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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
雪の嘘
6/50

「ひどい……」

 店を出て、夜の繁華街をめちゃくちゃに歩き回った。

 両親に反抗したのは初めてだ。だけど今回だけは許せない。

 和臣と、結婚しろだなんて――。

 和臣はそれを知っていたのだろうか。知っていて、あんなことをしたのだろうか。

「ひどいよ……和くんまで」

 悔しくて悲しくて泣けてきた。服の袖で涙をこすったら、すれ違いざまに男の人にぶつかった。

 お酒臭いその人は、焦点の合わない目つきで、桜雪のことをにやにやと見ている。

 怖くなって逃げ出した。周りにはお酒を飲む店や、派手なネオンの店が並んでいて、どこに行ったらいいのかわからない。

「お嬢ちゃん、どうしたの? ひとり?」

 店先に立ち煙草を吸っている、外国人の女の人が声をかけてきた。いい人なのか悪い人なのかもわからない。

 桜雪は立ち止まらずに歩き続ける。

 心細くなって、また涙が出てきた。戻りたくても、もうさっきのお店がわからない。

 こんな時間、こんな場所に、桜雪はひとりで来たことなどなかったから。


「綾瀬?」

 狭い路地から少し広い道路に出た時、桜雪の耳に声が聞こえた。

「やっぱり綾瀬だ。何してんの?」

 振り返ると、ガードレールに寄りかかるようにして、梓が立っていた。

 桜雪はすぐに駆け寄って、梓の腕をつかんでぎゅっと握る。握ったその手がものすごく震えていることに、その時やっと気がついた。

「綾瀬? どうした?」

 梓が不思議そうに桜雪を見ている。桜雪は片手で目元をこすると、そっと梓の腕から手を離した。

「ごめん。何でもないの。ちょっと家族と喧嘩して……ご飯食べてる途中で飛び出してきちゃった」

 桜雪が言うと、梓が笑った。

「親と喧嘩なんてするんだ。綾瀬でも」

「こんなのは……はじめて、かも」

「すげぇ」

 桜雪の前で、梓がおかしそうに笑う。

「俺なんかしょっちゅうしてるよ。リエさんと」

「うそ。だって霧島くん、お母さんと仲いいじゃない」

「仲なんてよくないよ」

 そう言った梓が桜雪から離れて、またガードレールにもたれた。ぼんやりと立つ桜雪のそばを、何人もの大人が通り過ぎる。


「霧島くんは……こんなところで何してるの?」

 そっと梓の隣に並び、桜雪もガードレールにもたれる。こんな所で梓と出会えたのは、奇跡ではないかとさえ思えてきた。

「俺は酔っぱらいのリエさんを迎えに来たの。あの人お酒飲むと、いつも俺のこと呼ぶからさぁ」

「いつも……迎えに来るの?」

「そう。いつも」

「やっぱり仲いいじゃない」

 ははっと軽く笑う梓の隣で桜雪は思い出す。父の言った言葉を。

「あの……霧島くんは……」

「うん?」

 ゆっくりと梓の視線が桜雪に移る。心臓がどきどきして、だけど聞くなら今しかないと思った。

「霧島くんのお父さんのこと……どのくらい知ってるの?」

「ああ……」

 梓が視線を上に上げた。そして一回息を吐いてから桜雪に言う。

「写真で顔は見たことあるよ。イケメンだった。リエさんが好きになったのわかる気がする。あの人、イケメンアイドルとかテレビで観ると、キャーキャー騒いでるから」

 ふざけた感じでそう言ってから、ゆっくりと思い出すように梓は続ける。

「それから、父さんの名前……『梓』って言うんだって」

「え……」

 心臓がどきんとした。

 ――梓が死んだのは、あの女のせいなのに。

 父はあの時、そう言った。父の言う「梓」というのは、梓の父親のことなのだろうか。

「リエさんは父さんのこと好きすぎて、死んじゃったあとに生まれた俺に、おんなじ名前つけたんだ。ちょっとそれはどうかと思うけど」

 梓が小さく笑って桜雪を見る。桜雪は何も言うことができない。そんな桜雪の隣で梓が言う。

「だけどそれほど父さんのことが好きで。今でもすっごい好きで。でも死んじゃってもうこの世にはいなくて。毎日葬式みたいな黒い服着て、好きでもない酒飲んでる。バカみたいだろ? でもそうやってしか生きられないんだ、あの人は」

 ふたりの前を、大声で笑い合う酒に酔った大人たちが通り過ぎる。梓は桜雪に少しだけ笑いかけ、そして視線をそらしてつぶやく。

「父さんが死んだのは自分のせいだって思い込んでさ。そうやって自分を追い詰めないと、生きていけない人なんだよ」

 梓の言葉は、現実の言葉のようには思えなかった。

 毎日教室で一香としゃべって、女の子同士で笑ってふざけて。そんな会話とは、まったく違う世界の言葉。

 梓の生きている世界と、桜雪の生きている世界は、全く違う。


「君たち。ここで何しているんだ?」

 その声に顔を上げた。桜雪たちの目の前に警察官がふたり立っている。

「君たち何歳? 子どもだけで来たの? 今何時だと思っているの?」

 怖くなって足がすくんだ。今になって、あの店を飛び出して来たことを後悔した。

「名前、教えてくれるかな?」

「あ、あの……」

 おろおろする桜雪の隣で、梓は平然と立っている。いつも来ていると言ってたから、もしかしてこういうことは慣れているのかもしれない。

 どうしたらいいのかわからずまた泣き出しそうになった時、駆け寄ってきた女の人が、梓と桜雪の体を勢いよく抱きしめた。

「ごめんねー! ママ、遅くなってぇ!」

 抱きついてきたのはリエだった。香水の甘い香りと、お酒の匂いが混じり合って、桜雪の鼻先を刺激する。

「あなたのお子さん?」

「そうよー。ふたりとも私の子。かわいいでしょう?」

 警察官が眉をひそめ、こほんとひとつ咳払いをする。

「こんな時間にお子さんを連れ回してはいけませんよ。すぐに帰ってください」

「わかってますってー。梓、待たせちゃってごめんねぇ、桜雪ちゃんも」

 リエにキスをされそうになって、梓がさりげなく体をそらす。

「とにかくすぐに帰って」

「はいはい。お巡りさん、ご苦労様です」

 そう言ったリエが、梓と桜雪の手を握り歩き出す。


「おせーよ。補導されちゃうじゃん」

「ごめん、ごめん」

「それに酒臭い」

「ごめんって。梓、好き」

「飲み過ぎ」

 リエがけらけらと笑ってから桜雪を見る。どのくらいお酒を飲んだのだろう。顔を赤く染めて、どこかとろんとした目つきをしている。

 からだを壊してこの町に戻って来たと、最初に会った日梓から聞いたけど……大丈夫なのだろうか。

「桜雪ちゃんは、どうしてここにいるのかな? まさか梓とデートじゃないよね?」

「ち、違います! 私は……」

 そんな桜雪の耳に、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「桜雪! こんなところにいたのか!」

 歩く人をかき分けるようにして、駆け寄ってきたのは和臣だった。

「和くん……」

「ダメじゃないか、ひとりで飛び出したりしたら。みんな心配してるぞ?」

 そう言ってため息をついてから、和臣は梓とリエの顔を不審そうに見た。桜雪はあわてて、リエの手を振りほどく。

「あの、偶然そこでクラスの子に会って……霧島くんと霧島くんのお母さんだよ」

「桜雪がお世話になりました」

 和臣がそう言って、リエの前で丁寧に頭を下げる。

「あんた、桜雪ちゃんのお兄さん?」

 リエの声に和臣が答える。

「いえ、知り合いです。一緒に食事をしていたんですが、桜雪が突然店を出て行ってしまって。ご迷惑をおかけしました」

 和臣がそう言って、桜雪の手をつかんで引き寄せた。

「帰るぞ。桜雪」

 さっきまでリエとつないでいた手が、和臣の手とつながる。

 どうしてだろう。どうしてさっき、咄嗟に彼女の手を離してしまったのだろう。

 和臣が桜雪を引っ張るようにして歩き出した。振り返ると、リエが手を振って言った。

「おやすみ! 桜雪ちゃん」

 その隣で梓が桜雪のことをじっと見ている。桜雪はそんな梓から視線をそらし、前を歩く和臣の背中を見つめた。


「あの親子とは、付き合ったら駄目だと言われてるんだろう? お父さんから」

「え?」

 バス通りを歩きながら、和臣が言った。

「知らないのか? あの霧島って女の人のせいで、桜雪の親戚が亡くなったこと」

 心臓がどきんと音を立てた。父の声が頭に聞こえる。

 ――梓が死んだのは、あの女のせいなのに。

 リエのせいで、桜雪の親戚だった梓の父親が亡くなったというのだろうか。

 それで父は、リエのことを憎んでいるのだろうか。

 その場に立ち止まり、和臣の手を振り払うように離した。うつむいている桜雪を見て、和臣は小さくため息をつく。

「桜雪。そんなに怒るなよ」

 そして少し口元をゆるませ、桜雪の顔をのぞきこむようにして言う。

「結婚の話は、驚かせてしまったと思う。僕だって初めて聞いた時は驚いた」

「和くんは……知ってたの?」

 顔を上げた桜雪の前で和臣がうなずく。

「でも嬉しかったよ。相手が桜雪だと知って」

 もう一度伸びた和臣の手が、そっと桜雪の冷えた手を包み込む。

「僕はずっと前から、桜雪のことが好きだったから」

 桜雪は黙って、和臣に握られた手を見つめた。大きくて、大人みたいな手。いや、和臣は、もう十分大人だ。

「和くん……私みたいな子どものどこがいいの?」

「ははっ、そうだな。ロリコンって言われちゃうかもしれないな」

 ふざけたようにそう言ってから、和臣はもっと強くその手を握る。

「桜雪が大人になるまで待ってるよ。それまで僕の気持ちは変わることないから。覚えておいて」

 和臣は、どうしてそんなことを言い切れるのだろう。

 桜雪には無理だった。明日の気持ちもわからないのに、大人になった時、自分がどんな気持ちでいられるかなんてわからない。


 その日の夜、家へ帰ってから父に叱られた。あんな自分勝手な言動をして、安達家の前でみっともないと。

 結局父が大事にしているのは、家同士の付き合いだとか、世間体なのだ。

 けれどどんなに桜雪が反抗しても、大人たちで決めた約束を父が覆すことはないだろう。

 自分の部屋へ入り、ハンガーにかけられた真新しい制服を眺める。

 このまま自分は、この家とこの家族に縛られながら生きていくのかと思うと、悲しくて悔しくてまた涙がこみあげてきた。

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