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帰り道の月の下で 前

 お久しぶりです。

 前作から随分時間が空いてしまいましたが、補足編を三つ、上げていきます。

「おーい、お嬢さん。そんなとこで寝てたら風邪ひくよ」


 知らない男性の声で目が覚めた。頭がくらくらするのだが、はて、何故に私は人通りのない夜の歩道なんぞで寝ているのだろうか。

 声の主の方を見上げると、結構チャラい感じの青年だった。フードが街灯からの光を遮っていて、顔はよく見えない。

 上着の内側にさりげなく手を伸ばす。大丈夫、ちゃんとある。


「えーと、ありがとうございます。はい、大丈夫です」

「あれ、案外ホントに大丈夫そう。血、ダラダラ出てっけど」


 そういってこめかみを指さす。手をやると、確かに赤い液体がついていた。


「これ、演劇用の血糊です」

「え、なんでそんなもん持ち歩いてんの」

「今日あたり襲撃されるかと思ったので。ああ、そういえば当て逃げされたんでしたっけ。警告程度だったのかな。血糊で死んだと思わせられたのなら幸運ですよね」


 今回については、「彼女」が百害あって一利もないところに首を突っ込んだのが原因だ。誘い出しは上手くいったわけだが、これで時間稼ぎになっただろうか。

 上手くことが運んでいるなら、別行動している「彼女」が残りの面倒に手を打ってくれているはずだ。


「地味そうな見た目してっけど、ハードな人生歩んでんのね、お宅」


 地味は余計である。


「ああ、悪い悪い。お詫びにジュースでも奢らせてよ。あ、ナンパじゃないから」


 どう聞いても怪しい台詞である。それで誘いに乗る女子などいるのだろうか。いるとしたら正常な判断能力を失っている可能性がある。一度心療内科あたりに相談してみるというのはどうだろうか。

 なんて、考えている一方。


「……いいですよ。少しお話ししましょうか」


 ああ、まずい。これはちょっと、「彼女」に毒されてきたかもしれない。いや、そのこと自体は嬉しいんだけれど。

 昔の私なら、間違いなく「いえ、結構です」と返しただろう。相手の素性に心当たりがあったとしても、というか相手のファンだったとしても。どうしようもないとき以外は、日常からの逸脱は極力避けていたはずだ。なのに、今の私は危険だと分かっていても境界線の向こう側へ踏み込んでしまう。好奇心に、勝てない。

 そして私は、彼についていくことになった。





 並んで公園のベンチに腰掛ける。三人掛けの両端に、間隔を空けて座る形だ。


「君、名前は」

「そうですね、じゃあこれにちなんでココアで」


 自販機で買ってもらったホットココアを掲げる。


「ふーん。ココアちゃんね。俺、黒木蒼河。クロキでもソーガでもいいよ」


 その名前を聞いて、確信した。私はこの人を、いや、正確には「黒木蒼河」を知っている。

 というか、ファンである。


「さて。俺がここでココアちゃんにココアを奢ったのには理由があります」

「なんでしょう」

「俺が約一年前に、ここで見ず知らずの人にジュースを奢ってもらったから」


 そう言って無邪気な笑みを浮かべる。


「この街に来るのも久し振りだし、そろそろ恩返ししとかないといけないかな、ってさ。もちろん本当はその人を探すのが正解なんだろうけど、それじゃほら、「見ず知らず」じゃなくなっちゃうじゃん」

「それで、恩返しの対象を物色していたと」

「物色って。もうちょっとなんかいい言い方ないかね」


 とにかく、そういうことらしい。私は運悪く、あるいは運よく、その対象に選ばれたというわけだ。

 ちなみにここまで、黒木さんはフードを一度もとっていない。不審者丸出しである。私はともかくとして、周辺住民に通報されたらどうするつもりなのだろうか。

 いや、この人なら大丈夫か。なにせ、私の尊敬する先輩である。


「まあ、うん。で、夜の街を徘徊してたら女の子が人通りの少ない歩道で倒れてるじゃん。どう見ても出血多量だし。怪我してるとか言ったらショック死しちゃうんじゃないかと思ったからソフトに声かけてみたんだけど」

「あー、どうしよ。今からお風呂に入るしかないかな。でもこんな時間だし」

「聞いてない、聞いてないよこの人。おーい、もうちょっとお兄さんとコミュニケーションしようぜ。一方的に喋るのも嫌いじゃないけどさー」


 拗ねられても困るので、真面目に拝聴することにした。


「よしよし。やっぱコミュニケーションって大事だぜ。うん。相手がだんまりだと、得られるものがないからな」

「そういうものですかね。黙ってる人の背中を見ているだけでも、割といろんなことがわかりますけどね」


 図書室で本を読んでいる時とか、レポートを書いている時とか。「彼」と交わした言葉は死の間際のいくつかだけだが、私は「彼女」の次くらいには「彼」のことを知っていると自負している。

 今では「彼女」のことだって、遠目から見かけただけでも今の気分が分かるくらいにはなった。何を考えているのかは、相変わらず判然としないけど。


「なんか思い描いてるものが違う気がするけど。まあいいや、俺が言いたいのは、情報っつーか知識の話な」


 そういって空を指さす。つられて見上げると、そこには三日月が浮かんでいた。

 この頃にしては珍しく雲のない夜。星が見えないのはいつものことだ。黒に対比されて、まるで月が空に貼り付けられているように見える。


「あれ、下弦だから三日月じゃないんだぜ。あと、普通の奴が思い浮かべる三日月は大体月齢四日くらいの太さだとかなんとか」

「なるほど。確かにそういう知識は、言葉を介さないと伝わりませんね」

「そういうこと。わかってくれたかいココアちゃん。というわけで何か話そうぜ」





 全く知らなかったことだが、というかそれは彼の業績しか知らない私にとっては当たり前なのだが、彼は月が大好きであった。

 と言っても、大好きになったのはここ一年のことらしい。彼の先輩にあたる人が月を讃える辞世の句を読んだからだそうだが、なんだその風流人。


「つーかあれだな。お宅、俺のこと知ってんのね」

「まあ、いろいろ参考にしたというかなんというか。黒木さんが凄いっていうのは、逸脱しちゃってる人達には結構知られてるんじゃないでしょうか」

「逸脱、ねぇ。まあそういうのがいるのは知ってるな。というか、俺にジュースを奢ってくれた人がそんな感じだった」

「この街でのことでしたよね。じゃあもしかしたら私もその人に会ってるかもしれませんね」

「世界って狭いからなあ。あ、そうだ。今なんか持ってないかい。お兄さんがサインしてあげよう」


 それはラッキーだ。「彼女」にも自慢できる。そう思った瞬間、


「……っ」

「うわ、良い反応。ちょっと「斬った」だけでこれかぁ。認定、ココアちゃんは「こっち側」だわ、うん」


 飛び退いた私は首をさする。手のひらに赤い色はついていなかった。

 これが、殺気というやつか。


「私、生きてますよね。実は既に斬られてて走馬燈見てるとか」

「ないない。だって俺、何も握ってないもん」


 両手を開いてみせる。ということは、本当に殺す気はなくて、それなのに殺気を飛ばしてきたことになる。私には無理だ。習得したら何かに役立つだろうか。


「どうやったんです、あれ」

「ん、こう人差し指を構えて、これをナイフに見たてて、攻撃用に思考を切り替える。あ、そうそうそんな感じ。まだ「斬れる」感じじゃないけど、反射的に得物抜きそうになったよ」


 そういいながら既に抜いていた。刃渡り20~30㎝くらいの片刃のナイフ。おそらく新品だ。それを見た瞬間、意識が強制的に非常用に切り替わる。上着の内側、その存在を確かめるのが癖になってしまったくらい、いつも持ち歩いているそれを取り出す。


「そんなに構えなくてもいいって。黒、木、蒼、河っと。はいこれ、ここに置いとくよ」


 それを見ても怯むどころか驚く様子すらなく、彼は右手で持ったナイフで、器用に革製の鞘に名前を彫ってしまった。その鞘にナイフを納め、ベンチに置く。


「あんまり人にものをあげることはないんだけどさ。これは特別だぜ」


立ち上がり、公園の入り口の方へ歩き出す。こんなこともあるかと、逃げやすいように私が入口に近い方を取っていたのだが、彼は私の攻撃圏内を悠々とすれ違っていった。

 ついでに、最後に一言。


「そのナイフ、いいね。大切にしなよ、きっとまた使うことになる」


 街灯の光を反射する、それ。私が「彼」を殺したときに使ったナイフを褒めて、彼はまた人通りのない闇の中へと消えていった。






「というのが、連続殺人鬼「黒木蒼河」との出会いのお話でした」

「すごい、このナイフそのときのなんだ」

「まあ、彼自身は新品にサインしただけだから、「黒木蒼河」の凶器ってわけじゃないけどね」


 荷物を詰めに詰めたせいで意外と身動きの取りづらい車の中。その住人である少女相手に、私はもう幾つ目かわからない身の上話を語り終えた。


「正体不明の殺人鬼。劇場型犯罪として有名だけど、一番すごいのは「全国で感染者を出した」ってところだよね。模倣犯が何人も出て、「黒木蒼河」の名前を語って自滅覚悟の復讐を遂げる人が続出したり。報道規制が敷かれるのが少し遅かったが故の悲劇なのか、捕まることなく何人も殺し続けたオリジナルのカリスマ性ゆえか」

「やっぱり結構知ってるね」

「ボクはまあ、こんな性格だからね。お姉さんこそ、こんなアンダーグラウンドな知識、よく知ってたね。これ、「彼女」と出会ってすぐのことなんでしょ」

「まあ、彼のファンになったのはその少し前のことでした。完全犯罪について調べてたんですよね、あの頃」


 理由はもちろん、「彼」を殺すためだ。ちょっとした独占欲で、私は「一切の容疑者が浮かばない殺人」を目指したのである。他の人に「彼」が殺されたことになるのは、冤罪を被る人にも彼にも申し訳ない。なにより私がやったことが無かったことにされるのは癪だ。

 その過程で見つけたのが、「黒木蒼河」であった。今なお増殖し続ける殺人鬼。一説には、彼にはオリジナルなどおらず、証拠隠滅に失敗した者は模倣犯とされ、逃げ切った者の成果がオリジナルの犯行とカウントされているとも言われる。しかし、その名の元に殺された人の数が三桁を既に超えている時点で、「黒木蒼河」は伝説の殺人鬼だろう。


「果たして彼が本物だったのか、模倣犯だったのか、はたまたその名前を借りただけのファンなのか。真相は闇の中ですけどね」

「お姉さんはどう思うの」


 そう問われて、私は即答した。


「本人かどうかはともかく、殺人鬼ではあったんでしょうね」


 車の窓から空を見上げる。雲が覆い始めた夜の闇の中で、ぽっかりと開いた隙間から、月齢十四日くらいの月が覗いていた。


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