10. 騙してごめんなさい
とはいっても、そう頻繁にギルベルト殿下の部屋に行き来するわけでもない。
今回は話を詰めなければならなかったから短い間隔で訪ねたが、二週間に一度、金曜日に来て欲しい、ということだった。
これでも今までに比べれば、かなり頻度は高くなっているはずだ。だって今までの侍女たちは、『一回入れ替わったら、二回目にはもう辞めている』そうだし、何人の侍女が入れ替わられたかはわからないが、こうすんなりとはいっていないだろう。私に感謝して欲しい。
だからそれ以外は、通常の侍女としての仕事をこなした。
契約したからか、会話を交わしても、フィフィアーナ殿下は魔法を発動したりはしない。
その代わりに、ぶうぶうと文句を口にするようになった。
濡れた手拭いでフィフィアーナ殿下の背中を拭いているときに、彼女はため息交じりに訴えてくる。
「あーもう、清拭じゃなくて、お湯浴みをしたいわ」
「そうですか」
「そうですか、じゃなくて!」
プンプンと怒りながら、そんなことを言ってきた。やはり最初の頃のおとなしくか弱い王女の姿というものは、演技だったらしい。演技力は認める。
「バスタブを持ってこいとは言わないわよ。桶なら簡単でしょ」
「お湯を運ぶのが大変です」
「結界前まで、誰かに運ばせなさいよ」
「なるほど」
確かに、と思って頷いていると、殿下は勝ち誇ったように指先を何度も自分の頭に当てた。
「頭を使いなさいよ、頭を」
「フィフィアーナ殿下のために使いたくないんです」
私がそう答えると、殿下はこちらを勢いよく振り向いた。
「不敬にもほどがあるわよ! 解決したら、罰を与えてやるわ」
「じゃあ解決しないほうがいいですね。その方向で行動します」
「もう!」
まるで私が堪えていないのを知ると、殿下は両の拳を握って、バンバンと自分の太ももに打ちつける。
不快には感じない。子どもの癇癪そのものだ。その拳を私に振るわず自分に向けるというのも、実は心根は優しいのかも、とも思う。
「まあ、ギルベルト殿下と雇用契約を結びましたから、ちゃんと解決するよう努力はします」
「本当ね? 頼んだわよ」
「お湯浴みもできるように、シュルツさんに相談してみます」
「……なら、いいけど」
自分の意見が受け入れられたことを知ると、フィフィアーナ殿下はおとなしく前を向いた。
◇
そういうわけで翌日、侍女頭の執務室にてシュルツさんに毎日の定期報告をしているときに、お湯浴みについて申し出てみた。
「あの、シュルツさん。フィフィアーナ殿下なんですが」
「なんですか」
書類に視線を落としたまま、彼女は答える。
「お湯浴みをしたい、と何度も言ってくるんです。もちろん答えてはいませんが、確かに清拭だけでは綺麗にできていないかもしれません。もう一年もあそこにいるそうですし、正直なところ、私もちょっと匂いが気になりまして」
フィフィアーナ殿下本人がこの発言を聞いたら怒り出すだろうが、物事には説得力というものが必要なのだ。これくらいは目を瞑って欲しい。
「桶とお湯さえあれば、いいと思うんですが」
シュルツさんは忙しなく羽根ペンを動かしながらも、詰まることなく私の提案に返答してきた。
「そうですか、では手配しましょう。ただ、結界に入れるのはそのブレスレットを着けている者だけですから、運ぶ者に結界の直前で、それを貸すように」
「わかりました」
ということは、私は運ばなくていいということか。それは助かる。
「使ったお湯は掃除に使うかどうかしなさい。それでも余ったら、庭に撒きなさい」
あ、けっこう面倒くさそう。一年も我慢できたんだから、そんなに頻繁でなくてもいいか、とこれまたフィフィアーナ殿下が激高しそうなことを思う。
羽根ペンを置くと、シュルツさんはふいに顔を上げた。
「よくやってくれているようですね」
「あ、ありがとうございます」
まさかのお褒めの言葉に動揺してしまう。ほんの少し、騙しているのが心苦しくなってきた。
「フィフィアーナ殿下が怖いのか、今までの侍女はすぐに辞めてしまって、困っていたんです」
シュルツさんは頬に手を当て、憂鬱そうにため息をつく。
「エルゼは怖くないのですか」
「怖くはないです。殿下はおとなしいですし、楽なものです」
噓ではない。フィフィアーナ殿下は怖くはないし、今はおとなしいし、楽なものだ。
「正直に言って、実感がないんです。本当に極悪非道な方なんですか?」
一応、そんな質問をしてみる。するとシュルツさんはさして迷うことなく答えた。
「裏の顔を見せていないだけです」
「それなら、このまま見せないでいてくれれば、私はそれでいいです」
「……大らかな性格で助かりますね」
大らか、というのは言葉を選んだ気がする。
「これからも頼みますよ」
「誠心誠意、尽くさせていただきます」
今までの侍女たちがすぐに辞めたのは、入れ替わりの魔法を使われたからですよ、と心の中でつぶやく。
そして、騙してごめんなさい、と口に出さずに謝った。
やっぱり人を騙すのはよくないことだ、という自責の念が胸の内に広がる。
自分がされて嫌なことは他人にしない。それが人間のあるべき姿のはずだ。他人に自分がされたことに対しては憤慨するのに、自分に対しては甘くなってしまっているのかもしれない。
だからといって、今さら引き返すのも、フィフィアーナ殿下とギルベルト殿下を裏切ることになってしまう。
とにかく早く肩の荷を下ろせるように、協力できることは協力して、解決できるようになるべく手を貸して、そしてこの国を出て自由になろう、と強く思った。




