僕が――した、彼女の話。
初挑戦のホラーです。「僕」が彼女に何をしたのかの解釈は、ご自由にどうぞ。
「ねえ」
僕は昔から、どうも運が悪い。
「ねえ、そこの君」
昔からどころか、生まれたときから運が悪い。
「ねえってば」
どうして僕は、こんな風に生まれてきてしまったのだろう。
「ねーえー」
それを痛感するとき、やることは決まっている。
「うーん、だめかぁ」
徹底的に、無視。これに限る。
「ま、仕方ないか。じゃあねー」
そう言って、僕の目の前にいた少女は元気に手を振り、空を飛び去った。
♦
僕には、霊感がある。
こういうと羨ましがられるかもしれない。なんか面白そうに見えるのもまあ、わからなくはない。
実際は、ただ迷惑なだけだってのに。
そりゃ僕だって、純真で優しかった時期くらいある。
その頃は、「その手のモノ」が見える度に真面目に対応していた。今のように、無視なんてしていなかった。
けれどやがて、いくつかのことに気づいた。
まず、その手のモノが見えるのは普通ではないということ。だから、渋谷のど真ん中で「その手のモノ」と世間話でもしようものなら、イマジナリーフレンドと渋谷に来た頭のおかしい奴にしか見えなくなってしまうだろう。
そして何より――面倒くさい。
ほとんどの「その手のモノ」は、手当たり次第に話しかけて、霊感がある人間を探す。なぜそんなことをするのかというと、暇だからだ。
「その手のモノ」にもいろいろある。成仏しきれなかったり、人の噂や言い伝えが形になってしまったり……とにかくいろいろだ。子供心にも、大変なんだなぁと思った記憶がある。
そして大概、この世にいる意味も分からずにとどまっている。
噂や言い伝えが形になったものは、わかりやすい。
口裂け女はなぜ、この世で自分の美貌を認めさせようとするのか。
花子さんはなぜ、この世に留まってまで女子トイレに引きこもっているのか。考えたことはあるだろうか?
もちろん、これらの答えを説明する言い伝えだってあるだろう。けれどそういうものはほとんどの場合、一つに定まったりなんかしない。
するとだんだん、いろいろとゴチャゴチャになり、本当は自分がどうしたかったのかもわからなくなっていくのだ。
成仏しきれないものは、その人の生前にもよるが……。
なぜこの世に留まっているのか、分からない。つまり、自分の未練が何なのかも分からない。そういうパターンが多い気がする。
こうなってしまったら、自分は何をしたらいいのかわからなくなってくる。暇で暇で仕方なくなり、人間に話しかける……たぶん、こういうことだろう。
そして、そういう類のモノに応じると、だいたい面倒ごとしか待っていない。
一度かなり面倒くさかったのは、とある爺さん霊である。
死んで五年ほど現世を漂っていたが、話しかけられたのは僕が初めてだったそうだ。まだ純真だった七歳の僕は、それが嬉しいことのような気がした。
しかし爺さんは、自分が成仏できない理由がわからなかった。そこで、僕がその理由を考えてみることになったのだ。
しかし、いくら生前の話を聞いても、正直同じような話しか聞けなかった。
やれ物価が高くなっただの、やれあのチームが弱くなっただの、やれ今の政治はダメだの……
共通するのは、話題がどれも古いことだった。
今は政策が成功して物価はそんなに高くないし、爺さんが言うチームの監督も首相も、聞いたことのない名前だった。
そしてついに僕は、突き止めた。
爺さんが成仏できなかったのは、自分が世間の流れに置いて行かれたことが受け入れられなかったからなのだ。というか、それくらいしか考えつかなかった。
しかし問題は、それからだった。
この結論は、死んでいるとはいえ仲良く(?)なった爺さんに、「お前は時代遅れだったんだ」と言うようなものである。それに、言ったところですぐに解決するとも思えない。
そこで僕は、考えた。
これから爺さんに、今の世界を見せてあげるんだ。物価は安くなって、チームは強くなって、首相もすごい……そんな、今の世界を。
昔だからできた決意だろう。今の僕なら、考えついたとしても間違いなく面倒くさくなってやらない。
結論から言うと、その作戦は成功した。今は、爺さんは成仏できている。
ただし代償に、約一年の学校以外の時間と友達のほとんどを失ったが。
得られたものといえば、「毎日家に速攻で帰って怪しげな霊を呼び出そうとしてるやばい奴」という評判くらいである。
それから八年。僕は、「その手のモノ」と関わるのをやめた。ただ面倒なだけなんだから。
爺さん以外にも関わってきたが、やっぱり「その手のモノ」に関わったら何をしても面倒だ。口裂け女に会った時など、ネチネチと絡まれて辛かった。あれは精神が削られたな……。
だから当然、先ほどの少女もスルー。別に霊感があるとはいっても「その手のモノ」に詳しいわけじゃないが、知らないタイプだ。金髪ショートに、緑のカラコン。なのになぜか着物。まるで観光に来た外国人みたいだ。着物が見たこともないくらい綺麗なのが、余計にそう思わせる。
雰囲気も何もないが、「その手のモノ」は見ればなんとなくわかる。間違いなく、この世にあるべきものじゃなかった。
すぐそこを流れる川を見ながら、ぼんやり考える。
なんとなくだが、幼い頃よりも「その手のモノ」を見る頻度が上がっている気がする。人通りも少ないような、こんなただの下校中に見かけることはなかった。
そのことに嫌な予感を抱く。振り払おうとしても、なぜだか上手くいかなかった。
♦
翌日。
僕は退屈な授業を乗り切り、足早に川沿いを歩いていた。
「おっ、昨日ぶり」
するとやはり、昨日と同じあたりで少女が声をかけてきた。そして、僕の十数メートルくらい先に仁王立ちする。
「君はこの辺の学生なのかな?」
――「その手のモノ」は、何になら触れるのか?
これは意外と難問だが、答えは「ものによる」だ。
人間以外の生物や、無機物に触れるかどうかは、その時々で変えられるらしい。ただ、人間についてはそうはいかないようだ。
ところが例外的に、触れる人間もいる。
「いいね。制服、似合ってんじゃん」
それは、霊感のある人間。
実際僕は、爺さんとスキンシップをしたこともある。あの少女にも、たぶん触れる。
「……聞こえてないんだろうけど、さ」
仁王立ちする少女と、僕の距離はどんどん縮まっている。このままいけば、もう数十秒もしないうちにぶつかるだろう。
このままではまずい。
ここで変に方向を変えれば怪しまれる。とにかく僕は、あいつと関わりたくない。
「うん?」
そこで僕は、立ち止まった。
わざとらしく鞄を広げて、中身をゴソゴソやり始める。
「んー? どうしたの?」
「うわっ!?」
失敗した。
少女は鞄の底を突き抜けて、鞄の口から顔を出している! 今は、鞄やその中身に触れられないようにしているのだ。
そしてその衝撃的な構図を見て、間抜けにも僕は叫んでしまったのである。
「えっ」
少女はカラコンの目を何度も瞬いて、言葉を失っている。
「君……見えるの? 私が?」
冷静に分析している場合ではない。今はとにかく、何とかしなければ。必死に誤魔化しのセリフをひねり出す。
「突然寒気が……何なんだろうなー」
我ながらめちゃくちゃだ。人生最高の大根だと思う。
「やっぱり、見えてないのかな。まったく霊感ナシってわけでもなさそうだけど……」
少女は残念そうに眉を下げ、鞄から離れていく。
よし、今だ。
「あーそうだ、忘れ物を取りに行かないと」
早くも人生最高を更新してしまった。もはや大根どころか棒読みだ。
そして僕は、小走りに学校へと引き返した。
この時の僕は、気づいていなかった。
少女が僕を見送る瞳に、僕に興味津々だった時とは明らかに違う光が宿っていたことに。
♦
忘れ物を取りに行ったふりをしたその後は、迂回して帰ることにした。あの少女がいつ川辺に出没するのかわからないが、行かないに越したことはないだろう。
ここもやはり人通りは少ないが、イメージと違ってむしろこれくらいの場所の方が、「その手のモノ」は少ない。「その手のモノ」は暇な場合、人間を見に行くか話しかけるかすることが多いからだ。
川辺から一本、内側。ただそれだけの通りだが、普通に川辺を通るよりマシである。
「……」
そう、思っていた。
「やっぱり君、私のこと見えてるでしょ」
そこにいたのは、金髪カラコンの少女だった。
無理やり通り過ぎようとしてもみたが、道が狭すぎる。少女のもとを通らずして先に進むことは、できそうもない。そして霊感のある僕では、少女を通り過ぎることはできない。
僕は両手をあげて、諦めて乾いた笑みを浮かべた。
「そうだよ」
少女は目を見開いて、ニコニコとしながら語りだした。
「私、自分の名前も分からなかったの。生きてた頃の記憶とかそういうのもなくて、気づいたらあそこにいたっていうか……だから何か……そう! 君に、手伝ってほしいの。私を、見つけて?」
人と話すのが久しぶりなのか、少女は口ごもりながらも綺麗に微笑む。
「カラコンなんてされてたら無理だよ」
それがなんだか気恥ずかしくて、誤魔化すように突っ込んでしまう。
「やっぱりそう?」
そう言って少女は、背を向けた。
しばし待つと、少女は振り向いた。
「……ふふ。びっくりした?」
少女は、元とは似ても似つかない姿でそこにいた。
カラコンが外されているのはそうだが、どうやら金髪もカツラだったらしい。黒髪ロングに、黒目――それだけなら、そこらにいる日本人と何も変わらない。
決定的に違うのは、その美貌。
人ならざる、と霊感以外の直感がそう告げていた。
これは、人間にいていいような美女じゃない。
目が、吸い寄せられる。離せない。
「私を見つけて、って言ったでしょ?」
僕は無言でうなずいていた。
見たこともないくらい綺麗だとさえ思った着物が、今では彼女を飾る背景にすら見えなかった。
そんなことにも気づかないほど、彼女だけを見つめていた。
「本当は、そう言うつもりだったんだよ。だけど、もういいの」
彼女は、寂しそうに笑った。そんな表情でさえ綺麗だ。
けれど、納得いかなかった。
彼女にはもっと、明るい微笑みの方が似合う。
彼女にはもっと、明るい気持ちでいてほしい。
――何が、彼女をこうさせた?
「もういいなんて、言わないでくれよ」
「――!」
彼女は目を丸くして、僕を見た。目が合う。たったそれだけで、僕の息は詰まるようだった。
「僕も、知りたいんだ。君は誰? どんな人間だった? やりたいことは? 好きなものは? ――全部、知りたい」
「ありがとうっ……」
そして彼女は僕に近づいた。その下駄の音が、頭に響く。
いつだったか鞄から顔を出しにきた時は、足音なんてなかった。一瞬だけそう思ったけれど、そんなことは意識の彼方にすぐ消えてしまう。
「好きなものは……君、だよ?」
彼女は微笑んだまま、僕の耳元にささやいた。
動けない。彼女に吐息なんてないはずなのに、耳が熱い。
「私が大好きな君に、見せたいものがあるの。……来て、くれる?」
一転して不安げな表情を浮かべて、上目遣いに見上げる。
「ああ、もちろん」
気づけば僕は、そう返していた。
彼女は、僕が好きだと言った。
それで、自覚した。
僕も、彼女が好きだ。
この世のモノじゃないとか、そんなことはどうでもいい。
彼女が、好きだ。その思いに、世界の垣根は関係ない。
「やった! 嬉しいっ」
彼女は口をほころばせて、僕の手を取った。そんな表情も、愛おしい。
「行こ?」
小首をかしげた彼女の手を、握った。
温度なんて感じない。
だけど僕の手は、さっきまでよりもはるかに熱く感じた。
もっと彼女を、見ていたい。
もっと彼女を、幸せにしたい。
僕は、鞄を放り出した。
――彼女以外は、もういらない。
そして僕らは、初めて出会った川辺へと歩いていく。
♢♢♢
「あら? あんな子、人間界にいたかしら」
「あぁ……最近生まれた子ね」
「そうだっけ?」
「なぜか金髪のカツラに緑のカラコンの姿してた子よ」
「今は取ってるのね」
「そうなの? どうしてかしら」
「それが、本来の姿だからでしょうね。自分の本来の姿を忘れていたけれど、必死に逃げていく彼の後ろ姿を見て、自分のやるべきことを思い出した――ってところかしら。そういう子、多いから」
「……もしかして、川姫?」
「たぶんそう。早速誰かと手をつないでるわ。やるわね」
「あなたモテないものね」
「ちょっとーっ!」
「はいはい。モテたいなら、頑張って皮かぶってみたらいいんじゃないの? あの子みたいに」
「それは嫌。それじゃあ、両想いにはなれないでしょ?」
「……あの子は基準が低すぎるけど、あなたは基準が高すぎるのよ……」
川姫――川などの水辺に現れる、女の妖怪。一般的に、長い黒髪の美しい女性として描かれる。だがそれに魅了されて近づくと、水中に引き込まれてしまうという。