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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
君に傘を
37/50

17

 乗換駅で降り、祖父母の家へ帰ると言う梓と別れた。そこからローカル線に乗り換え、桜雪は生まれ育ったあの町へ向かう。

 小さな駅へ降り立つと、眩しい太陽の光と蝉の鳴き声が桜雪を迎えた。

 駅から家まではかなり距離があるけれど、タクシーは使わず歩いて帰ることにした。

 家族とよく食事に来た、駅前の中華料理店。ひとりで店を飛び出して、梓と会った夜を思い出す。梓の母親に抱きしめられたあのぬくもりまで。

 あまり広くもないバス通りを桜雪は歩いた。駅前を離れればすぐにのどかな景色に変わる。住宅の間の狭い道へ入ると、懐かしい中学校が見えてきた。

 校庭の向こうの校舎の窓から、桜雪はいつも見ていた。一香と梓が並んで帰っていく姿を。

 あの頃、もっと自分の気持ちに素直になっていたら……何かが変わっていたかと考える。

 中学校から家へ帰る帰り道。雪の降る中、梓と一緒に歩いた。すぐ隣にいるのに寂しくて、涙が出そうだったことを覚えている。

 あの日、自分から伸ばした手を、一香の前でも離さなかったら……。親友を傷つけてでも、あの手を離さなかったら……。

 そこまで考えて足を止めた。桜並木の見える橋の上に佇む人影が見えた。


「おじいちゃん?」

 ぼんやりと桜の木を眺めている祖父に駆け寄る。

「おじいちゃん! どうしたの? こんなところで」

 静かに振り返った祖父が桜雪の顔を見る。そして顔をゆるませてこう言った。

「ああ、佳恵さんか。迎えに来てくれたのかい?」

 佳恵は母の名前だ。

「違うよ。桜雪だよ。桜雪が帰ってきたんだよ」

「ああ、桜雪か。お帰り。今日も学校は楽しかったかい?」

「おじいちゃん……」

 祖父の手がゆっくりと動き、桜雪の頭をふわふわとなでる。まるで小さな子どもにするかのように。

 こんなことをされたのは、小学校の低学年以来だ。


「お義父さん! こんなところにいたんですか!」

 橋の反対側から声がかかった。母の声だ。母は祖父に駆け寄りながら、隣に立つ桜雪に気づいた。

「桜雪……」

「お母さん、ただいま」

 祖父が桜雪から手を離し、にこにこと微笑みながら母に言う。

「桜雪も帰ってきたし。そろそろお昼にしようか」

「お義父さん、お昼ご飯はもう食べたでしょう? それに勝手に家から出たら困ります」

 ため息をつきながら、母は少し乱暴に祖父の腕をひっぱる。

「さあ、帰りますよ。ほら、桜雪も」

「う、うん」

 祖父の腕を引きながら、早足で家へと向かう母のあとをついて行く。

 どこへ行く時も身なりを整え、姿勢よく早足で歩いていた祖父の姿は、もうそこにない。


 桜雪が高校生になったころから、祖父の様子がさらにおかしくなった。

 物忘れが激しくなり、言動もどこか変わってしまった。

 病院で「認知症の疑いがある」と言われてからは、父は祖父を家の中へ閉じ込めるようになった。

「町長だった人間が、こんなみっともない姿になるなんて。恥ずかしくて人前に出せないし、今度の選挙にも悪影響だ」

 町議会選挙を控えていた父が、母とそう話しているのを聞いた。

 それでもあの頃は、勝手に外を徘徊したりすることはなかったのに。桜雪が東京にいる間に、病気は確実に進行していた。


 家へ帰り、祖父を部屋へ閉じ込めると、母は大きなため息をついた。

「最近のおじいさんはいつもこうなの。自治会長をやってた頃を思い出すのか、近所の家のドアを勝手に叩いて回ったり。こんなんだったら、頑固で恐れられていたおじいさんのほうがまだましだったわ」

「お母さん……そんなこと言ったらおじいちゃんがかわいそうだよ」

 母は冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、あきれたように桜雪に言う。

「桜雪はわからないのよ。最近のおじいさんに会っていないから」

 それはそうだけど。外から隠すようにされている祖父が憐れでならない。


「ねぇ、お母さん。お父さんは何時ごろ帰ってくるの?」

 母がグラスに入れてくれた麦茶を飲みながら、桜雪は聞く。

「お父さんに、話したいことがあるの」

「そうねぇ。今夜は桜雪が帰ってくるって言ってあるから、早めに戻ると思うけど」

 その言葉と同時に、車の停まる音がした。

「あら、もう帰ってきたみたい。早いのね」

 母がそう言って縁側の窓を開く。広い敷地内に停まった車から父が降りてくる。

「え……どうして?」

 父のあとから車を降り、母に向かって頭を下げたのは、あの和臣だった。

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