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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
雪の嘘
4/50

 風邪は思ったよりも長引いて、結局学校を三日も休んでしまった。

 けれど三日目にはすっかり気分も良くなって、桜雪は自分の部屋で勉強をしたり、本を読んだりして過ごしていた。

 父のいる居間に行く勇気はなかった。あの言葉を思い出すたび怖くなって、足が遠ざかる。

 雪はあの日から、降ったりやんだりを繰り返していた。積もった雪はしばらくとけそうにない。

 部屋の窓からぼんやり外の景色を眺めていたら、誰かが家の敷地に入ってきたのが見えた。

「え……」

 桜雪はあわてて立ち上がり、窓を開く。

 冷たい風が部屋の中へ吹き込み、ぼうっとしていた頭が急に冴える。

「霧島くん?」

 桜雪の気配に気づいたのか、雪の中に立ち止まった梓が、顔を上げて小さく笑った。


「元気になった?」

 部屋着の上にコートをはおり、家の人に気づかれないよう外へ出た。

 梓がそんな桜雪に向かって言う。

「外、すごい雪。綾瀬が言った通りになった」

「……うん」

「それにこの家なんだよ。門から玄関まで遠すぎだし、庭に家三軒も建ってるし」

「そっちは親戚の家なの。私の家はこっち」

 そう言って指を指しながら、桜雪は落ち着かなかった。金色の髪をした男の子といるところを、家の人に見られたら、何を言われるかわからない。

 戸惑う桜雪の気持ちに気づいたのか、梓はリュックの中から素早くプリントを取り出し、桜雪の前に差し出した。

「これ、学校のプリント。頼まれたから」

「あ、ありがと」

「それとこれも」

 梓はプリントを渡した後、カップに入ったプリンを取り出した。

「給食のデザート。綾瀬の分残ってたから、勝手に取ってきた」

「そんなことしちゃいけないのに……」

「いらなかった?」

 そう言って、梓が手を引っ込めようとする。

 桜雪はあわてて首を横に振ると、梓の前に手を伸ばした。

「それ……好きなの」

 桜雪の前で梓が笑う。

「欲しい?」

「うん」

「じゃあ、あげる」

 梓の手から、給食のプリンを受け取った。一瞬触れた指先は、ものすごく冷たかった。

 そう言えばこの前の帰りも、梓は手袋をしていなかったことを思い出す。

「私の家、よくわかったね?」

「一香が教えてくれたんだ」

 梓が「一香」と名前で呼んだ。一香はクラスのみんなからそう呼ばれているから、それは別に不思議なことではないけれど。

 学校を休んでいた三日間で、何かが変わってしまった気がして、ちょっと寂しかった。


「桜雪」

 そんな桜雪の後ろから母の声がかかる。桜雪は体を固くして振り返る。

「そこは寒いから、上がってもらったら? まだ病み上がりなんだし」

 母はそう言ったけれど、顔が笑っていなかった。その言葉は本心じゃない。梓に早く帰ってもらえと言っているのだ。

「あ、俺もう帰るし」

 梓がリュックを背負って背中を向けた。

「ちょっと待って……」

 庭から出て行こうとする梓を呼び止める。

「あ、明日は学校行くから!」

 雪景色の中、梓が振り向き笑って言った。

「学校で、待ってる」


 古い門が音を立てて閉じられた。桜雪はもらったプリントとプリンを大事に胸に抱え込む。

 なんだか心があたたかかった。嬉しい気持ちを抱えて振り返ると、母が渋い顔つきで桜雪に言った。

「あの子と付き合ったら駄目よ」

「学校のプリント届けてくれたんだよ? 私のために雪の中わざわざ」

「お父さんに言われたでしょう? ちゃんと言うことをききなさい」

 桜雪は唇を噛みしめ、それから静かに口を開く。

「どうして? 霧島くんは何にも悪いことしてないよ?」

 母は表情をゆがませ、少し強い口調で言った。

「とにかく付き合ったらいけません。お母さんは桜雪のことを心配しているの。あなたまで近所の人から、変な目で見られたら嫌でしょう?」

 それだけ言うと、母は家へ入ってしまった。

 桜雪は立ち尽くしたまま考える。

 変な目ってなに? 何にも悪いことしてないのに、どうしてみんなそんなふうに思うのだろう。

 だけど桜雪も最初は思った。見た目が自分とは違う梓のことを、受け入れないようにと思ってしまった。

 梓は悪い子なんかじゃない。たぶん、きっと。


 *


 翌朝は曇り空だったけど、雪は降っていなかった。

 少し早めに家を出た桜雪は、霧島さんの家の前で立ち止まる。

 まだ、いるのかな? 誘ってみようか? 急にそんなことをしたら驚くかな? でも昨日は梓のほうが急にうちに来たんだし。

 そんなことをあれこれ考えていたら、家の中から人が出てきた。慌てて逃げようとした桜雪に声がかかる。

「あれ、あんた……桜雪ちゃん?」

 女の人の声。振り返ると梓の母親のリエが、ゴミ袋をふたつ持って立っていた。今日は金色の髪をアップにし、黒いスウェットの上下を着ている。

 桜雪は父の言葉を思い出し、じりりと後ずさりをしてしまった。

 そんな桜雪に、リエが笑いかけて言う。

「梓だったら、もう学校行ったよ」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとしたら、名前を呼ばれた。

「桜雪ちゃん」

 立ち止まり、もう一度振り返る。リエは少しの間じっと桜雪のことを見ていたが、すぐににっこりと笑いかけた。

「ごめん。何でもないよ。いってらっしゃい」

 小さくうなずき、桜雪は逃げるようにその場を立ち去った。



「桜雪ー! 会いたかったよー!」

 教室へ入ると、一香が大げさに抱きついてきた。桜雪は苦笑いしながら、一香の背中をぽんぽんと叩く。

「もう風邪治ったの?」

「うん。大丈夫」

「あ、昨日、梓が桜雪んちに行ったでしょ?」

 一香の声に胸の奥が音を立てる。

 霧島くんのこと、「梓」って呼ぶようになったんだ。

「うん。プリント持って来てくれた」

「私が頼んだの。桜雪んちに持っていってあげなよって」

「……そうなんだ」

 一香に頼まれて来たのか。

 ランドセルを机に置き、隣の席をちらりと見る。

 見覚えのあるリュックが置いてあるだけで、そこに梓の姿はなかった。


「霧島くん……は?」

「あそこ。男子と雪合戦してる」

 一香の指の先を見る。二階の窓から雪の積もった校庭が見えて、そこで男子が遊んでいる。そしてその中に、あの目立つ髪の色を見つけた。

「あいつ、おとなしかったのは初日だけだよ。次の日からはすぐに男子と仲良くなっちゃってさ。今ではもう、すっかりこのクラスに馴染んでる感じ」

「ふうん……」

 つぶやいて、どうしてだかまた寂しくなった。

 クラスに馴染んで、みんなと仲良くなって、そんな彼のことを喜んであげなきゃいけないのに。

 だけど桜雪は思っていたのだ。

 初めて出会った雪の朝。隣にくっつけた机と一緒に見た教科書。橋の上でした約束。給食のプリンを届けてくれた冷たい指先。「仲良くしてやってね」梓の母から聞いた言葉。

 全部特別なのだと思っていた。桜雪だけが特別なのだと。

「そうじゃなかったんだ……」

「え? なに?」

 一香が桜雪の顔をのぞきこむ。桜雪は笑って一香に答える。

「なんでもない」

 馬鹿みたいだ。

 育ってきた環境も性格も、桜雪とは全く違うのに。そんな彼の特別に、桜雪がなれるわけなんてないのに。

 ――学校で、待ってる。

 昨日言われた言葉を思い出しながら、もう一度窓の外を見る。

 梓の投げた雪の玉が、空へ向かって高く高く飛んでいった。

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