16. 大広間の扉の前で
翌日、そのシュルツさんに呼び出され、彼女の執務室に向かった。そして開口一番、こう言われた。
「エルゼ。あなた、来月のリヒャルト殿下の誕生会に、ギルベルト殿下のパートナーとして参加しなさい」
「……はい?」
素で驚いて、変な返事をしてしまった。だってまさか本当に、許可が出るなんて思ってもみなかったから。
けれど逆にその反応は、シュルツさんには自然に見えたらしい。不審だと指摘されることはなかった。
「ギルベルト殿下は、いつもはこのような催しには、フィフィアーナ殿下を伴っておられました。彼の方には、決まった恋人もいらっしゃいませんし、フィフィアーナ殿下はまだ幼く、もちろん決まった方はおりませんでしたから、ちょうどよかったのです。ですが今、フィフィアーナ殿下はあの通りですので」
「それで、なぜ私に……」
純粋に、どうやって私を指名できたのか、疑問だ。
「ついでに、フィフィアーナ殿下の様子が知りたいと」
「ついで、ですか」
「妹との接触は禁じられているので、せめて元気でいるかどうか、ゆっくり話を聞きたいと。ですから、フィフィアーナ殿下付きのエルゼがいいでしょう」
「なるほど」
それなら不自然ではない。なかなかいい言い訳を思いついたものだ、と感心してしまう。
「実はギルベルト殿下は、最初は私にパートナーになれと仰ったのですが」
シュルツさんは、額に手を当てうなだれた。そんな表情は新鮮だ。この人でも、がっくりすることがあるんだ、と驚いてしまう。
「私が一番フィフィアーナ殿下の現状を知っているだろうとのご指名でした。ですがさすがに……いえ、私は当日は侍女たちを取り纏めねばなりませんから」
さすがに、のあとは、息子でもおかしくない年齢の男性とは、と続いた気がする。
もしシュルツさんが「喜んで!」と受けたら、私が『自分の目で見る』ことができなくなってしまったのだが、その場合はどうするつもりだったんだろう。
「ですから、フィフィアーナ殿下のお世話をしているエルゼが適任でしょう」
「そ、そういうことでしたら……」
これで、上司命令、という形になってしまった。さすが、任せておいて、と大口を叩いただけはある。
けれど私はまったく覚悟していなかった。まさかこんなことがまかり通るとは思っていなかったのだ。
「でも私、ドレスとか持っていないんですが……」
なにせ落ちぶれた男爵家の娘だ。侍女として生きていくようになってからは、舞踏会で着用するような華美なドレスは不要になった。実家に残っているかもしれないが、もう型遅れだし、サイズも合わないのではないだろうか。
「ギルベルト殿下が用意してくださいます」
「ひっ」
思わずそんな声が口から漏れ出る。王子さまの用意するドレスなんて、きっと目の玉が飛び出る額の代物だ。むしろ着るのが怖い。
「いやそんな、畏れ多い……」
「用意すると仰っているのだから、甘えなさい。誕生会への出席はあちらの要望なのですから、それに準ずる出費は経費と思われているでしょうし、遠慮はいりません。いいですね」
これ以上の言い合いは無駄だとばかりに、ぴしゃりと返されて、私は縮こまって「わかりました……」と返事するしかない。
トボトボと侍女頭の執務室を出る。そして半地下の部屋に行くまでに考え直した。
まあでも、これから私の人生がどうなるのかもわからないし、確かにドレスくらいは経費と思っているだろうし、なにかあったときのために後悔のないように、贅沢しておいても罰は当たらないだろう。今さら、どうなってもいいか。
こんなときでも、『もういいかな』の精神は、最強である。
◇
それから、突然私室にギルベルト殿下が手配した職人がやってきたり、採寸したり、高価そうな布を身体に当てられたりして、本当にドレスの手配をしてもらった。
当日には大広間近くの控室で着替えさせられたり、キラキラ輝く宝石をあしらったたくさんのアクセサリーを身に着けさせられたり、化粧をされたり、髪を結われたりとかした。
そして気が付いたら、大広間の扉の前で、私は殿下の隣に着飾って立っていた。
若苗色のドレスは、ギルベルト殿下の強い希望で選ばれた。裾や袖には深緑で木蔦の刺繍が施されており、ところどころに金糸のアクセントがある。襟元と肘あたりの袖口にあしらわれた白いレースは、おそらく王家御用達の職人の手によるものだろう。
地味でもなければ派手でもない、そういう絶妙な色合いと型で、周りに自然に溶け込めるような気がする。きっとそれを見越して殿下はこのドレスを選んだのだろう。
地味としか評されてこなかった私が立派な貴婦人にさせられているのは、少々居心地が悪い。しかしそれでも、『美少女』を体現しているフィフィアーナ殿下の姿になるよりは、まだマシではある。
ちなみに、この舞踏会の打ち合わせのために何度かギルベルト殿下の私室を訪れたときに、衛兵の人たちが、
『マジで本命だったんだ……』
と呆然とつぶやいていたのを聞いた。王家主催の舞踏会のパートナーともなれば、火遊びの相手ではないと思ったのだろう。
それからは軽蔑するような視線を向けられることはなくなった。大変助かる。
「うん、とてもよく似合っているよ。綺麗だ」
「恐縮です」
ニコニコと笑うギルベルト殿下に褒められて、悪い気はしなくもないが、手放しで喜ぶ気にもならなかった。
なぜなら、頭のてっぺんから足の爪先まで殿下が用意したものであるし、なにより彼は誰に対しても絶賛しかしない雰囲気があったからだ。見え透いたお世辞に一喜一憂するほど、私は素直な性格をしていないのだ。
私の冷めた受け答えに、殿下は苦笑を浮かべる。金糸や銀糸で彩られた宮廷服を着こなすギルベルト殿下は、私などよりよほど綺麗だった。この人の隣に立てというのは、ちょっとした辱めではなかろうか。
「それにしても、本当に私をこの場に呼ぶことができるなんてすごいですね。まさかシュルツさんの許可が出るとは思っていませんでした。作戦通りだったんですか?」
隣の人を見上げてそう問うと、彼は小さく頷いた。
「もちろん、断られるって確信があったから、まずヨハンナを誘ったんだよ。最初からエルゼを指名したら、それこそおかしいからね」
シュルツさんの性格を把握して、そうしたのか。付き合いが長いとそういうことも予想できるのだろう。
「なかなかいい策だったと思います」
「惚れ直したでしょ」
「惚れ直すもなにも、最初から惚れていません」
私の返答に、殿下はこれみよがしに肩を落とした。
「自信なくすんだけど。僕、こう見えても王子だし、性格もいいとは言わないけど悪くもないし。なにより、見目が抜群にいいでしょ」
「むちゃくちゃ自信あるじゃないですか。少しくらい、なくしてください」
呆れてそう返すと、ギルベルト殿下は楽しそうに、ははは、と声を出して笑った。
「では、行こうか」
促すように、曲げた左腕をこちらに差し出してくる。ひとつため息をついてから、その腕に自分の右手を乗せた。




