12. 容疑者 その1
そのあとすぐ半地下の部屋に戻ると、私が帰ってくるのを待ちわびていたらしいフィフィアーナ殿下が、急かすように両手でテーブルの上を叩いた。
「報告、報告!」
「ちゃんと話しますから、座ってください」
すると、ぴょんと飛び乗るように椅子に腰かける。こういうときだけ素直だ。
どうせベッドの上で寝転がって待っていたのだろう。綺麗な金髪が乱れていたので、髪をブラシで梳きながら、ついでにギルベルト殿下から聞いた話を伝える。
「ですから、実のある情報はまだないようです」
「そう簡単に尻尾を摑ませてはくれないということね。ギルベルトお兄さまを出し抜くなんて、けっこうなやり手かもしれないわ」
ため息交じりのその返答は、兄への評価の高さを示していた。
「ということは、ギルベルト殿下は優秀なんですか」
「そうよ。お勉強だけではなくて、剣術なんかもお上手なんだから」
自慢げに胸を張るフィフィアーナ殿下からは、完全に兄を信頼していることが窺える。
いたずら心か、謀か。とにかくちょっと揺さぶってみよう、と思い立った。
「あの、念のためにお伺いしますが」
「なによ」
「ギルベルト殿下を信じてもいいんですか? 黒幕の可能性、ありますよね?」
「なっ……なんてことを言うの!」
殿下は髪がブラシに絡むことも気にせず、勢いよくこちらを振り向いた。大きな目がさらに見開かれている。
「信じられない! 侮辱だわ!」
顔を真っ赤にして憤慨しているが、私は絡んだ髪を丁寧にブラシから解きながら、冷めた口調で返した。
「だって、フィフィアーナ殿下を閉じ込めるように動いたのは、結局誰なのかわからないんですよね」
「今はまだ、ね」
キッとこちらを睨みつけながら、そう注釈を付け加える。
「フィフィアーナ殿下からすれば、ギルベルト殿下は信頼のおける方なんでしょう。でも、他人の私からすれば、そこまで無条件に信じる根拠はなにか、と思うわけです」
髪が解けたので、コトリとテーブルの上にブラシを戻してから斜め前に立つと、それを眺めていたフィフィアーナ殿下は少しばかり落ち着いたのか、静かな口調で話し始めた。
「ギルベルトお兄さまだけは、母親が一緒なの」
「そのようですね」
「だから、ギルベルトお兄さまだけは大丈夫なのよ」
「残念ながら、親だろうと兄弟だろうと、安易に信じるものではないかと」
私の発言に、殿下は悲し気に眉尻を下げた。
「エルゼ……いったい、どんな人生送ってきたのよ……」
「長くなりますが、聞きますか?」
「いえ……いいわ」
殿下は顔の前でひらひらと手を振った。ロクな話ではない、と判断したのだろう。正解かもしれない。
「今はそれどころじゃないから。とにかく、ギルベルトお兄さまを疑うのはやめてちょうだい」
今はそれどころじゃない、ということは、後々、聞く気はあるのだろうか。面白くもない話なんだが。
まあ、そういうことなら、殿下の望む話をしよう。
「でも、幽閉されてもう一年経っているんでしょう? 疑えるところは疑っていかないと」
「それはそうだけど、ギルベルトお兄さまだけはないから!」
「わかりました」
これはもう、なにを吹き込んでも、ギルベルト殿下のことだけは信じ続けるに違いない。
盲信は危ういと思うが、長年接しているフィフィアーナ殿下の感覚を信用することにしよう。疑いだすとキリがないということもあるし。
「それならフィフィアーナ殿下は、容疑者について、目星はつけていらっしゃるんですか。私は単純に考えて、王子たちの中にいると思っているんですが」
「あら」
私の話に、殿下はパッと表情を輝かせた。
「本当に、解決するよう前向きに考えているのね。『解決しないほうがいい』だなんて、ふざけたことを宣っていたから心配していたのよ。感心、感心」
得意げな様子がどうにも癪に障るが、その感情をぐっと飲み込む。
「私は、仕事は真面目にこなす女です」
「これからもそうしてちょうだい」
「お給金をいただける間は、そうするつもりです」
「ああ言えばこう言うのよねえ」
ため息をつくフィフィアーナ殿下は放っておいて、ベッドの脇のサイドテーブルの引き出しから、石板とチョークを取り出す。
会話をしないために、と用意されていたもののはずだが、結局今まで、使うことはなかった代物だ。
石板をテーブルの上に置くと、フィフィアーナ殿下はそれを座ったまま覗き込む。
「では殿下、整理しましょう」
私はチョークを握って、石板に当てた。
「王子、王女は五名なんですよね」
「そうね」
「お妃さまは、三名」
「ええ」
フィフィアーナ殿下に確認を取りながら、カツカツとチョークを鳴らして、簡単な家系図を書いていく。
「第一妃が、第一王子と第一王女をお産みになって、第二妃が、ギルベルト殿下とフィフィアーナ殿下のお母上。で、第三妃が、第三王子の母親、と。産まれた順番もこの通り。綺麗に並んでますね」
「正確には、第二王女がわたくしよりも先に産まれているわ。本当は、わたくしたちのお母さまは、第三妃なのよね」
「ああ……そうでした。第二王女……ゲルトルーデ殿下、ですね」
「もし生きていたら、犯人の最有力候補だったかもしれないわね」
第二王女が亡くなったときのことは覚えている。なにせ王女の死だ。国中が喪に服して黒く染まった。急な病だったという話だった。
国葬は王都で大々的に行われ、一度も会ったこともないであろう国民たちも、滂沱の涙を流した。まだ六歳であられたから、なおさら皆、悲しんでいたと思う。真偽のほどは定かではないが、全身に広がった発疹を掻き毟って苦しみながら亡くなったという話も出回り、誰もが王女を憐れんだ。
母であった妃は悲しみのあまりに、王女として育った故郷の小国ブレイアルドに帰国してしまい、そして今は故人だったはず。
というか、国王陛下は結局のところ、四人もの妃を迎えたのだ。政略的なこともあるかもしれないが、女好きに違いない。
だとしたら、ギルベルト殿下の女好きは演技ではなく、父親譲りの本質なのではなかろうか。




