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傘と嘘と花びらと  作者: 水瀬さら
雨の嘘
16/50

 和臣の車が桜雪の家に近づいた時、救急車が停まっているのが見えた。

「なにかあったのかな?」

 運転しながら和臣が言う。救急車が停まっているのは、梓の家の前だった。

 嫌な予感がした。

「和くん! ちょっと止めて!」

「え?」

 和臣がブレーキをかけ、路肩に車を寄せる。桜雪は車から降り、駆け出した。

「桜雪!」

 和臣も車を降り、そんな桜雪のあとを追いかけてくる。

 救急車のそばへ駆け寄ると、近所の人たちが何人か集まり、ひそひそと話をしていた。

 何が起きたというのか。

 その時、家の中から担架が運び出されてきた。


「リエさん! リエさん!」

 担架に寄り添うようにして、そう叫び続けているのは梓だ。

 桜雪は気が遠くなりそうになった。

 梓の白いTシャツが、赤く染まっているのが見えたから。

「なに……あれ」

 震える手で、隣に立つ和臣の腕をつかんだ。

「血? 一体何があったんだ?」

 担架が救急車の中へ運び込まれる。その様子を立ち止まった梓が呆然と見ている。

「き、霧島くん?」

 梓がゆっくりとこちらを見た。どこかぼんやりとした顔つきで。

「怪我したの? 大丈夫?」

 梓は視線を下ろし、自分のTシャツを見つめてつぶやいた。

「これは……俺の血じゃない」

 桜雪は震えながら息を吐く。だったらこの血は……。

「さぁ、君も一緒に乗って」

 救急隊員に促されて、梓も救急車に乗り込んだ。桜雪はその背中を黙って見送る。

 救急車がサイレンを鳴らし、走り出した。近所の人たちが、口々に何か言いながらその車を見送る。

 桜雪は和臣の腕をつかんだままだ。


「何があったの?」

 桜雪の母親が駆けつけてきた。

「さぁ、わかりません。だけどだいぶ出血しているようでした。おそらくお母さんのほうが」

 頭がくらくらしてきた。倒れそうになった桜雪の体を和臣が支える。

「大丈夫か? 桜雪」

 大丈夫じゃない。大丈夫じゃない。あんなに血がいっぱい出てて……梓のお母さんが死んでしまう。

 和臣に抱きかかえられるようにして車に乗り、家へ帰った。

 あまりのショックで立ち上がれなくなってしまった桜雪は、客間の布団に寝かされた。

 ぼんやりとした頭で天井を見つめていたら、隣の部屋から大人たちの話し声が聞こえてきた。


「手首を切ったらしいぞ?」

「いやねぇ、自殺?」

「意識はあったみたいだけどな」

 桜雪の頭に、梓の言った言葉が浮かぶ。

 ――自殺未遂を繰り返してた。何かのきっかけで突然ぷっつり切れちゃうみたいで。

 寝返りを打ってタオルケットを頭からかぶった。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。もしかしたら、自分のせいかもしれない。

 ――梓のこと、もう自由にしてあげなきゃね……。

 彼女は自分がいなくなれば、梓が自由になれると思った。

 だから、死を選んでしまった。きっと、そういうことなんだ。

「桜雪? 具合はどうだ?」

 和臣が心配して声をかけてくれたけど、桜雪はタオルケットをかぶったまま、何も答えなかった。



 その日、救急搬送された梓の母親は、幸い命に別状はなかったらしい。

 ただ精神科的治療が必要ということで、しばらく入院することになったと、大人たちの会話から知った。

 あの家には今、梓がひとりで住んでいる。

「これからどうするつもりなのかしら。あの子ひとりになっちゃって」

 食事の支度をしながら、ため息まじりに桜雪の母が言う。

 けれどそれは、梓のことを心配しているというよりも、迷惑がっているように桜雪には聞こえた。



 夏休みは和臣と勉強しながら過ごした。

 あの日以来、あの車には乗っていない。あんなキスもしていない。

「桜雪、あんまり集中してないな」

 シャーペンを持つ手を止め、ぼんやりと縁側の外を眺めてしまった桜雪に和臣が言う。

 集中なんて、できるはずがない。

 Tシャツを赤く染め、母親の名前を呼び続けていた梓の声が、頭の隅から離れないのだ。

 梓はどうしているのだろう。母親のいなくなったあの家で。何を考えながら過ごしているのだろう。

 気になるのに会いに行けない。会ってどんな声をかければよいのかわからないのだ。

 そんなことを考えていた桜雪に、和臣の声が聞こえた。


「桜雪、悪いけど、僕が勉強を教えるのは今日が最後だ」

「え……」

 顔を上げて和臣を見る。予定ではもう少しこの町にいるはずだった。

「急に予定が変わってね。明日には東京へ帰らなくちゃいけない」

「そうなんだ」

 がっかりしたわけでも、嬉しいわけでもなかった。

 和臣とは夏休みに数日会って、その次は正月に会う。それがここ数年の過ごし方だったから。

「次に会うのは正月だな」

「うん」

「もう少し、寂しそうにしてくれよ」

 冗談っぽくそう言って、和臣は桜雪の頭をなでる。

 ――仲の良いふりをしたほうがいい。

 和臣がそう言ったから、桜雪はそうしてきた。だけど和臣が自分のことをどう思っているのか。それがよくわからなかった。


「受験が終わったら、東京へ遊びに来いよ」

「え、ああ、うん」

「桜雪の行きたい所、連れて行ってあげるから」

「ありがとう」

 和臣の前で笑ってみる。毎回勉強を教えてくれて、優しい言葉をかけてくれる和臣に、感謝しているのは嘘じゃない。

 頼っていることがたくさんある。助けられたことだってたくさんある。

 和臣はしばらく黙り込んだあと、テーブルに身を乗り出し、桜雪の唇に軽くキスをした。

「桜雪、かわいい」

 低く、耳元でささやくような声。

「好きだよ」

 うつむき、その言葉を胸の奥にしまう。本当なのか、嘘なのか。和臣の本心を探りながら。

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