いや、キミが何やってるのさ?
疲れた。
今日は本当に、疲れる一日だった。
そりゃあ、今まで履いたことのないヒールの高い靴はやたらと歩きづらかったし、コルセットでこれでもかと腹部を締め付けていたせいで、身をかがめるのも大変だった。
けれど、それだけでこんなにもクタクタになるものだろうか?
そう言えば、昨年結婚した【二丁板斧】のテレーザは、呼びもしていないのに夕餉時の酒場に現れては『結婚式って疲れるのよ。もう、大変』と、頼んでもいないご高説を垂れてくれていたが、この疲れとテレーザの感じたそれは、果たして同じ類の物なのだろうか。
うん、なんか違う気がする。
「お疲れさま、カタリナ。今日は大変だったねぇ」
樫材のテーブルに頬杖をついて考えていると、背後からそんな声をかけられた。
みんなで囲む食卓は温かい家庭の基本、とこればかりは強く主張し、奮発して購入したものだ。
振り返ると、そこには両手に一つずつ木のグラスを持ったジーベンが立っていて。
どこか他人事じみたその声にちょっと「ムッ」と感じたボクは、その片方を奪い取ると「キミも当事者の一人なんだからねっ!!」という台詞とともに、中身を口の中へ一息に流し込んだ。
「昼食会の時、オーレの実があったでしょ? 誰も手をつけないから、貰ってきておいたのを絞ったんだ。美味しいよね?」
言いながら、わざわざボクの向かいに置かれていた椅子を運んでくると、並んで腰かける。
ボクの文句なんてどこ吹く風、というようなニコニコ顔。
無造作に手を伸ばすと、ボクの髪のひと房を指に絡めて遊び始めた。
「……なにしてんの?」
「いやね、こういうのも幸せだなぁって思って」
っ!!
その言葉に異様な気恥ずかしさを覚えたボクは、彼の手をはねのけてテーブルにうつぶせる。
かと言ってそれを感じ取られるのも癪なので顔を横に向けると、ジーベンは「やれやれ」とでも言いたさげに、肩をすくめていた。
「どうしたんだい、カタリナ。目に光がないよ?」
「ナンデモナイデスヨー」
「そう? じゃあ、ランタンの調子がおかしいのかな?」
言うや、ジーベンは椅子の上に立ち上がり、天井から吊るされた、光の魔石を入れたランタンをいじりだす。
ボクはその姿をぼぅと眺めながら、今日という一日を振り返っていた。
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あれから、つつがなく結婚の儀は終了した。
結局、神父様は倒れこんでしまい、人語を覚えたてのゴブリンのように「コレヨリ……ケッコンノギヲ……トリオコナウモノトスリュ」と繰り返すだけの存在になってしまわれたが、それだってギリギリ平凡な結婚式の範疇に押し込むことが出来るレベルの問題だろう。
神父様の代理は、頼み込んだ教会関係者の誰もが目に涙を浮かべたまま全力で首を横に振るので、やむなく冒険仲間の僧侶アリエスが引き受ける事となった。
『友人の目の前で誓いのキスとかどんな辱めだよ』と思いもしたけれど、それだって月日が経てば美しい思い出になっているはずだ。
うん、本当に平凡でどこにでもある、暖かい結婚式だったよ。
式の後、教会の庭で行われた立食式の昼食会では、ようやく緊張も解けたのか、みんな引きつった笑顔と抑揚のない声で差しさわりのない会話を楽しんでいた。
アイン様が『褒美だ』と言って教会をオリハルコン製に変えてみたり。
それに倣ったツヴァイ様が神像を総ミスリル製に変化させて、ちゃっかり自身の像の胸部を水増ししたり。
ドライ様が『これは美味い!!』と絶賛された樽のワインが、どれほど飲んでもいっこうに嵩が減らない物となっていたり。
フィーア様が駆け回った教会の周辺にだけ、世界中の四季の花が色とりどりに咲き乱れたり。
ヒュンフ様が飲まれた井戸の水が、万病を癒す聖水となっていたり。
太古の神鳥と呼ばれるクーが教会の屋根に舞い降りたり……とささやかなトラブルは幾つか起きたものの、それだって特に騒ぎ立てることは無いと自分を言いくるめられると思う。
昼食会を終えて陽が西の大地に隠れる頃、6柱の神様たちは天界にお帰りになられた。
ジーベンは「もっとゆっくりしていけばいいのに」なんて言っていたけど、アイン様が「これでも忙しい身でな」と、それを辞するのを聞いてホッと胸をなでおろしたのは、ここだけの秘密だ。
黄金色の光球に包まれた神々の御姿が空のかなたに消え去ると、皆いっせいに。まるで糸が切れた操り人形のように地面に膝から崩れ落ちた。
あちらでは、猿人のような大男と年端もいかない少女が、抱き合っておいおいと泣いている。
こちらでは、泡を吹いて痙攣していたシスターを抱き起して、井戸の水を飲ませてやっている。
かくいう僕も、ただ一人ワイン樽に足を組んで座っているアリエスが、木のジョッキ片手にケタケタと笑っているのをぼんやりと眺めていた。
きっと明日になっても、今日の花嫁の姿を覚えている者など、一人もいないことだろう。
誰だ、結婚式は女の子が主役だなんて言ったのは。
……ドレス、かわいかったんだけどなぁ。
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それからは、誰が言い出したわけでもなく解散となり、ボクらは家路に着いた。
ボクたちの新居は、草原の真ん中にある、冒険者仲間が建ててくれた小さな家だ。
力自慢たちが集まったとはいえ、所詮は脳みそまで筋肉で出来た素人集団。
歩くと床はギシギシ鳴くし、風が吹けば窓は不気味な音を立てて震える。
雨が降れば雨漏りの心配もしなくてはならないだろう。
でもね?
それがかえって、ボクの理解範疇を超えた事件の数々でオーバーヒート寸前の心を癒してくれた。
いつまでもウジウジと過ぎた事を気にしていても、仕方がない。
これからの事を考えるべきなんだ。
確かに、素人が寄ってたかって建てたこの家は、正式な修行を積んだ職人から見れば、取るに足らないものかもしれない。
けど、これがいい。
こういうのがいいんじゃないか。
隙間風に震える日は、2人で毛布に包まって暖を取ろう。
雨漏りなんか、ボクが屋根に登って直すことができる。
こういうのは男の人の仕事かもしれないけど、ボクの職は身軽さを売りにする盗賊。
正式に冒険者登録する以前は、こんな依頼も幾つかこなしているし、お手の物ってヤツだ。
家の裏には小さな川も流れている。水の心配をすることはない。
周辺にはツノウサギぐらいの魔物しか生息していないし、その肉はシチューにすれば抜群に美味しくなる。
市場までは、いちいち街に降りなくてはいけないのが面倒くさいけれど、それだってジーベンと一緒なら楽しい道のりになるはずだ。
そんな未来図を脳内に描いていると、沈みかけていた気持ちがグンと晴れやかになっていくのを感じた。
ボクは元々、あまり落ち込まない性質なんだ。
そうだ、犬を飼おう。
白くて大きな犬だ。
寝室の窓の側には木を植えて、大きく育ったら枝にブランコを吊るそう。
いつかは、子供も産まれる。
男の子と女の子の2人がいいな。
そうしたら、冒険者なんて不安定な仕事は引退して、家の側に畑を作って暮らすん……。
そこまで考えて、ボクはふと大事なことに気が付いた。
「子供!?」
そう。子供のことだ。
ボクだってお子様じゃあない。
ナニをどうすれば子供ができるか、ぐらいは勿論知っている。
そして、今夜は初夜だ。
嬉し恥ずかし新婚初夜だ。
これから何が行われるのか、期待8割・怖さ2割で理解している。
考えてみれば、結婚式というのは集まってくれた知人友人一同に『ボクたち、今夜頑張ります!!』と宣言する儀式のようなもので……なんだか急に恥ずかしくなってきた。
けれど、ジーベンは神様だ。
神様と人間の間に子供は出来るのだろうか。
と言うか、さっきのボディタッチは、そういうことをしようという合図だったんじゃないだろうか?
お芋のケーキ食べたい。
どうしよう、手を払っちゃったけど、怒ってないかな?
あ、あそこの壁、釘が飛び出してる。
下着、新しいのにしたほうがいいかな?
様々な思いが、一斉に頭の中を駆け回る。
その時だった。
「っ!?」
何の前触れもなく、視界で白光が爆発し。
ボクが椅子から転げ落ちたのは。
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「襲撃!?」
意識せずとも、長年訓練を積んだ身体は、自然と受け身を取ってくれた。
2回、3回と床を転がり、壁際で片膝をついて身構える。
同時、腰に手を回すが当然そこに愛用のナイフがあるはずもなく。
小さな舌打ちが口から漏れ出た。
迂闊だった。
草原に建つ、一軒の小さな家。
周囲に危険な魔物はいなくとも、人の世の闇に生きる者たちにとっては格好の襲撃対象だ。
突然の爆発に、目をやられている。
痛みはないが、視界は白に支配され狭まっている。
今、襲われたら苦戦どころではすみそうにない。
それでも、ジーベンなら強盗ぐらいなら軽く捻ってしまうのだろうけど……その、ジーベンの声すらも僕の耳は聞き取っていない。
「ジーベン!!」
慌てて、叫んだ。
帰ってくる声はない。
(まさか、耳もやられた?)
いや、室内に男と女が一人ずつ。
ボクが襲撃者の立場だったら、どちらを先に狙う?
ドクン、と心臓が、今までに感じたことがないほどに強く脈打つ。
気配を探す。
室内には、ボクの他に……気配はもう一つ。
コイツが襲撃者?
薄っすらとした視界に映る影は、筋骨隆々としたドライ様よりも頭2つ分以上大きいクセに、横幅は一般的な大人と大差ないように見える。
視界が、徐々に回復していく。
いや、それでも視界は白い光に覆われてしまっていて。
(まさか、目くらましの魔法!?)
違う。目くらましの魔法は、視界を闇で覆う魔法のはずだ。
光で包む魔法なんて聞いたことがない。
じゃあ、マジックアイテム!?
ほんの数分前、幸せな未来図を脳裏に描いていた時以上の考えが、一気に頭をよぎる。
(ダメだ、慌てるな!!)
ギュウと奥歯をかみしめた。
突然の襲撃にあった時、もっともしてはならない事。それは、自分を見失う事だ。
はやる気持ちを押さえつけ、襲撃者が動くのを待つ。
1。2。3と数をかぞえ、気持ちを落ちつかせる。
そうするうちに、目は白光にも慣れてくる。
嫌な汗が頬を流れる。
そして、ようやく視力を取り戻したボクが見たものは……。
「何やってるの、カタリナ?」
「いや、キミが何やってるのさ?」
先ほどと同じように、椅子の上に立ったままボクを見下ろすジーベンの姿だった。
つまりは、これがやたらと背の高い襲撃者の正体。
ううん。元々、襲撃者なんてものはいなかったんだ。
「は……はは、ははは……」
一気に力が抜けた。
ペタンと床に尻をつく。
口からは面白い事があったワケでもないのに、乾いた笑いが自然と漏れる。
そんなボクを、ジーベンは初めて見る生き物でも見るような目で見つめていて。
そりゃあ、そうだろう。
自分の奥さんが、突然腰を下ろしていた椅子から弾き飛ばされたかと思えば、床を2転3転し、壁際でまじめな顔をして身構えているんだから。
でもね?
大切なのは、そこじゃあないと思うんだ。
本当に大切なのは『じゃあ、どうしてボクはそんな奇行を取るに至ったか』という事。
突き詰めれば、『どうしてボクは、襲撃されたなんて物騒な勘違いをしてしまったのか』という事だと思うんだ。
どうしてだと思う?
「……ジーベン。なにそれ?」
自分でも驚くほどに平坦な声で問いかけた。
その原因を、ボクの目は既に捕えている。
ジーベンの右手の上には、まばゆい光を放つ白い光球(!!)がふわりと浮かんでいて。
それを、まるで自慢するかのようにボクに向かって差し出すと、こんな事を言い放った。
「いいでしょ、これ。アイン兄様に頼んで転送してもらったんだ。【永遠の白炎】って言ってね。天界を照らす灯りなんだ。ランタンも魔石も調べてみたけど、どこもおかしいところがなくってねぇ」
……そういうことだ。
これがボクが愛してしまった人だ。
いつも温和で、誰にでも優しくって。どこか抜けているクセに頼りがいがあって、物凄く強い。
そして、ときたま悪気もなくとんでもない事をやらかす。
結婚の儀の最中、神父様にとどめを刺した一言など、その最たる例のひとつだ。
思い返せば、一緒に旅をしていた時も、ジーベンは唐突にとっぴょうしもない行動をとってはボクらを驚かせてきた。
何故だかボクは、知り合った当初からそんな彼のお目付け役を押し付けられていて。
この愛する人が、なにかやらかすたびにその行動のなにがいけないのか、淡々と教え込まなければならなかった。
そうする時、自分の気持ちを抑え込むために決まって使用していた一言があり、だから今もボクは彼に向けて。これでもかと大きなため息を一つついてから、その一言を告げるのだ。
「ジーベン、………り」
「え?」
聞き取れなかったわけではないだろう。
昔も今も変わらず、彼はなぜ自分がそうさせられるのか、理解っていないのだ。
ぞれならばとボクは、大きく息を吸い込むと、その全てを吐き出す勢いで彼に告げてやる。
「ジーベン、おすわりっ!! 今から大切なお話がありますっ!!」
今夜は長い夜になる。
ズキズキと痛み出したこめかみを揉みほぐしながら、ボクはそう確信していた。