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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
雨の嘘
8/50

 校庭の桜が咲き始めた頃、桜雪たちは中学に入学した。

 町にひとつしかないこの中学校には、三つの小学校から生徒たちが集まってくる。

 その中でも桜雪がいた小学校は規模が小さく、同じメンバーと先生に囲まれ、穏やかに六年間を過ごしてきた。それがこれからは、クラスの人数が倍になり、たくさんの知らない子たちと机を並べることになるのだ。

 桜雪はそんな環境の中で、上手くやっていける自信がなかった。

 案の定、掲示板にクラス名簿が張り出されている正面玄関前には、大勢の人が集まっていて桜雪は戸惑った。

 知り合いの姿を見つけることもできず、仕方なく校舎の中へ入ると、廊下の向こうから一香が駆け寄ってきた。


「桜雪ー!」

「一香……」

「よかったー。会えないかと思ったよ」

 一香がいつものように桜雪の体を抱きしめる。新しいセーラー服の感触にまだ馴染めず、なんだか変な感じだ。

「だけどクラス別れちゃったね」

 桜雪から離れた一香に言う。桜雪は一組、一香は隣の二組だった。

「ふうちゃんや、由香子とも別れちゃったし」

 仲が良い子は、みんな桜雪と別のクラスだ。

「だけど一組には梓がいるでしょ?」

「え?」

「みんな羨ましがってるよ。一組はいいなぁって」

「なんで? 全然よくないよ」

 そう言った桜雪に向かって、一香があきれたように笑う。

「桜雪はわかってないなぁ。女の子たちみんな、梓のこといいなぁって言ってたんだよ?」

 そんなの知らない。

「梓ってさ、他の男子みたいに女子に威張ったりしないでしょ? やっぱり東京の子だからかなぁ? 最初見た時はチャラくてびっくりしたけど、意外とオトナっぽいし、さりげなく勉強も運動もできちゃうし」

 一香や他の女の子たちが、梓のことをそんなふうに思っていたなんて……。

「由香子なんてさ、卒業式のあと、こっそり梓に手紙渡してたんだから。なんて書いたのか知らないけど」

 一香がふっと笑った時、そんな彼女の背中を誰かが叩いた。


「おはよっ! 一香」

「おはよ……って、あんた梓?」

「そうだよ」

 一香の前で笑っている梓を見て、桜雪も驚いた。

 転校してきてからずっと金色だった髪が黒くなって、長さもさっぱりと短くなっている。

「どうしたのよ? その髪」

「さすがにあの頭じゃ、中学生になれないぞって、卒業式の日に校長から言われてさぁ。どう? 似合う?」

「もー、びっくりしたぁ。誰かと思っちゃったじゃない」

 一香と笑い合った梓がちらりと桜雪のことを見た。桜雪はさりげなくそんな視線から目をそらす。

 あの小雪の舞った卒業式以来、桜雪は梓と話していない。

「それじゃ」

 すぐそばで、梓の声が聞こえた。そっと顔を上げると、桜雪の脇を黙って通り過ぎる梓の背中が見えた。


「あー、びっくりしたなぁ」

 一香の声が聞こえて顔を向ける。

「なんか梓、カッコよくなってなかった?」

「そうかな……」

 そう言いながら、自分の胸がざわついていることに、桜雪も気づいていた。

 一香はそんな桜雪に、意味ありげに笑いかける。

「あとはもうちょっと背が伸びれば完璧なんだけど。ねぇ? 桜雪?」

 曖昧にうなずく桜雪のことを、一香が見ているのがわかる。

 どうしてだろう。なんだか嘘をついているような、後ろめたい気分になる。

 チャイムが鳴った。一香が「じゃあ、帰りに」と手を振って、同じ教室へ向かう友達のもとへ駆け寄っていく。

 残された桜雪は小さく息を吐き、ひとりで自分の教室へ入った。


 教室の中では、もういくつかのグループができあがっていた。同じ小学校出身の友達を探したけれど、まだ教室には来ていないようだった。

 桜雪は指定された窓際の席にひとりで座る。周りの生徒のおしゃべりや笑い声が、やけに大きく耳に響く。

 不安な気持ちでいっぱいな中、桜雪は梓の姿を見つけた。同じ小学校だった男子と一緒に、教室の真ん中で笑っている。

 ――もう私に近寄らないで。

 梓はきっともう、桜雪に話しかけてはこない。

 ――綾瀬がそう言うなら……そうする。

 きっともう二度と、その手を差し伸べてくれたりはしない。

 そうして欲しいと言ってしまったのは、この自分なのだから。



 数週間後、バレー部に仮入部していた一香は、正式にバレー部員になった。

 桜雪や梓よりずっと背が高い一香。中学の制服もすぐに似合うようになって、最近急に大人びて見えてきた。

 この辺りで強くて有名なバレー部には、小学生の頃から入りたいと一香は言っていた。桜雪も誘われたけど、運動は苦手なので断ってしまった。

 他にこれといった趣味もない桜雪は、結局部活に入るのをやめた。

 たとえ学校の活動でも、門限の六時を過ぎれば母に叱られるし、部活などやらずに勉強と家の手伝いだけすればよいと父から言われていたから。


「ごめん、桜雪。今日から毎日部活だからさ。一緒に帰れなくなる」

 放課後、二組の教室へ行った桜雪に一香が言った。そんな一香のことを、桜雪の知らない女の子たちが呼ぶ。

「あ、早く行かなきゃ、先輩に怒られちゃう。じゃあ、またね、桜雪!」

 怒られちゃうと言いながらも、嬉しそうに友達とはしゃいでいる一香を見送る。

 最近の一香は、見るたびに違う友達と一緒にいる。クラスが同じ子、部活で知り合った子……一香はいつも新しい友達に囲まれ楽しそうだ。

 それなのに桜雪は、ほとんどの時間をひとりで過ごしていた。クラスに同じ小学校出身の友達はいたけれど、みんな新しい友達とグループになってしまった。

 その中に上手く入れなかった桜雪は、なんとなくクラスにも学校にも馴染めずにいたのだ。


 ひとりで昇降口へ向かって廊下を歩く。

 家へ帰ったら今日も勉強をして、母の手伝いをするだけだ。そう考えたら、家へ帰るのも面倒になった。

 靴に履き替え外へ出て、校舎の陰から校庭を眺めた。

 さわやかな風の吹く中、運動部員たちが活動をしている。

 みんなやりたいことを見つけたのに、自分だけが何も見つけられない。そんな自分が情けなくて嫌になる。

 この場にいるのもやっぱりつらくて、背中を向けようとした桜雪の目に、ボールを蹴る男子生徒の姿が見えた。

 遠くからでもすぐにわかった。それが梓の姿なのだと。

 サッカー部に入部したのだろうか。少し大きめのジャージを着て、ボールを蹴りながら走っている姿は、桜雪の初めて見る梓の顔だった。

 小学校でサッカーの授業はなかったけれど、何でも上手くこなせてしまう梓だから、何の部活に入っても大丈夫だろう。

 そんな梓のことが、羨ましくて眩しく見えた。


「あ、いた! あそこだよ。今ボール蹴った子」

 女の子たちの声が近づいてきた。校舎のほうから走ってきた三人が、桜雪の近くに立つ。

 知らない子たちだった。でも胸についている名札の色で、桜雪と同じ一年生だとわかる。

「えー、どの子?」

「あの子だってば! ほら、今笑った子! 霧島梓」

 思わず桜雪は隣を見た。ひとりの子が指さす先には、梓の姿がある。

「一組なんだけど、けっこうかわいいの」

「遠くてよくわかんない」

「私知ってる。小六の時に東京から転校してきたって子でしょ? 北小の子が言ってた」

「今度話しかけてみようかな? 突然ヘンかな?」

 桜雪は黙って前を向く。そして一香から聞いた言葉を思い出す。

 ――桜雪はわかってないなぁ。女の子たちみんな、梓のこといいなぁって言ってたんだよ?

 三人の子たちが、楽しそうに騒いでいる。一香の言った言葉は本当だったのだ。


 そっと桜雪はその場を離れた。自転車置き場へ向かい自転車を取り出す。

 学校から家までの距離はかなり遠くなり、桜雪は自転車通学をしていた。途中に桜雪の通っていた小学校があり、その先は小学生の頃と同じ通学路だ。

 その道をひとりで走りながら、たった一度だけ、ここを梓と歩いたことを思い出す。

 雪が静かに降り続いていて、それを珍しそうに眺めていた梓は、確かこんなことを言った。

 ――全部白くなればいいのに。

 そう言って空を見上げて、梓は小さく笑った。

 ――白くなって、きたないもの全部、消してしまえばいいのに。

 あの言葉の意味を今になって考える。

 梓の周りには、消してしまいたいほどのきたないものが、あったのだろうか。


 橋の上で自転車を止め、河川敷を見下ろした。

 わずかに花の残った桜の木から、花びらがはらりと風に舞う。

 梓も一香も前を向いて進んでいる。なのに桜雪だけがいつまでも前へ進めない。

 立ち止まったままの桜雪の前で、最後の花びらがいちまい舞い落ちた。

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