4 令嬢エミリア、旅立つ。
現在、私達は草原を馬車で爆走している。いや、馬車じゃなくて兎車だった。
今さっき屋敷のある町を出発したばかりなのにもう次の町に着きそうだ。明らかに馬車の速度ではない。
は、速すぎる……! まるでジェットコースターに乗ってるみたいだよ!
「エミリア! 契約獣に少しスピードを落とすように伝えろ!」
ついにたまらずセレーナが叫んでいた。
そうだ、私は心で念じるだけで伝えることができたんだ!
ちょっとリーシェ! もう少しゆっくりでお願い!
(え、これでも普段よりかなりゆっくりなんですが)
もっとだよ! こんなに高速で旅したくない! ほらもう休憩する予定だった町を通り過ぎた!
(仕方ないですね……)
兎の魔獣は渋々ながら速度を緩めはじめた。
私と契約したこの大兎はリーシェという名前で、結構上位の魔獣らしい。しばらくの間、契約に値する人間を捜して裏社会にいたので戦闘経験も豊富なんだとか。その過程で気に入らない組織(主に犯罪組織)なんかはつぶしたりしていたから、マッドラビットなる通り名が付いたんだって。
(私、人間を運ぶのはかれこれ百年ぶりくらいなんですよね)
どうやら年齢もずっと上みたいだ。
私達は大きな森の入口で休憩をとっていた。
とりあえず、今いる王国から出ようということになって、隣国を目指すことにした。道中、一番の難所がこの森だと言われているんだよね。
「棲息している魔獣の数がここまでより遥かに多いからな」
そう言いながらセレーナは切りこみを入れたパンにハムをザスッとさしこんだ。おもむろにそれを私に手渡してくる。
……料理は私が担当した方がいいな。
ハム入りパンに私はさらにクリームチーズとレタスを挟む。受け取ったセレーナは一口噛って「こっちの方が美味しいかも」と呟いた。
いや、かもじゃなくて絶対そうだよ。
リーシェにはハム抜きがいいかなと思っていると、大兎は前脚でハムをまるごと掴んで食べ出した。
(野菜はあまり好きじゃないんです。私の食事は肉中心にしてください)
なるほど、普通の兎とは大分違うし、もうほぼ肉食獣なんだね。
全員の食事が済むと、リーシェはもふもふの毛をつくろいながら私にセレーナへの伝言を頼んできた。
……それを私に言えって? 挑戦的な兎だな、やっぱり私の契約獣は肉食系だ。
「セレーナ、リーシェがセレーナの腕前を見たいって言ってきてるんだけど」
「……面白いじゃないか、その挑発に乗ってやるよ」
こちらも好戦的な笑みを浮かべる。……この一人と一頭、よく似てるのかも。
私達は難関の森へと兎車を進めた。
やがて、目の前にリーシェと同じくらい大きな、つまり馬と同サイズの狼が二頭現れた。その大きさもさることながら、脚に竜の鱗と爪がついていてとても獰猛そうだ。
こ、これが魔獣……! リーシェと違って全然可愛くないし、まるで人を殺すためにいるような生物じゃない!
旅に出たのは早まったかもしれない、と思っているとセレーナが剣を抜いて進み出た。
「ウルギトスが二頭か……、まあ何とかなるだろ」
人間が勝てそうな感じが全くしないけど、何とかなるの?
一緒になりゆきを見守っているリーシェからは、わくわくしている気配が伝わってくる。
(お手並、拝見といきましょうか)
……私一人だけ除け者にされてる感が半端ない。歴戦の戦士達にただの令嬢が引っついているような。まったくその通りなんだけど。
とにかく気をつけてよ、セレーナ……!
私が心配しているのなんて全然分かっていないみたいに、彼女は大狼達に向かっていく。その全身が淡い光に包まれた直後、両者の戦いが始まった。
セレーナは瞬時に一頭の横に回りこむと、剣の一振りでその首元を斬り裂く。大狼をたった一撃で仕留めた。
しかし、この攻撃の合間にもう一頭がセレーナの背後に移動していた。彼女を切り刻もうと鋭い爪を振り上げる。
危ない! と思った時には、セレーナはもう身をひるがえして大狼の間合いから逃れていた。
すぐに彼女は再び踏みこんで剣を魔獣に突き刺す。こちらも一撃で倒してしまった。
戦いを終えて戻ってきた幼なじみに、私はどうにか言葉を絞り出す。
「……そんな力を隠していたなんて……、よくも今まで秘密にしていたね……」
「別に言うほどのことじゃないだろ」
「絶対に言うほどのことだよ!」
「強化魔法も使ってるし、そこまで大したことじゃないって」
さっきの体が光っていたのは強化魔法だったのか。
一方で、リーシェは先ほどの試すような眼差しから一転して、感心したようにセレーナを見つめている。
(まさかここまでの腕前とは……、貴族にしておくのは惜しい逸材ですよ)
どうやら私の契約獣が私の幼なじみを認めたらしい。これから一緒に旅をするんだから仲はいいに越したことはないけど、……やっぱり私一人疎外されてるような……。
ため息をつきながら兎車に戻ろうとしたその時、遠くから新たに二頭のウルギトスが走ってくるのが見えた。
(お返しに次は私が戦いますよ)
今度はリーシェが進み出て、私とセレーナは見守ることになった。
サイズ的には同じでも、もふもふの愛らしい兎と獰猛な狼。勝ち目はないように思われたが、意外にも大狼達の方が怖気づいている風に見える。
リーシェが後脚で立ち上がると、二頭のウルギトスは途端に逃げ出した。
(あ、ちょっと……。仕方ないですね、もったいないですが魔法を使います)
契約獣の前に黒い霧が発生したかと思ったら、それはすぐに大狼達を追いかけて飛んだ。霧に包まれた二頭は突然その場に崩れる。
見ていたセレーナが静かな声で呟いた。
「あれは生命力を奪う闇魔法だ。ラビシェノンは闇属性を得意とすることから死神兎と呼ばれている」
……私の契約獣、本当に死神だったんだ。と感慨に浸る暇もなく、セレーナは言葉を続ける。
「実は話すか迷ったんだけど……、……ラビシェノンと契約した人間は、恐ろしい最期を迎えるって噂がある……」
あ……、それなら知ってる……。死の間際の体感時間が、百倍になるからね……。