第1章|風のような言葉
八月七日。
文子の二十七回目の誕生日は、静かに始まった。
朝のコーヒーを片手に、スマートフォンをぼんやりと親指で滑らせていた。通勤の準備も済んでいて、家を出るにはまだ少し早い時間。
今日は誕生日だけれど、特別な予定があるわけでもない。友人たちには「お疲れ様」と声をかけてもらったけれど、みんなそれぞれ忙しい。一人でケーキを買って帰るのも、なんだか気恥ずかしい。
こうしてX(旧Twitter)を眺めるのが、最近の日課になっている。特に誰かの投稿を熱心に読むわけでもない。流れてくる言葉の断片を眺めるだけ。ニュース、天気、漫画の感想、ぼやき、誕生日の写真。いろんな人の「今」が目の前を通り過ぎていく。
文子、という名前。
八月生まれなのに、なぜか七月を意味する「文月」の「文」の字がついている。子供の頃からずっと、この名前にしっくりこないものを感じていた。八月は「葉月」のはず。でも両親に由来を聞いても、「おじいちゃんが決めたのよ、響きがいいでしょう?」と曖昧な答えしか返ってこない。
そんなことを、なぜか誕生日の朝に思い出していた。
何気なくスクロールしていた指が、ある投稿の前で止まった。
長くも短くもない、数行の言葉。
| 夕方になると、風が少し柔らかくなる。
| あのときも、そんな風だった。
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| 8月の、まだ蝉が本気を出しきってない頃。
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| 誰かの始まりみたいな空気がして、
| 思わず足を止めてしまった。
ふと胸の奥がすこしだけざわつく。
誰かへのメッセージだろうか。それとも、ただの詩のようなものだろうか。
わからない。でも、なんとなく気になる。
アカウント名は「葉月の君へ(@hazukinokimie)」。
アイコンは白い龍とピンクの着物を纏った女性の描かれたイラスト。投稿数はたったひとつ。フォロワーもまだいない。
作られたばかりのアカウントのようだった。
文子は特に深く考えもせず、その投稿にいいねもリプライもせず、そっとプロフィールを開いた。
タイムラインには、さっき見たその投稿だけが、ぽつんと置かれていた。
そこには大きな感情も事件もなく、ただ日常が、まるで誰かのポケットに忍ばせたままの記憶みたいに、静かに横たわっていた。
「こういうの、久しぶりに見たな」と、文子は思った。
かつては自分も、詩のようなことを書いていた時期があった気がする。
中学生の頃のブログ、大学時代に使っていた裏アカウント。
今はもう、そんなものは全部忘れてしまったけれど。
その日の帰り道、文子はなぜかそのアカウントのことを思い出していた。
何か特別な理由があったわけではない。
ただ、あの言葉の温度が、心にすこしだけ残っていたのだ。
翌日の金曜日、文子はそのアカウントを開いてみた。
すると、新しい投稿がひとつ増えていた。
| 雨のあとのアスファルトって、
| すこしだけ、おとなしい匂いがする。
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| 洗いたての記憶みたいな、
| 静かな、誰かの足音みたいな。
月曜日にもまた新しい投稿があった。水曜日にも。
それぞれ短い、詩のような言葉。
そして次の水曜日から、投稿は毎週水曜日だけになった。
最初は不規則だったけれど、水曜日のペースが定まってからは、文子もそれに合わせるようになった。毎週水曜日の朝に「葉月の君へ」の投稿を確認するのが、いつのまにか小さな楽しみになっていた。
それが誰に宛てられたものかはわからない。
書いている人がどんな人かも、当然知らない。
でもその言葉たちは、確かに今の自分には心地よかった。
まるで、名前も知らない誰かが、ひっそりと置いていった風の手紙のようだった。
これが、文子の新しい習慣になった。
毎週水曜日の朝、コーヒーを飲みながら「葉月の君へ」の投稿を読むこと。
まだ知らない誰かが紡ぐ、風のような言葉を味わうこと。
それは、慌ただしい日常の中での、小さな贅沢な時間だった。
次章予告|第2章「恋文じゃないかもしれない」
文子はふとした一文に、「これは誰かに宛てられた想いなのでは?」と感じはじめる。詩的な言葉の向こうに隠された、温かい感情に気づき始める。




