3. 脅迫
私の姿をした王女は、確認するようにポンポンと身体のあちこちを軽く叩いたあと、腰に手を当てて私を見つめると、にっこりと笑みを浮かべた。
「えーと、エルゼだっけ。しばらくそこでおとなしくしていなさいな」
ビシッとこちらを指差すと、そんなことを命じてくる。
「じゃあ」
短く言い捨てると、私の姿をした殿下は、スタスタと私の前を横切って、扉に向かって歩いていく。
そこでようやく私の脳は動き出した。
「えっ、あのっ」
とはいえ、動揺が消え去るわけではない。私の声は、みっともなく震えていた。
私……いや殿下か。とにかく目の前の殿下は面倒そうに、こちらを振り返る。
「なによ。わたくしが帰ってくるまで、そこでおとなしくしていなさいって言ったのよ」
「いやっ、なんですか、これっ」
とにかく疑問をぶつける。それしかできない。
すると、ふふっ、と小さく笑って、殿下は口を開いた。
「教えてあげる。わたくしの、入れ替わりの魔法よ」
「はあっ?」
「心配いらないわ。あとで返してあげるから。こんな身体にいつまでも入っているわけにもいかないものね」
こんな身体?
勝手に入れ替わっておいて、その言い草はないんじゃないか。
極悪非道だ! 確かに極悪非道だった! 侍女頭のシュルツさんの忠告通りの極悪非道な王女だった!
きっと魔法の発動条件は、『会話をすること』なのだ。
シュルツさんの言うことをおとなしく聞いておくべきだった。下手に親切心なんか抱いたから、こんなことに。シュルツさんだって、最初から詳しく教えておいてくれてもいいんじゃないだろうか。あんな曖昧な説明で、これは予想できない。『会話してはいけない』と指示するからには、この魔法を知っていたはずだ。機密事項ということなのか。いやもちろん、機密事項以外のなにものでもないだろうけれど。
頭の中は混乱の極みだが、とにかく、現実的に私と王女の身体が入れ替わっている、ということだけは理解した。
私はガックリと肩を落として、小声で問う。
「騙したんですね……?」
「まあ、そうなるわね」
王女は悪びれもせず、堂々とそう答えた。
「また裏切られた……。ひどい……」
ぼそりと零したその恨み言は、フィフィアーナ殿下には聞こえなかったのか、それとも聞こえなかったふりをしたのか、そもそも侍女の発言など歯牙にもかけないのか。
「とにかく、ここで待っていなさいな」
そしてまた背中を向けて、スタスタと歩いていく。
「ちょっ……!」
慌てて後を追おうと数歩駆け出したところで、なにかに弾かれたようにバチッとした痛みが、全身を襲った。
「なっ、なにっ?」
「ブレスレットはこっちよ」
殿下は振り向かないまま左手を上げて、私に見せつけるようにヒラヒラと振った。
「結界……」
フィフィアーナ殿下を閉じ込めるための結界。つまり私は、この姿ではここから出られないのだ。
私は同情心を利用され、完璧に騙された。
……許せない。
怒りでブルブルと身体が震えた。そして瞬時に決意する。なにかやり返さないと気が済まない!
テーブルの上には、王女が食べ終えた昼食の、空のお皿がトレイに乗せられて置いてあった。お皿だけではなく、カトラリーも。
激情に任せて、私はすばやくフォークを手に取った。
「殿下、お待ちを!」
私の大声を聞いた王女は億劫そうに足を止め、ゆっくりとこちらを振り返る。
「なによ、うるさ……ええっ?」
私の、いや殿下の目が、驚きに見開かれる。
私はフォークの先を自分の、もとい、王女の頬に当てていた。
「な、な、なにやってるのよ!」
あわあわと手のひらをこちらに向けて忙しなく振っている。まるでこの状況を予想していなかったのだろうか。その慌てた表情を見て、多少は溜飲が下がった。
だからか、私の口から出てくる声は、落ち着いた響きを持っていた。
「そのまま行かれるのであれば、傷つけますね。いいんですか?」
「いいわけ……あ、いえ、痛いのはあなたよ? 無駄な足掻きはおよしなさい」
動揺が隠しきれていない。やはりまだ子どもなのだ。この程度の脅しをいなすこともできない。ならば、勝機はある!
「無駄かどうかは、やってみないとわかりませんよ」
「そんな脅しには乗らないわよ」
そう強気に返してはくるが、声が震えている。だから私はますます調子に乗った。
「へえ、そうですか。ああ、ナイフもありますねえ。喉を突けば、死ねるんじゃないでしょうか」
「なっ」
私はフォークを左手に持ち替え、今度は右手でナイフを握った。殿下の顔色は、目に見えて青白くなっている。
どうやら効いているようだ。
「この入れ替わりの魔法、本体が死んでも元の通りに戻れるんですか?」
「そ、それは」
私の質問に、殿下は口ごもる。これは核心を突いてしまったかもしれない。
「なるほど。どうやら死ぬのは、傷つけられた身体のほうのようですね。このままだと、殿下は一生、私の身体で生きていかなくてはいけなくなる」
「その……」
「言っておきますが、うちは、しがない貧乏男爵家でしてね。行儀見習いのためとは表向きの理由で、本当は事情があって外に働きに出ているんです。そしてこれまた事情があって、毎月、給料の半分を実家に仕送りしています。なので私には蓄えがありません。つまり、実家も私自身の財産も頼れませんよ。さあ、どうします? 殿下はその身体でこの先、生きていけるんですか? 身の回りのことだって、今まで侍女が全部やっていたんですよね。お金もないのに、どうやって生きていくんですか? 私の身体で侍女の仕事をして生きていくなんて、殿下にできるわけがないですし」
必死だった。ずらずらと不安要素を並べ立てる。とにかくフィフィアーナ殿下を怖がらせないといけない。
「では王家に頼りますか? 今ですら、閉じ込められているのに? こんなことをしでかしたのだから、監視の目はもっと厳しくなるでしょうね」
「う……」
もう返す言葉はないようだ。けれど私は続ける。
「それから大変残念なことに、容姿は明らかに殿下のほうが優れていますよ。この美しい身体を棄ててもいいんですか?」
自分で言っていて情けないが、事実なので仕方ない。