帰り道の月の下で 後
アルバイト、というものを、人生で初めてやってみた。
理由は一つである。彼女に、我が同士にして最大の理解者である相棒に、誕生日プレゼントというやつを贈ってやろうと思ったのだ。
なぜそんなことを思ったのかといえば、それはこの頃彼女の行動がおかしくなってきたからである。本人は気付いていないだろうが、無くて七癖、隠し事や秘密の計画を抱えていると、結構行動に出るのだ。これは多分誕生日辺りに何かやらかすだろう。僕を殺すのかもしれない、というかその可能性は高いと思っている。
そうなったとき、その後の未来で、せめて彼女の身を護れるものがあればいいと、そう思ったのだ。
というわけで、僕は先程からいつもとは違う道を歩いて家を目指していた。時刻は既に八時を過ぎ、この季節でも真っ暗だ。やけに大きな満月が浮かぶ空は天気予報通りの快晴。夜の空に快晴という表現を当てるのはしっくりこないものがあるのだけれど、僕だけだろうか。
街灯がまばらに照らす、人通りのない道。
ただ暗いだけの「重さ」のない闇を、プレゼントで買うのは何にしようかと考えながら歩いていると、
「……あの、大丈夫ですか」
塀に背を預けて座り込んでいる青年を、見つけてしまったのだった。
幸いにして、僕の財布の中には余裕があった。
自動販売機で買ってきた炭酸飲料を渡す。接触地点から少し移動して近くの公園、そのベンチで、彼は「わりぃな」といいつつそれを受け取った。
「……ふぅ。あー、生き返る」
「死んでましたか」
「あー、まあ俺は死んでないけどさ」
彼がへたり込んでいたのは、精神的疲労が原因であった。というのも、殺人鬼を返り討ちにしてきた直後だというのだ。彼に出会えただけでも今月分の運を全て使ってしまったのではないだろうか。こんな人間と出会えるほどの特別は、なかなか無い。
「それで、これからどうするんですか。僕でよければ警察まで付き添いますし、黙っていてくれということなら生涯誰にも言いませんが。あ、僕の相棒にだけは伝えたいのですが、そいつにも守秘義務は課します」
「うーん、正当防衛とか適用されないかね」
「どうでしょう。先程のお話を聞く限り、過剰防衛の線が強そうですが」
「だよなぁ。警察に捕まるのは、今後の「活動」のことを考えるとちとまずいか。よし、黙っててくれると助かる」
彼の中には、既に道徳観とか、罪悪感が存在しなかった。いや、正確には殺人に対する禁忌だけがまるっと抜け落ちていた。
どうやら憔悴したのはそういうものを捨て去った代償のようだ。僕や彼女も、何かの拍子にこうなる可能性は考慮しておいた方が良いかもしれない。
「それで、お宅、やけに俺の状況に対して冷静だけどさ。何か知ってんの」
「そうですね。ではあなたが先程殺した人物の正体から話しましょうか」
僕もベンチに腰を下ろす。三人掛けのそれの、端と端。僕が入口に近い側だが、特に意味はない。彼がもともと奥側に座っていただけだ。
「黒木蒼河、という名前に聞き覚えはありませんか」
「……ある、な。確かにそんな名前の殺人鬼が一時期報道されていたような」
「彼はそれです。といっても状況証拠しかありませんが」
殺人鬼である、と名乗ってから殺す。人間とは思えない動きで襲う。死に対する恐怖が薄い。この三つが、「オリジナルの黒木蒼河」の特徴とされている。
彼の状況説明は完全にこれと合致していた。つまるところ彼は、そんな生粋の殺人鬼を、初見かつノーダメージで殺してしまったことになるのだが。
「「黒木蒼河」と接触したということなら、あなたの精神の変性にも多分説明がつきます」
「変性、ねぇ。まあ確かに今の俺はマトモじゃあねえよな」
「そうなる素質はあったのでしょうが、決定的だったのはおそらく、「黒木蒼河」との対面、というか接敵です」
被害者が暴行された形跡はない。老若男女を問わず殺すが、幼子だけは手に掛けない。突発的な犯罪にも関わらず、証拠隠滅は完璧である。殺人に快楽を覚えるわけではなく、死体損壊なども行わない。先程述べた三つに加え、オリジナルはこれらの性質を持ち合わせるという。これに当てはまらないものは名前を借りただけの模倣犯であるとすると、オリジナルによる犠牲者は五十を超える程度となる。
しかし、個人がそれだけの人数を殺すことは果たして可能なのだろうか。
もしかして、途中で「黒木蒼河」は代替わりしているのではないだろうか。そう思った僕は、オリジナルによる被害者を調べ、数人ごとに被害者に特定の傾向があることに気付いた。
そしてその変わり目は皆、不自然な場所で死んでいるのだ。まるで狩人が、出向いた森の中で獣に襲われたように。
「殺人鬼「黒木蒼河」の正体は、伝染する性格です。どういう理屈かはわかりませんが、「黒木蒼河」の対象となった人物は新たに「黒木蒼河」となる可能性があるようです。そうなった場合、強力な方が勝つ、ということでしょうか」
「ほー、つまり俺の最期もそんな感じか」
「途中で何か他の要因が無ければ、そうなるでしょうね」
「割と洒落になんねーな」
その言葉の割には、無邪気な笑みを浮かべる。
新たな「黒木蒼河」となったこの男性は、これからどれだけの人間を殺すのだろう。そしてその最期はどんなものになるのだろう。その始まりに立ち会えた幸運を、この特別を、間違いなく僕は死の瞬間まで忘れない。
「まあいいや。俺は今日から黒木蒼河、そういうことだろ。まだ頭はガンガンしてるし、体は酷使したせいであちこち痛んでるから、「活動」はしばらく先かね」
改めて、缶ジュースの礼を言われた。どうやらそろそろ立ち去るつもりらしい。
「最後に一つ、良いでしょうか」
「何、どうかしたかい」
「「黒木蒼河」は何故、人を殺すのでしょうか」
殺人鬼に「成った」ばかりの彼に聞くのは無駄かもしれないが、これから先、「黒木蒼河」に遭える機会などありはしないだろう。
好奇心の赴くまま、僕は常識を逸脱した存在に問いかけた。
「そりゃ、あれだ。月が綺麗だからだろ」
彼はそう答えて、満月を見上げた。
「俺からも最後に一つ。お宅の相棒ってどんな子よ」
「虐待を受けているせいか破壊欲求が強いです。記憶力が抜群に良く、特に会話や文字列に対しては完全記憶の節があります。小難しい本を借りてきては僕に読ませてきます。逸脱に対してのブレーキが壊れていて、誰かが傍についていないとすぐに自滅するでしょう。一部の人間を除く哺乳類全般を毛嫌いしますが、鳥類は好きです。黒を好みますが、特別な色なので普段着る服にはあまりつかいません。あと、美少女です。それ以外は大体僕と同じだと思っていただければ」
「ああ、うん、了解。とりあえずそんなのにはできるだけ近づかないようにするわ。恩人の相棒を狙うのは忍びないからな」
「おいおい、まーだ生きてるのがいるのかよ。今日は曇りだっつーの」
突っ込んできた坊主頭の、側頭部に蹴りを入れる。ついでに取り落とした鉄パイプを使って二、三回殴打し、動かなくなったのを確認してからその場を去る。
殺人鬼黒木蒼河が月の見えない日の「課外活動」を行うのは、これが三回目だ。
歴代最強。これまでに複数回の「候補」の挑戦を退けてきた彼は、既に人類のスペックを超越してしまっていた。「歌姫」の影響を受けて即席のバーサーカーになった人間など、取るに足らない。とはいえ襲われれば逃げるのも面倒なのでサクッと殺してしまう。急に空が曇り出したのは運が悪かった。
「あー、これは一雨くるな。どうすっかね、この前バトった二人組から聞いた話じゃ、もうすぐなんだよな、「彼方の丘」」
濡れるのはまずい。体温と共に身体能力が下がれば、いくら彼でも不覚を取る可能性がある。少し考えた結果、彼は近くに乗り捨ててあった軽自動車に乗り込んだ。誰かが乗ってきたのか、ガソリンはゼロ、キーも挿したままだ。よほどドライな持ち主でなければこうはすまい。大方盗品だろう、と察しをつける。
やがて雨が降り出し、土砂降りで外の様子が分からなくなった。助手席で休む彼は、こんな状況を生み出した「歌姫」について考える。
「つーか、あれ絶対我が恩人の相棒だよな。黒いし美少女だし」
なにより、あの微笑みだ。「彼」と同じで、少しだけ違うとしたら、あの表情はまさしく「相棒」のものに違いない。
ルームミラーを傾ける。思ったより無邪気な笑顔が映った。
殺人鬼など比べ物にならない数の人間を狂わせ、殺した「歌姫」。「彼女」の表情を再現するには自分では役不足だったか、と彼は苦笑した。
「いや、この役不足は誤用だっけか」
自分で自分に突っ込みを入れることに、さらに苦笑が深まる。やはりコミュニケーションは大事だ。対人関係に飢える殺人鬼、というのもおかしな話だが、彼は元よりおかしい存在である。
しかし、そう考えると一人で思索に耽るというのは実に自分らしくない。そう思った彼は、明日に向けて寝ることにした。
今の目的地、「彼方の丘」で見る月に想いを馳せながら。
そして殺人鬼は、「彼」と再会を果たす。
というわけで、殺人鬼さんのお話でした。
「彼方の丘」で「彼」と黒木蒼河が出会うのは真夜中。夜が明ける前に殺人鬼は退散し、その後「彼」から少女へバトンが渡されることになります。