エピソード22 体育祭3「アンカー」
俺は何も思っていなかった。そのはずなんだ。しかし、それも今や過去の話となった。
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体育祭最後の競技、クラス対抗男子リレー。
俺は急遽、4組のアンカーを務めることになった。
いつもは完璧に取り繕っているポーカーフェイスも、今はうまく機能していない。
心臓の音がやけにうるさい。
手のひらがじっとりと湿っている。
観客席のざわめきが、遠くで波みたいに揺れていた。
「ゆーとー、緊張してんの?」
結希がいつもの調子で笑う。
今はその軽さがありがたいのか、鬱陶しいのか分からない。
「悪いか?」
短く返すと、結希はふっと柔らかく笑った。
「ゆーと余裕なさそうだね。わかるよ、幼馴染パワーで」
「今まで目立つ行動は避けてきたんだよ。だから今、こういうのに慣れてない」
本音だった。
数年前から俺は、目立たないように生きてきた。
注目される場所から距離を置いてきた。
だからこそ今、この全校生徒の視線が向く舞台に立つことが、こんなにも怖い。
結希は一瞬だけ真剣な顔になる。
「でもゆーとなら大丈夫。それは私が──」
パンッ!!
乾いた音が空気を裂いた。
招集のアナウンスが流れる。
俺はそれ以上聞かずに歩き出す。
「ゆーとー!!!頑張れ!!!」
振り返ると、結希が顔を真っ赤にして叫んでいた。
その姿がおかしくて、少しだけ肩の力が抜ける。
「ふ、あははは……なんだよその顔」
「うるさい!」
「でも、ありがとな」
そう言って、俺は今度こそアンカーの待機位置へ向かった。
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「アンカーの生徒はこちらに並んでください」
俺を含め、各クラスの代表が並ぶ。
この学年は4クラス。
俺たちは4組。
トラックの向こう側で、第1走者が構えている。
静寂。
一瞬、世界が止まる。
パァン!!
スタートの号砲。
歓声が爆発する。
「さぁ体育祭最終種目、クラス対抗男子リレーが始まりました!先頭は1組!続いて3組、4組、2組の順です!」
「そして第2走者へ!おっとクロワデュノールの速度が落ちてきました!イクイノックスが追い上げる!」
「おい待てここ競馬場じゃねぇぞ!!!」
「おい、、、お前は何を実況しているんだ?」
「ぎゃああああああああ!!!!!」
誰かのツッコミと悲鳴が混ざる。
「え、えーと、ここからは私、黒野が実況を引き継がせていただきます」
何があった…
「第3走者へバトンが渡ります!1組速い!しかし3組と4組が接戦!」
第3走者が走り抜ける。
荒い呼吸。
必死の形相。
そして──こちらへ向かってくる。
「一ノ瀬!!頼んだぞ!!」
差し出されたバトンを、確かに掴む。
瞬間、世界の音が遠ざかった。
──本気、出すか。
地面を蹴る。
風が顔を打つ。
歓声が背中を押す。
「4組アンカー一ノ瀬!ぐんぐん差を詰めています!」
前には1組のアンカー。
残り距離は、およそ40メートル。
前とはまだ遠い。
だが、届かない距離じゃない。
呼吸が荒れる。
脚が軋む。
でも、止まらない。
前の背中が、少しずつ近づく。
30メートル。
足音が重なる。
20メートル。
並ぶ。
一瞬だけ、横目で視線が交わる。
相手の息が乱れた。
──いける。
ギアを一段、上げる。
太ももが悲鳴を上げる。
肺が焼ける。
それでも、踏み込む。
「おおっと!!4組、1組を抜いたーーー!!」
歓声が爆発する。
残り、10メートル。
視界が揺れる。
もう何も考えられない。
ただ、前へ。
胸に何かが触れた。
白いテープが、ゆっくりと弾ける。
遅れて、世界が音を取り戻す。
「一ノ瀬はえぇぇぇ!!」
「やったぁぁ!!4組勝った!!」
膝に手をつき、荒く呼吸する。
喉が焼けるように痛い。
でも──
勝った。
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少しずつ呼吸を整えながら、自席へ向かう。
周囲から声が飛ぶ。
肩を叩かれる。
笑われる。
こんなに注目されたのは、いつぶりだろう。
足を止めた。
目の前に、一人立っている。
逆光で、表情はよく見えない。
でも、そのシルエットには見覚えがあった。
風が、ふわりと髪を揺らす。
俺の鼓動が、さっきとは違う理由で速くなる。
──そこにいたのは。
最近投稿していませんでした。すみませんなんか色々ありまして…(;´д`)トホホ…本当にすみません。




