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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
君に傘を
35/50

15

 前期試験の最終日。試験を終えた桜雪は、建物から出ようとして足を止めた。

 梅雨の明けた空からは真夏の日差しが降り注ぎ、その眩しさに思わず目を細める。

 夏休みを目前とした学生たちは、どこか浮かれ気分で、そんな桜雪の脇を通り過ぎてゆく。

 桜雪は小さく息を吐くと、その波にのまれないよう、ゆっくりと歩き出した。


「桜雪」

 突然声がかかり、誰かが桜雪の背中を叩く。

 立ち止まって振り返ると、目の前に立つ一香が、白い歯を見せて笑った。

「今帰り?」

「うん」

「テストどうだった?」

 当たり障りのない質問をしながら、一香は歩き出した桜雪の隣に並ぶ。

 ちらりと一香の顔を見たあと、桜雪は「座らない?」と言って、木陰のベンチを指さした。


 一香と並んでベンチに座った。

 緑の葉の隙間から、強い日差しがふたりの上から降り注ぐ。

「一香。私に聞きたいのは、そんなことじゃないんじゃない?」

 前を向いたまま桜雪が言う。一香はふっと笑って答えた。

「そうだね。じゃあ率直に聞くよ。桜雪はまだ、梓の部屋にいるの?」

 一香の声に、桜雪は静かに首を横に振った。

「私が霧島くんのところにいたこと、知ってたの?」

「まぁね。もしかして、梓に帰れって言われた?」

「うん……でもいいの。私が勝手に押しかけただけだし」

 一香が桜雪の隣であきれたように息を吐く。

「まったく、梓のヤツ。私があれだけ言ったのに」

 桜雪が一香に顔を向けた。

「桜雪を返しちゃダメだって、あんなに言ったのに」

「一香……」

「桜雪もどうして帰っちゃったのよ。またあの男のところへ戻ったの?」

 桜雪はもう一度、首を横に振る。

「私はもう……あの人とは付き合わない」

「じゃあどうして……」

 そこまで言った一香が、また大きく息を吐く。

「ほんと、あんたたちってイライラする。もしかして私に遠慮してるとかいうならやめてよね。私は梓のことなんか、最初から好きじゃなかったんだから」

「嘘」

 桜雪の声に一香がこちらを向く。

「嘘だよ。一香、霧島くんのこと、好きだったでしょ? 中学の頃、並んで歩いてるふたりを見てそう思った。一香はすごく、霧島くんのこと好きだって」

 一香がぎゅっと唇を噛む。

「私はそんな一香が……すごく羨ましかった」

 そう、ずっと思っていた。校舎の窓から、自転車を押しながら並んで帰るふたりを見て。

 梓の隣にいるのが、自分だったらいいのにって。

「ごめんね、一香、嘘ついて。私もずっと……霧島くんのこと、好きだったの」

 それはたぶん……雪の降るあの町で、梓にはじめて会った時から。


 桜雪の隣で、一香が今日何度目かのため息を吐いた。

 そして自分のバッグを開け、何かを取り出すと、それを桜雪に渡した。

「これ、あの町へ帰る特急電車のチケット。指定席取ったんだけど、私はバイトで帰れなくなっちゃって」

 一香が桜雪の手にチケットを握らせる。

「もしよかったら使ってよ。桜雪は一度あの町へ帰って、お父さんやお母さんとちゃんと話し合ったほうがいい」

 桜雪は黙ってそのチケットを見つめる。

「素直に自分の気持ちを伝えれば、きっと桜雪の家族もわかってくれるよ」

「一香……」

 一香が桜雪の前でいたずらっぽく笑う。

「婚約破棄ってやつ、しちゃいなよ。もしも誰も許してくれなかったら、私のところへ逃げておいで。私は桜雪の味方だから」

 チケットを握りしめ、小さくうなずく。

 上手く伝えられる自信はないけど、一香の言う通り、一度家族と話をしなければいけない。

 もう和臣とは付き合えないと。


「ありがとう、一香。そうする」

 桜雪の前でうなずいて、一香は立ち上がる。

「それからさ、私は今でも羨ましいよ、桜雪のこと」

「え……」

「梓にずっと、想われてるから」

 それだけ言って、一香が桜雪に背中を向けた。振り返らずに歩いて行く一香の姿は、すぐに学生たちの中へ紛れてしまった。

 桜雪は手のひらを広げてチケットを見つめる。

 一香にもらった気持ちを、大事にしようと強く思った。

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