第五話 自分を見ているようで
予想通りにヤツは水場への勢力拡大に踏み切った。
無数の菌糸を張り巡らし、相手の菌床を溶かす酵素で侵蝕して着実に自分の勢力を推し進めていく。
モチロンこちらも対酵素の中和剤で対抗するが、如何せん相手の物量が圧倒的だ。
そしてヤツの分身が要所要所でコチラ側の主要な分節点を確実に破壊して、更にソコから新たな菌床を根付かせてゆく。
俯瞰してみれば多勢に無勢。コチラ側の勢力圏は向こう側の三分の一にも満たない。
それでも今まで相手に呑み込まれなかったのは、水場を守る為の強固な「城壁」が在ったからだ。
材質は自分でもよく判らない。けれども、相手の酵素どころか火や酸にも冒されない強固な結晶肢が土や石を一緒に取り込んで、文字通りの壁を造っている。
そして結晶肢の類別反応で、俺の分身や菌糸以外はその場で分解する防護能力まで併せ持っていた。
割と材料コストが掛かるので、支配域全土に張り巡らせるコトは出来ないけれど、全体の二割程度はフォローすることが出来た。
「ああ、やっぱり城壁に集中するんだ。そんなコトしたって無駄なのに」
コチラは準備万端整っているのに。
城壁を破壊して中に浸入、その場で自分達の菌床を構築。実効支配するつもりなんだろう。やってることが以前とまるで変わらない。
確かに向こう側の数と酵素の量は圧倒的だ。でも菌床の中枢が全ての菌糸に命令を出しているのは俺と一緒なのである。
数の暴力で城壁の一部が陥落。一気呵成に相手が雪崩れ込み、見る間に相手方の菌糸が枝を伸ばす。
だが貯水場に到達した瞬間、菌糸が死滅した。到達した先端はもちろん、ソコに連なる全ての接続肢もだ。
「おお、慌ててる、慌ててる」
分身は本体と直結して居るので、本体の狼狽ぶりも手に取るかのようだ。
貯水場にもう水はない。事前に他の場所に移送済みだ。
城壁が崩された瞬間ホースで散水したのは次亜塩素酸塩と水酸化ナトリウム、および界面活性剤の混合液。
と、まぁ、えらそーな説明は容器の成分表を読んだだけ。
平たく言えばカビ除去洗剤である。
ヤツと初めて鉢合わせした後、もしもの場合に備え、そこら中の薬局やディスカウントストアから根こそぎ集めてまわったやつだ。
もちろん相手を撃退する程の量はない。でもヤツを慌てふためかせればソレで充分だ。一瞬、攻撃の手が緩む。
軍隊とかだったら、指揮官以外にも副官とか参謀とか複数のスタッフが居るから立ち直りも早いだろうけど、一人で全部の場合はどうだろう。
意識も一点に向いちゃうんじゃなかろうか。
即座に準備していた軽トラが発進。相手の狼狽を突いて一気にヤツの中枢を目指す。
コチラの動きに気付いた分身が集まって来たが、荷台に載っていた俺の分身たちはカビ除去剤や、ビール瓶を使った火炎瓶で対抗。
中枢が見えたらハンドルを固定。アクセルに重しを乗せて、運転していた分身も荷台の連中と共に一斉に飛び降りた。
無人の軽トラはコンビニ店舗くらいの大きさにまで成長して居た中枢に衝突。分身たちは持って居た火炎瓶を残らず軽トラに叩き込む。
荷台に満載していたガソリンに着火、そのまま燃え広がって爆発炎上。
やがて一緒に乗せた水入りのペットボトルが熱で次々に破裂。蒸気と流れた水に乗ってガソリンが周囲に巻き散らかされた。
自分の中枢からも直にその火炎と黒煙は見えて、哀れになるくらい取り乱したヤツの分身は、菌床共々俺の分身に次々と分解されていった。
「うん、決まったな」
独白に自分で頷いて見せる。
この場に居る分身もみんな一糸乱れず頷いた。
それはヤツの侵攻が始まって、三〇分にも満たない闘いだった。
「じゃあ、この取り決めは守ってもらえるんだな」
互いの勢力圏の境界線で、俺とヤツは「協定」を交していた。
憔悴しているヤツは、力なく頷くだけだった。
多数の分身を失った上にカナメである中枢は機能の半分を喪失。再構築を行うにしても数ヶ月を要するらしい。
つまり、その間ヤツの勢力圏はほぼ無防備で、他の菌類の侵攻を阻むには俺の助力が必須という有様だった。
火やカビ除去剤の効果は自分の菌糸類で試していたから、ほぼほぼ予想通りの結果に終わった。だが内心、コイツが薬品への耐性を持って無くて良かったと胸を撫で下ろしていた。
自分の「城壁」が火や薬品薬物の耐性を持っているから、半ば賭けだったのだ。
「オマエの勢力圏の外縁部は城壁を造っておく。外からの菌類の侵攻は押さえ込める筈だ。材料は提出してもらうぞ。そちら側の菌糸も同化させておかないと、城壁の反応でオマエの菌糸も攻撃されるからな」
「うん、分かった。だが、良いのか?」
「何が」
「オレはオマエを食おうとしたんだ。ココで逆にすり潰されても文句は云えない……」
「オマエは俺の勢力圏を冒そうとした。なのでねじ伏せた。オマエが何もしなければ俺も何もしない。それに、俺たちはこの世界で生き残った同士なんだろ?」
伏せていた顔が一瞬だけ上がって俺と視線を交し、また伏せられた。
随分と長い沈黙が在った。
「……もうオマエには手出ししない。約束するよ」
しょげたヤツの声は小さかったが、しっかりとした物言いだった。
やれやれ、コレで何とか一段落。安堵の吐息が漏れた。
コイツが経験不足で助かった。
俺はこれまで、菌類やコケ類の無自覚な侵蝕を何度も押し返している。その経験則から対抗手段を思いつくことが出来た。
と同時に、この世界での自分の役割はたぶんこういうコトなんだろうなと、漠然とした理解が在った。
アチコチの本屋から無断拝借している様々な本、植物図鑑とか菌やキノコのトリビア、小難しい植物の解説書とかに目を通したのも大きなバックボーンだ。文字通り時間は掃いて捨てるほどあったし、暇潰しも欲しかった。
それに何より、自分のコトを知りたかったからだ。
その結果、いまの自分がなぜココに居るのかって考えるようになった。
今まで考えたことも無かった気付きと言い換えても良い。
ひょっとしてあの現国教師が言って居た「勉強」ってヤツは、こういうコトだったんじゃないのか。そしてこの世界での自分の役割は、たぶんこういうコトなんだろうなと、漠然とした理解が在った。
それらの下地が在ったからこそ、落ち着いて対処出来たのだ。
以前の俺はコイツと五十歩百歩。何も考えていなかった。
彼女が消えて打ちひしがれてヤケに為って、波のように押し寄せてくる菌や苔と争うばかりの毎日。鬱憤晴らしにがむしゃらになって、ただただ自分の支配域を拡げるコトばかりに奔走していた。
彼女を無にしたこの世界に仕返ししてやるつもりだった。
彼女を返せと、いつもはらわたを煮えくりかえさせていた。
在り来たりな日常に家族、そして想い人まで。大事なものを全部奪ったヤツラが許せなかった。
だけど、俺一人が喚いたトコロで所詮は蟷螂の斧。
躍起になって自分の陣地を拡げても直ぐさまひっくり返された。焼き払い食い尽くし、何度取り返して何度拡げてみても直ぐさま振り出しに戻された。
足掻いて足掻いて足掻き続けて、どれだけ藻掻き続けても出口は見えなかった。
トコトンまで叩きのめされて、どれだけこの世界に噛み付いたトコロで、俺一人ではどうにも為らないのだと思い知らされた。
俺はこの地面に落ちた種の一つでしかなくて、圧倒的な他の有象無象とは比べるのも馬鹿らしい。
見渡す限り拡がる密林の中で、草の根元にポツンと生えた小さなカビみたいなモノ。糸くずみたいな茎を伸ばして胞子をバラ巻く小さな菌糸だ。
そう身に染みた。
虚しくて哀しくてこのまま消えてしまいたい、何度そう願ったことか。けれどその都度に、俺の中の彼女を消してしまいたくはないという強い願望が胸を焦がした。
ならばどうする?
俺の存在なんて高が知れて居る。だったらいっその事、このイカレた世の中で自分の役割をトコトン演じてやろうじゃないか。
少なくとも、今この瞬間まで生き延びるコトは出来たのだ。ならばヤケになって無軌道に暴れるよりも、その方が彼女も納得してくれるのでは。
「生きる」を頑張れば喜んでくれるんじゃないかと、そう考え直したのだ。
何のコトは無い、先日デカい顔でヤツに叩き付けたコトは全部ブーメラン。
目の前のコイツは昔の自分なのである。
消沈したヤツが口を開いた。
「オレの名前はアカネ。でも俊郎と一緒になったからアカトシとでも名乗った方がいいのかも。世の中がこうなる前は、東女子高の三年生だった」
おや、俺と同じく高校生だったのか。しかも女生徒とは。
アンタの名前を教えてくれと言われて返事に困った。そう言えばいまの身体に為ってから自分の名前を考えたコトはなかった。何しろずっと一人で話し相手すら無かったのだ。
すこし考えて「サヨリ」と名乗った。悟と頼子だからこんなもんだろ。コイツだって相方と名前をニコイチしてるんだ。
「なんか、魚みたいな名前だな」
「トマトやカボチャよりはマシだろう」
どちらも俺の好物だ。こんな世界じゃあ、もうトンとお目に掛からなくなってしまったけれど。
ヤツは即座に返答できなくって、その何とも言えない表情がちょっと面白かった。




