表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
雪の嘘
7/50

 数日後、桜雪たちは卒業式を迎えた。

 この町の小学校の卒業式は、中学の制服を着て参加するのが風習になっている。

 だから今日は桜雪も一香も、真新しいセーラー服を着ていた。

「ええっ、なにそれ! 親が決めた婚約者って……今どきそんなのあるのー!」

「ちょっと、一香……声大きい」

 式が始まるまでの間、今日が最後の教室で、桜雪は数日前に父から聞いた話を一香にした。

 一香は驚いた声を上げたあと、いたずらっぽい顔つきでささやいてくる。

「でも桜雪んちならありえるかもね。由緒あるおうちのお嬢様だもん」

「そんなんじゃないよ。私本当に悩んでるんだから」

「で、相手の人ってどんな人なの? カッコイイ?」

 一香はこの状況を楽しんでいる。一番の友達だから話したのに。

 桜雪がため息を吐いた時、一香が立ち上がって手を振った。

「梓ー! ちょっと聞いてよ! 桜雪ってね、婚約者がいるんだって!」

「い、一香……やめて……」

 思わず手を伸ばし、一香の制服の裾を引っ張った。おそるおそる顔を上げると、こちらを見ている梓の姿が見えた。

 梓は他の男子と同じように詰襟の制服を着ていた。大きめに作ったのか、それとも誰かのお下がりなのか、小柄な彼は服を着ているというより着られている感じだ。

 一香の制服をつかんだままの桜雪の前に、そんな梓が近づいてきて言った。

「それって、この前の人?」

「え……」

 桜雪の前に立った梓が、ちょっと笑って言う。

「この前、綾瀬と手をつないで帰った人?」

「ええー! 梓、桜雪の婚約者、見たことあるのー?」

 一香が口を挟んでくる。

「そうなんだろ? 綾瀬」

 答えたくなかった。梓にだけは知られたくなかった。それなのに梓は、桜雪が答えるまで目をそらしてくれない。

 仕方なく桜雪はつぶやく。

「……そうだよ」

「どんな人? どんな人だった? 梓」

 一香の声に梓が答える。

「背が高くて、大人っぽい人だったよ」

「うそぉ、いいなぁ。ねぇ、桜雪、その人何歳……」

「もうやめて!」

 思わず叫んで立ち上がっていた。一香と梓がそんな桜雪のことを見ている。

 どうしたらいいかわからなくなって、桜雪はそのまま教室を抜け出した。


 聞き慣れたチャイムの音が聞こえる。

 そろそろ卒業式が始まってしまう。

 けれど桜雪は誰もいない階段に座り、真新しいスカートに顔を押し付けていた。

 一香も梓もひどい。他人事だと思って面白がっている。

 桜雪にとって、一生を決められてしまうような大変なことなのに。

 静かに顔を上げると、廊下の窓の向こうに白いものが見えた。立ち上がって階段を降り、窓の外を見る。

 六年間過ごした校庭に、雪が舞っていた。まだ咲いていない桜の木にも、白い雪が降りかかる。

 ――桜雪という名前はね、桜の花びらのように舞い落ちる、雪を見ながらつけた名前なんだよ。

 幼い頃、河川敷を歩きながら、祖父がそう話してくれた。

 大事な孫娘に美しい名前をつけてあげたいと、一生懸命考えながらここを歩いていたら、桜の木の隙間から雪が舞い落ちてきたのだと。

 ――あの日の雪は、とても綺麗だった。

 祖父が懐かしそうに目を細めた顔を、桜雪は今でも覚えている。


「そんなに嫌なの?」

 急に声をかけられ、桜雪は驚いて振り返る。いつの間に来たのだろう。そこには制服姿の梓がいた。

「そんなに嫌いなの? あの人のこと」

 桜雪はじっと梓の顔を見つめたあと、静かにつぶやく。

「……嫌いじゃない」

 和臣のことは嫌いじゃない。嫌いだったら、あんなことをしない。唇を重ね合う行為など……。

「嫌いじゃないけど……勝手に決められるのが嫌なの」

「じゃあ逃げちゃえばいい」

 梓がそう言って小さく笑う。

 逃げる? 今までそんなこと、考えてもみなかった。

 あの家から、あの家族から、この町から、逃げ出すなんて。

「そんなこと……できないよ」

「だったら俺が、連れ出してあげようか?」

 桜雪の前に梓が手を差し出した。顔を上げ、桜雪は梓のことを見る。

 ふたりの視線はほぼ同じ高さだ。そしてその向こうに、花びらのように舞う雪が見える。

 おそるおそる手を伸ばした。震える指先でそっと手のひらに触れると、梓が桜雪の手を握りしめて笑った。

「……なんてね」

 梓の声が静かな廊下に響く。

「ウソ、ウソ、冗談。卒業式始まるってさ。早く行こう」

 そう言って歩き出そうとした梓の手を、桜雪は思いきり振り払った。

「ふざけないで!」

「え?」

 驚いた顔で振り向いた梓に言う。

「そうやって私のことからかって……そんなにおもしろい?」

「あ、ごめん。俺、別にからかったわけじゃ……」

 梓が戸惑っているのがわかった。だけどどうしても、気持ちを抑えることができなくなった。

 一瞬でもその言葉を信じて、その手にすがりつこうとした自分が恥ずかしかったのだ。

「もう私のことはほっといて」

「綾瀬……」

「私、霧島くんとは付き合うなって言われてるの。一緒にいるだけで怒られるの。だからもう……私に近寄らないで」

 制服のスカートをぎゅっと握りしめる。胸がすごく苦しくなる。

 どうしてこんな……言いたくもないことを言ってしまうんだろう。

「……わかったよ」

 うつむいた桜雪の耳に、少し掠れる声が聞こえる。

「綾瀬がそう言うなら……そうする」

 泣きそうになって唇をかみしめる。

「もう綾瀬には……近寄らない」


 バタバタと、階段を駆け上ってくる足音が聞こえた。

「桜雪! 梓! こんなところにいたの? 卒業式始まっちゃうよ!」

 向かい合うふたりの間に、割り込むように走ってきた一香が、桜雪の体に抱きついた。

「桜雪、ごめん! ふざけすぎた。桜雪が悩んでるなら、あとでちゃんと話聞くから。だからもう行こう? ね?」

「……うん」

 桜雪がうなずくと一香が体を離し、嬉しそうに笑った。そして後ろを振り向き、梓に言う。

「梓も行こう。先生に怒られるよ」

「……わかってる」

 梓が背中を向け、廊下をひとりで歩いて行く。

「あ……」

 顔を上げ、その後ろ姿を目で追う。今ならまだ間に合う。さっきの言葉を取り消せる。

 ほっといて欲しいなんて思っていない。本当は、梓が自分を探しに来てくれたことが、すごく嬉しかった。

 けれど、一歩を踏み出そうとした桜雪の腕を、一香がつかんだ。

「ねぇ、桜雪? 梓とふたりで何話してたの?」

 そう言って、一香が桜雪の顔をのぞきこむ。

「べつに、なにも……」

「そう?」

 桜雪に笑いかけ、一香は言う。

「桜雪って、もしかしてさぁ……梓のこと、好きだったりする?」

 一瞬、その言葉の意味がわからなかった。だけど次第に意味がわかってくると、桜雪は首を横に振った。

「だよねぇ? そんなことないよねぇ?」

 一香がそう言って笑い、桜雪の手を握りしめる。

「卒業しても、友達だよ? 私たち」

「うん……もちろん」

 桜雪の返事に、一香が満足そうに微笑んだ。


 卒業式の間中、桜雪は斜め前に立つ梓の背中をずっと見つめていた。

 そしてどうしてあんなことを言ってしまったのかと、何度も何度も考える。

 自分の前に差し伸べられた手。本当にこの狭い町から、連れ出してもらえるのかと思ってしまった。

 梓なら、できるんじゃないかと思ってしまった。

 そんなことは無理なのに。私たちはまだ、何もできない子どもなのだから。

 別れの歌を聴きながら、何の涙なのかわからない涙が、桜雪の頬を伝わり落ちた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ