13
数日後、桜雪たちは中学の卒業式を迎えた。
このセーラー服を着るのも今日で最後。四月からはお嬢様学校と噂されるあの女子校の制服を着る。
式の最中、桜雪は梓の背中を見つけた。三年前、ぶかぶかだった制服が、今ではもう小さすぎるくらいだ。
そしてあの日も、こうやって梓の背中を見ていたことを思い出す。
だけど今日、涙は出なかった。もう会えないかもしれないのに。どうしてだか涙は出なかった。
式が終わって、教室で写真を撮った。
みんなは泣いていたけれど、やっぱり桜雪は泣けなかった。自分は冷たい人間なのだと思う。
帰りに打ち上げをやろうと誘われたけれど、約束があったから断った。昇降口でみんなと別れる。
外は雪が積もっていた。桜の季節はまだ先だ。
ざわざわとした人ごみの中、外へ出ようとして立ち止まった。
いつかと同じように、玄関の前に立つ、梓の姿が見えたから。
卒業証書の入った筒を胸に抱え、桜雪は何も言わずに通り過ぎようとした。
「綾瀬」
名前を呼ばれた。戸惑ったけれど、そのまま歩く。
「綾瀬」
前へ進もうとする桜雪のことを、引き止めるようなその声。
「桜雪」
ああ、どうして。どうしてここで、その名前を呼ぶんだろう。
足を止め、ゆっくりと後ろを振り返る。桜雪のことをじっと見つめている梓と目が合う。
胸についた花と手に持った筒は、桜雪と同じもの。だけどこれからは、別々の道へ進む。
「高校行っても……元気で」
掠れる声で、梓が言う。
「うん。霧島くんも」
梓はもう、桜雪に手を差し出したりしない。桜雪もその手を、握ったりはしない。
「桜雪ー!」
校門のほうで、騒ぎ声が聞こえた。
駆け寄ってきた女の子たちに囲まれ、腕を引っ張られる。
「桜雪のこと、待ってる人がいるよ!」
「誰なの? あの人、彼氏?」
引きずられるように歩きながら、後ろを振り返る。
梓はその場に立ったまま、黙って桜雪のことを見ていた。
桜雪は静かに目をそらす。前を向くと、校門の横に止められた赤い車と、和臣の姿が見えた。
「桜雪!」
和臣が笑って手を上げる。周りの女の子たちがまた騒ぐ。
桜雪はそんな中、和臣の前に立った。
「卒業おめでとう。桜雪」
「ありがとう」
「約束通り、迎えに来たよ。どこへ行こうか?」
和臣が車のドアを開ける。桜雪はその中へ乗り込む。
卒業式の日、迎えに来て。そう頼んだのは桜雪だ。
車がゆっくりと走り出す。梓はこの姿を見ただろうか。男の人の車に乗り込む自分の姿を、見てくれただろうか。
私は……きれいなんかじゃないよ。
梓が思っているような、きれいな人間じゃないのだ。
川沿いのほとんど車の通らない道を、和臣の車で走った。
桜の花はまだ咲いていない。
――春になったら……一緒に行く?
行けるわけなんてないのに。窓の外の桜並木を見ながら、遠い約束を思い出す。
和臣が、流れている音楽のボリュームを上げた。桜雪の知らない曲。
その時はじめて、桜雪の目から涙がこぼれた。
「桜雪? どうした?」
「なんでもない」
和臣が道の端に車を停めた。
窓の外を見ているふりをして、桜雪は涙を隠す。それなのに涙がどんどんあふれて、止まってくれない。
「桜雪……」
髪を優しくなでられた。
「こっち向いて」
いやいやと首を振ったのに、和臣の手が桜雪の頬に触れる。そのまま顔を向けられて、流れる涙にキスをされた。
「泣いてる桜雪、かわいい」
どうしたらいいのかわからなくなって、目を閉じる。すぐに唇が重なり、和臣の舌が桜雪の中へ入り込む。
重なり合った唇が、頬に触れた手が、緊張して震えている身体が、熱い。
「大丈夫。怖がらないで」
耳元で聞こえる声。
「やさしく、するから」
抱きしめられて、キスをされた。何度も何度も。そのままその唇が、首筋から胸元へ這うように動く。
桜雪の身体がふるりと震えた。
和臣が何をしようとしているのか。それを知らないわけではなかった。そのくらいの知識は桜雪にもある。
だけどもう、どうなってもよかった。考えるのも面倒だった。
和臣のことを好きになって楽になれるのなら……それでもいいと思った。
「桜雪……好きだ」
耳元で低くささやかれて、小さな吐息がこぼれる。
三年間着たセーラー服のリボンが、和臣の手でほどかれる。
薄く目を開くと、曇りかけた窓ガラスの向こうに、花びらが見えた。
桜の木から舞い散る花びら……いや、違う。白い、雪だ。
――桜雪という名前はね、桜の花びらのように舞い落ちる、雪を見ながらつけた名前なんだよ。
なぜだか祖父の言葉が頭をよぎる。
――あの日の雪は、とても綺麗だった。
おじいちゃん、ごめんなさい。
こんなにきれいな名前をもらったのに……私はきれいじゃなくて、ごめんなさい。
和臣の動きは、どれもすごく慣れているように感じた。
それでも桜雪は泣きながら、その苦痛に耐えた。
けれど、どんなに優しい言葉をささやかれても、どんなに優しいキスをされても、最後に残ったのは、身体と心についたひどい痛みだけだった。




