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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
雪の嘘
3/50

 古くて立派な門を開け、白く染まった庭を歩く。

 敷地内に建つ三軒の家は、全部親戚だ。その中の一番大きな母屋に、桜雪は両親と祖父と住んでいた。

 玄関を開けると母がすぐに顔を出してきて言った。

「お帰り、桜雪。降ってきたね」

 ランドセルをおろし上着を脱ぐ桜雪に、母がタオルを差し出してくる。

「風邪、大丈夫だった?」

「うん、平気」

「今日はお父さん、お部屋にいるから」

「はい」

 洗面所で手を洗い、古い廊下を歩いて居間へ向かう。その途中の縁側に、祖父がぼんやりと座っていた。

「おじいちゃん」

 桜雪の声が聞こえていないのか、祖父はこちらを向こうとしない。ただじっと、窓の外に降り続く雪を眺めている。

 桜雪はその姿に、今日初めて会った梓の姿を重ねた。梓もこんなふうに、どこか遠くを見つめるような目で、空から降る雪を見ていた。

「おじいちゃん、ただいま」

 少し大きな声でもう一度言うと、祖父がゆっくりと振り返った。そしていつものように柔らかく微笑んで言う。

「ああ、桜雪だね。お帰り」

 桜雪は祖父に小さく笑いかけてから、父のいる居間へ向かった。


「お父さん、桜雪です」

 そう言ってから襖をそっと開けると、父が炬燵の上に書類を広げ仕事をしていた。

「ただいま帰りました」

「お帰り、桜雪」

 学校から帰って父が家にいれば、まず父に挨拶をする。畳の上にきちんと正座をして。それが桜雪の家の決まりだ。

「桜雪、今日はテストが返ってくる日だったな」

 父が桜雪に向かって聞く。

「はい」

  桜雪はさっきランドセルの中から取り出した、九十五点だったテストを父に渡した。

  父は黙ってそれを確認したあと、半分に畳んで桜雪に返してくる。

「また満点がとれなかったのか?」

「でもクラスで一番だったよ」

「父さんが桜雪くらいの頃は、満点がとれて当たり前だった。桜雪にもできるはずだ。次は頑張りなさい」

 そんなことを言われても……この点をとるのに桜雪がどれだけ努力をしたか。父はいつだって褒めてくれない。

 成績の話はしたくなかったので、桜雪は話をそらした。

「お父さん、今日ね、東京から転校生が来たんだよ」

 その声に、父が顔をしかめる。

「霧島さんちの子だな?」

「霧島くんのこと知ってるの?」

「知っているとも。町を出て行ったあの家の娘が、息子を連れて戻って来たと、すっかり噂になってる」

 父はかけていた眼鏡を外し炬燵の上へ置くと、ため息を吐くようにつぶやいた。

「まったく、あの女。よくこの町に戻って来れたものだよ」

 父が梓の母親のことを「あの女」と呼んだ。

 なにか悪いことをしたのだろうか。梓のお母さんのリエさんは。

「梓が死んだのは、あの女のせいなのに」

「梓?」

 思わずその名を声に出す。わけのわからない桜雪に向かって、父が言う。

「綾瀬家の娘だったら、あの親子に関わってはいけない。わかったな? 桜雪」

 関わってはいけないって、どうして? 父の口にした「あずさ」って誰なの?


「桜雪」

 襖の陰から、母が桜雪を呼んだ。

「お台所を手伝ってちょうだい」

「は、はい」

 あわてて立ち上がったけれど、体がよろけた。そんな自分を黙って見ている父の視線が怖くて、桜雪は急いで母の元へ行く。

「お母さん」

 居間を出て、母と台所に立った。

「お父さんが変なこと言った。うちの学校に転校して来た子のお母さんのこと……梓が死んだのは、あの女のせいだって……」

「桜雪。その人たちに関わったら駄目よ」

 母が水道の蛇口を開け、桜雪の顔を見ないまま言う。

「どうして……」

「あなたはお父さんの言う通りにしていればいいの。逆らったら駄目」

 逆らうつもりなんてなかった。ただどうしてだか知りたかっただけだ。


 母はそれ以上何も言わずに、食事の支度を始めた。桜雪もそれ以上は聞けなかった。

 以前この町の町長を務めたこともある桜雪の祖父は、血のつながり合った家ばかりが集まるこの部落を、ずっとひとりでまとめていた。

 今では桜雪にとって優しい祖父であるが、昔は誰よりも権力を持ち、親戚の大人たちも近所の人も、祖父に逆らうことはできなかったそうだ。

 そして今、この家を仕切っているのは町議会議員をしている父だった。母でさえ、父に意見することはできない。

 桜雪も幼い頃からそう教えられてきた。この家にいる限り、これからもそうやって生きていかなければならないのだ。


 *


「熱、上がっちゃったわね」

 昨日の夜、寒気がすると思っていたら、風邪がひどくなっていた。

「今日は学校休みなさい」

 桜雪は布団の中で、母の声にうなずく。

 昨日一日降り続いた雪はやんでいた。けれど二階の窓から見える景色は、二十四時間前と全く変わっていた。

 あたりは白一色に染まっていたのだ。

 ひとりで学校に行けただろうか。雪が積もって喜んでるだろうか。

 布団の中で桜雪は思う。転校してきたばかりの梓のことを。けれどそんな淡い気持ちも、昨日聞いた父の言葉に打ち消される。

 ――梓が死んだのは、あの女のせいなのに。

 怖くなって布団を頭からかぶった。体中が熱くて、また熱が上がりそうだ。

 ぎゅっと強く目を閉じたら、深い雪の中へずぶずぶと沈んでゆくように、眠りに落ちた。



「桜雪? 具合はどう?」

 その低い声にうっすら目を開けると、部屋の中は夕焼け色に染まっていた。

 どれだけ眠っていたのだろう。自分自身にあきれているうちに、視界がはっきりとしてきた。

「えっ……和くん?」

 ベッドに腰掛け微笑むその顔が、パジャマ姿の自分に向けられていることに気づき、桜雪はあわてて布団をかぶる。

「やだっ、恥ずかしい!」

「何言ってるんだよ、今さら。熱出したんだって?」

 そう言って笑うのは、幼い頃から仲の良い、六つ年上の安達和臣あだちかずおみだ。

 町で一番大きな建設会社の前社長であった和臣の祖父と、町長をしていた桜雪の祖父は古くからの友人で、彼とは小さい頃から兄妹のように仲が良かった。

 ただ和臣の祖父はすでに亡くなってしまい、今は和臣の父が安達建設の社長となっている。


「朝日屋のプリン買ってきたぞ? 食うか?」

「……いらない」

「重症だな。桜雪がプリンを食べないなんて」

 ははっと笑うその声につられ、桜雪はそっと布団の陰から和臣の姿を見上げる。

 ベッドに腰掛ける和臣は、県内でも有名な進学校の制服を着ていた。桜雪もそこを目指すようにと、幼い頃から父に言われている。

 そしてそんな父の勧めで週一回、桜雪は和臣から勉強を教えてもらっていた。

「これじゃあ今日の勉強は無理だな」

「うん」

「せっかく来たのに。残念」

 そう言って笑ったあと、和臣がじっと桜雪のことを見つめた。桜雪もそんな和臣の顔を見る。

 幼い頃から見慣れた優しげな表情。和臣は昔から、桜雪が何をしても許してくれるような、包容力を持っていた。そんな穏やかさの反面、実はものすごい自信家で、自分の意思を最後まで貫く強い面もあった。

 十二歳の桜雪にとって、六歳年上の彼は、強くて優しい大人に見えたのだ。


 そんな和臣の顔が、ゆっくりと桜雪に近づいてくる。いつものように、桜雪は静かに目を閉じる。するとほんのかすかに、ふたりの唇が触れ合った。

「じゃあ、また来週」

 立ち上がった和臣が小さく笑って、部屋を出て行く。

 布団の中に横たわったまま、桜雪は指先で自分の唇をなぞった。

 和臣と初めてこんなことをしたのは、夏の終わり。

 いつものように勉強をして、部屋を出て行く前に、和臣は桜雪にキスをした。

「……なんで?」

「桜雪がかわいいから」

「かわいいとこんなことするの?」

「そうだよ」

 照れることもなくそう言って、和臣はいつもと変わらない笑顔を見せる。

 和臣がしたのは、かわいい妹にするようなキスなのだろうか。いや違う。妹にキスなんてしない。だったらどうして、こんなことをするのだろう。

 この行為にどんな意味があるのか、桜雪はいまだにわからない。

 そしてこのことは、他の誰にも話せなかった。

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