23. 優しい魔法
そんな私をギルベルト殿下は目を細めて見つめている。面白がっているのかもしれない。しかし見つめられたほうはたまったものではない。なにせ彼は、自身が言う通り、見目が抜群にいいのだ。照れる。
「そ、それにしても、入れ替わりの魔法はすごいですね。そんな魔法があるだなんて聞いたこともありませんでした。フィフィアーナ殿下しか知らない魔法だったりするんですか」
無理矢理だが、話を逸らそう。ギルベルト殿下はどう感じたかは知らないが、その話題に乗ってきてくれた。
しかしその返答は、思いも寄らないものだった。
「いや、入れ替わりの魔法はね、王侯貴族なら誰でも知っている」
「えっ」
では、そこらじゅうで入れ替わりが行われてしまうのではないか。目の前のこの人だって、実は第二王子ではない可能性があるのではないか。だとすると、内緒話などなんの意味も持たない。それでは秩序を保てないのではないか。
王族や高位貴族の人たちは、どうやって中身が誰かを確認しているのだろう。
私の顔を見て、抱いた疑問はわかったのか、ギルベルト殿下は答えてくれた。
「知っていても、発動できないんだよ。莫大な魔力を必要とするからね。今は、フィフィしか使えないんじゃないかな」
「ああ、なるほど……」
「魔術を習う際に、『知っていても使えない一例』として教えられるから、知識としてはあるんだ」
「へえ……」
そんな魔法を簡単に使えてしまうフィフィアーナ殿下。
さっき考えたように、皆が入れ替わりの魔法を使えてしまえば、国は秩序を保てなくなる。いや、やりようによっては、一人が使うだけで、混乱に陥れることもできるかもしれない。
極悪非道かどうかはともかくとして、やはり強大な魔力を持つフィフィアーナ殿下は、脅威でしかないのだ。
「あとは転移魔法も、知っていても使えない一例かな。一瞬で、行きたいところに転移できるらしい」
「便利そうですね」
「これはフィフィも使えなかった。過去に発動した記録はあるんだけど、百五十年も前だよ」
「へえ……」
それからも、いろんな魔法を聞いた。今の王族が扱える、火魔法や水魔法や雷魔法は攻撃魔法と言える。治癒魔法も開発はされているが、記録にはない。精神操作魔法は、開発に着手した記録はあるが、完成はしなかったなど。
「精神操作なんて、怖いですね」
「そうだね。それでもやろうとした人はいるんだ。といっても、開発されたとして、たぶん転移魔法の比じゃない魔力を必要とすると思うけど」
「悪用されそうなものばかりですね。私は魔法は、さきほどのリヒャルト殿下の魔法みたいに、優しいものであって欲しいです」
わからないとギルベルト殿下は言ったが、きっと私には魔力はない。一般の国民たちにも。
王族や高位貴族が魔力を保持することに躍起になっているのは、もしかしたら魔力のない者を支配するために、力を誇示する必要があるからではないか。だからこそ、魔法の発動方法は、最重要機密なのではないか。
フィフィアーナ殿下が、いつか言った。『魔力は武力』だと。
「エルゼ、見て」
ふいに声を掛けられて、顔を上げる。ギルベルト殿下はまっすぐに前を指差していた。それに倣って池のほうに視線を移す。
すると、池の水面に丸い波紋がポポポッといくつも浮かんだ。
「あ」
そのそれぞれの円の中心から、ぽつんと水滴が発生して浮き上がる。それらは少しずつ大きくなり真珠のような球体になった。
ギルベルト殿下が指揮棒を振るように指先を動かすと、合わせてふわふわと動き始める。それらに月と星の光が反射して、キラキラと瞬いた。
「綺麗……」
真珠のような雫は、ときどきポチャンと水音をたて、可愛らしい音楽を奏でる。そして水面から浮き上がっては踊りだして、輝く。
雫たちの舞踏会を、鑑賞しているような気分だ。
ギルベルト殿下は立ち上がると、おどけたようにこちらに手を差し出してくる。
「麗しいご令嬢、どうか僕と踊ってくださいませんか」
いつもは着ないドレス、しかも最高級のものを身に着けているからだろうか。
まるでお姫さまにでもなったような気分なのだろうか。
「ええ、喜んで」
私はそっと、差し出された手を取り、立ち上がる。
水音による演奏を背に、私たちは踊る。さきほど大広間で踊ったときよりも、ずっと心が弾んでいた。
「どう? なかなかいい魔法でしょ」
「はい、とても」
でもそれも、一夜限り。
まさに魔法でもかけられたような、夢みたいな時間。
「実は、兄上の風魔法をうっとり見つめていたから、少し悔しかったんだ」
少し口を尖らせて、そんなことを言ってくる。その顔がなんだか可笑しくて、クスクスと笑いが漏れた。
「あれはあれで、綺麗でしたから」
「ふうん」
ふて腐れたような声が頭上でする。私は顔を上げ、その翠玉色の瞳を見つめた。
ああ、なんて素晴らしい夜なんだろう。
「でもこの水の魔法も、とても素敵な魔法です。私の中では、一番です」
「それならよかった」
ギルベルト殿下はそう言って目を細め、口元に弧を描いた。




