36. これからの人生
よし、彼と話しているうちに、私も冷静に考えられるようになってきた。
「というか、ずいぶん魔力量の多い人が同じ時代に集まったものですね。実は他にもいるんじゃないですか?」
私がそう訊くと、ギルベルト殿下は声を潜めて話し始めた。
「もしかしたら、の仮説なんだが」
「はい」
「王族は、王族同士、または貴族と結婚する。魔力を薄めないために」
「ああ、はい」
「でも、僕とフィフィ、そしてゲルトルーデ。この三人に共通するのは」
ハッとして顔を上げる。
「母親の血が、遠い……」
「そう。実はそれが、鍵なんじゃないのかな」
王族、もしくは高位貴族にしか出現しないはずの、魔力。
でもギルベルト殿下とフィフィアーナ殿下、そしてゲルトルーデ殿下の三人にここまでの魔力があるとしたら。
平民の血が混じる母を持つ、ギルベルト殿下とフィフィアーナ殿下。他国の王女であった母を持つ、ゲルトルーデ殿下。
「昔は確かに、血をなるべく薄めないようにしていて、それで強大な魔力は出現していたんだ。だから今でも、そのやり方が受け継がれている」
しかし今現在、王族たちの魔力は、少なくなりつつある。
もしかすると。血があまりにも濃くなってしまって、なんらかの作用で逆に魔力が出現しなくなっているのかもしれない。
「試行回数が少なすぎて、断言はできない。でもその可能性はあると思うよ」
そしてギルベルト殿下は、その仮説を誰にも言わないままにするのだろう。明らかになると、きっとまた面倒なことになるのだろうから。
「さて、これで説明は終わりかな」
パン、と軽く手を叩いて、ギルベルト殿下は話を締めにかかる。
ああ、そうだ。これで本当に終わってしまうのだ。
私は口元をきゅっと引き結び、立ち上がって「お世話になりました」と挨拶しようとしたのだが、それより先にギルベルト殿下がすっくと立つと、スタスタとこちらに歩み寄ってきた。
「えっ」
私が戸惑っている間に、彼は私の隣に腰を下ろす。ソファがぐっと沈んだので、慌てて両足で床をつかまえる。
「な、なんですか」
訳がわからず身を引くと、彼は私を覗き込むように顔を近付けてくる。
「ところで、さっきの位置は、恋人としておかしいと思うんだよ」
近い近い近い近い。
「恋人じゃありませんから」
あの四阿で、似たようなことを言われた。だがあのときは、恋人同士のふりをしていたのだ。その質問もおかしくはなかった。
けれど今は、違う。私たちは、もう恋人のふりなどしなくてもいいのだ。
「演技から、真実にしてもいいと思わない?」
思いません、と返すことができなくて、私は開きかけた口を閉じてしまう。
すると彼の腕が伸びてきて、膝に置いていた私の手を掬った。意に反してビクリと震えてしまい、恥ずかしくなって俯いてしまう。
「僕は、エルゼが好きだよ」
甘い声が、耳元でする。どうしても顔を上げることができなくて、そして手を振り払うこともできなくて、私は視線を下に向けたままで、ボソボソとつぶやくように問いかける。
「また私を騙そうとしているんですか」
「信用ないね」
「信用されること、していないですから」
「そんなことないだろう。ちゃんと契約は守って、報酬は出していただろう?」
「そうでした」
魔法に関して黙っていられたことがあまりに大きすぎて、忘れていた。
「それに、約束通り、説明もしたよ」
「確かに」
信用できない、と詰るほどではなかった。
「こっちを見て、エルゼ」
いつまでも固まっている私に、そう優しい声をかけてくるから、その誘惑に抗いきれずに、そちらに顔を向ける。
至近距離で見つめられて、頬に熱が集まる。自分の身に起きていることとは思えない。
彼は握った手に力を込めてくる。意外に余裕のない動きに、私も少し落ち着いてきた。
「どう? 僕、こう見えても王子だし、性格もいいとは言わないけど悪くもないし。なにより、見目が抜群にいいでしょ」
その言い草に、思わず噴き出した。舞踏会の前にも、同じことを言っていた。
「ものすごい自信ですね。少しは謙虚になったほうがいいですよ」
「疑り深い好きな人に振り向いてもらうために、必死なんだ」
「それは嬉しいですが……」
「あ、嬉しいんだ。それはよかった」
ギルベルト殿下は、安心したような柔らかな笑顔を見せる。
でもやっぱり、素直に受け入れることはできない。
「けれど、ギルベルト殿下と私とでは、釣り合いが取れません」
「そう? 僕はそうは思わないけど。むしろ、お似合いじゃない?」
「まさか。だって、王子さまと、醜聞付きのしがない男爵家の娘です」
「それくらいなら、根回しするよ。というか、すでに大方根回しは済んでいる」
「え?」
思いも寄らぬ返答に、まじまじとその顔を見返す。すると彼は、ニッと口の端を上げた。
「こんなに長い間、恋人として皆に紹介してきたんだ。これ以上ない根回しだよ」
「そうなんですかっ?」
「むしろ、女好きの第二王子がようやく落ち着く、って歓迎されていると思うけど。父上も反対していないし」
まさかそんなことになっているとは。
唖然として開いた口が塞がらなくなっている私の腰に、彼の腕が回る。
「ひっ」
なんだか怖くなってきて、身体が固まって動かなくなる。
彼はまた顔を寄せてくる。近い近い近い近い。
「最初、フィフィに『もういいかな』って気分だって、言ったんだろう?」
「いっ、言いました」
「まだ、『もういいかな』って思ってる?」
「どっ、どうでしょう」
しどろもどろになっている私を覗き込む、その翠玉色の瞳が、ふと揺らぐ。
それを見て思う。
そうか。彼も、裏切られるかもしれない、と不安なのか。
だから私は、なるべく柔らかくなるように、声を発した。
「今は」
「うん」
「世の中、案外、捨てたものじゃないってくらいには変わりました」
「そう」
ギルベルト殿下は私の返事を聞いて、安堵の息を漏らす。
「生きていれば、楽しいこともあるのかもって、思っています」
「それならよかった」
頬を緩めた彼は、私の顔に手を伸ばす。
「じゃあ、口づけてもいい?」
「じゃあ、ってなんですか」
「だめ?」
小さく首を傾げる彼を見ていられなくて、ぎゅっと目を閉じる。すると唇に息がかかるのを感じた。心臓が激しく脈打ち、その音が彼の耳に届いてしまうんじゃないか、と心配になる。
そのときだ。
「ギルベルトお兄さまあ!」
バタンと大きな音を立てて、部屋の扉が開く。
「早まってはいけないわ、お兄さま! よく考えて!」
二人して慌てて振り向くと、そこに両腕を広げたまま、大股で立つフィフィアーナ殿下がいた。
扉の向こうには、両手を合わせてペコペコと頭を下げる衛兵たちがいる。
聞き耳を立てるフィフィアーナ殿下を止められず、さらに部屋に突撃するのも制止できなかったことへの謝罪だろう。
「フィフィ……。それは、淑女のすることじゃないよ?」
ギルベルト殿下は額に手を当てうなだれると、ため息交じりにそう零す。
「これが黙っていられるもんですか!」
鼻息荒く、フィフィアーナ殿下は言い返している。
諦めたのか、ギルベルト殿下はソファの背もたれに腕を乗せて、妹に質問した。
「フィフィ、オズマンド家は?」
「ある程度は目途がついたから、一旦、戻ってきたの。本当によかったわ。危ないところだったじゃない!」
「危ないって……。ちゃんと説明しただろう?」
「許すとは言ってないわ!」
なにやら兄妹喧嘩が始まってしまった。魔法が発動していないだけ、感情の制御はできているのかもしれない。
困ったように眉尻を下げるギルベルト殿下をじっと見つめていると、その視線に気付いたのか、彼はこちらを振り向いた。
「エルゼ、またその顔」
「歓迎されているって」
非難めいた声をかけると、彼は慌てて言い訳してくる。
「いや、他の人はしているよ」
「肝心の、一番近しい妹が歓迎していないじゃないですか」
「大丈夫、これは今だけだと思うから」
「そんなことはないわ。わたくしが認めるまではダメだからね!」
では、認める準備はあるのか。
まあとにかく、今すぐ進展するという話ではなさそうだ。私も、さきほどは流された感があるし、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
私はソファから立ち上がると、一礼する。
「ではギルベルト殿下、フィフィアーナ殿下、私はこれで失礼します」
「エルゼ、また呼ぶから。話をしよう」
「お兄さま、わたくしとも話をしましょう! 納得いくまでは許さないから!」
興奮状態のフィフィアーナ殿下はギルベルト殿下に任せることにして、私は部屋を出る。
最後にまた、衛兵たちが私に向かって両手を合わせてきたので、にっこり笑って頷いた。これは仕方ないでしょう。
ぎゃあぎゃあと騒ぐフィフィアーナ殿下の声を背に、私は廊下を歩く。
うん。まだまだ終わらせたくないな。
これからの人生を思う私の、足取りはどこまでも軽かった。
了
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