表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひねくれ侍女が王女に身体を貸したら、王子との恋が始まりました  作者: 新道 梨果子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/36

32. 抱擁

「こ……腰が抜けました……」

「ごめん、怖がらせて」

「こわ……怖かったんですかね……?」

「普通は怖いと思うよ。僕だって怖かった」


 穏やかな声を聞いているうち、なぜだか視界が滲んだ。


「い……一時は……、ど、どうなることかと」

「うん」

「もう……完全に終わったと」

「うん」

「お、お二人とも、ご、ご無事でよかったです……」


 今になって、ガクガクと身体が震えてきた。震える左手を、これまた震える右手で抑え込む。


 ところがそれ以上に私を震え上がらせる、怒気を含んだ声をかけられた。


「そんなことより、自分の身を投げ出そうとしたね?」

「それは、あの」


 あまりの恐怖にヒッと身が縮こまる。普段温厚な人の怒りは本当に怖い。そういえば、初めて会ったときにも恐怖を感じたのだっけ。


 彼は平淡な声で話し始める。


「自分の命は、そんなにあっさり捨てるものじゃないと思うよ」

「いやでも、命には優先順位というものがありまして……」


 彼らは王族で、こちらはしがない男爵家の娘だ。しかもつい先日まで生きる気力を失っていた。

 どちらを守るべきなのかは、明白だ。


「つまり、僕たちよりも自分の命の優先順位は下だと?」

「残念ながら、それは自明の理かと」

「あのね、エルゼ」


 ため息交じりにそう呼びかけてくると、彼は目の前で腕を広げた。


「え」


 気がついたときには私の顔は、彼の胸板に押しつけられていた。


「もしあのときにエルゼに死なれたら、きっと僕は一生、自分を許せなくなっていたと思うよ」

「そ、そうですか……」

「それになにより、僕はエルゼには生きていて欲しいと願う。エルゼのいない世界は、間違いなくつまらないものだよ」

「ええと」


 私の身体は硬直してしまっている。なんだろう、突然のこの甘ったるい雰囲気は。人前でいったいなにをしでかしてくれているんだろう。いや、人前でなければいいというわけではないが。


 すると場に飲まれたのか、おおー、と周辺で拍手の音がし始めた。


「やっぱり本命だったんだ」


 と納得したような声もした。

 いやもう、なにが『やっぱり』なんだか。


「お取込み中、失礼します。ではギルベルト殿下、我々は下がらせてもらいましょう」

「そうしてもらえる? それから、あとで指示を出すから、このことはすべて内密にね」

「承知しております」


 耳だけで衛兵たちとのやり取りを聞く。

 あ、なるほど。舞踏会のときと同じように恋人と思わせておけば、周りが勝手に二人きりでもおかしくないと気を使ってくれる。そのための演技か。


 そして少々落胆している私もなんなのだろう。当たり前のことではないか。いったいなにを期待しているんだろう。馬鹿馬鹿しい。


 そんな自問自答を脳内で繰り広げている間に、何人かの足音と、そして扉が閉まった音がした。さてこれで、この部屋には関係者しかいなくなったはずだ。


 彼の腕の中が妙に心地良くて、今しばらくはこうしていたい、などという不埒な感情が湧いてきたが、それをなんとか自分の中から追い出す。

 それからギルベルト殿下の胸に両手を当てて、グイッと押し出した。


「あれ、嫌だった?」


 そんなとぼけた声を掛けられる。


「嫌とかじゃなくてですね!」


 顔を上げると小首を傾げるギルベルト殿下と、なぜか不機嫌そうに眉根を寄せるフィフィアーナ殿下が私を見つめていた。


 私は居住まいを正して正座をすると、口を開く。


「訊きたいことがあります」

「なに?」

「さっきの水魔法、ギルベルト殿下ですよね」


 彼は明らかに、『あ、まずい』という顔をして、目を泳がせる。


 そうだ。確か彼は、あの四阿で、他にも強大な魔力を持つ者がいるのではと会話したとき、煮え切らない返事をしていた。

 少なくともあのとき、ギルベルト殿下は私に隠しごとをしたのだ。


 そしてこの期に及んで、まだ認めようとしていない。


「……いや? フィフィじゃないかな」

「噓つかないでください。明らかにギルベルト殿下が発動させてましたよ。それに大きな魔法は二回連続だと眠くなるんですよね。フィフィアーナ殿下、起きていますよ」

「あれくらいの水魔法と火魔法だと、入れ替わりの魔法ほどは魔力は使わないし……」

「どうして目を見て話せないんですか?」


 ギルベルト殿下を正面から、じっと見つめてやる。さきほど恐怖を感じさせられたことへの当てつけもあった。


 すると彼はいたたまれなくなったのか、ぼそぼそと返事をする。


「あー……まあ」


 ほらね。

 キッと睨みつけると、彼は身を縮こまらせた。

 いつの間にやら、彼も私の前で正座をしてしまっている。


「……騙しましたね」

「ごめん」

「ギルベルト殿下、コップに水を出すだけだって」

「ごめんって」

「隠しごとはよくないと思うんですが」

「だから、ごめんって」

「エルゼ、そのへんにしてあげて。お兄さまも、いろいろあるのよ」


 フィフィアーナ殿下が労るような声音で口添えしてくる。仕方ない、それに免じることとしよう。今は、それどころではないのだし。


「……私にも後日、改めて説明してもらえますか?」

「うん、必ず」


 コクコクと頷くので、私も頷き返す。

 すると彼は安堵の息を吐きだして、胸を撫で下ろした。


「じゃあ、行こうか」

「はい」


 先に立ち上がったギルベルト殿下は、こちらに手を差し出してくる。もう腰は抜けていないので一人でも立てるとは思うけど、なんとなく断りたくなくて、差し出された手を取って立ち上がる。


 首を巡らせると、ゲルトルーデ殿下はまだ結界内で眠っていた。

 これから彼女がどうなるのかは、私のあずかり知らないところとなるのだろう。


 すべて、終わってしまった。


 私はひとつ、息を吐く。それから、握られたままの手に目を落とした。いやこれ、いつまでこのままでいるつもりなんだろう。

 ふと視線を感じて、顔を上げる。フィフィアーナ殿下が胡乱げな表情をして、繋がれた手をじっと見つめていた。


 私は慌てて手を振り払い、そのままその手で結界内の桶を指差す。


「エルゼ?」


 私の動きの意味がわからないのであろうギルベルト殿下は、首を傾げた。


「と、とりあえず」

「うん」

「あの桶に入っている水を、庭に撒いてくれますか?」

「え?」


 私の要望を聞いて、彼は眉を顰める。

 そうか、これでは訳がわからないだろうと、私は丁寧に補足した。


「あれは、フィフィアーナ殿下のお湯浴みに使ったものです。まだ全部捨てきれていなくて困っているんです。捨てるの、大変なんですよ」

「大変……だろうけど」

「できます?」

「できるけど」

「じゃあお願いします」


 すると彼は、自分の顔を片手で覆ってため息をついた。


「エルゼは、僕の魔法をなんだと思っているの……」

「水魔法だと」

「そうじゃなくてね……」

「いや、使いこなせば便利なんじゃないかと思って」

「わかったよ……」


 ギルベルト殿下が桶を指差すと、ふっと中の水が消えた。


「おお」

「すぐ外の花壇に撒いたけど」

「大変助かりました。ありがとうございます」

「そう……」


 魔法を雑用に使われて屈辱なのか、彼はガックリと肩を落としている。でも使えるものは使うべきだし、役に立つことはいいことだ。


 黙って見ていたフィフィアーナ殿下が、呆れたような声音で口を挟んでくる。


「エルゼはやっぱり、人の心を失っているんじゃないの?」

「合理的と言ってください」


 フィフィアーナ殿下はそれには返事をせず、兄のほうを振り返った。


「ギルベルトお兄さま、こんな女なのよ?」

「こんな女ってなんですか」

「フィフィ、それもまた話をするから」

「お兄さま、変よ」

「なんの話ですか」

「うるさいわね、エルゼは黙っていなさいよ」

「とにかく部屋を出よう。フィフィはひとまず僕の部屋に一緒に来てね。父上には僕から話をするから」

「はーい」


 そんなくだらない会話をしながら、私たちは半地下の部屋を出る。


 扉を閉める直前、慣れ親しんだ部屋を見回す。部屋の中はほとんどいつもと同じだが、私の主人たるフィフィアーナ殿下の代わりに、シャルロッテ殿下の姿をしたゲルトルーデ殿下がいる。


 だからきっともう私は、この部屋に立ち入ることもなくなるのだろう。

 少しばかりの感傷を胸に、私は扉を静かに閉めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

★ 2025/9/10 第12回ネット小説大賞小説賞入賞作、書籍発売! ★

双葉社さま告知ページ ↓ 
『年上陛下の不器用な寵愛 ~政略結婚なのに、私を大事にしすぎです!~』
i1011040/
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ