31. 引っ込んでなさい
「ごきげんよう、フィフィアーナ」
まるで舞踏会に参加しているかのような、優雅な口調だった。
「えっ、なに、シャルロッテ、噓、転移?」
なにが起きているのかわからないのだろう、ベッドの上で寝転がっていたのだろうフィフィアーナ殿下は、半身を起こして何度も瞬きを繰り返していた。
転移魔法。確か、フィフィアーナ殿下ですら扱えなかった魔法。つまりゲルトルーデ殿下は、彼女の魔力量を凌駕する魔力の持ち主なのだ。
仮に応戦したところで、フィフィアーナ殿下に勝ち目はないのではないか。
このままでは殺されてしまう、と血の気が引く。
私はたまらず駆け出そうとしたが、慌てたギルベルト殿下が手首を握ってそれを引き留める。
「なにして……!」
仕方ない。私は大声を上げた。
「フィフィアーナ殿下、入れ替わって!」
「エルゼ!」
ギルベルト殿下の叫びにも似た声が上がる。
ゲルトルーデ殿下は容赦がない。本気でフィフィアーナ殿下を殺そうとしている。
その後どうなるかとか、まるで考えなかった。ただ、助けなければと思った。
だって私は、『もういいかな』の精神を持つ女なのだ。それよりは、なんとか自分の状況を変えたくて兄と足掻いている王女のほうが、生き残るべきだ。
私の身体で生きていくのはつらいかもしれないが、死ぬよりはマシだろう。
「早く! フィフィアーナ殿下!」
「だめだ!」
フィフィアーナ殿下は戸惑いを瞳に浮かべ、キョロキョロと私たちを見回している。
そしてどこまで理解したのか。
幼く美しい王女は、ゆるゆると首を横に振った。どこか諦めたような笑みを口元に湛えて。
「エルゼは引っ込んでなさい。わたくしが受けて立つわ。わたくしのほうが強いもの」
フィフィアーナ殿下はそのままベッドの上で立ち上がり、両の腰に手を当ててゲルトルーデ殿下と対峙する。
「勇ましいこと。そうこなくては」
クスクスと笑いながらゲルトルーデ殿下が応える。負けるだなんて微塵も考えていなさそうだ。
「ああもう! いいから早く入れ替わって! フィフィアーナ殿下!」
「貸して!」
「えっ」
ふいにギルベルト殿下は私の左腕を取り、素早くブレスレットを抜き取った。
「あっ」
「全員、退避!」
彼はそう命令を発すると、ブレスレットを自分の手首に装着しながら、結界に向かって駆け出していく。
だが誰も、その場から動けなかった。王子にこの場を任せて自分だけ逃げることに躊躇したのだと思う。
私だって、そうだ。
「ギルベルト殿下!」
止める間もなく、彼は結界を抜け、滑り込むように二人の間に立った。
「愚かなこと。犠牲が二人になったわね」
コップに水を出すしかできないギルベルト殿下。勝てるわけがない。フィフィアーナ殿下と力を合わせても、転移魔法まで操る彼女を止められるものか。
愉快そうに目を細め、ゲルトルーデ殿下は開いた手を彼に向けた。光る魔法陣が空中に展開され、その中心でチリッとなにかが輝いた。火魔法。
ギルベルト殿下も同じように腕を上げて手のひらをかざす。でも彼の魔力で対抗できるわけがないのに。
それでも彼の目の前に、盾のように魔法陣は展開された。
もちろん、ゲルトルーデ殿下は気にもしていない。
「さようなら」
ゲルトルーデ殿下が嘲るような声音でそう口にすると同時に、炎の柱がゴウッと彼らに勢いよく舌を伸ばした。
「やっ……」
だが。
兄妹の前に、瞬時に厚い水の壁がそびえ立つ。
「え」
炎は水の壁に阻まれて、そのどちらもが一瞬のうちに消えていく。相殺。
ギルベルト殿下がホッと安堵の息を吐いたあと、チッ、とゲルトルーデ殿下の舌打ちが部屋に響いた。
「ふざけんじゃないわよ、ギルベルトぉ!」
荒々しい声を上げて、彼女は再び腕を上げる。
「わたくしが魔法で負けるわけない!」
フィフィアーナ殿下を超える魔力量。一度の放出で尽きるはずはない。再び同じように魔法陣が浮き上がる。
「こっちよ、シャルロッテ!」
フィフィアーナ殿下はベッドからぴょんと飛び降り、ギルベルト殿下の前に出ると、同時に腕を上げて魔法陣を展開。
ゲルトルーデ殿下は今度は氷の剣を作り上げたが、フィフィアーナ殿下が炎の壁を作り出す。
おそらく兄妹は、先に魔法陣を展開させて、その魔法陣を読み取ってなんの魔法を繰り出すのか判断してから、自分の魔法を発動している。
兄妹は、王城でずっと魔術を学んできているのだ。
独学で魔術を操るようになったゲルトルーデ殿下とは、知識量が違うのではないか。
洗練された技術と、物量による突破は、どちらが上か。
結界外には、なにごとも起きていない。結界は彼らの放出する魔力の残滓を外に出さない。明滅する光だけが私の目に映る。まるで出来のいい演劇を客席から眺めているような気分になった。高度な魔法戦なのかもしれないが、結界外の私たちは、それを呆然と眺めるしかできない。
今回も、ゲルトルーデ殿下の魔法は相殺される。
「こ……この……!」
きっとまったく予想していなかった展開に、彼女は顔を真っ赤にして表情を歪ませている。
「許さない、許すもんですか!」
再びゲルトルーデ殿下は腕を上げた。だが。
「え……」
ぐら、とゲルトルーデの身体が傾いだ。
「なん……で」
今まで連続でこれだけの魔法を使ったことはなかったのか。
連続で強大な魔力を扱えば、猛烈に眠くなる。
それでなくとも魔力を消費する転移魔法を使った上に、火魔法と氷魔法をこの出力で繰り出したなら、ゲルトルーデ殿下だって力尽きるだろう。無尽蔵に魔力があるわけではないはずだから。
彼女が倒れ込む寸前、ギルベルト殿下が駆け寄り、頭を打たないように手を添えて抱きかかえた。そしてそのあと、そっと横抱きにしてベッドのほうに連れていった。
「放っておきましょうよ、そんな女」
「まあ、シャルロッテ姉上の身体だし」
「え? だからじゃない」
ふてくされたように言うフィフィアーナ殿下を宥めつつ、それでもゲルトルーデ殿下を優しくベッドに横たえさせたギルベルト殿下は、眠る彼女の手首からブレスレットを引き抜くと、ポイとフィフィアーナ殿下に投げて渡した。
「これで出られるよ、フィフィ」
「あ!」
これは、優しいのか非情なのか、判断が難しいところだ。
そしてフィフィアーナ殿下はいそいそとブレスレットを装着した。それから結界の外へ向けて二人で歩き出してくる。結界を抜けたところで、二人は今までいた場所を振り返った。
「これで彼女は、結界の中から出られない」
「な、なるほど?」
それまでただ眺めていた私の口からは、そんな間抜けな声が漏れ出てきた。
「この姿では久しぶりだね、フィフィ」
「ありがとう、お兄さま!」
「本当によかったよ。ただ落ち着くまでしばらくは、またどこかで軟禁されるかもしれない。でも今よりは自由になれるんじゃないかな」
「それくらいは仕方ないわ。ところで、シャルロッテはいつの間にあんな魔法を使えるようになったの?」
「それはちょっと複雑で……また改めて説明するよ」
「えー! 気になるー!」
和やかに二人で会話しているが、こちらの心情としてはそれどころではない。
へなへなとその場に座り込んでしまう。
「エ、エルゼっ?」
へたり込む私を見たギルベルト殿下は目前にやってくると、膝をついて顔を覗き込んできた。
「大丈夫? どこか怪我でもした?」
心配そうな瞳が私を見つめている。それを見ていると、ますます身体から力が抜けるような感覚がした。




