17
乗換駅で降り、祖父母の家へ帰ると言う梓と別れた。そこからローカル線に乗り換え、桜雪は生まれ育ったあの町へ向かう。
小さな駅へ降り立つと、眩しい太陽の光と蝉の鳴き声が桜雪を迎えた。
駅から家まではかなり距離があるけれど、タクシーは使わず歩いて帰ることにした。
家族とよく食事に来た、駅前の中華料理店。ひとりで店を飛び出して、梓と会った夜を思い出す。梓の母親に抱きしめられたあのぬくもりまで。
あまり広くもないバス通りを桜雪は歩いた。駅前を離れればすぐにのどかな景色に変わる。住宅の間の狭い道へ入ると、懐かしい中学校が見えてきた。
校庭の向こうの校舎の窓から、桜雪はいつも見ていた。一香と梓が並んで帰っていく姿を。
あの頃、もっと自分の気持ちに素直になっていたら……何かが変わっていたかと考える。
中学校から家へ帰る帰り道。雪の降る中、梓と一緒に歩いた。すぐ隣にいるのに寂しくて、涙が出そうだったことを覚えている。
あの日、自分から伸ばした手を、一香の前でも離さなかったら……。親友を傷つけてでも、あの手を離さなかったら……。
そこまで考えて足を止めた。桜並木の見える橋の上に佇む人影が見えた。
「おじいちゃん?」
ぼんやりと桜の木を眺めている祖父に駆け寄る。
「おじいちゃん! どうしたの? こんなところで」
静かに振り返った祖父が桜雪の顔を見る。そして顔をゆるませてこう言った。
「ああ、佳恵さんか。迎えに来てくれたのかい?」
佳恵は母の名前だ。
「違うよ。桜雪だよ。桜雪が帰ってきたんだよ」
「ああ、桜雪か。お帰り。今日も学校は楽しかったかい?」
「おじいちゃん……」
祖父の手がゆっくりと動き、桜雪の頭をふわふわとなでる。まるで小さな子どもにするかのように。
こんなことをされたのは、小学校の低学年以来だ。
「お義父さん! こんなところにいたんですか!」
橋の反対側から声がかかった。母の声だ。母は祖父に駆け寄りながら、隣に立つ桜雪に気づいた。
「桜雪……」
「お母さん、ただいま」
祖父が桜雪から手を離し、にこにこと微笑みながら母に言う。
「桜雪も帰ってきたし。そろそろお昼にしようか」
「お義父さん、お昼ご飯はもう食べたでしょう? それに勝手に家から出たら困ります」
ため息をつきながら、母は少し乱暴に祖父の腕をひっぱる。
「さあ、帰りますよ。ほら、桜雪も」
「う、うん」
祖父の腕を引きながら、早足で家へと向かう母のあとをついて行く。
どこへ行く時も身なりを整え、姿勢よく早足で歩いていた祖父の姿は、もうそこにない。
桜雪が高校生になったころから、祖父の様子がさらにおかしくなった。
物忘れが激しくなり、言動もどこか変わってしまった。
病院で「認知症の疑いがある」と言われてからは、父は祖父を家の中へ閉じ込めるようになった。
「町長だった人間が、こんなみっともない姿になるなんて。恥ずかしくて人前に出せないし、今度の選挙にも悪影響だ」
町議会選挙を控えていた父が、母とそう話しているのを聞いた。
それでもあの頃は、勝手に外を徘徊したりすることはなかったのに。桜雪が東京にいる間に、病気は確実に進行していた。
家へ帰り、祖父を部屋へ閉じ込めると、母は大きなため息をついた。
「最近のおじいさんはいつもこうなの。自治会長をやってた頃を思い出すのか、近所の家のドアを勝手に叩いて回ったり。こんなんだったら、頑固で恐れられていたおじいさんのほうがまだましだったわ」
「お母さん……そんなこと言ったらおじいちゃんがかわいそうだよ」
母は冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、あきれたように桜雪に言う。
「桜雪はわからないのよ。最近のおじいさんに会っていないから」
それはそうだけど。外から隠すようにされている祖父が憐れでならない。
「ねぇ、お母さん。お父さんは何時ごろ帰ってくるの?」
母がグラスに入れてくれた麦茶を飲みながら、桜雪は聞く。
「お父さんに、話したいことがあるの」
「そうねぇ。今夜は桜雪が帰ってくるって言ってあるから、早めに戻ると思うけど」
その言葉と同時に、車の停まる音がした。
「あら、もう帰ってきたみたい。早いのね」
母がそう言って縁側の窓を開く。広い敷地内に停まった車から父が降りてくる。
「え……どうして?」
父のあとから車を降り、母に向かって頭を下げたのは、あの和臣だった。




