第41話『封印』
倫理に反する事も色々と出てきますが書きます。
おこがましいかもしれないけれど、反面教師として、
似たような境遇に今いる人に何か一助となれば…
と少し思ってます。
「ノブヒコさん、33歳のお誕生日おめでとう!」
最後のメールの書き出しはこうだった。
一月十九日の午前零時になったら送信ボタンをクリックする。
そう決めて、別れの決意をしたためたメールを書いておいた。
何日も掛けて書いた最後のメール。
その日その時間まで、何度も読み返したそのメール。
これを送信したら、
送信してしまったら、
私が31年の人生で唯一何もかも全てを捧げたいとまで思った
その人生最大の恋愛が、終わってしまう。
このメールをノブヒコさんはいつ目にするのだろう。
送信直後?
それとも数時間後?
翌朝かな?
それとも明日仕事から帰ってから夜?
あの時のメールは、残念ながら手元には残っていない。
当時使ってたパソコンは数年後にいきなり電源が入らなくなり、
修理不能となってそのまま処分。
彼との想い出のメールは、
永遠に取り出せないものとなった。
残ったのは結局、ノートに書き綴ってきた直筆の日記と、
その中に書き写してあった幾つかのメールの文章だけ。
最後のメールは、書き写さないまま、封印されてしまった。
彼からのその返信メールも、
私の頭の中にしか残っていない。
私は、ここまでに至る、ありのままの気持ちを
すべてそのメールに綴った。
どんなにノブヒコさんを愛し、
どんなに彼と出会って幸せだったか…
そしてどんなに苦しみ、その我慢が、
誰一人幸せにしていない事への苦悩…
切なさのあまり、
泣く事が多くなったり、
嫉妬でグシャグシャになったり、
彼の前でこれ以上嫌な女になってしまいたくないという切実な想い…
どうせ逢えなくて苦しむのなら、
別れる苦しみを選んだほうが、
人として胸を張って堂々と生きられる。
だから私は前に進もうと思う。
何と言い訳しようとも、
これは罪悪でしかない。
だから別れる。
だけど、
私が生涯で一番愛したのはまぎれも無くノブヒコさん。
彼をこの世の誰よりも一番愛しているのは私だと、
誰にも負けないと言える自信がある。
それは事実だし、きっとこの先一生変わらない…
ノブヒコさんが、何度か私に言ってくれた言葉のように、
私も永遠に彼を愛し続けるだろう。
「ずっと逢えなくなったとしても、それでも気持ちは変わらない
ずっと変わらずに想っていられるんだ…」
この私からの突然の別れのメール、
彼は驚いただろうな。
”しばらく逢わないことに”と言ってから、
二か月が経過し、
そろそろデートでも考えていた頃かも知れない。
たまに届く彼からのメールは近頃明るい雰囲気だったし…
先の予定にまつわる記述もあった気がするし…
彼の誕生日に突然、私が別れのメールをするなんて、
彼はどんな気持ちだっただろう。
なんと返信してくるだろうか。
アッサリしてたり、逆切れされたらショックすぎるな…
引き止めてくれたら少し嬉しい、でも…
そもそも返信は来るのだろうか?
そのまま返信は無いままかも知れない。
送信ボタンをクリックした後は、
色んな事を考えて錯乱しそうだった。
彼から届いた返信メール。
私が彼からもらったメールの中で一番長いメールだった。
復元不能なパソコンの中で永遠に封印されて消えた、
彼からの返信メール。
どんな文章だったか、
雰囲気だけは思い出せるけど…
とても誠実で熱い想いのこもった優しいメールだった。
その中の一言が、
私を救い、
そしてある意味、今もその言葉に縛られて生きているような気もする。
「僕は本当に真剣に璃玖さんを愛していました。
それだけは一生変わらない真実です。」
”好きだよ”という言葉ですら、何度かしか口にした事がないノブヒコさん。
”愛してる”という言葉は、一度か二度口走ったかどうか…
その彼からの”愛”の言葉。
この言葉だけで一生生きて行ける。
そんな気がした。
1997年の春に出会って恋に落ち、
2000年、あと三か月もすれば丸三年だった。
永遠に続ける覚悟でいたこの人との恋愛…
私は無理矢理フタをして、終わらせたのです。
その週末、
私は小栗君に慰めてもらいに行きました。
約束どおり、タバコも不倫も辞めた私を、
彼は大喜びで迎えてくれました。
私は、小栗君とハシャぐことで、
ノブヒコさんを失った悲しみを、
おかしくなりそうな強烈な喪失感を、
まさしくノブヒコさんのいない禁断症状を、
誤魔化そうとしていた。
嬉しそうにデートしてくれる小栗君。
親友だと言ってるのに、
なぜか手を繋いで歩く。
四つも年下のクセに、
私を”可愛い、可愛い”とヨシヨシする。
小栗君の優しさに甘えて、
ポッカリ穴の空いた自分をなんとか忘れようとする。
甘えついでに彼に抱かれてしまうのも良いと思った。
それで気が紛れるかもしれない。
二人で散々呑んで酔っ払い、
フラフラに蛇行しながらの千鳥足で私の宿泊先の部屋へ。
「なんか、あついよぉ〜。もう部屋だから、脱いじゃっていい?」
そう言って、私はキャミソール姿に。
「この部屋、あついっすね。自分もちょっと脱ぎます!」
小栗君がTシャツ姿に。
「すごいね〜、やっぱ小栗君、鍛えてるから逞しいね〜!
ってか、すごい綺麗な筋肉美って感じだね〜…
ねえ、見せて見せて!」
「ええ〜〜〜!恥ずかしいっす!」
「私と小栗君の仲でしょ〜、恥ずかしくない!
ね、脱いでみて脱いでみて!」
「……。やっぱ恥ずかしいっす。」
「いいじゃん、見せてくれたって〜〜
別に下まで全部脱げって言ってるんじゃないんだし〜」
「じゃあ、自分が見せたら、璃玖さんも見せてくれますか?」
「えっ…」
「だってそうじゃなきゃフェアじゃないっす。」
「う、うん。…いいよ、
じゃあ見せて。」
彼がTシャツを脱ぎ、
その上半身をあらわに見せてくれた。
マッチョというほど嫌らしくない程良い筋肉美、
優しく割れた腹筋、きめ細かくなめらかな肌、
モデルかと思うほど美しい男性の肉体だった。
「すご〜い。ほんとカッコイイっていうか、
綺麗だね、小栗くん。」
「あんまりマザマザと見ないで下さいよ。
恥ずかしいんだから。」
「だって、すごい綺麗なんだもん。
ねえ、ちょっとだけ触って良い?
っていうか、一瞬だけその胸に顔埋めてみていい?」
「ははは。いいっすよ。」
私がそっと彼の胸に頬をよせ、頭を預けると、
彼が一瞬、私の頭をギュっと抱き寄せてくれた。
「ギュ〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「グエ〜〜!!!苦しい!!!」
「あはははは!!!どうでした?」
「もう!!!プロレスじゃないんだから〜」
「じゃあ、次は璃玖さんの番ですよ。」
「え??」
「え?じゃないでしょ、トボけてまた〜」
「マジなんだ。」
「当たり前っす!自分と璃玖さんの間に嘘は無い!でしょ?」
「あ、ハイ…。」
彼に抱かれても良いと思ってた。
それが気持ちを紛らわすのに丁度良いとさえ…
私は、促されるがまま、
彼の目の前でキャミソールを脱ぎ、
そしてブラをはずした。
温かい眼差しで、ずっとこっちを見ている小栗君。
「綺麗ですね…」
「……。」
「璃玖さん、ほんとに綺麗です…。」
「…ほんと?」
「うん。すごく。物凄く美しい。」
「ありがと。」
少しウットリしたように私の身体を眺める小栗君。
「そんなに見たら、恥ずかしいよ〜」
思わず手を胸に組み、隠そうとする。
「隠しちゃ駄目!気をつけ〜!」
「はい…。」
でも恥ずかしくなってきて、
同じく上半身裸の彼の胸に飛び込んでみる。
すると、彼は一瞬ギュっと受け止めてくれ、
直接触れ合う肌と肌の感触を感じた後すぐに、
私の身体を離し、ちゃんと目の前に座らせ、
また見つめる。
「本当に綺麗ですよ、璃玖さん。」
そう言って彼は、
私の唇にキスをし、
そして、
頬にキスをし、
首筋に、
胸に、
柔らかいキスをして、
もう一度、裸の身体を抱きしめたあと…
「また明日。明日も楽しくデートしましょう!」
と、明日の約束をして帰って行きました。
翌日も朝から待ち合わせてドライブ。
そして、その夜には私は帰る。
別れの間際には優しいキスをくれる小栗君。
私たち、親友?
私たち、なんだろう?
そんなデートを月に二〜三回するようになりました。
「次はいつ来ますか?来週?今週?」
そんな風に言われては、
およそ600kmの距離をはるばる逢いに行く。
デート中はいつも手を繋ぎ、
別れ際には抱きしめ合ってキスをする。
裸でじゃれ合う事があっても、
でも、SEXには至らない。
私がどんなにノブヒコさんを愛していたか、
一番知っていた小栗君。
私の心の中が本当はノブヒコさんでいっぱいな事を
彼は感じていたからかも知れない。
「”親友”ですから。」
「年上の女性に恋愛感情はもてないんです。」
そう口癖のように繰り返しながらも、
実際は身体の一線を超えないだけの恋人関係。
そんな奇妙な遠距離恋愛(?)だった。
今思えば、
彼は禁煙ガムにはなりたくなかったんだろうなと思う。
吸いたくなったらタバコの代わりに噛んで、
タバコが欲しい気持ちを紛らわす、禁煙ガム。
私の心の根っこを、小栗君は見透かしてたんだろうな。
小栗君は、そんな私に、
一瞬たりともノブヒコさんを想って寂しく泣く暇を与えないかのように、
毎日一日中、何かしら絡んできてくれて、
それはそれはマメだった。
朝のモーニングコール、
一日何度も何度も携帯をワン切り、
メール、チャット、電話、手紙…
そうやって、私は小栗君のお陰で、
死にたくなるような切なさを感じている時間を奪われ、
そして、
彼と過ごすうちに、
気が付けばどんどんと月日が流れていってくれていたのだった。
七月のある日、
私は酷い頭痛でのたうち回っていた。
頭痛薬もまったく効かない、
このまま死ぬんじゃないか、
いやむしろ死んだ方がいっそ楽なのに、
そんな猛烈な頭痛。
片頭痛もちの私には時々襲ってくるこの手の頭痛。
その晩、電話口でずっと励ましてくれた小栗君。
痛い痛いと泣きわめく私が、疲れて眠るまで話しかけてくれてた。
受話器を持ったまま眠りこけていた朝。
”ピ〜ンポ〜ン”
ドアホンの音で起こされ、
部屋のモニターに目をやると、
そこにはなんと、小栗君!
「大丈夫ですか!?」
「お、小栗くん!?」
「心配だったんで来ちゃいました!」
「え〜〜〜!朝イチの新幹線?」
「はい!」
「フラっと来ちゃいましたって距離じゃないじゃん!」
「はい。自分、郵便屋じゃないので、
住所だけでたどり着けるか不安でしたが、来られました!
璃玖さんの無事を確認したので、お邪魔でしたら帰りますが。」
「お邪魔なワケないよぉ…」
「はい、そう言ってくれると思ってました!」
「もお…、小栗君のバカ。」
「そう言うと思ってました!」
「小栗君のイジワル。」
「璃玖さん、自分の事、嫌いですか?」
「大好き。」
「そう言ってくれると思ってました!」
「もお〜…!」
逢う度に一緒に寝泊まりして、
彼と抱き合い、キスをして、
裸で戯れ合う行為は、
だんだんとエスカレートしていき、
私は身体の火照りを抑えられなくなり…
最初、SEXだけはしない妙な関係だった私たちも、
私がどんどんと積極的になり、
小栗君が途中でやめようとすると、
「やめないで…!」
「入れて…、お願い。」
そう言って私が勝手に彼を誘導する事が常になってた。
挿入しても彼はあくまで引き気味。
自分が果てるまでしようとはせず、
私が勝手に果てるのを見届けるとやめてしまう。
まして彼が自分から挿入してくることは無かった。
彼の身体で勝手にぬくもりを満たしている私を、
彼は”可愛い、可愛い”と抱きしめて撫でる。
そんな関係が続いて一年が経とうとしていた十二月。
クリスマスのデートで小栗君に異変が起きたのでした。
小栗君とのクリスマス。
いつもと同じように「親友」と言いながらもラブラブなデート。
いつもと同じように私の宿泊先で一緒に眠る。
「初めて実際に逢ったのって、去年の十二月だったよね。」
「もうあれから一年経つんだね…。」
その夜、小栗君は今までに一度も無かった行動をみせました。
初めて、彼が私を自発的に抱いたのです。
それまでいつも、なんとなく戯れてるうちに私が止まらなくなってしまい、
私が勝手に彼の身体で温もりを満たしているばかりだった。
小栗君はこの一年間ただの一度も自分から私の中に入っては来なかったし、
私が満足するのを見届けたらすぐにやめてしまう、
そんな風だったのに…
この夜、小栗君は初めて自分から私の中へ入ってきて、
私を強く強く抱き、
私の中で果ててくれたのです。
当たり前の事なのだけど、
一年間一度も無かった彼のこの行動に、驚きました。
(どうしたの?小栗君?)
(クリスマスだし、たまたま気分が盛り上がっちゃったのかな?)
(それともクリスマスプレゼントのつもり?)
「どうしたの?」とも聞けないし、
この急変の出来事に理由があるのか無いのか、
ぜんぜん解らなかったけど、
とにかく嬉しかった。
”愛された”という気がして、
その言い知れ無い幸福感に酔った。
「親友ですから。」
「年上の女性に恋愛感情は持てない。」
そう言い続けていた小栗君の中に何か変化があったのかしら?
もしかして恋愛モードにスイッチ切り替わったのかしら?
…そんな勝手な妄想を繰り広げて、
愛される事の喜びに浸っていました。
理由なんかない、ただの気まぐれかも知れないのに。
この事の意味を知りたくて、
でも本人には訪ねる訳にもいかず…
だって、
「別に意味無いっす」
って言われちゃったら何かショックだし。
まあ、そんな傷付ける事は言わない人だろうけど…
だとしたら仮に、意味なくやったことだったとしても、
露骨に「意味無い」とは言い辛くて
本当の事は言ってくれない可能性も高い。
男友達に意見を聞いてみることにした。
「…というワケなんだけど、どう思う?」
「っていうか、一年もずっとその状況で我慢してきたその男が凄いよな。」
「ああ、まあ、そうだよね…」
「嫌いな女とか、その気が一切ない女ならともかくさ、
そのラブラブっぽい接し方からして気はある訳じゃん?」
「まあ、そうなのかな。」
「気のある女とそんな風にしてたら、いくら”抑えなきゃ”
って思ってたとしてもさあ、
そこまでしてたら、なんかこう、男ってさ、
もうワケわからなくなって止められなくなるし。」
「うん。そうだよね、ふつう。」
「そりゃさ、いくら気が有っても、
しない!って決めてしないのも可能だけどさ、
それはもっと手前の段階でなら我慢出来るってモンでさあ…」
「うん。うん。」
「そいつ、相当変わってるよな。」
「やっぱそう思う?」
「それを一年も通してたとしたら…」
「としたら?」
「我慢しないとか、自主的に、ってのは、
意味無くはやらないな。」
「やっぱそう思う?やっぱ意味あるのかな?」
「そりゃ、あるね。だって一年だぜ?
何回か我慢してただけならともかくさあ。」
「どういう意味だと思う?」
「なんかやっぱ、アレじゃないの?
”親友”とかなんとか言ってブレーキかけて来たけど、
それは終わりってことなんじゃないの?」
「え〜〜〜!!!そうなのかな!?」
「知らねーけどさあ。年上だから恋愛感情は持てないとか言いつつ、
そんなラブビーム満載な態度で付き合って来てたわけだろ?」
「うん。どう考えても、ずっと普通の恋人みたいな接し方だった。
どう考えても惚れられてる感じだったけど、
でも”恋愛感情じゃない”って言い張るから…」
「それがそもそも恋愛感情だってことを
本人は自分の中で否定してきたんだろうけど、
ここにきてやっと否定しきれない自分の感情に気が付いたとかさ。」
「恋愛感情を自分で認めたってこと?」
「そうなんじゃない?
そういう律儀っていうかカタブツな輩みたいだからさ、
自分の中で”恋愛感情だ”って認めたから、
態度を切り替えた…」
「やっぱ、そういう事なのかなあ。
でもなんか、う〜ん。
何しろ彼ちょっと変わってるからなあ。
一般論は当てはまらないかも知れないしな…」
「だろうけど、
でもやっぱ、大旨そういう意味が無きゃ、
そいつはそういう事しないんじゃないの?
と思うけど。」
そうだよね…
そうかも知れない。
でも小栗君の口から何か言われた訳じゃないから、
彼のこの異変の真意には確信が持てなかった。
何か小栗君の中で変化があったのだとしたら、
言ってくれなきゃわかんないよ…
第42話『二十一世紀最初のキス、そして急変』へ続く




