8 令嬢エミリア、成長が始まる。
目を開くと私は兎車の中にいた。窓の外に視線を移すと、今はまだウルギトスが大発生しているあの森の外縁を走行中だと分かった。
……も、戻れた。
……正直、めちゃくちゃ焦ったし、今回はもうダメかと思ったよ……。気を付けないと、これは時間を戻せずにそのまま死亡、ということも大いにありうる……。
兎車の車内で向かいに座るセレーナがぎょっとした表情で私を見つめていた。
「エミリア……、お前、今一気に魔力が増えたぞ……。あと、力強さも増した……」
あれ、魔力の量は時間が戻る前と同じだ。精神と一緒に時間を遡ってきたのかな? 一日分のこねこねが無駄にならずに済んでよかったけど。力強さが増したのは死線を越えたから? とりあえず今は置いておこう。
「それよりセレーナ、あとリーシェも、よく聞いて」
私は外にいる契約獣にも内容が伝わるように心の扉を開く。
「私達は……、今から二十四時間後に全員死ぬ」
ガタン!
言い放った直後に兎車が急停止し、後ろの座席にいた私は勢いよくセレーナの胸に飛びこんだ。抱き止めてくれた彼女の顔を見上げると、「怪我はないか?」とイケメンスマイル。いや、今はそんな場合じゃないって。
二人で車から降りるとリーシェも呼んで円陣を組む。コルテシアの町に着いたのち、私達の身に何が起こるのか説明した。
話を聞いたリーシェはその長い耳を垂れさせて深々と頭を下げる。
(……すみません、狙われたのは間違いなく私です。私、裏社会生活が長くて、世界各地で色々な組織をつぶしているので世界各地で命を狙われているんです……)
…………、本当にとんでもない死神兎と契約してしまった。
ちなみに、リーシェの方は人間の言葉が分かるので、頷いたり首を横に振ったりである程度は意思の疎通が取れていたらしい。そうやって自分の契約者を捜す傍ら、悪い犯罪組織を次々に壊滅させていったと。
(弱い人達を虐げている奴らを見ると黙っていられないんです。たとえこの身で全ての恨みを背負うことになろうとも!)
契約獣は力強い眼差しでそう訴えかけてきた。
…………、すごく立派だよ。立派だとは思うけど、おかげで私達も一緒に背負う羽目になってるからね。本当にとんでもない死神兎と契約してしまった。
この話をセレーナに伝えると彼女の心には大きく響いたようで、一人と一頭は意気投合して抱き合った。
どうしてこんなにお気楽なんだろう……。あ、実際にあの場面を体験していないからか。
……このチーム、やっぱり私がしっかりしないとまずいな。
「とりあえず、明日の毒入りサーロインはきちんと回避するからね」
(もちろんです。おそらく私が人間と契約したのを絶好の機会と捉えて大好物で釣る作戦に出たのでしょう。許せません!)
前回は見事に釣られたリーシェが前脚の肉球を強く握りしめると、セレーナもこれに応じるように頷いた。
「その女は捕まえてハンターギルドに連行しよう」
――――。
翌日、私達は予定通りにコルテシアの町に到着した。
今回も兎車が町に入ると見物人が集まり出し、すぐに人だかりができる。その中から例の女性が、肉が入っているであろう包みを持って姿を現した。
彼女が何かを話しはじめる前に、私とセレーナが車から降り、リーシェは自分で牽引用の連結具を外す。
まず最初にリーシェが動いた。素早く女性の背後に回りこむと、その体を両の前脚でがっちりと捕まえる。次いでセレーナが剣を抜き、刃を彼女の喉元に。
全く身動きがとれなくなった女性の手から、私が肉の包みを取る。
「このサーロインはアンジェリカお姉様からですね?」
「……は、はい、仰る通りです、エミリア様……」
「では、今からバーベキューをしますのであなたも一緒に来てください。天にも上る心地がするほど美味しいお肉のようですので、ここまで届けてくれたあなたに、一番初めに(強調)食べてもらいたいんです」
「……お許しを。……この牛肉には猛毒が仕込んであります」
あっさりと白状した女性をハンターギルドなる所に連れていくと、彼女は国際的に指名手配されている暗殺者だったらしくて結構な額の褒賞金が貰えた。
私達はそのお金で、ちゃんとした肉屋でサーロインを買い、侯爵家所有の空き家へ向かった。
はっきり言って、私にとっては昨日の今日で体が拒否反応を示したけど、リーシェは逆に余計サーロインが食べたくなってしまったみたいだ。死んでも治らない食い意地とはこのことだよ。
せめて今回は私が調理法を決めていいことになったので、きちんと料理することにした。
メイン料理にご飯と味噌汁、それに小鉢が完成したのでお膳に載せてセレーナとリーシェが待つリビングへと運んでいく。それを覗きこみながらリーシェが首を傾げた。
(これは……、何ですか?)
「焼き肉定食だよ。リーシェのはご飯と焼き肉を超特盛りにしてあげたから」
(エミリアが得意という定食とはこれですか。米はともかく野菜はちょっと……、あ、一番嫌いなニンジンが入っているじゃないですか!)
リーシェは小鉢に入っているダイコンとニンジンのなますを指して悲鳴を上げる。うるさい魔獣だな、肉ばっかり食べてるけどそもそも何でも食べられることは裏がとれているんだよ。
「まがりなりにも兎のフォルムをしているんだから、ニンジンが嫌いとか絶対に許さない」
(それは偏見では……)
一方で、セレーナは好き嫌いなく勢いよく焼き肉定食を食べ進めていた。
「やっぱりこの定食っていうの美味しいな。命の危険があっても時間を巻き戻してもらえるし、エミリアと一緒に旅ができてよかったよ」
「お気楽だな……、巻き戻すのは簡単じゃないんだからね」
「でも、魔獣に襲われても何とかなったし、暗殺も何とかなっただろ。エミリア、もうほぼ不死身なんじゃないか?」
だから、やってるこっちは本当に必死なんだって……。
……出発から三日で二度も死にかけてるんだけど。この旅、大丈夫なの?
――大丈夫なわけがなかった。
私はこの後も何度も死にそうな目に遭うことになる。そして、その度に私の魔力は鍛えられ、強くたくましくなっていった。
後になって思えば、この旅と同時に私の成長が始まったんだ。