19. 第一王子と第一王女
曲が終わり、私たちは頃合いを見計らって、今日の主役であるリヒャルト殿下の元に向かう。
彼はたくさんの人に囲まれていたが、弟がやってきたということで、その人たちは波が引くように道を開けた。
ギルベルト殿下は遠慮なくその中を歩き、私は場違い感を覚えながらもついていく。
「リヒャルト兄上、本日はおめでとうございます」
にこやかに述べられた祝辞に、リヒャルト殿下も笑みを返した。
「ありがとう。素晴らしいダンスを踊っていたのを見ていたよ。パートナーのご令嬢を紹介してもらえるかな?」
視線を向けられ、思わず身体が固まった。
「こちらはエルゼ。ボルク男爵家のご令嬢です。無理を言ってパートナーになってもらいました」
「お目文字叶いまして光栄です、リヒャルト殿下。エルゼ・ボルクと申します」
なるべく淑やかに、と緊張しながら淑女の礼をする。
「やあ、これはお美しいご令嬢だ。こちらこそお会いできて嬉しいよ」
淀むことなくお世辞を口にした。きっと気遣いの人なんだろう。
「兄上にご挨拶をしたい方々をお待たせするのも申し訳ないので、僕はこれで」
「ああ、ぜひ楽しんでいってくれ」
そして早々にその場を離れる。ギルベルト殿下が言った通り、リヒャルト殿下は次から次へと祝いの言葉を掛けられていた。
壁際に促されて、二人で立ち並ぶと、さっそく質問を投げかけられた。
「さて、印象はどうだった?」
「優しそうな方でした」
するとギルベルト殿下は小さく首を傾げる。
「それだけ?」
「さすがにあの短時間で、人となりまではわかりませんよ」
そこまで私に求められても困る。さきほどシュテファン殿下の母親の性格を言い当てたことで過剰な期待をしてしまっているのか。
「もう少しお話しできればなにか言えたかもしれませんけど、あれだけでは」
「まあね。でもさすがに、長居するわけにもいかないから」
「でしょうね。ただ、印象はすごくよかったです。気遣いのできる方かと」
「うん、そうだと思うよ」
私の補足に、ギルベルト殿下は同意する。元々、リヒャルト殿下のことは疑っていない様子だったから、私の返答で満足したのだろう。
「では、残り一人だ」
顔を上げ、あたりを見回す。
「というか、二人一緒かと思ってたんだよね。さすがに祝いに訪れる人が多くて遠慮したのかな」
ああ、兄が大好きだから、隣を陣取るのか。
同腹の兄妹は仲良くなるものかもしれない。フィフィアーナ殿下も兄に全幅の信頼を寄せている様子だし。
「近々王太子を決めるのではって噂が流れているから、今日はいつもより人が多いしね……っと、いた」
その姿を認めたのか、ギルベルト殿下は私を連れて足早に歩きだす。
シャルロッテ殿下。フィフィアーナ殿下の本命だ。
こちらもリヒャルト殿下と同じように、たくさんの人に囲まれていた。彼女はそれににこやかに応えている。
「まあ、素敵なネックレスですわね、シャルロッテ殿下。どちらのものですの?」
「オズマンドの店で作らせましたのよ。気に入っておりますの」
「あら、教会御用達の魔道具店では? 無骨なデザインのものばかりと思っておりましたのに、最近は良いものを作っておりますのね」
「わたくしが口添えしましたの。技術は申し分ありませんから、こちらの意をすぐに汲み取ってくださいましたわ」
そして、ここでもギルベルト殿下に気付いた方々は彼のために道を作ってくれた。だが、肝心のシャルロッテ殿下はまったく首を動かさない。話しかけられている人のほうが恐縮してしまっていて、こちらにチラチラと視線を寄こしてくる。
「最近は、城内でも警戒するべきかと思いまして、おまじない程度の効果しかありませんが、ぜひオズマンド製のものが欲しくて」
「そ、そうですの……」
城内でも警戒。おそらく、フィフィアーナ殿下のことを指しているのだ。そしてこちらに聞こえるように言っている。縮こまっている話し相手のご婦人が気の毒になってきた。
ギルベルト殿下は苦笑いを浮かべ、ご婦人に軽く手を挙げてから、口を開いた。
「シャルロッテ姉上」
呼びかけられて無視することもできなかったのか、さも、今気付きました、というふうに、彼の人はこちらに首を巡らせる。
そして、腰のあたりでゆるく両手で持っていた扇を、これみよがしに手首を振ってバサッと開くと、口元に当てた。覗いた瞳が、観察するようにこちらに向けられている。
「あら、ギルベルト。参加していたのね」
嘲るような声音だったが、ギルベルト殿下はなにも気にしていないふうに穏やかに答えた。
「兄上の誕生を祝う場に招待いただいたのに、欠席なんて選択肢はありません」
「いつもはフィフィアーナのエスコートをしているんでしょう。今はパートナーがいないから、辞退するかと思ったわ」
その名が出たとたん、場の空気がピリッと震えた。
さきほどは匂わせる程度だったのに、ギルベルト殿下に対しては堂々とその名を口にした。
監禁状態にある王女だ。この場では誰も彼もが最初からいないものとして扱い、きっと口の端にも上がらせていなかったのであろうに、話題にするとは。
「フィフィがいないのは残念ですが、代わりに僕の相手をしてくれる令嬢が見つかりましたので」
その飄々とした返答に、シャルロッテ殿下はこちらに視線を移してくる。
「あなたは?」
その短い問いに、私は淑女の礼で応える。
「お初にお目にかかります。エルゼ・ボルクと申します」
そう挨拶をすると、彼女はしばし私を見つめたあと、小さく首を横に振った。
おっと?
「ギルベルト」
私に言葉を返すことなく、殿下は異母弟のほうに顔を向けた。
「なんでしょう、姉上」
にこやかに返答するギルベルト殿下に、シャルロッテ殿下は呆れたようなため息で返した。
「また下賤な血を王家に入れようとしているのではないでしょうね?」
また? 下賤?
まったく予想していなかった発言に唖然とする私とは違い、ギルベルト殿下はやはり落ち着いた様子で受け答えしている。
「彼女は男爵家のご令嬢ですよ。それに、今のところはそのつもりはありません」
「そう、男爵家なの。かろうじて、というところかしら」
そして私に視線を向けると、フッと鼻で笑った。
今なら、フィフィアーナ殿下の『性悪』に、全面的に賛成できる気がする。
周りにいた貴族たちは、笑みを顔に貼りつけたまま、ただ彼らを眺めていた。
「本来ならば、下賤な血が混じらない相手を選ぶべきなのに、お父さまが気まぐれを起こされたから、フィフィアーナは幽閉なんてことになったのではなくて?」
ギルベルト殿下は、それに返事をすることなく、笑みを浮かべているだけだった。
その態度をどう思っているのかは知らないが、シャルロッテ殿下の目は愉快そうに細められる。
「それなのに強大な魔力を宿すだなんて……おかしなこともあるものね」
「神の気まぐれといったところでしょうか」
肩をすくめて返されたその言葉に、シャルロッテ殿下はため息交じりに答えた。
「哀れに思われたのかもしれないわね。あまりにもなにも持っていないと、慈悲をいただけるのかもしれないわ」
「そうかもしれません」
まったく反論することなく、ギルベルト殿下は受け流している。よくもこんな屈辱的な非難を受けながら、平気な顔をしていられるものだ。
「では姉上、僕たちはこれで」
それに返事はせずに、ぷいと視線を逸らし、シャルロッテ殿下はまた周りにいた貴族たちと会話を交わし始める。
また壁際に寄り、私たちはひそひそと話し合った。
「どう?」
「……気性が激しい方だな、と」
「言葉を選んでる?」
「多少は。人も多いですし」
どうやらひどい表情になっているらしい。私の顔を見ると、ギルベルト殿下はくすくすと笑った。
あんな会話のあとで、どうして笑えるのか、理解に苦しむ。
するとギルベルト殿下は、パン、と両手を打ち鳴らした。
「では、退室しようか」
「いいんですか?」
思いがけない提案に驚いてしまい、パッと顔を上げる。
兄君の誕生祝賀会だというのに、こんな短時間で退場なんて許されるのだろうか。
「いいよ。これ以上いたって、することもないし。今日はリヒャルト兄上が主役なんだから、兄上さえいればいい」
「そんなものですか」
「それに僕は、新しいパートナーを連れてきたんだ。早々に退室したって、なんらおかしなことはないよ」
つまり、来場している皆さまには、第二王子は恋人と早く二人きりになりたくて抜け出した、と思われるわけだ。
するとギルベルト殿下はこちらに顔を向け、肩を落とした。
「エルゼ。その顔は、ちょっと僕に失礼だと思うんだよ」
「それはすみません」
また、苦虫を嚙み潰したような表情をしてしまったらしい。
その後、広間を静かに出ようとしているとき、何人かとは視線も合ったが、誰も引き留めはしなかった。むしろ、どこか納得したような表情をしている人がほとんどだった。
これは本格的に、恋人だと思われているのではなかろうか。
仕方ない。『もういいかな』精神で乗り切ろう。




