7. 交渉成立
「これはまた……肝の据わった娘だね」
「恐縮です」
「そういうところ」
楽しそうにくつくつと喉の奥で笑う。
私はほっと安堵の息を吐く。この様子では、話を聞いてくれそうだ。
「別にギルベルト殿下に危害を加えようとしていたわけではありません。フィフィアーナ殿下と相談して参りました」
ギルベルト殿下には危害は加えない。間違ってはいない。フィフィアーナ殿下には危害を加えようとしたが、それは言わなくてもいいだろう。
「ふうん。一応、話は聞こうか」
まったく警戒を解いたわけではないだろうが、ひとまず、雰囲気は柔らかくなった。
感じていた恐怖が、不思議なほどに、波が引くように去っていく。
そうだ、私は『もういいかな』の精神でもって、ここにやってきたのだ。なにを怖がることがある。
「その前に、参考までにお聞かせくださいませんか。どうしてこんなにすぐ、フィフィアーナ殿下じゃないってわかったんですか? このブレスレットを身に着けていれば大丈夫と聞いていたんですが。私はフィフィアーナ殿下に騙されたんですか?」
ギルベルト殿下は、「ああ」と小さく漏らすと、その長い足を組んで、明るい声音で教えてくれた。
「フィフィは、そんなふうにきっちり座らないんだよ。解放されたーって感じで、手足を伸ばしてだらしなく座る」
王女のくせにー!
「閉じ込められているからね、たまにはのびのび過ごしたいんだろう」
フィフィアーナ殿下のほうが、想定外の動きをしていたということか。ちゃんと打ち合わせすればよかった。おとなしく教えてくれるとも限らないけど。
ギルベルト殿下は、動揺する私を楽しそうに眺めながら、口を開く。
「さて、フィフィでないと会話する意味もないから、これ以上話すこともないんだけど。君をこのまま帰してもいいものかな?」
つまり、『返答如何では、こちらにも考えがある』のは、未だ継続中らしい。
「交渉しに来ました」
「へえ?」
彼は面白そうに目を細める。
この人は、信じてもいい人なんだろうか。
まあいいか。どうせ、信じられる人間なんて、そう簡単にいるはずはない。
「いちいち入れ替わりの魔法を使って情報交換をするのは、いろいろと危険でしょう」
「そう?」
「二回連続で使えば急激に眠くなるようですし」
「よく知っているね」
「今、フィフィアーナ殿下は眠っているはずですから」
「二回も入れ替わりの魔法を使う必要性があったということかい?」
素直に答えられるはずもないので、質問を無視して本題を切り出す。
「それなりの報酬さえいただければ、私、協力します。その場合は、なんなりとお申し付けください」
ギルベルト殿下は顎に手を当てて、これみよがしに首を捻ってみせた。
「どうしようかなー」
そんなことを口にするが、ある程度は私の処遇について決めているような雰囲気がした。だって、わざとらしいし。
そして彼はニヤリと口の端を上げると、続ける。
「僕は君を知らないからね。初対面の人間に重大な秘密を明かすわけにはいかないな」
「そう言われましても」
私の決意を、証明する術はない。
信じてください、とはとても言えない。なぜならば、私が信じていないから。
しかしギルベルト殿下は、こう打ち明けてきた。
「でもね、もう調べている。フィフィに新しい侍女が付くと聞いた時点で」
それを聞いて、大きなため息が漏れた。
この人、本当に『そんなことをする人じゃない』んだろうか。どうにも誠実さというものが感じられない。
「どういう経緯で王城に雇われたのかは、君の実家の男爵家での出来事から押さえているよ……って。ええと、僕は仮にも王子なんだけど、そんな嫌な顔するの、度胸あるね」
最も言われたくないことを言われたのだから、苦虫を嚙み潰したような顔になるのは仕方ないと思う。隠しているわけではないが、大っぴらに言いふらしたいわけでもないから。
「この状況で、ギルベルト殿下相手に取り繕っても仕方ないので」
「君について調べはしたけれど、誰かに言ったりはしていないよ? この先、フィフィにだって言わないと誓おう」
「それはよかったです」
冷え冷えとした声が出て、自分でも嫌な気持ちになる。
殿下はさすがに気まずくなったのか、んんっ、と咳払いをしてから話しだした。
「で、入れ替わりを許容してくれるってことでいいのかな」
「はい。報酬さえいただければ」
「生涯、黙っていられるのかな」
「殿下方が私を裏切らなければ」
「……しないよ、そんなこと」
私の過去について慮ってくれたのか、特に揶揄うこともなく、素直にそう答えてくれた。案外、いい人なのかもしれない。
話を打ち切る合図か、ギルベルト殿下はパンッと両手を打ち鳴らす。
「ひとまず交渉成立だ。詳しい話は、また後日にしよう。今はこれ以上話すこともないし、そろそろ君も戻ったほうがいいだろう。今日ここで起きたことは、フィフィにも伝えておいて」
「わかりました。ではこれから、よろしくお願いします」
私はソファから立ち上がると、かしこまって頭を下げた。
「念のため、次回はフィフィに身体を貸してね。フィフィとも今後の君との付き合い方を、確認しておきたい」
確かに。私が今、フィフィアーナ殿下を騙してここにいる、という疑いが晴れたわけではない。本当に彼女が私と交渉したのか、裏を取る必要があるだろう。
「では、そのようにします」
「頼むね」
「はい。では失礼します」
私は踵を返し、扉に向かう。
だがそこで、ふと気になったので、足を止めて振り返る。
「あの」
「うん?」
「今まで来た侍女の人たちですが、つまり、王子さまの誘いに乗る人と誤解されたのではないですか」
「ああ……」
私は、この契約を交わしたからには、もう覚悟を決めるしかない。
けれど勝手に入れ替わられた人たちは、自分のあずかり知らぬところで、余計な誤解をされている可能性があるのだ。ひどい話だ。
「申し訳ないけど、なりふり構っていられないから」
「そうですか」
やっぱり高貴な人は、下々のことなど駒にしか思えないのかもしれない。
私の視線に侮蔑の感情が含まれたのか、ギルベルト殿下は慌てたように言い繕う。
「一応、それなりに対策はしたんだけど」
「どんな?」
「振られたフリをする」
「どうやって?」
「魔法でね、頬にちょっと血を上らせる。それからフィフィは怒りながら出ていく。だから僕の評価は、『女好きの問題児』になってるんだ」
私の矢継ぎ早の質問に、彼は小声で申し訳なさそうに、そう説明してきた。
誘いを断られて殴られた体を装うのか。
それならまあ、たとえ誰かに見られたとしても大丈夫なのかもしれない。
「まあ……やらないよりはいいかもしれませんね」
「でも今回はなんにもしないよ。次回も来てもらわないといけないから」
「わかりました」
「じゃ、帰りも気をつけて」
ギルベルト殿下は笑みを浮かべて、ひらひらとこちらに向かって手を振った。
◇
「えっ、お兄さま、了承したの?」
半地下の部屋に戻ると、フィフィアーナ殿下は目を覚ましていた。そして私の報告を聞いて驚きの声を上げた。
「はい。ですから、次回は入れ替わって来て欲しいそうです。お二人で今後のことを確認してください」
「へえ……」
意外なのか、何度も目を瞬かせている。ということは。
「反対されると思っていたんですか。じゃあやっぱり、なんとか騙してやろうと考えていたんですね」
そう指摘してやると、殿下はもごもごと口を動かした。
「そういうわけじゃないけど……」
話が進まないので、とりあえず私は、彼女に向かって右手を差し出す。
きょとんとしてそれを見つめたあと、フィフィアーナ殿下は首を傾げた。
「なに、これ」
「なにって、握手です。これからは協力関係になるんですから、よろしくお願いします」
殿下は斜め上を見て少し考えたあと、おずおずと手を差し出してくる。私はすばやくその手を取り、ギュッと渾身の力で握ってやった。
「いたたたた!」
「それはすみません。加減を間違えました」
やられたことを思えば、これくらいは許されるだろう。それに、上下関係ではなく対等な関係なのだということを、身をもって知ってもらいたい。
「もう! なんなのよ!」
そして殿下のほうも、私の手を力強く握り返してきた。
「う」
なんとか堪えたが、頬が引き攣る。
それを見て、殿下は楽しそうに片方の口の端を上げた。その顔がギルベルト殿下に似ていて、やっぱり兄妹だな、と思った。