表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
君に傘を
34/50

14

 薄暗くなり始めた坂道を、桜雪はひとりで歩いていた。

 見えてきたのは、学生が住むのには贅沢過ぎる高級マンション。

 エントランスの前で足を止める。車から降りてきた男が、桜雪の前に歩み寄る。

「桜雪。おかえり」

 桜雪は黙って、その声を聞く。

 目の前に立つ和臣は、そんな桜雪に笑いかけ、その手をとった。

「そろそろ戻って来ると思ってたよ。さぁ、僕の家へ行こう」

 ぎゅっと握られた左手を、桜雪は黙って見下ろす。

 ――今日学校に、和臣って人が来たよ。

 和臣が梓に何を言ったのか。聞かなくてもなんとなくわかる。

「もう二度と離さないから」

 静かに目を閉じた桜雪の首筋に、和臣は印をつけるようにキスをした。

 ――桜雪のことなら、僕が一番よく知ってる。

 その通りだ。そして桜雪も、幼い頃からずっと一緒だった和臣のことを、他の誰よりも知っている自信があった。

 だけど……。


「和くん……」

 握られた手をそっと振りほどく。

「私は和くんのところへは行かない」

 和臣が不思議そうな顔で桜雪のことを見ている。

「私はもう、和くんとは付き合わない。結婚もしない」

 しばらく桜雪のことを見つめていた和臣が、ふっとあきれたように息を吐く。

「何を言い出すんだ、急に。今さらそんなことできるわけないだろ?」

 もう一度つかまれそうになった手を、桜雪は振り払った。

「和くんのことは嫌いじゃなかった。優しくて頼りになる、お兄さんだったから。お父さんたちの言う通り、和くんと結婚すれば、きっと幸せになれるんだと思ってた」

「そうだよ、桜雪。お父さんもおじいさんも、みんな桜雪の幸せを一番に考えてくれてる。だから桜雪は言う通りにしていればいいんだ」

 そう言った和臣の前で、桜雪は首を横に振る。

「違うの。このままじゃ私は幸せになんてなれない。だって私の意思じゃないもの。全部周りに決められた通りに、動いてるだけだもの」

 その言葉に和臣が顔を歪ませる。

「私は和くんのことが嫌いじゃないけど……だけど好きだとも思えない。ごめんなさい」

 ほんとうは、もうとっくに気付いていた。それなのに、親に決められた道からそれる勇気がなかったのだ。

 このまま流れるように生きて、和臣と付き合っているほうが、自分の意思で動くよりも楽だと思っていたから。

 それに心のどこかで思っていた。いつかこんな自分を、誰かが救い出してくれるんじゃないかって。

 もしかしたら、梓がたすけてくれるんじゃないかって。

 そんな甘い期待を、桜雪は持ち続けていたのだ。


「だったらこれからどうするつもりだ?」

 和臣の低い声が聞こえて、桜雪の身体がかすかに震える。

「霧島のところへ行くのか?」

 桜雪は首を横に振る。

 ――すごく苦しい。

 そう言った桜雪の手を、一度はつかんでくれた梓だったけど、今はもう違う。

 甘い期待は、ただの甘えだったのだ。誰かに頼ろうとしていた、自分が甘かったのだ。

「霧島のことが、好きなのか?」

 桜雪は自分の気持ちを確かめるように少し黙り込んでから、和臣の前でうなずいた。

「うん。私は、霧島くんのことが好き」

「バカな……」

 あきれたようにつぶやいた和臣が、桜雪の肩を両手でつかんだ。

「桜雪! よく考えろ。あんなやつと付き合って、幸せになれると思ってるのか? 母親は頭がおかしいし、そんな母親とできてたって噂されてたようなヤツだぞ? だいたいお前の親が許すはずがない」

「和くん」

 和臣が言葉を切る。

「私は和くんの、そういうところが嫌」

「桜雪……」

「自分がそんなこと言われたら、嫌な気持ちになるって考えたことないの? 小学生だってわかることだよ」

 目を見開いて桜雪のことを見つめている、和臣に背中を向ける。

「もう来ないで。これ以上和くんのこと嫌いになりたくないの。お父さんには、私から話します」

 それだけ言ってエントランスへ入り、オートロックのボタンを押す。その指先が震えているのがわかった。

「桜雪っ、待てよ! 桜雪!」

 背中に聞こえた和臣の声は、マンションの中までは追ってこなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ