第三話 夢オチだったらいいのに
「世界中がこんな感じなのかな」
「違うかも知れないけれど、そうなのかも知れない」
「確かめる術ないしなぁ」
「そうね」
海岸線に出て岬の先っちょ。俺たちは灯台の在る岸壁に二人並んで腰を下ろし、水平線を眺めていた。けっこうアチコチを走り回ったつもりだったけれど、地図の上じゃあ日本をちょっと横断して太平洋側から日本海に出た程度。
特に目的も無かったから寄り道も結構在ったし、風景の良かった所は長居をしたり、バッテリーをかき集めて手付かずの家電製品で「豪遊」してみたり、乗り捨ててあるクルマでレースまがいのコトをやってみたり、立派なホテルに押し入ってキャッキャうふふやってみたり。
まぁ、思いつく限り色々やっていたから、掛けた時間の割には大した距離走っていなかった。
「結局あれからココに来るまで、誰にも会わなかったね」
「そうね」
動物は割と見かけたけれど、生きてるヒトなんて皆無。出会うのは大抵道端か建屋の中に転がって居る菌床ばかりだ。
水平線の向こう側には半島があって、更にその向こう側にはデッカイ国が在ったけれど、ソコも日本と同じなんだろうか。ココと同じように、ヒトだったモノがゴロゴロ転がって居るダケなんだろうか。
ネットもテレビも役に立たなくなっちゃってるから、世界のコトなんてサッパリ分からなっていた。
「船が在ったら向こう側まで行けるかな」
「そうね」
「でも船の動かし方が判らないから漂流しちゃうかも知れないな」
「そうね」
「さっきから、そうねしか言わないね」
「そうね……何だか疲れちゃった」
「そっか。じゃあ、今日は早めに眠ろうか。さっき見つけた旅館、荒れて無かったから今晩はあそこにしようよ」
「わたしは此処でいい。ずっと海を眺めて居たい」
「いや、そういう訳にはいかないだろ。吹きさらしじゃないか。風邪引いちゃうよ」
「たぶん、もう病気にはならないと思う。歳も取らないんじゃないかしら、わたしたち」
「そんなコト……は無いんじゃない?」
「旅に出て何年になると思うの」
「七、八年、くらい?日付のチェックが間違ってなければだけど」
「あの日からわたしたち、ズッと高校生のままじゃない。全然変わらないじゃない。オマケに最近はお腹も空かなくなっちゃった。週に一回か二回食べれば満足しちゃうじゃん。ソレで全然問題ないでしょ。絶対オカシイわよ」
「まぁ、ソレは確かにそうだけど」
「ずっと考えて居たのよ。わたしたち二人には、他の人たちと違うナニかが起きていて、そのせいで今もキミとこうしている。そしてソレは今も現在進行形、どんどん変わっている真っ最中。
キミはナニも感じない?いまこうして居る間でも、身体の奥でナニかぐるぐるしてるでしょ。気付いて居ないとは言わせないわよ。昨晩だってろくに眠れずに、寝返りばかりうってたじゃない」
俺は即座に返事が出来なかった。
「わたしたち、他の人たちとは別のナニかを植え付けられたんじゃないかなぁ」
「ナニかって、なに?」
「あの円盤は地球を自分達好みに変えにきたんでしょ?まるで農地開拓するみたいに。畑が出来たら、それを手入れするヒトが必要だと思わない?」
「……」
俺は思わず後ろを振り返ってみた。数日前に通り過ぎた地方都市の上空に、円盤は今も知らん顔して浮かんで居る。
今ではもうスッカリ風景になってしまったけれど、「ふよふよ」をバラ蒔いたあとは、ズッとずっと微動だにせずあのままだ。何かを待っていると考えるのが普通なんじゃなかろうか。
俺はてっきり、あの円盤を送って来た誰かがやって来るのを待っているのだと思っていたけれど。
あるいは地球の土壌改良はまだ途中で、長期熟成「コク深く良い味わい」に仕上がるのを待っているのかなぁって。
「山谷くんは何故わたしに告白したの?」
「前にも言ったじゃないか。なんかこう、言わなきゃダメだって衝動がこう……」
「その数日前くらいに、ご家族の誰かの頭からペンペン草が生えてこなかった?そしてパタリと倒れて、助けようとしたらポンと何かが爆ぜて、煙みたいなものを吸い込まなかった?」
「よく判るね。え、ひょっとして田口さんも?」
「わたしはお母さんだったわ」
「俺は父さんだった」
「他の人たち、頭からそんなモノが生えたヒトなんて居なかったそうよ。そしてきみの告白を受けて『よっしゃー』ってガッツポーズしたわ。内緒にしてたけど。何故急にそんな気持ちになったのか判らなかったけれど」
「……」
「あの煙を吸った者同士が引き合うんじゃないかしら。でないとこんな切羽詰まった世の中で、わざわざ告白してそれをオッケーするだなんて、普通ないんじゃないかしら」
「切羽詰まった世の中だからこそ、そういう気持ちになるのかも知れないよ」
「そうね。それもそっかー」
何だか妙に腑に落ちたような返事だった。
「そんな訳で、わたしはもうココから動かないから」
「ちょっと、なんでそういう話になるの」
「っていうか、動けないから」
えっ、と言葉に詰って視線を落としてみれば、彼女のスカートはいつの間にか菌糸に覆われて、岸壁に根を下ろし始めて居た。
「いや、ダメだよ。そんなの駄目だ」
「駄目って言われても……」
「だめだめ、ダメだよ。きみが居なくなったらダメだよ。そんなん絶対ダメだ」
「居なくならないわよ。ただ固まっちゃうダケで」
俺は慌てて彼女を岸壁から引き剥がそうとした。渾身の力を込めた。今までの人生でこれ以上無いってくらいの力でだ。だのにビクともしない。
素手じゃダメだったんで、急いで軽トラから道具を持って取って返して、何とか彼女をソコから自由にしようと奮闘した。
ノコを試した。小刀で切ってみた。火で炙ってもみた。でも菌糸はビッチリがっちり食いついて、無理すればそれこそ、彼女身体そのものがこそげ取れそうになるのだ。
「と、取れない。な、なんで?」
「無理よ。センセイの身体だって、二人がかりでもあの教壇から引き剥がせなかったじゃない」
センセイだけじゃない。俺の家族もそうだ。せめて土に埋葬してやろうとどれだけ頑張ったことか。どれだけ苦心惨憺したことか。なのにどうしても、家族を菌糸の根から自由にしてやることなんて出来なかった。
だが、だからといって諦めきれる筈が無い。
「たしかDYIの店が在ったよね。ソコで削岩機的な何かを探して来るから、それで……」
「待って。何処にも行かないで。もう、余り時間が残っていないから」
「残っていないって!」
「判る、判るのよ。だから、最後の一瞬まで側に居て」
そんなコトを言われると、もう俺は動くことが出来なくなってしまった。辛そうで、寂しげな顔で笑む顔には菌糸の枝が猛烈な勢いで伸びていく最中だった。
「昨晩からこうなるって予感があったの。だから、悲しくはない」
嘘だと思った。
「でも、きみともうお話出来なくなるのは寂しいかな」
俺も寂しいよ。いや、寂しいどころじゃないよ。イヤだよ。
「泣きそうな顔。初めて見た」
きみの顔もそうだ。無理をして笑っているけど、違うだろ。
ピチピチと小さな音が聞こえた。彼女の肌が見る間に白くなっていった。かさかさに乾いて、無数のひび割れが拡がっていった。
本当に、見る見るうちにだ。
「一つお願い。わたしが動かなくなったら、胸の奥にあるタネを食べて欲しい。地面に埋めるのはダメ。きみと一つになれないから」
「タネ?」
「そう、タネ。きっと、多分。身体中をぐるぐる回って居たものが、ぎゅうーっと胸の奥に集まってくるのが判る。集まるに従って、他の部分が空っぽになってゆくのが判る。あ、あ、もう考えるのも辛い……こ、言葉も……悟くん、お願い、約束して」
パリン、と小さく割れる音。唐突に彼女の腕が折れて崩れた。地面に当たった途端、卵の殻みたいな破片になって散らばった。中身は何も詰ってなかった。
「うん、判った。約束する、約束するよ頼子ちゃん。だから頑張って、それ以上はダメだ」
「ふふ、初め、て……なま、え、で……呼んで、く、れた……」
薄らとした笑みだったが、随分と柔らかな貌だった。
そこで表情が固まり、目の色合いも失せていった。滑らかで、かちんと固い。まるでそれは精巧な石膏像のようで。
ピシピシと小さくひび割れる音が聞こえてくる。
「……頼子ちゃん?」
滑らかだった彼女の顔が無数のヒビで覆われてゆく。そして遂に限界に達し、かしゃんと小さな音を立てて割れて落ち、細かな破片へと変わり果てるのだ。
非道く細かくて容赦が無い。止まってくれと、両手でその顔を押さえてみたけれどてんで駄目。壊れるな、それ以上進むな。ダメだ、だめだと焦ったけれどどうしようも無かった。
そして遂に限界に達し、かしゃんと小さな音を立てて割れて落ち、細かな破片へと変わり果てるのだ。
ぱりん、ぱりん、と彼女の全てが細かい破片に為っていった。次々と、まるでドミノ倒しのように本当に次々とだ。
それはもう、見る見る内に。
中身の無くなった衣服がくたくたと崩れて、破片と共に小さな山になった。
「えっ」
え、え、どういうコト?
コレで、コレで終わり、なの、か?
気持ちが動かない。身体もそうだ。頭の中が真っ白だった。
全部が本当にあっという間のことで、言葉も出て来なかった。
唐突に過ぎてあまりに現実感が無かった。
数分前まで笑って話していた彼女が、目の前から消えて失せていた。
「……」
どれくらい立ち竦んで居たろう。
我に返って、菌糸の絡まった衣服をかき分ける。サラサラとした手触り。直ぐさま、粉になった破片の中にアボカドサイズの木の実のようなものを見つけた。ホオズキ色で、つるんと滑らかだった。
心臓の形に似ている、と思った。ホンモノを見た事なんて無いんだけれど。
情の無い海風が粉になった破片を乱暴に散らしてゆく。まるで今ソコに座って居た彼女が幻であるとでも言うかのように。
ココに誰か居たのかと嘲笑うかのように。
いま目の前で起きた出来事は、本当に現実だったのか。海風に中てられた白昼夢だったのではないのか。だとすれば、いまこの手に在るものは何なのだろう。
目の前で、見知ったヒトが崩れ落ちるのは初めてじゃない。でも、全部が全部耐えきれるって訳じゃあないんだよ。
誰か嘘だと言ってくれないかな。
あるいは夢オチだとしても今日なら許せる。
コレが現実だというのが納得出来なかった。
納得出来ないけれど、彼女の最後のカタマリは掌の中にある。それが否応なく、夢なんかじゃないんだぞと俺を叩きのめすのだ。
マジか?コレがリアルだなんて、そんなコトあっていいのか?
二人でずっと生きて行くんだと思い込んで居た。昨日まで、ほんの少し前まで、ずっとずっとこのままで一緒に旅を続けて行くんだと、それが当たり前だと思っていた。
頼子ちゃんが居なくなってしまうなんて、そんな瞬間、微塵も考えたコト無かった。
「……」
白い破片が宙に舞う。
ふと、微笑んでくれた横顔が見えたけど、ソレもすぐに掻き消えた。
やるせなくなって、どうしようもなくって両手でホオズキ色のタネを胸に抱く。
強く柔らかく握り締める。
「きみが俺の名前を呼んでくれたのも初めてだったよ」
その台詞を彼女に聞かせられなかったのが非道く悔しい。
そして、ただ涙だけが流れ続けた。




