26. 知っている
以前に訊かれたときは、『まだなんとも……』と答えた。あれから時間が経って、三人の容疑者もこの目で見た。そんな今の私が、どう考えているのか知りたいのだろう。
私は素直に答えることにする。
「今は、シャルロッテ殿下じゃないかと疑っています」
「ほら! だから言ったじゃない!」
私は背中側だから見えないだろうに、腕を上げて的確に私の顔を指差して、それみたことかと主張してくる。ちょっとイラッとする表情をしているに違いない。少し力を入れて、髪に櫛を通しながら返す。
「殿下が『性悪』と評していたわけが、よくわかりました」
「そうでしょう、そうでしょう」
フィフィアーナ殿下は、うんうん、と得意げに頷いている。
「平民のこと、『下賤』とまで言ってましたし」
すると殿下は、勢いよくこちらを振り向いた。
「えっ、そんなことまで言うようになったの?」
髪を洗っているときに動かないで欲しい。私は両側から頭を抱えるようにして前を向かせる。
「そうは言っていなかったんですか?」
「昔は、さすがに外聞が憚られると思っていたんじゃない? 取り繕わなくなったってことかしら」
「へえ……」
そういえば、ギルベルト殿下も似たようなことを言っていたっけ。『最近、また酷くなってきたかな』と。『以前は、下賤とまでは言っていなかったから』とも。
「じゃあわたくしが知るシャルロッテよりも酷くなっているのね。人として終わっているわ」
バシャバシャとお湯を叩いて、そう憤慨している。
人として終わっているシャルロッテ殿下。でも福祉活動には熱心で、国民人気は高い。
リヒャルト殿下が大好きで、彼を次代の王にしたがっている。だが半分だけとはいえ、同じように血が繋がっているギルベルト殿下とフィフィアーナ殿下のことは、毛嫌いして蔑む。
昔は『下賤』という言葉は使わなかったのに、今は人目も憚らず、平気で口にする。
シュルツさんはどう思っているのだろう。聞いた限りでは、シャルロッテ殿下を大切にしているように思える。シュルツさんはあんなにきっちりした人なのに、それでも『性悪』な王女に肩入れしているのだろうか。シュルツさんだけじゃない、シュルツさんの娘だって慕っているという話だ。『性悪』なのに。
「うーん……」
フィフィアーナ殿下の身体を柔らかな布で洗いながら、考える。
言葉を交わした……かどうかは怪しいが、少なくともちゃんとこの目で本人を見たというのに、どうにも人物像が定まらない。ちぐはぐだ。もちろん人間は多面的なものではあるが、それにしても。
「あれ……」
思わず、殿下の身体を洗う手が止まる。
この違和感を、一気に払拭できる仮説が出てきてしまった。馬鹿馬鹿しいとは思えない。
だって私は、知っている。
「フィフィアーナ殿下」
「なに?」
「シャルロッテ殿下に、どんな悪口を言われてきたのか、教えてもらえます?」
「なによ、急に」
こちらを振り向き、不審そうに眉根を寄せる。しかし答えてもらわなければならない。
「以前、真似して教えてくれたじゃないですか。あんな感じで」
「なんでそんなこと」
「吐き出せますよ。私が黙って聞いてあげます」
殿下は訳がわからないのか、こちらをじっと見つめたままだ。私は急かすように、語気を強くする。
「とにかく、シャルロッテ殿下から言われたことを、話してください」
「なんでそんなに必死なの」
「いいから。言われた悪口、全部私に教えてください」
「わ、わかったわよ」
私の勢いに気圧されたのか、フィフィアーナ殿下はそれ以上は抵抗せずに話し始めた。
「そうねえ……。『王家にふさわしくない』は、いつも言われていたわ。あとは、『いつ追い出されてもおかしくない』、とか。ああ、『誰が追い出すって言うんですか』って訊いたら、『わたくしと、わたくしを支持する者たちかしら』って高笑いしながら答えたんだからね!」
最初は思い出しながらポツポツと、という感じだったのに、熱くなってきたのか、どんどん口からシャルロッテ殿下の発言が飛び出してくるようになった。それらをすべて、頭の中に叩き込み、咀嚼する。
やっぱり。シャルロッテ殿下の罵倒は確かに苛烈だが、筋が通っている。
「あの、お願いがあるんですが」
「お願い?」
「シャルロッテ殿下に近付けるように、どなたかと入れ替わりたいんですが」
私の申し出に、フィフィアーナ殿下は呆れたような声で返してくる。
「入れ替わりに遠慮がなさすぎない? 最初は怒っていたくせに」
「できます?」
フィフィアーナ殿下の文句に付き合っている場合じゃない。できるか、できないか。それが知りたい。
だが彼女は首を横に振った。
「無理ね。入れ替わりの魔法は、わたくしが誰かと入れ替わる、というものだわ。他人と他人を入れ替えるなんて魔法はない」
「はー……使えない」
ため息交じりにそうつぶやくと、彼女は目を吊り上げた。
「ほんっとに遠慮がないわね! 少しは敬いなさいよ!」
「じゃあ敬られることをしてください」
桶から出たフィフィアーナ殿下の身体を拭きながら、そんな文句を言い合う。
本当は、こんな時間もいつの間にか楽しくなってしまっている。このままこの立場でいられないか、なんて馬鹿なことを考えてもしまう。
でもそれは裏切りだ。
私は私ができることを精一杯やって、そしてフィフィアーナ殿下を解放するのだ。それが契約なのだから。
自分の手首に目をやる。この銀色のブレスレットはようやく私の左手首に馴染んできたというのに、手放さなければならない日は、きっと近い。




