?」




「ええ?!ほんとに来てるんっすか?」



「どうかな?」



「ええ?ウソ?」



「さあ。」



「ちょっと璃玖さん…、ウソですよね?」




「……。」




「璃玖さん?」




「……。」




「璃玖さんってば…」




「……。」




「……?」





「……、ウソだよ〜。」





「もう!璃玖さん!泥棒のはじまりだったら!」




「ははは、ジョーダンだよ。」


















 そして他愛ない挨拶をして、

電話を切った。




 もしかして、本当に?



 そう思って駅まで様子を見に来てくれるんじゃないか、

わずかな期待を胸に、

一人駅のベンチにうずくまる。









 




 何時間待っても、彼は現れなかった。




 当たり前だけど。













 そして最終のバスに間に合う最後の電車に乗り、

私はその駅を後にした。




 その駅に行ったのは、その日が最後だった。

















 一年前、ノブヒコさんとの関係を無理矢理に終わらせた私。


 まるで心臓を素手でエグリ取られたかのような風穴が

身体の真ん中にポッカリと空いていた。






 その大な風穴を小栗君との恋愛で埋めようとしてた…


 埋められたような気がしてた。






 でもそれは、

ポッカリ空いた風穴を、

薄っぺらな紙キレで塞いで誤魔化してただけだった。

薄っぺらな紙の蓋は、

手で掴めば簡単にビリビリに破れ、

無惨に破れたその風穴には冷たい風がビュービューと吹込む…





 その大きな風穴がちっとも埋まっていなかった事を思い知る。


 私のど真ん中は、ポッカリ空いたまま、

空っぽなままだった。
















 だからといって、

ノブヒコさんに戻ることは絶対にしてはいけない。



 ノブヒコさん…



 ノブヒコさん…



 ノブヒコさん!






 どんなに心が彼を叫んでいても、

不倫だけはもう二度と、絶対にダメ。




 あんなに泣いて別れを決めたんだもの。




 あんなに苦しんで封印したんだもの。















 こんな時、目の前に起こった新しい出会いに

足を踏み入れて行ってしまうのは、

私の弱さだろうか。


 それとも、自然な事なのだろうか…











 すっかりメル友になっていたロードサービス隊員の寺脇さん。

メールだけでは飽き足らず、

近頃ではメッセンジャー機能でのチャットもするようになり、

随分親密な感じになってきていた。






「迷惑でなければ、近々お茶でも行きませんか。」


 そう寺脇さんから誘われたのは、

小栗君に会いに行って、戻って来た三月の後半だった。





 私の車のパンク事件があって、

寺脇さんに助けてもらってから、一ヶ月ほどが過ぎていた。










 一ヶ月ぶりの再会。



 まさか、再会するなんて。




 ロードサービスを呼んで偶然駆け付けてくれた隊員さんと、

プライベートで会う事になるなんて、

思いもしなかった。




 あの時、確かに、

このままで終わりたくないと思ったけど、

まさか本当に…










 私にとって、寺脇さんとの出会いは

かなり印象的なトキメキの出来事だった。



 でも、寺脇さんにとっては、

日常の仕事の中のただの一コマに過ぎないのかな?

数えきれない仕事の中の一つで、

ひょっとして私の事なんて顔も覚えてないんじゃ…











「うわ〜…、なんか物凄い緊張しますね〜…、

こんな綺麗なお嬢さんとお茶する事なんて無いから…」




「ええ〜〜?!またまたあ、お上手ですね〜。

しかもお嬢さんだなんて言ったらブン殴られますよ、

もう32なんですから!」





「いや、全然見えないですよね、じゅうぶんお嬢さんですよ。」





 あの時とは違う、帽子の無い寺脇さん。

でも、笑顔は帽子の中から光ったあのこぼれる笑顔だ。





「僕が38なんで6つ下ですか。なんか見えないなあ。」




「じゃあ、あの時も、”若いお姉ちゃん”だと思ってたんですか?

ていうか、私の顔なんて覚えてました?」





「あの時の印象?」





「そう。御礼状送った時も、

”あ〜、あのパンクね、どんな子だったっけ?”

って思い出せなかったんじゃ…」





「あははは!まさか!

あの時、現場に到着した時から物凄いインパクトありましたから。」




「インパクト?」




「そう!言い方は悪いですけど…

”イイ女だなあ””ラッキーだな〜”って。」




「えええ〜〜〜ホントにぃ?」





「いやマジで。でも、まぁ、あの時は仕事だったし、あんまりマジマジと

見る訳にもいかなかったから、多少曖昧な印象で…」




「ええ、それは私も同じ。」




「で、今日会ってみてビックリ。

イイ女過ぎて、僕みたいな普通のオッサンは恥ずかしいです。」




「あのぉ、あんまりベタ褒めされるの慣れてないんで、

こっちが恥ずかしいんですけど…」





「いやいや〜、自信持った方が良いですよ!」





「いえいえ、寺脇さんも、素敵ですよ♪」




 ドギマギとした会話。

なんか相手を直視出来ないし、

コーヒーにミルクを注ぐ、まぜる、ひとつひとつの動作が、

緊張してぎこちなくなる…




 32と38のイイ歳した大人の男女だというのに、

なんだかまるで中学生みたいだ。




 新鮮な緊張、緊張感にトキメキを感じる。















 花びら吹き荒れる突風に足下をすくわれ…

あまりの風の勢いに身体をさらわれてヨロけていってしまう、

まるで春の嵐。






 あれよあれよと、

みるみる二人の関係が熱をおびていく。







 今会って来たばかりだと言うのに、

帰宅後、PCを開くとメッセンジャーで会話。



「今別れたばかりなのに、もう会いたい。

松尾さんって、もしかして魔性の女?」




「ええ〜っ、そんな…」




「あははは。冗談ですよ。

でも、ホントそのぐらいイイ女ってことですよ。」




「うふふ。それは光栄です。」





「ほんとに、女性と居てこんなに楽しい気持ちになったの、

凄く久しぶり。っていうか、一緒に居てこんなに楽しいなんて、

記憶にないかもなあ。」




「もう、またあ、寺脇さんって褒めちぎるの得意なんですね〜」





「いや、素ですよ、僕は。

なんかわかったでしょ?

女性に器用なこと言えたり出来たりするタイプの男じゃないって。

粗雑な男で、貴女には釣り合わない。」




「まあ、器用に女の機嫌を取るタイプでは無いみたいですね。」






「ね、来週、バイク仲間と夜桜バーベキューするんですが、

一緒に行きませんか?」





「わあ!良いですね!ぜひぜひ。」





「ほんとに?やった〜!

嬉しいなあ。」








 

 来週も会う約束をした。




 でも、寺脇さんという春風は、

そんな穏やかでは無かった。






 毎日のように「早く会いたいなあ〜」と言う。





 


「へえ〜、そこのラーメンってそんなに美味しいんですか。

私、けっこうラーメン食べ歩いてるほうなんだけど、

知らなかったなあ〜。今度絶対に食べてみますね!」





「じゃあ、今からどう?行きませんか?」




「ええ?」



「ラーメンなんて誘っちゃ失礼かも知れないけど…」




「いえ、そんなこと。ラーメン好きですから。」




「行こう!行きましょう!今から!」










 

 そんな突然のラーメンデート。


 気取らないフレンドリーな付き合い方が気楽でもあった。



 38歳の寺脇さん、

家庭を持つお父さんでもなんら不思議ではない。

喫茶店での再会の時、その話を聞いた。

 


「実はねえ、いや、実はってのもおかしいけど、

バツイチで、子持ちのオヤジなんですよ。」



「そうなんですか…

まあ、人生色々ありますよね、30ウン年生きていれば。」



「そう、ホントねえ、恥ずかしいけど色々あってね〜」



「恥ずかしいけど、私だって離婚歴ありますし…」



「あ!そうなんだ!ごめんね、なんか…」



「いえいえ、私、むしろどこでもサクっと言っちゃうんで。

変に隠したり、気を使われたり、嫌なんで。」



「そっか。」



「お子さんってお幾つなんですか?」



「え?あ、ウチ?一番下が今度幼稚園、一番上は六年生かな?

四人もいるんでね、ウルサイったら無いよ。」



「四人ですか!そりゃ賑やかですね!」



「オヤジとオフクロも一緒に実家で皆で暮らしてるからね、

大家族で、楽しいけど、やっぱ正直ウルサイ!って思う時もあるな。」



「そっかあ。離婚は最近なんですか?」



「いや、バツイチって言ってもね、ウチは死別なんですよ。」



「あ…、ごめんなさい。」




「いや、いいのいいの、もう今はねフツウに言えちゃうから。」




「でも…スミマセン。」




「ほんと、平気平気。聞かれなくても言うつもりだったから。」




「奥様、ご病気だったんですか?」




「いや、交通事故で突然ね。だから衝撃はデカかったんだけど、

でも、死んだこと以上の別の衝撃もあって…

それでなんかマヒしたっていうか、

ワケがわからなくなってしまって…」




「別の衝撃?」




「そう。今となっては笑うしか無いんですけどね…」




「……?」



「死んだカミさんの財布の中から、他の男とラブラブの写真が出て来てね。

あと、そいつとの手紙みたいなのも。」




「え?」





 

 これまで随分デコボコな人生を歩いて来た私も、

さすがに一瞬、息が詰まる…








「オレの前に付合ってた男で、オレも知ってるんですけど、

なんかずっと続いてたみたいでね。

そんな証拠を残していきなり死なれたんで…最悪でしょ。ははは。」




「…。ごめんなさい、言葉が…」




「いやいや、こっちこそ、ヘビーな話でゴメン。

普通コメントに困るよねえ、こんな話。

聞き流してくれて良いんですよ。」




「……。」




「でも、子供らは、オレの子供だしね、やっぱ可愛いんですよ。」






 あっけらかんと話す寺脇さんの話は、

どうリアクションしていいかわからないヘビーなものだった。


 だけど、それを今はサクっと話す彼を見ていて、

少し共感する部分も感じていた。





 お互いデコボコな傷だらけ人生をあるいてきた者同士。

ロマンチックな関係というよりも、

楽しく話せる仲の良い男友達・女友達、

そんな感じで気楽に付合っていけるような気がした。

寺脇さんもきっと、そんな風に思っているような気がした。














 でも寺脇さんの調子はやっぱり穏やかな春風ではなく、

吹き乱れる春の嵐…








 夜勤明け、早朝に突然電話してきて、

元気に笑う寺脇さん。




「おはようございます!早くからごめんね!起きてました?」




「びっくりした〜。おはようございます。一応起きてますよ。」




「朝メシまだですか?」




「ええ…まだですけど…。」




「良かった!今、夜勤明けて帰るところなんですが、

どこかで美味いモーニング食いませんか?!

今日は天気も良いし気持ちいいですよ!」





 朝食デート?

そりゃまた新鮮…





「なんだか気持ち良さそうですね!

美味しいコーヒーも飲みたいし、いいかも♪」




「じゃ、決まり!」












 そんな風に、

なんだか毎日のように連れ出され…




 一週間後の夜桜バーベキューの日までには、

もう何度会ったかわからないぐらいだった。









「皆のところに行く前に、

ちょっと寄り道して散歩して行きましょう。」




 そう言う寺脇さんについて車を降り、

彼の少し後ろをブラブラと着いて行く。



「この辺りの桜、僕のとっておきなんです。」




「わあ〜…、ほんと、ここだけ早く春が来てるみたいに、

咲いてますね〜!とってもきれい…」





 雰囲気の良い桜並木の散歩道。


 喜ぶ私を嬉しそうに見つめながら歩く寺脇さん。





「あ、あの…」





「はい?」




「て…、手を繋がせてもらっても良いですか?」





「え?!えええ??…あ、…、どうぞ。」





 改まってド緊張の面持ちでそう言われると、

こっちまで凄い緊張してしまう。

ただ手を繋ぐだけなのに。







「じゃ、じゃあ…」





 物凄いテレながら寺脇さんが私の手を握り、

並んで歩き始める。





「いやあ…、ものすっごい恥ずかしいけど、嬉しいなあ。」




「あははは。」









 友達っていう認識で「会いたい」「楽しい」って言ってるのか、

恋愛の意識があってのことなのか、

なんとなくハッキリしないまま何度も一緒に過ごしてきたけど、

<手を繋ぐ>ことで、

彼は恋愛の意思表示をしてきた。




 それをハッキリ意思表示されたように感じて、

私もなんだか寺脇さんの顔を直視出来なくなってしまう。

やたらうつむいたり、やたら桜を見上げたり…











 その後、彼のバイク仲間が集まっていた公園へ。



「え〜〜〜!!寺脇さんカノジョ連れて来た〜〜!」



「っつかカノジョ居たんすか!っつか出来たんすか?」




「いやいや、まあまあ、こんなムサクルシイ集まりへようこそ!」



「カノジョさん、どうぞどうぞ、ここ、特等席取って待ってましたから!」





 そんな輪の中に私を連れて行き、

みせびらかして喜んでいる寺脇さん。











 女は、彼の友達に紹介されるのが嬉しい。

そういうもんだ。




 極端に言えば、

人にみられたくないような女だと思っていたら、

友達に会わせたりしないだろうと思うから。

友達の集まりに連れて行ってくれるという事は、

それなりに自慢の女だと思ってくれている気がするから。







 しばしの皆との時間のあと、

寺脇さんは早めにその場を引き上げた。


「ごめんな、彼女早めに送って行かなきゃならないから。

またゆっくり!」




(え? まだ私いいのに…)






 車に戻った寺脇さんは、ニンマリ笑ってこう言う。


「だって、あいつらと一緒だと、あんまり松尾さんの事、

見つめてもいられないし…」



「ええ?」



「もうちょっと今日は二人で居たいから。

ちょっとお茶して行こうと思って。」




 喫茶店に入ってからの寺脇さんは、

狂ったかのように私を見つめていた。


 小さなテーブルに向き合って、

映画のように目をキラキラ輝かせて私を見る。



 こちらが目のやり場に困るほど、

ただただ私の顔を、

嬉しそうにうっとりと見つめている。



 まつげの一本一本を、

肌のキメの一つ一つを、

ぜんぶ覗き込むかのようにニコニコしながら見つめている。





 私の人生でこれほどまでに穴があくほど見つめられた事って、

無いんじゃないだろうか。




 どうしていいか、わからない。

まるでその視線から熱を送られているかのように、

私の顔が火照る。




「あの…、さすがに恥ずかしいんですけど…」




「あ、ごめんね。でもその恥ずかしそうな顔も可愛い…」





 目線をハズさない寺脇さん。

ますます深く見つめてくる。






「……。」




「なんか、見れば見るほどたまらなく可愛い…」




「ははは…、シラフなのに恥ずかしくありません?」




「いや、だって、キミみたいな女の子と一緒に居たら、

そりゃ男はハマるよ。いや、まじでハマる…」




「それは、寺脇さんだけかも…。っていうか今日の寺脇さんが

おかしいだけかも?ははは…」









 このまま寺脇さんと恋愛モードになっていいのかな。





 このまま寺脇さんという春の嵐に巻き込まれていって

良いのかしら…







 少しは冷静でいなければ…と思う。でも、

ドカンと風穴が空いた状態だった私の真ん中に、

寺脇さんという暖かい風は容赦なく吹込み、

私の中をグングンと暖めて行く。














 私の午前中のスケジュールに空きがあって

彼が夜勤明けの時は、朝食デートが恒例になった。

美味しいカフェで朝食の後は、春の公園を散歩。



 桜の木の下の芝生に並んでゴロ寝しながらオシャベリ。



 そのうち寺脇さんがまた私を熱っぽく見つめる。




 見つめる顔が近い。




 








 キスしようとしてる…?









 間近に顔を寄せながら見つめ続ける寺脇さん。

私の反応を確かめているような、

自分自身をためらっているような、

でも、

その目にはキスしたいって書いてある。

瞳で露骨に求めるサインを送ってくる。






「か、顔、近いよ…、ははは…」




「ぶっ!もう。わかってるクセに、オジさんを虐めないでよ。」





「え?何の事ですか〜?」







 トボけてかわしてみる。






 気を取り直して、また熱く見つめてくる寺脇さん。






「だ〜か〜ら〜、近いですってばあ…。ふふふ。」







「ダメ?」




「ダメです〜」





「ダメなの?」




「うん。ダメ〜。」






「う〜〜〜〜〜!!!」




 うなだれながら、代わりにハグしてくる寺脇さん。



「ちょ、ちょっと…寺脇さんってば!」





「だって〜!あ〜、たまんない!」





「あはははは…そ、そんな露骨な。」




「男の子は単純なんです。」




「男の子?」




「そ。」




「子?」




「何か?」




「あはははは。」







 なんとなく、まだキスしてはいけない気がした。

…というより、私の心の準備が出来ていなかったから、

恋愛に踏み切るのかどうか、

答えをお預けにしたかったのだ。




 寺脇さんは凄く良い人だ。

それに最初に出会ったあの日に彼の笑顔に感じたドキドキは、

もちろん今も変わらない。


 彼が私に好意を持ってくれて、

その笑顔の輝きは更に増したし、

彼は物凄く私に優しい。

いつも私を喜ばせようとしてくれて、

私は彼との日々が本当に楽しくて浮かれた毎日を過ごしてた。


 彼の熱が私をどんどん熱くしていたのも事実だ。








 ブレーキを掛けようとしていたのは、

あまりの急展開に恐くなっていたからだった。


 それに…

彼の四人のお子さんの事がよぎっていた。

もしもこのまま恋愛して深い関係になっていって、

真剣な付き合いをすることになったら…

お子さんたちの事を無関係ではいられない。

彼の家族とも一緒に付合って行けるのか?

私にそんな事を背負えるのか?



 他の人を愛したままの、

風穴を埋めようとしているだけかもしれない、

そんな私に…
















 数日後。

私は自分の友達との夜桜宴会に出掛けた。


 寺脇さんは勤務日だったし、

自分の友達との時間を楽しんだ。





「で?どうなの?どうなの?その後〜!

隊員さんとどうなってんの?」




 みんなに酒の肴にされつつも、

恋の始まりの浮かれ気分である私も悪い気はしない。



「え?なに?なに?!璃玖ちゃん、新しいカレシ?

どんなヒト?どんなヒト?」






 出会いの話をすれば盛り上がる。



 そりゃそうだ。

パンクタイヤの交換で呼んだロードサービスの隊員さんと、

まさか再会して進展してるなんて、

なかなかドラマチックな展開だ。





「カッコイイの?誰似?」



「二枚目ってわけじゃないよ、カッコイイっていうより、

…なんだろ、何しろ<ザ・いい人>って感じかな。」




「はは〜ん。璃玖ってそういうのタイプだもんなあ。」



「…ははは。」



「え、璃玖さんのタイプってそうなんですか!」




「ああ、まあ、…かな。」




「え〜〜〜!っつか、見たい見たい〜〜〜!

呼ぼうよ!呼ぼう!」




「はぁ?」




「電話電話!呼んじゃおう!」





「あのねえ〜、まだそんなんじゃないし…」




「でも好きなんでしょ?」



「う、…うん。」




「ぎゃ〜ごちそうさま〜〜〜」



「ってか、仕事なんだってば。彼。」



「ええ〜ウソ〜〜〜」


「ウソじゃないって。」




「迎えにも来ないの?」




 時計を見るともう23時近かった。

そういえば、今日は夜勤ではないから、

もう仕事終わりなのかな?





 電話してみると、彼はちょうど仕事が終わったところ。

私の電話で飛んで来てくれた。




 私を迎えに現れた寺脇さんは、

みんなに盛大に冷やかされながら、

嬉しそうだった。












「なんか、こんなオヤジが出て行って、良かったのかな?」



「え?」




「だって、璃玖ちゃんと釣り合わないし…」




「なんで釣り合わないなんて。そんな事ないです。」




「オレがもうちょっと若くて、カッコイイ兄ちゃんだったらねえ。」




「だったら?」




「みんなの前で抱きしめちゃう。」





「えええ〜〜!」





「だめ?」




「あはははは。」







 せっかくだからちょっとドライブして帰ろう、

そう言って夜桜の山道を走り、

展望台の公園でひとやすみ。




「ごめんね、今日さ、仕事めちゃくちゃハードだったから、

実はちょっと疲れちゃってて。

居眠り運転しちゃマズイから、

ちょっとだけシート倒して休ませて。」




「あ、ごめんなさい。お疲れだったのに、

呼び出したりして。」




「いやいや嬉しかったから来ちゃった!」




 大家族の寺脇さんらしい、

ワンボックスのファミリーカー。

後部座席をフルフラットにして彼が伸びをする。





「ドライブなんてしないで、まっすぐ帰れば良かったですね。」




「オレがドライブしたかったの、璃玖ちゃんと。」




「でも…」




「ほんのちょっと横になりたいだけだから。」




「うん。」





「ね…、こっちに来て。」





「え?」




 ゴロ寝しながら寺脇さんが手招きする。






「ちょっとだけこっちきて。」





「……。」





 夜の展望台、車の中で二人きり。

シートを倒してこっちにおいでと言われても…



 この微妙な関係でスンナリ行く訳にはいかない。





「手を…、手を繋いでてくれるだけでいいから。側にいて。」





 それなら…と、側に座って手を差し出す。





「ありがと。」




 満足そうに私の手を握り目を閉じる寺脇さん。

この人の嬉しそうな笑顔は、女を砕く不思議な力がある。





 二十分ほどだろうか、

彼の微笑むような寝顔を眺めながら、

手を繋いだまま隣で座ってた。








 ふと目を覚ました彼の瞳が、

物凄く嬉しそうにキラキラ光って、私を見上げてた。


 その目でじっと私を見つめながら、

握った手に彼がキスをした。




 一度触れた唇を離し、

私がひいてないのを確かめるように、

二度、三度、…何度も私の手の甲にキスを繰り返す。


 その唇で指を噛むような仕草を見せた後、

彼が絞るような声でうめいた。



「ああ〜もうダメだ…」




 その声と同時に、彼が私を抱きしめ、

そのまま覆い被さるように私を押し倒した。




「ちょ、ちょっと!寺脇さんっ…」




「ごめん…」



 明らかに息づかいは荒く、

ごめんと言いながらも少しも離れようとしない。




「ダメだってば…」




「ハグするだけ…、ハグするだけだから…」





 ハグだけ、好きな人にそう言われると、

ためらいながらも拒めない。



 でも、ハグと言っても、

私は完全に押し倒されていて、

彼は私の上に覆いかぶさり、

苦しいばかりにキツく私を抱きしめてる。


 これハグって言わないよね…









 そのうち彼の手は、私の肩を撫で、

髪を撫で、頬を撫で、首を撫でる。



「好きだ…」




「……。」




「好きだ…、もうオレ、頭がおかしくなりそうなぐらい好きだよ。

どうしよう。」




「ありがと…」

私は努めて明るくフレンドリーに答える。


(冷静に、冷静に!)






「オレ、こんなに女に夢中になった事、今まで無いよ。」




「ええ?だって、亡くなった奥様とも大恋愛したんでしょう?」




「こんなに好きになった女はホントに初めてなんだって。」



「またまたあ。」




「まじめに聞いて!オレ、若い頃からこの歳までずっと、

どっちかっていうと女よりバイクとか、

色々好きな事やってるほうが断然楽しくて、仕事も楽しかったし、

男は女に夢中になんかならないもんだと思ってた。」



「…。」




「なのに、気が狂いそうに、いや、気が狂ったみたいに好きで好きで、

もうほんとどうにかなりそうなぐらい好きなんだ。

どうなってんだよオレ。ねえ、どうしてくれんの?」



「ど、どうしてって言われても…」




「罪な女だな…、ほんと魔性の女っているんだな。」




「ちょっと、そんな、私、悪者なの?私は…」

そう言う私の言葉尻を黙らせるかのように、

彼の唇が私の口を塞いだ。


 避けようとわずかにそらせた私の顔を

すかさず捕らえて…




(ダ、ダメだって…)







(え?こんな事していいの?璃玖…)



(これでいいの?)



(いいのほんとに?)







 私も寺脇さんが好き。

好きな人からこんな情熱的な言葉を掛けられてのキス、

嬉しくない訳じゃない、

私のドキドキも最高調…

だけど、だけど、いいの?




 寺脇さんのキスは続く…




 その嵐のようなキスで私もだんだんトロケてしまいそうになる。







 だんだん力が抜け、頭の中が白くなりかける…







 愛おしそうに私の髪を、頬を、首を撫でていた彼の手が、

私の胸に触れようとする。







「だ!だめだって、ねえ、寺脇さん…!」



 彼の手首を掴む。




「それはハグじゃないでしょ!」



「…ってか、コレはハグ?」


 キスしながら彼が笑う。





「コレもハグじゃない!けど、…オマケ!」




「じゃ、もっとオマケ〜〜〜」




「ダメですぅ〜」




「ケチ!」




「ケチなんです!」





「男を惑わす、悪い女だ。」



「悪くない!」




「じゃ、もう一回だけ。」

そう言って彼は私を抱きしめ、熱いキスをし、

嬉しそうに、イタズラっぽく瞳を輝かせた。











 彼のそのイタズラな瞳、

出会ったあの時の帽子の中から光った瞳。

そもそも私はこの瞳にやられた。




 彼は私に夢中だと言うが、

私も充分彼に夢中になってた。



 寺脇さんという突風に吹き乱されて、

心がいつもザワザワとときめいていた。






 いつも逢えない小栗君との遠距離恋愛、

いつも逢えないノブヒコさんとの不倫恋愛、

その反動もあったのだろうか、

物凄い頻度で逢う寺脇さんとの関係が、嬉しくてしょうがなかった。


 彼はいつも言う。

「今別れたばっかりなのに、もう逢いたいよ。」




 私もいつしか同じ気持ちになってた。












 でも、このまま深くなって良いのだろうか?

真剣な付き合いをすることになったら、

お子さんたちの事を無関係ではいられない。

それでいいの?



 ちっとも結論は出ないのに、

逢いたい気持ちばかりが先走る…



 逢いたい気持ちが止められない。








 ほんの一日でも逢えない時間には胸の奥がズキズキする。







 私は、すっかり寺脇台風にのみ込まれていた。











 そんな風にデートを繰り返した次の週、

また私が友達と出掛け、

彼が車で迎えに来てくれた。



「遅くに疲れてるのにゴメンね。」



「大丈夫、でも今日はそのまま送るからね。」




「はーい。」





 いつも逢うと必ず、お茶したり、ドライブしたり、

必ず二人の時間を持とうとする寺脇さんが、

今日はまっすぐ送ると言う。

ちょっと珍しいなと思いながらも了解する。



 ほどなく私のマンションの前に到着。

少し停車して車で話しぐらいして帰るのかと思いきや、

彼は車を駐車スペースに入れようとする。



「ちょっとだけ、上がって行っても良い?」




「え?」


 上がって行っても良い?と口では尋ねながら、

私の返事もおかまい無しに駐車。

さっさと車を降り始めた寺脇さん。



 彼を部屋に上げた事は無い。






 女の一人暮らし、

男性を部屋に上げるには、それなりの覚悟が必要だ。

簡単に上げるわけにはいかない。





 そんな気持ちを知ってか知らずか、

彼は私を急かす。



「早く…。行こ。」


「え、でも…」



「オレが上がっちゃイヤ?」




「そうじゃないけど…」




 わかって言ってるのか、

それとも単に上がってみたいと言ってるだけなのか、

この人の屈託ない笑顔にそれは読み取れない。




「じゃ、行こ。」



「う…うん。」





 エレベーターに乗り込むと、

嬉しそうに満面の笑みで私を抱き寄せ、

とまどいうつむく私を覗き込むようにしてキスをする。





(あ…、やっぱりこの人、そのつもりなんじゃ…)




(どうしよう。まだそんなつもり無いのに…)









(でも、こんなに好きでドキドキするなら、いいじゃん…)




(そうだけど…、でもやっぱり…)








 どうして良いかわからないまま、

エレベーターは部屋の階に到着。




 この人と深く付合っていくのかどうか、

それでいいのか、ちっとも覚悟が出来ていないのに、

気持ちが高ぶってるからって勢いに任せるのはダメだ…



 それに、なにしろ、展開、早過ぎる…



 若い頃ならまだしも、

良い歳して成り行きっぽく簡単に寝るなんてヤダ。









 やっぱりゆっくり時間かけて

ちゃんと考えて付合っていこうよ…










「へえ〜、すごいカッコイイ部屋だね、

なんかモデルルームみたい。

見事に生活感無いねえ〜!」



 部屋をみまわす寺脇さん。




「ははは、そう?」




「ウチなんかほら、ガキだらけだから、もう…。

ここは別世界だね〜」




「何飲みますか? 

コーヒー?

紅茶?

お茶?

あとは…」




 一生懸命ロマンチックなムードにならないように、

サバサバとフレンドリーにと努めた。



「いいよ、何もいらない。」



「ええ?でも…」



 お茶ぐらい飲んでくれないと、間が持たない。

やる事がないと接近ムードになってしまう、それは困る…




「まあ、そう言わずに、

何か飲みましょうよ、

何が良い?」




「じゃあ…」




「うん…」




 彼のまなざしが強くなり、

私はヘビに睨まれたカエルと化した。




「じゃあ、璃玖がいいな!」




「……!?」



 すごい勢いで腕をひっぱられて、

そのままキスしながらベッドに押し込まれた。



 今日の寺脇さんはいつもと違う…




 もう今日はダメとは言わせない、

そんな意志の強さがにじみ出ていた。

力が強い…





「ダメだって、ダメだって…」




 何度もただそう言いながら、

もろく中途半端な抵抗をする私を

ねじ伏せる事を楽しんでいるかのように、

彼はどんどん私を征服していった。







 あのイタズラな笑みを浮かべながら、

嬉しそうに、

彼は何度も何度も私の身体を抱く。






「璃玖は本当に男を狂わせる女だな…」







 寺脇さんは、この言葉を一体何回私に言っただろう。




 彼が私をいつも魔性呼ばわりするその理由が、

私にはよくわからなかった。














 


 そんな風に彼が私の部屋に来るようになって、

三度目か四度目くらいの頃…


 お互いの家からメッセンジャーのチャットで会話。





「逢いたくて、逢いたくて、気が変になりそうだよ。」



「うん。私も逢いたいよ。」




「ほんと?でも、オレ、璃玖に逢うとどうしても欲しくなっちゃって、

我慢出来なくなっちゃうからさ…」



「う〜ん…、まあ、お気持ちは光栄ですが…」



「四十路前のオヤジが逢う度にガッついてたら嫌われちゃうよな。

ほんと、高校生のガキじゃないんだからガッつくな!って

自分で自分が腹立たしいんだけど…」




「ははは…」




「変な話だけど、家で璃玖の事を考えてるだけでも

なんかムラムラしてきちゃってたまらなくなる。」




「ええ?そ、そんな…」




「だからさ、ランニング始めたの。ムラムラしてきたら走りに行く。

思いっきり走って汗かいたら割とスッキリするんだよね。」





「あはは、そうなの…」




「肉体労働みたいな仕事でもあるしね、身体にも良いし!

でもムラっとする度に走ってたら、オレ、ゲッソリ痩せ細っちゃいそう。」




「ええ〜〜〜…、はははは…」







 私の心はなんだか整理がつかないままだったけど、

寺脇さんの勢いに負けて押し流されてしまったまま。


 よく考えなければ…とは思ってたけれど、

好きな人と肌を合わせ、こよなく愛されれば情も移る。

好きという気持ちがどんどん膨らんでしまう。


 理性的に考えねばと思っていた自分が、

どんどん遠くに行ってしまう。






 逢えない時間に感じる胸のズキズキする痛みが、

どんどん強くなっていってた…







 





 そんないつものメッセンジャーでの会話中。



「早く逢いたいなあ。」



「うん。私も。」



「あ〜なんかまた走りに行かなきゃかも…」



「もう〜…。」




「ごめんね…。俺も自分がただのエロオヤジみたいで自己嫌悪。

でも、そうじゃないからね!

ほんと璃玖の全部を愛してて夢中なだけなんだよ、

本当は、ただただ一緒に居たいだけだからね。」



「うん。」



「なのに、抱きたい気持ちも止められなくて…

俺、完全に狂ってるよなあ。」



「はははは。」



「こんなこと、言っちゃいけないんだと思うけどさ、

昨日、嫁さんとしてる最中に璃玖のこと想像しちゃって…

凄い興奮しちゃったんだ。」




「え?」



「嫁には悪いと思ったけど、璃玖を想像してイっちゃった。」




「???」



「うちの嫁って、じつは性にオープンだからさ、

三人で出来たらいいな〜なんて思ったりして…

そういうの璃玖はイヤ?」







 ???



 ウチノヨメ




 ウチノヨメってなんですか?






 奥様は事故で亡くなったんだよね?




 妄想でのマスターベーションの話をしてるの?




 三人でって?





 は???










 



 寺脇さんの奥様は確かに事故で亡くなった。

彼の身の上話にウソは一つも無かった。


 だた、

傷心の彼を励ました女性と再婚していたことを

話していなかっただけだった。




 四人のお子さん。

二人は彼と亡くなった奥様の子。

一人は再婚した現在の奥様の連れ子。

一人は再婚した現在の奥様との子。




 再婚したのかどうか、

現在結婚してるのかどうか、

そんな会話にならなかったから自然にスルーしてた。



 そんな…まさか…





 


 何が何だか、私はパニック…




 今、私がこの人と付合ってるのは不倫ってこと???








 え?…だから魔性っていつも言ってたの?





 あんなに苦しんで不倫を断ち切ったというのに、

不倫は絶対にダメだと、

その一心でノブヒコさんを封印したのに、

私はまた不倫してるの?


 ノブヒコさんを諦めた意味がないじゃない…!







 寺脇さんにこんなに逢いたい、

逢えない時間、こんなに胸が痛いのに、

不倫なの?







 最悪だ。


 

 ほんとうに最悪だ。







 







 逢いたくて、逢いたくて、たまらなくなって、

こんな気持ちになってしまってから、

今さらこんな事実を知るなんて…


 もっと前に知ってれば、

知った時点で簡単にトーンダウン出来た。




 止められない情熱が心を支配してしまっていて、

今この消火爆弾、

簡単に火は消えない。おさまらない。

 









 



 寺脇さんとの二〜三ヶ月。

本当に、春の嵐にもみくちゃにされたようだった。


 穏やかな五月晴れの頃、

ようやく私は台風から抜け出し、

一人の平穏を取り戻した。



 寺脇さんは私の人生の一瞬に、

突然吹き荒れて通り過ぎていった春の嵐だった。









 私の心に大きく空いたままの

ノブヒコさんの風穴のせいなのだろうか…


 心にポッカリ風穴がある限り、

その穴を埋めようと、こうやって翻弄され続けるのだろうか…






 もう疲れ切ってしまった。



 本当に、

疲れてしまった…




第44話『心を埋める鉄条網』へ続く

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