第36話『残酷な手紙』
倫理に反する事も色々と出てきますが書きます。
おこがましいかもしれないけれど、反面教師として、
似たような境遇に今いる人に何か一助となれば…
と少し思ってます。
ノブヒコさんの奥様が私の職場にバイトにくる!
そんな……!
そんな…
微妙に部門が違っていたので直接一緒に仕事する訳ではないものの、
ほぼ毎日顔を合わすし、挨拶程度の交流は避けられない。
しかし彼が「そのバイトは絶対ダメだ!」なんて言うのも
逆におかしいので奥様を止めることは出来ず…
結局、毎日、ノブヒコさんの奥様と挨拶を交わさねばならなくなりました。
彼とは滅多に会えないのに、
彼の奥様とは毎日のように会うことになるなんて…
奥様は我が社を結婚退職した先輩。
私は同時期に同じ支社で働いたことは無いけれど、
彼女の名前くらいは以前から知ってた。
奥様は、夫であるノブヒコさんを完全に信用している、
というか、浮気なんか出来ない人だと思い込んでいる上に、
彼女の御実家の御両親とベッタリで、
ノブヒコさんを置いて月に二度は必ず子供連れで実家に御泊まり。
そのお陰で彼は月に一〜二回必ず私の家に泊まる事が可能だった。
その実家での御泊まりは奥様がバイトをし始めてからも変わらなかった。
奥様が実家に御泊まりで、彼が休日の前には私の家に泊まりに来る。
翌朝、彼だけが休日だった場合、
彼が私の部屋に残って出勤する私を見送ってくれる。
私は部屋に残ってのんびりしている彼のことや、
彼と過ごした前夜の甘い余韻に浸りながら、
ぼんやりニヤニヤ顔で出勤し職場に到着♪
しかし、そういう朝に限って…
御泊まり先の御実家から出勤してきた奥様に
出勤早々イキナリ顔を合わせてしまい、
「おはようございまーす!」
なんて元気に言われ…
まるでイキナリみぞおち辺りを鈍器で思いきり殴られたような。
まるでイキナリ泥水を頭の上から大量にぶっかけられたような。
息が止まるような、たまらない気持になる。
「お、お、おはようございます…」
(ゴメンなさい…)
(ご主人は昨夜私と眠ってました。ごめんなさい…)
(たった今、彼に”いってらっしゃい”って抱き締められて、
キスされて来たんです…ゴメンなさい。ゴメンなさい。ごめんなさい…)
昼休み、ちょうど奥様と一緒になってしまって、
何度も向かい合って御飯を食べた…
休憩室で会ってしまえば、
一緒にお茶して雑談しなければならない事もあった…
奥様と向き合ってたり話したりすればする程、
彼女が彼のことをコレっぽっちも疑っていないことが
手に取るように伝わって来た。
男としての彼がいかにダメで魅力が無いかを語る奥様…
笑ってるから、本気で言ってるとは思わないけど、
彼女は自分以外の女がノブヒコさんに惚れるなど有り得ないと思ってる。
そして、彼が恋愛などしない人間だと…
私とノブヒコさんとの二年を何も知らないで
そんな風に微塵の疑いも持っていない奥様…
何の疑いも無く私に明るく接している彼女を見ていると、
目を開けていられない程の恐ろしい罪悪感に苛まれた。
私は、会社を辞めることを考え始めました。
この会社で上り詰めることに全てを捧げてきたけど、
この会社に骨を埋める覚悟でやってきたけど、
せっかくここまでのボジションを築き上げたけど…
ノブヒコさんの奥様と交流しながら仕事なんて、
私には無理。
私の仕事が何度か雑誌に取り上げられたりした事もあって、
私個人への仕事のオファーも色々きていたし、
独立するという選択を初めて真剣に考えた。
ノブヒコさんには「独立して自分の力を試したい」という
前向きな理由だけを話して、相談した。
私の仕事の才能をとても愛してくれていた彼は、
「凄いじゃない!僕も出来る限りの応援をするよ!カッコイイなあ〜!」
とポジティブに応援してくれた。
十三年間という長い間お世話になった、私を育ててくれた大好きな会社。
規定どおり半年の猶予を持って、九月末での退職を願い出た。
驚いた上司は、私にアレコレと昇進ポジションを用意し、
引き止めようと誘ってくれたけれど、もう心は動かない。
私の後任が育っていないことを理由に、その時期は引き延ばされ、
結局その年の十二月末での退職が認められた。
今はまだ春。
年末までの半年以上、ノブヒコさんの奥様と一緒という
この状況に耐えねばならない…
そんな異常な日々が数カ月過ぎて行き、
月日につれて段々と私の精神の悲鳴は酷くなる一方でした。
奥様と接していることでの堪らない罪悪感、やり切れ無さ、
その上に、彼とは仕事上距離が出来てしまい多忙で会えない日々が続く…
毎日を一人ぼっちで過ごしていると、
会えない寂しさから、
大抵良くないことばかりをアレコレと考えるものです。
それも下らないことばっかり…
「嫁さんとは上手くいってるけど”恋愛感情は全くない”」
という彼の台詞、
それって彼が大げさに言っているに違い無いとわかってる。
だけど、
本当に奥様には恋愛感情なんか無いんだって
自分に言い聞かせたりもしてる。
本当は完全SEXレスなんて、
嘘に違いないってわかっているのに、
ホントに奥様とはしてないって
自分で思いこもうとしていたり。
下らない想像の堂々巡りは幾つも幾つも浮かんでくる…
仕事と家庭生活、
その二つには絶対にかなわないけれど、
その他の事の中では何よりも私を一番に考えてくれていると信じていたい。
だけど現実にはそれも必ずしも守られない。
仕事と家庭、それ以外の理由で会えなくなったりすると、
物凄いショック…
そんな失望が少しづつ積み重なっていって、
だんだん信じ切れなくなってくる。
本当に私はとことん愛されているの?
苛立ちや、不安がどんどん膨らんでいって自分を苦しめる。
でも、愛する人に自分の事を常に一番に考えて欲しいのなら、
まず”不倫”はやめるしか無いのですね。
結局、嘘で繋がる関係はいつも後廻しにされるだけ。
不倫である限り、
その恋愛は表向きの彼の生活の中に「存在しない」ものなんだから。
私の身体は、ホントにとことんこういったストレスには弱いようで…
ある夏の日、
またしても会社で私は倒れてしまいました。
物凄い目眩と頭痛、
呼吸が困難になって身体が痺れ、
そのうち気を失っていました。
メニエル氏病の発作と、
過呼吸症候群、
その後の検査でまた胃潰瘍も…
ストレス病の代名詞、三拍子勢ぞろいだった。
救急車で会社近くの救急病院に運ばれたらしく、
気が付くと消灯後の暗い病室、
会社の上司が数人ベッドの傍に居た。
私が倒れた時には会社に居なかったノブヒコさんの姿もその中に見えた。
会社で私が倒れたことを聞いて来てくれたらしい。
嬉しかった。
(こんな形ででも、なかなか会えないノブヒコさんに会えて良かった…)
上司の一人が、目を覚ました私に話しかけた。
「無事気が付いて良かった。じゃあ、私達は失礼するけど…
御実家に連絡したから、夕方お母様が来ておられたよ、
また明日朝に来るって、先程一旦お帰りになったから。」
(なんですって!!!?母が!?)
「母に知らせたんですかっ!!あの人がココに来たんですか!!
絶対に知らせないで欲しいって言ったのに!!!
家族は居ないって言ったのに!!」
気が動転した私は、思わず何も事情を知らない上司に向って
そうひたすら泣きわめいて叫んでいた。
何となく、救急車の中でだか、病院でだか、
「連絡先は?御家族は?」と聞かれた覚えがある。
私はとにかく必死で、
「家族は居ない」
「どこにも連絡しないで」
と何度も繰り返し言った記憶がある。
前に倒れた時も、それで連絡は行かなかった。なのに…
今回は何故か、勝手に会社の人が私の実家を調べあげて
連絡してしまったらしいのだった。
「あの人が、朝また来るんですね?!じゃあ私はココには居られない。
帰ります、今すぐ帰ります!あの人が来る前に帰ります!」
意識が戻ったばかりの私は、
そう言って病室から出ようとした。
当然、上司や駆け付けた看護師さんらに取り押さえられ…
「何が何でも帰る!」
という私に、師長さんと医者まで出て来て、
なだめる、説得する…
「じゃあ、今からこっそり病室を移して、
明日お母様がお見えになっても病室の番号は教えません、
それなら良いですね?今は絶対安静ですから。」
という師長さんの提案で、
夜中に病室を夜逃げ移動することになった。
翌朝、看護師と医者が回診に来た時、
師長さんが後からやってきて、
「今、お母様がお見えですが…」
と言う。
「絶対にこの部屋は教えないで下さい。
人違いだと言って帰って貰って下さい。
私には家族は居ませんから、人違いです。会えません。お願いします。」
私がそう言うので一端去った師長さんだったが、
また戻ってきて同じ事を言わせる。
この繰り返しを二〜三度して、
やっと母は諦めて帰ったようだった。
私がが親を恨んでいる(※『親というもの...』編参照)ということなど、
まったく気付いてもいなかった母には、
さぞかしショッキングな出来事であったろう。
私も、そんなこと一生言うつもりも無かったし、
この恨みの気持は心密かに自分の胸にしまっておくつもりだったのに。
とんでもない自体になってしまって、私もショックだった。
退院して九月の私の誕生日の頃になって
その母が私にこんな手紙をよこして来たのだった。
+ + + 母からの手紙:名前以外原文のまま + + +
璃玖ちゃん、お誕生日おめでとう!
その後元気にしていますか?
真夏のあの日からもう一ヶ月が過ぎました。
まだまだ残暑が厳しいけれど、体調は元に戻りましたか?
心配です。
お母さんも先頃体調を崩し、
夜中に激しい目眩と吐き気におそわれ心細い思いをしました。
貴女にとっては他人事なのかも知れませんが
私にとっては璃玖ちゃんはまぎれもない娘です。
心細かった時、側に誰かいて欲しいと思いました。
なのに貴女は、
”私には母は居ない。逢いたく無い、人違いです。
知人の世話にはなっても母の世話にはなりたくない”
等々、そんな言葉を他人さんから聞かされた私の気持が想像できますか?
面と向って貴女の口から言われた方が、どれだけ傷付かずに済んだ事か。
一体私が何をしたというのですか?
そんな言葉をはかれる程の出来事が、又は仕打ちをしたのですか?
冷静になって、いくら考えても思い当たる事が浮かんで来ません。
だって貴女はこの家にも二年以上も寄り付かないのに、
それ程離れた関係なのに。
何が原因で貴女にそんな言動をとらせたのか一度時間をかけて
ゆっくり話し合ってみたいと思います。
貴女がどんな生き方を選択し、その為にどれ程の苦労をしようと
それはまぎれもなく自分自身が選んだ道の筈です。
その生きる辛さを人のせいに等しているとしたら、
とんでもない間違いだと思います。
十年程前にも言ったと思うけど、
”もう少し肩の力を抜いて生きる”様にしたら、
まわりの人への思いやりや、今迄見えなかった物も見えるようになり、
人間に幅ができると思います。
目的の為に前進あるのみでは、時に何かを見失っているかも知れません。
たまにはフッと息を抜いて立ち止まってね。
どんなに離れていようと貴女の事を心に掛けている母さんより。
1999.9.19
+ + + + + + + + + +
この手紙を受取り、
何度も何度も何度も、
何度も読みながら、
私は、さんざん悩んで迷った挙げ句、決意しました。
こうなった以上、何も知らないのは帰って気の毒だと思い、
私の恨みの全てを母本人に打ち明けることにしました。
私は意を決して母に手紙を書きました。
長い長い、とても長い最後の手紙を。
+ + + 母への手紙:名前以外原文のまま + + +
もめ事は嫌いなのと、仕事やプライベートが多忙なのとで、
返事など書かずにおこうと思いました。
その方が、そちらにとっても良い筈だと思ったからです。
なぜならこの程度のことなら時が経てば薄れていき、
そうして風化させた方が良いだろうと思ったからです。
そうせずに、事の一部始終を話せば傷はもっともっと深いものになるのは確実で、
私は敢えてそんなことは望んでいないからです。
私が黙って心に持っておけば済むことなので、
わざわざそちらに更なるショックを与えたりはしたくないのが本来の意志です。
もめ事や、人が嫌な思いをするのが大嫌いで、それを避ける為ならば、
”自分さえ我慢すれば”というのが私の性格なので。
私の性格、と言ってもそちらは検討もつかないのでしょうが。。。
それは手紙の文面を読ませてもらえれば良く分かります。
貴女は私を何にもわかってらっしゃらない。まぁ当然のことですが。
家を出てから12年、私の31年の人生の半分近くを
貴女は知らないのだからそれは当たり前です。
ですが、それだけでは無い。
それまでの前半の人生の間も貴女は私を全く理解していなかったのです。
すなわち貴女は31年間の私のすべてを全く御存じ無いという事。
まあ、世の中自分の子供のことをある程度なりにも
理解している親ばかりでは無いのでしょうし、
分かって無い親が結構多いのかもしれませんがね。
手紙を拝見した感想は、”ほんとあの人らしいなぁ”
”何にも分かっちゃいないな”といったところです。
性格なんでしょうね、何にも分かってないのに
分かってるつもりでズバズバと出しゃばるのが、いかにも。
私は貴女のその性格のお陰で物心着いた頃からずっと、
貴女の前で本当の自分を出せなくなってしまっていました。
この年になってもハッキリと思い出せます。
私には幼稚園以前の記憶は有りませんが、
すでに幼稚園児の時から常に思っていたものでした。
”ホントは違うのに、そうじゃないのに”って。。。
どんなことでも万事がそうでした。
”私はこうです”って思って意志表現しようとすると
必ず決まって貴女がそれをさえぎり出しゃばっては、
私の言葉を勝手に代弁してしまう。
もちろんそれは貴女の言葉でしかなく、
私の言葉などとは懸け離れたものだった。
”違うのに!”と思っても雄弁な貴女を子供の私がさえぎることなど出来ず、
”まぁいいや、そういうことにしといてあげよう”
と諦めて貴女の言うとうりの自分を演じるようになっていました。
貴女が勝手に思い込んで作り上げている私という人間、
”この子はこういう子だから”とおっしゃるその枠の中に
閉じ込められていました。貴女が居ない場所では、
本当の自分でいられてのびのびしていたし楽しかった。
幼稚園児の時からそれが植え付けられてきたのですから、
すっかり私はその状態から抜けだせなくなり
そのまんま成長していきました。ずっとずっと。
要するに、貴女が見てきた私というのは
すべて貴女が勝手に思い込んで”作り上げた私”のとうりに
あわせて演じている作り物の私でしか無いということ。
貴女は結局それしか知らないのです。
ところが、何でも分かった気で偉ぶるのが貴女の性格ですから、
平気であんな手紙を書くことができるんでしょうね。
「まわりの人への思いやり」という言葉が貴女の手紙にありましたが、
貴女がそれを一番分かってらっしゃらないのではありませんか?
人を思いやるということは、
自己満足な思いやりを人に押し付けることではないはずです。
人はえてして、それを思いやりと勘違いしがちなものですが、
それは単なるエゴにすぎない。
何でも分かった気になってると人の気持ちや周りのものが
何も見えなくなり、やがて何も分かっていない自分に気が付くと
恐ろしくみじめになりますよ。
ま、気付かぬまま死ねたらそれも幸せかもしれませんが。
謙虚さが必要なのではありませんか?
私は貴女を反面教師として育ったせいか、
”謙虚”という言葉が大好きです。
何ごとも謙虚な姿勢でいなければ物事を見る目も歪み、
視野も狭く得られる物も少なく、人との和も築けないと思います。
ビジネスの世界では謙虚なだけでは損をすることも多々ありますが、
それでも私は謙虚さを貫かずにはおれません。
出しゃばりには死んでもなりたくない、要するに、
貴女のようには死んでもなりたくないという思いで
ずっと生きてきているわけで、そういった反面教師という意味では
恵まれていたと言えるのかも知れません。
貴女の手紙を拝見していると、
どうもここ数年の間になんらか私が貴女に対して
確執をもったというように受け取っておられるようですね。
それ以前にそちらへ顔出しをしていたのは、単なる愛想です。
私は結婚していて独りでは無かったので
独断で行動をとるわけにはいきませんからね。
お愛想芝居も必要です。とにかく私は喧嘩などはしたくもなく、
当たり障りなく縁遠くしていられればそれが一番良かった訳ですから。
ここ数年顔を出さないのにその間に何をしたというのか!なんて、
そういう考えしか出来ないのが貴女の浅はかさですよ。
謙虚に物事を受け止める心が無いからそうなるのですよ。
仮に、私が同じ立場だったとして、自分の娘に突然そういった態度を
見せられたとしたら、私ならきっと深く自己反省したでしょう。
なにか突発的なものなどではなく、
もしかしたらずっと何十年積もりつもって嫌な思いを
させてきていたのかも知れないと。
自分の気付かないところで苦痛を与えてきたのカモ知れないと。
気付きもしなかった愚かな自分を大いに責めたでしょう。
謙虚さを持ち合わせない人間には、
そういう反省や自分や人を見つめなおす器量はないのでしょうね。
貴女は平気で”一体私が何をしたというのですか?”
なんて言葉を恥ずかし気もなく吐くのですから。
”私が何をしたというのですか”と疑問をもつことは
自然なことだと思いますが、”私は何も悪く無いのに”という気持ちから
その言葉を吐くのは恥ずべきことです。
自分では分からないことが世の中沢山あるのだと
忘れてはならないのでは無いですか?
私は、分からないことが沢山有るはずだと思っていますから、
決して貴女のことをどうこう言って裁く権利などないのだと思っているし、
そんなつもりも毛頭ありません。
ですから、ただひたすら関わりたく無かったのです。
ましてや、私はもめ事が大嫌いですし、
人が嫌な思いをするのも大嫌いです。
もちろん自分が嫌な思いをするのも嫌なものです。
人間ですから自分も大切にしてやりたい。
話が随分それました。
ここまででも充分すぎるくらい
貴女にはショックだったかもしれませんが、
ここまでの話は、単なる前置きにすぎません。
私は、両親を恨んでいます。
年月が経ち、大人になるにつれそういった気持ちは
風化したり、深く考えなくなったりして、
打ち消せるのでは無いかと思うのですが、
31歳の現時点では全くその気配は無く、未だに両親を許せずにいます。
父に至っては何処かで酷い死に方をしてくれないかと祈っているし、
母も例え死んだと聞かされても哀しくないでしょう。
感慨くらいは覚えるでしょうが。
私は物心ついた頃から、
我が家がよその家と比べて貧しいと感じていました。
母はよく、「人は人、自分は自分」だと
毅然とした台詞をくり返していましたが、
私には慰めだとか、負け惜しみのようにしか聞こえなかった。
「人は人、自分は自分」という言葉自体は現在の私もよく使う言葉で、
どちらかと言えば”人と同じ”が嫌なタチなので好きな言葉ではあるけれど、
状況によってはその言葉は空しい言い訳や負け惜しみにしかならない。
周りの友達と比べていつもいつも、みじめな気持ちを味わっていた。
実際どの程度の経済状態であったのかは分からないが、
とにかく家はよその家よりも貧乏で、人並みのことはして貰えないのだと、
感じていた。まぁ、こんなことはもしかしたら、
”隣の垣根は青く見える”というようなものも多少あったのかもしれないが。
父親が不真面目な人間であるということも、
子供の頃から感じていた。
真面目に頑張って働いてくれるいい父親ではないということ、
よその家の父親とは違って、遊び人であろうという風に感じていた。
そうしてなんだか分からない不安と疑問と、
みじめさをいつも感じながら、育った。
そして、挙げ句の果てに、予想道理というべきか、離婚騒動。
それは私が知る由もない事柄も多々あったのであろうけれど、
最終的には金の切れ目が縁の切れ目、
仕事もせず莫大な借金を抱えるばかりで、
飲んだくれては暴れている父親から、母が子供を連れて逃げ出した。
そんな修羅場のとき、私は実の父親に殺されそうになった。
今でも忘れることなど出来ない。
あの男は「お前なんか殺してやる!」
と叫び恐ろしい形相で私を殴り殺そうとした。
殴られながら私も、その男を殺してやろうと思った。
こんなクズ野郎に殺されるくらいなら、
私がこの男を殺して自殺してやる!と。
よくよく考えて見れば、あの男は本物のクズ野郎なので、
きっと私を半殺しにまでは出来てもとどめを刺す勇気など
なかったであろうとも思えるが。まぁ、いずれにしても同じことだ。
そして離婚というはめになって、
とんでもなく遠い町に引っ越さねばならなくなった。
私は自分の育ったこの町が大好きだった。
友達がたくさんいるこの町が。
思い出がいっぱいつまった青春そのものだったこの町が物凄く好きだった。
そこを離れねばならなくなって、本当に苦痛だった。
新しく住んだ町は、暗く冷たく私には灰色の牢獄の様に感じた。
毎日毎日、青春そのものだっだ町に思いをはせて涙していた。
生活はまさに貧乏そのもので、
お上の生活保護を受けての生活。
食べるものすら、”節約”という名のもとにパックで届けられる食事セット。
狭くて不便で古い市営住宅でのみじめな生活だった。
そうこうするうち、もとの家に戻れることになって、
喜んで戻ったものの、そこには究極の苦痛とみじめさが待っていた。
ここから逃げた父が残した借金を取り立てに、
サラ金の取り立て屋が毎日のように、
家に”金かえせ!”などといった嫌がらせのビラを張りまくる。
家だけでは無く、近所中に”泥棒!””金かえせ!”
といったビラを張りまくられて、私はくる日もくる日も、
かじかむ手で泣きながら必死にそのビラを剥がしていた。
みじめで、悔しくて、どうしようもない気持ちだった。
私の歪んだ”豊かさ”への思いはこんなところから来た物だった。
”貧乏は嫌だ””みじめな思いはしたくない”
その気持ちは異常に強くなった。
だから、いろいろあって自暴自棄だった二十歳の頃、
愛の無い結婚に走った。とにかく豊かさが欲しかった。
(それだけが理由ではなかったがその影響は大きかった)
その後、愛の無い豊かさだけの結婚が当然のように破たんし、
その男と別れる為に私は身ぐるみ剥がれて裸無一文となった上に、
約300万という莫大な借金をかかえさせられてボロアパートで再出発をし、
食べる物も食べられない生活をしていました。
貴女は、”帰ってきたら”というような事を言ったこともありましたが、
私はどんなに貧しくて、飢え死にしようとも、絶対に帰りたくはなかった。
私が選んだ人生は、どんなことがあっても私が自分の足で歩いていく、
その当たり前の意志を貫きたかったことに加えて、
たとえどんなことがあっても、
絶対に貴女の世話にだけはなりたく無かった。
そうなるくらいなら、のたれ死にしたほうがましだと想ったから。
そんな両親の離婚騒動の頃の出来事を、
”私はこんなに苦労をして、子供達を立派に育ててきました”
とばかりに偉ぶる母の姿が、私には絶対に許せないのだ。
そもそもすべては自分のせいなのだと謝罪するのが筋だと私は思っている。
子供は親を選ぶことは出来ない。しかし、母は自分であの男を選んだのだ。
あんなちんぴら男がまともな家庭を築ける訳がないであろうこと位、
子供の私でも感じていたくらい分かりやすいことだ。
そんな男と結婚するのは勝手かもしれないが、
子供を産むとなったら話は違う。
子供を産む以上、その子供を絶対に幸せにしてやれる
自信と責任が持てないのなら、子供を産む資格などないと私は思う。
その時点で、予測できることには限りが有るかも知れないが、
少なくとも、あの男に関しては誰がどう見ても分かり切っている。
分からなかったというのなら、
それは自分の愚かさを責めるしかないだろう。
私の知る限り、
あなた方はいわゆるチンピラ男とヤンキー娘のカップルですよね。
そんな二人がきちんと物事を見据えて行動出来なかったことは、
当然といえばそれまでなのでしょうが。
その間に産まれてしまった子供は災難です。
そんな男との間に、無責任に子供を産み落としておいて、
さんざんな思いをさせてきた挙げ句に、
”私は苦労して立派に”なんて態度はどう考えても許せない。
苦労は自分があの男を選んだことで招いたことであって、自業自得だし、
なんの罪もない子供がなんでみじめな思いをしなければならないのか。
自分独りで背負わなければならない筈の苦労のはずだ。
”それでも子供達をなんとか育ててきた”そんなことは当たり前のことだ。
その当たり前の義務さえも満足に果たしたとは言えない。
自慢げに、苦労を鼻にかけているその勘違い甚だしい姿は、
絶対に許すことが出来ない。
18の時、大学受験に失敗して浪人をしだした頃、
ふと気が付いた。もう高校生じゃない。バイトだってできる。
自分で収入を得ることができるようになったのに、
なんでこの親の世話になっているんだろう。
恨んでいるとか言いながらも、
この人の世話になって生きているなんておかしいじゃないか。
自立しなくては!と。
そして家を出て、一人暮らしを始め、
バイトしながら勉強。勉強していて、またふと思った。
やがてまた受験して大学へ行く、その金はやっぱりこの親じゃないか!と。
そんなの自立したことにならない。
自分の学費は自分で稼がなくては意味が無い。
大学は年令制限は無いのだから、お金が溜まってから行けばいいんだ。
早くきちんと自立することが先決だ。
偉ぶる母にこれ以上”養ってやってます”という 顔をされるのはまっぴらだった。
一円たりとも世話になりたくないと思った。
バイトでは生活するのがやっとで、どうしても貯金など出来なかった。
だから、バイトよりも給料が良くてボーナスがでる会社なら何でもいいと思い、
学費稼ぎの腰掛けに就職した。
親として最低だと思っているその人に、
親づらされることが何よりも心底嫌でとにかく逃れたかったし、
離れたかった。縁を切りたかった。
だたし、何度も言うように、私はもめ事が大嫌いで、
人が嫌な思いをするのが嫌い。
だから、喧嘩する気も無いし、そうならない為にも関わりたく無かった。
私がこんなに憎んでいることも、話せば必ず傷つけることになるから、
こんなことには触れずにそっとしまっておきたかった。
だから、関わらずに、他人でいたかった。どんな時も。
関わればお互いに嫌な思いをするのが分かっている。
倒れて入院したことも今回が初めてでは無かった。
昨年の2月にも胃潰瘍で倒れて救急車でかつぎこまれ、緊急入院した。
そのときは入院も一週間と長かった。
その時の病院は私の意志を尊重してくれ、
”家族はいない”と言う私の言葉どうりに
よけいな詮索はせずにいてくれたので貴女に知れることも無く、
身近な人に支えてもらって事なきをえた。
よく、テレビやなんかで、
「どんなに恨んでいても、産んでくれたことだけは感謝しなきゃだめ」
などど言う台詞がでてくる。
「どんな事があったとしても、産まれて来なければ
幸せも未来も何もないのだから」というような事をいうけれど、
私は絶対にそうは思えない。
産んでくれたことに感謝などできる訳がない。
こんな思いをさせるくらいなら、
無責任に産んでくれないほうが良かったと思っている。
産まれて来なければ、人生の幸せも未来も無かったかもしれないが、
逆に不幸も何もなかったのだから。
幸せもくそも最初から何にもない"無"なのだから、
いい人生だろうが良くない人生だろうが、
はじめから"無"なのだから何とも思いようがないことで、
産まれなければそれはそれで良かったのだ。
産まれて、生きている以上、自分で自分を幸せにしてやろうと、
いい人生を送ろうと今現在は前向きに生きているけれど、
はじめから無かったら無いでそれでいいのだ。
私は、こうして両親を憎んでいる。
私がこうやって親を憎んでいる限り、
”親というもの”への異常なまでのこだわりは消えないのです。
何に異常なまでにこだわっているかというと、
”親としての義務と責任”なのです。
世の中、完璧な親なんて存在しないのかもしれないし、
世の親達がそこまで真剣に考えて子供を産んでいるとも思えないけれど、
私はどうしても”完璧な親”になれないのなら子供をもつ権利は無いと
思い込んでしまっている。
「”完璧な親”なんて存在したら、その子供はきっと息苦しいよ」
と言った人もありましたが、そういう意味の”完璧”ではなく、
私がいう”完璧な親”というのは
そんな息苦しさを与えるような親ではなく、
絶対に幸せにしてやれる自信と覚悟がなければ親になる資格はない
ということを言いたいのです。
その責任と義務が親にはあると思うから。
それを完璧に果たしてやれると言い切れなければならないと。
私が自分の親にそうであって欲しかったと心底思ったから。
自分の親がそうでなかったことを心底恨んでいるから。
だから、自分は絶対に同じ思いを子供にさせたくない。
こんなに考えて子供を産む人が果たして世の中いるのだろうかと思える程、
異常なこだわりであることは自分で良く分かっている。
幼少からのいろいろな思いがこういう考えを植え付けたのだろうと思う。
異常であっても間違ってはいないと確信できる。
正しいかどうかは別としても、間違いではない。
私は自分を絶対に正しい!なんて言い切る程愚かではないし、
そんな傲慢な人間でも無い。
きっと、私が自分の親を許せるようになったら、
この”親というもの”への異常な思いは解けてくれるのだろうけれど、
そうならない限りはこのこだわりは解けそうもない。
そして、許せるようになった時初めて、
”親になる自信と覚悟”が持てるのかもしれない。
私は本木との結婚が決まって間もなく、妊娠しました。
けれど、その子を産むことが出来なかった。
理由は沢山あったけれど、大きくは2つ。
私はその時、入社以来の五年間の血の滲む努力が報われる
チャンスをまさに手にしかけていた時期だったこと。
そして、もうひとつは”親というもの”へのこだわりだった。
後者の方が影響が大きかったことは言うまでもない。
”完璧な親になることの自信と覚悟”それが私には無かった。
人殺し。それも自分の子供を殺したのです。
もし自分がお腹の子だったら、
”自信と覚悟”が無いのに産んでくれるな!と思ったであろうから。
自分で選んだことですが、
こうせざるを得なかったこの苦しみは計り知れませんが、
私が背負った人殺しの罪は、
それ相当の罰を受けるべきだと思っています。
しかし、私の罪はこれだけでは終わりませんでした。
このあと2度も、立て続けに私は妊娠したのです。
仕事の状況は同じく、夢への道が
開けている時で、私の永年の夢が叶う寸前でした。
それよりも何よりも、私は前に殺した子の声にうなされる毎日でした。
二度と人殺しなんてしたく無い。
でも前に殺した子が何度も何度も言うのが聞こえる。
「私は殺しておいて、その子だけはいいの?そんなの許せない!」
「ちゃんと”親”になる自信ができなきゃ産んではいけないんじゃなかったの?」
ノイローゼになりそうだったけれど、
(というよりそういう声が聞こえる事自体ノイローゼなのかもしれないが)
殺した子の声に従うしかなかった。
後の2人を妊娠したことは、主人にも一切話していませんでした。
今までの31年の人生の最悪の出来事は、3人のわが子を殺したことです。
それ以上のことは今後も無いでしょう。
私はこの大罪の罰を、必ず受けなければならないと思っています。
あれ以来の私の人生のすべての根本はそこにあります。
普通、殺人の時効は15年と言いますが、
15年たっても、刑事責任が無くなるだけで、
人を殺した罪は一生消えません。
ましてや、私は3人もの人を殺してしまったのだから、
一生かかっても償いきれるわけが有りません。
苦しいことや、辛いこと、そんなことを人の何倍も受けながら、
それでも苦しみながら、生きて行かねばならないのだと思います。
そして挙げ句には、殺されたりとか、のたれ死んだりとか、
ひどい死に方をするのかもしれません。
それを私は受け止めて生きていくしかないのです。
その覚悟で生きています。
”親というもの”への異常な思いが、招いた悲劇です。
私が貴女のもとを離れてからの半生は、
私が選んで自分の足で生きてきた道です。
なんら、恥じることもありません。
平坦な道では決してなかったけれど、
自分でそれを乗り越えてきたことで人よりも多くを学び、
収穫を得たと思います。決してそれを奢ることもありませんが。
ですが、何度も言う様に、子供は親を選べないのです。
貴女という親のもとに生きるしかなかった前半の人生を
私が選ぶことは出来ないのです。
その自分で選びもしない人生の中で私の中に植え付けられたのが、
親への憎しみです。何にも感じない、鈍感な兄弟をうらやましくも思い、
滑稽にも思いました。
私はもう31になりました。
今は無理でも、やはり自分の子供がもてたらという思いはあります。
ですが、もう若くはありません。
もっと大人になったら親への憎しみも薄れ消えて、
自分の子をもつ自信が持てるであろうと思っているうちにもう、
こんな歳になってしまいました。
近年は医学も進み、40代でも出産できる時代ではありますが
それでももうあと10年余りしか残された時間は無いのです。
(それだけ生きていればの話しですがね。)
早くこの憎しみを忘れてしまいたいのですが、
残された10年余りの時間ではもう無理なのかも知れません。
分かりますか?私が如何に関わりたく無かったかが。
関われば必ず互いに嫌な思いをすることが分かっていたのです。
だから、絶対に連絡しないでくれと薄れ行く意識の中で、
くれぐれも頼んだのに、貴女に連絡がいってしまった。
私は貴女に”親づら”されるのが死ぬ程いやなのですから、
拒絶せざるを得ませんでした。もうこうなってしまった以上、
もめずに、とか傷つけずにとか、そんなことは出来なくなってしまった。
それでああやってお引き取り願った訳です。
出来ることならそんなことはしたくありませんでしたが、
結果的にこういうことになってしまい、残念です。
辛い思いをわざわざさせるつもりは有りませんでしたが、
不本意ながらそうなったことは申し訳なく思います。
こういうことですから、互いに関わらず、
いないものとでも思って居た方が良いかと思います。
幸い貴女には息子が二人もいるではありませんか。
私は親も兄弟も親族もない、天涯独りの身として生きているつもりです。
実際には本人がそう望んでも、
いろんなしがらみはいちいち付いて回るものですし、
それはそれでどうしようもないこともあるとは承知しています。
天涯孤独で寂しいと感じたことはありません。
ただ血の繋がった親族よりも、
愛情で繋がった他人のほうが人間には必要で大切ですから。
貴女が、”それでも私は親なのだ”と思っているのであれば、
その親心として、私に関わらないでください。それが願いです。
時が解決するのか、否か、とにかく分かりませんが、
いらぬ摩擦は起こさず、
時に身をゆだねていた方が良いのではないかと思います。
互いにストレスにはあまり強くない身体を持ち合わせているようですから。
充分な説明が出来たかどうか、あまりにも深く複雑な事柄なだけに
不安はのこりますが、ここまでにしたいと思います。誤解などが無く、
真意が伝わらんことを祈ります。
+ + + + + + + + + +
虐待の事や、モラハラの事や、母の不倫の事、などなど、
親を恨む重大な要素はまだまだ沢山あったけど、
何もかもをブチまけて攻撃する気にはなれませんでした。
手紙にも書いた通り、
母を攻撃して傷つけることが私の望みな訳ではないし、
これでも十分過ぎるくらい彼女は傷付くだろうと思ったから。
長い長い文中に、
「そもそもすべては自分のせいなのだと謝罪するのが筋だと私は思っている。」
という言葉を入れてみたけれど、
母は一切ノーリアクションだった。
人生で一度も、
彼女の口から「ごめんなさい」という言葉は無い。
私は彼女へのショックの大きさを考えて、
ビクビクしながらこの手紙を送ったのだけれど、
そんな心配は無用だったようです。
私のこの手紙を読んだ彼女は恐らく、
”ショック”とか”傷付いた”とかではなく、
ただただ”憤慨した”だけだったのでしょう…
こうして、私は親族と決別しました。
ノブヒコさんとの不倫恋愛のストレスに
押しつぶされた私の入院が招いた出来事でした。
これで本当に天涯孤独。
この世の中で、
私にはもう、
ノブヒコさんただひとりだけ。
でも…
↑恋愛話しとは直接関係ない手紙なので、書こうかどうしようか
かなり悩みましたが、リクという女の中の大きな部分なので
書かせて頂きました。原文のまま手を入れていないため、
読みづらい所もありましたし、
恋愛話しを期待されてる読者の方々にはつまらない話でしたが、
御容赦願います。m(_ _)m
第37話『別れる?別れられない!』へ続く




