15
前期試験の最終日。試験を終えた桜雪は、建物から出ようとして足を止めた。
梅雨の明けた空からは真夏の日差しが降り注ぎ、その眩しさに思わず目を細める。
夏休みを目前とした学生たちは、どこか浮かれ気分で、そんな桜雪の脇を通り過ぎてゆく。
桜雪は小さく息を吐くと、その波にのまれないよう、ゆっくりと歩き出した。
「桜雪」
突然声がかかり、誰かが桜雪の背中を叩く。
立ち止まって振り返ると、目の前に立つ一香が、白い歯を見せて笑った。
「今帰り?」
「うん」
「テストどうだった?」
当たり障りのない質問をしながら、一香は歩き出した桜雪の隣に並ぶ。
ちらりと一香の顔を見たあと、桜雪は「座らない?」と言って、木陰のベンチを指さした。
一香と並んでベンチに座った。
緑の葉の隙間から、強い日差しがふたりの上から降り注ぐ。
「一香。私に聞きたいのは、そんなことじゃないんじゃない?」
前を向いたまま桜雪が言う。一香はふっと笑って答えた。
「そうだね。じゃあ率直に聞くよ。桜雪はまだ、梓の部屋にいるの?」
一香の声に、桜雪は静かに首を横に振った。
「私が霧島くんのところにいたこと、知ってたの?」
「まぁね。もしかして、梓に帰れって言われた?」
「うん……でもいいの。私が勝手に押しかけただけだし」
一香が桜雪の隣であきれたように息を吐く。
「まったく、梓のヤツ。私があれだけ言ったのに」
桜雪が一香に顔を向けた。
「桜雪を返しちゃダメだって、あんなに言ったのに」
「一香……」
「桜雪もどうして帰っちゃったのよ。またあの男のところへ戻ったの?」
桜雪はもう一度、首を横に振る。
「私はもう……あの人とは付き合わない」
「じゃあどうして……」
そこまで言った一香が、また大きく息を吐く。
「ほんと、あんたたちってイライラする。もしかして私に遠慮してるとかいうならやめてよね。私は梓のことなんか、最初から好きじゃなかったんだから」
「嘘」
桜雪の声に一香がこちらを向く。
「嘘だよ。一香、霧島くんのこと、好きだったでしょ? 中学の頃、並んで歩いてるふたりを見てそう思った。一香はすごく、霧島くんのこと好きだって」
一香がぎゅっと唇を噛む。
「私はそんな一香が……すごく羨ましかった」
そう、ずっと思っていた。校舎の窓から、自転車を押しながら並んで帰るふたりを見て。
梓の隣にいるのが、自分だったらいいのにって。
「ごめんね、一香、嘘ついて。私もずっと……霧島くんのこと、好きだったの」
それはたぶん……雪の降るあの町で、梓にはじめて会った時から。
桜雪の隣で、一香が今日何度目かのため息を吐いた。
そして自分のバッグを開け、何かを取り出すと、それを桜雪に渡した。
「これ、あの町へ帰る特急電車のチケット。指定席取ったんだけど、私はバイトで帰れなくなっちゃって」
一香が桜雪の手にチケットを握らせる。
「もしよかったら使ってよ。桜雪は一度あの町へ帰って、お父さんやお母さんとちゃんと話し合ったほうがいい」
桜雪は黙ってそのチケットを見つめる。
「素直に自分の気持ちを伝えれば、きっと桜雪の家族もわかってくれるよ」
「一香……」
一香が桜雪の前でいたずらっぽく笑う。
「婚約破棄ってやつ、しちゃいなよ。もしも誰も許してくれなかったら、私のところへ逃げておいで。私は桜雪の味方だから」
チケットを握りしめ、小さくうなずく。
上手く伝えられる自信はないけど、一香の言う通り、一度家族と話をしなければいけない。
もう和臣とは付き合えないと。
「ありがとう、一香。そうする」
桜雪の前でうなずいて、一香は立ち上がる。
「それからさ、私は今でも羨ましいよ、桜雪のこと」
「え……」
「梓にずっと、想われてるから」
それだけ言って、一香が桜雪に背中を向けた。振り返らずに歩いて行く一香の姿は、すぐに学生たちの中へ紛れてしまった。
桜雪は手のひらを広げてチケットを見つめる。
一香にもらった気持ちを、大事にしようと強く思った。




