仲間
川下美姫になって二日が過ぎた。この間は、病院を退院して若い日の美姫に関する情報収集に専念してきた。といっても、川下家での振る舞いや美姫に関する情報については、もともと川上家を通じて親交があったことにより、特に問題となる点はなかった。また、記憶については医師が記憶喪失の診断をしてくれたこともあり、私の知らない美姫のことについては、全て記憶喪失で乗り切れそうだった。
おかげで、美姫の中身が私に入れ替わっていることに気づかれる恐れもなく、退院から三日後、私は心配する両親をよそにさっそく登校を開始することにした。
私が通っていた私立栄華学園は、私立でありながら川上家と川下家の財力によってほぼ学費がかからないことになっている。そのため、北部地区南部地区問わず入学希望者が多く、全国的に見ても稀なくらいのマンモス高校にもなっていた。
送迎の車からおり、ずらりと並ぶ懐かしい校舎に目を向けてみる。ただの平凡な家庭の女でしかなかった私が、ここで生徒会長となった龍矢と出会って恋をし、さらには虚構とはいえ結婚までしたのだから人生とは本当にわからないものかもしれない。
不意にわいてきた哀愁に胸ざわつくのもつかの間、私の登校に驚いた生徒たちが次々に挨拶してきたことで、私はようやく美姫として今ここにいる現実を改めて実感した。
――思い出に浸るのは後回しにして、まずはやらないといけないことをやろう
次々にかかってくる声を適当に流しながら、校舎の中に入る。さすがは川下美姫ということもあってか、私を無視する人は誰もいなかった。ただ、無視する人はいないとはいえ、気兼ねなくからんでくる人が一人もいないことがちょっとだけ気になった。
――美姫さん、誰と仲良かったっけ?
高校の時、私は美姫とはほとんど接点がなかった。だから美姫が誰と仲良くしていたかはあまり記憶にない。唯一仲良さそうにしていたのは、私の親友でもある真菜ぐらいだろうか。川上家に嫁いでから何度か美姫と交流することはあったけど、わがままなまま元気よく育ちましたといった感じの美姫から、高校時代の話を聞く機会はなかった。
――ま、考えても無駄だし、さっさと計画を進めたほうがいいかな
あれこれ考えても知らないことはわからないものだから、私は気持ちを切り替えて予定通り狙いを涼介に向けた。
「涼介!」
下駄箱の先で待つこと数分。相変わらず朝に弱い寝起き全開の涼介を見つけ、その小柄で華奢な見慣れた肩を叩いてやった。
「え? 川下さん?」
派手に驚くリアクションは、相変わらずだった。その仕草につい心が和んだものの、向けられた表情が困惑で一杯だったことで、うっかり昔のノリで接したことを早速後悔することになった。
――やばいやばい、正体がバレたらダメだったんだよね
医師に言われた言葉を思い出し、うかつな言動をとったことを反省する。その間、京介はどう反応していいかわからないといった感じで固まっていた。
「ちょっと話せる?」
次第に周りの好奇心あふれる眼差しが増えるのを感じた私は、フレンドリーな態度を改め、有無を言わせないまま涼介の腕をつかんで人気のない校舎裏に連れ出した。
「ちょっと、川下さんどうしたの? ていうか朝のホームルーム始まるんだけど」
必死に平静を保ちながら、涼介がかすれた声で抵抗をみせてきた。昔から私以外の女子とはうまく喋れないせいか、引きつった笑顔が痛々しく見えた。
「涼介くん、あなた今度の生徒会長選挙で監査役をやることになってるよね?」
警戒心をあらわにした涼介に、仕切り直しとばかりに態度を改めて話を切り出していく。この頃の涼介との関係は一切気を使う必要がなかっただけに、変にかしこまることがむず痒くて仕方がなかった。
「そうだけど、それがどうしたの?」
「実はね、私、生徒会長の立候補を取り下げて監査委員会に入ろうと思ってるの」
「え? それってどういうこと?」
私の話に、一応は笑っているけど目だけは笑っていない涼介が、明らかに不信感をあらわにしてきた。
「まあ、いきなりこんな話をされたら、なんだコイツってなるのはわかるよ。でも、本当に私は生徒会長になるつもりはないし、それに、どうしても監査委員会でやりたいことがあるの。だから、涼介にはそのサポートをお願いしたいの」
明らかに距離を取り始めた涼介を追いかけるように、一気に用件を畳みかけていく。涼介としたらいきなりこんな話をされたら迷惑だろうけど、私としてはここは絶対に譲れなかった。
なぜなら、この後に行われる選挙に関する話し合いの場で、涼介は無記名式の投票を訴えることによって龍矢に目をつけられることになる。だから、ひとまずそれをなんとしても阻止する必要があった。
「サポートって、川下さんのやりたいことってなに? まさか、N○Kをぶっ壊すとか言わないよね?」
引きつった顔のまま、涼介がとんでもないことを口にした。私の知る限り、涼介はこんな場面で変なことは言わない性格だったはずなのに、まさかの一面を見たことで私は反射的に吹き出してしまった。
「僕、なにかおかしなこと言ったかな?」
「いや、おかしくはないんだけどね。それより、私が監査委員会に入ることオッケーしてくれるよね?」
危うく昔のノリにまたなりそうなところを無理矢理抑え込み、再び話題を戻して涼介の意志を確認する。涼介は、相変わらず渋い表情を崩すことなくどう答えていいか迷っているみたいだった。
「川下さんが監査委員会に入れるかどうかは、僕だけで決められないし、それに――」
「その点は大丈夫。涼介くんさえオッケーしてくれたら、生徒会には文句言わせないから」
努めて笑みを保ちながら、私はゆっくりと涼介の言葉を切り返していく。説明するまでもなく、美姫の権力を使えば生徒会の許可を取ることなど簡単なことだった。
その証拠に、私の言葉に涼介は否定することなく小さくため息をついていた。美姫がその気になればなんでもできることは涼介もよくわかっているのだろう。もちろん、ここで涼介が拒否したとしても無駄だということも、言葉にしなくても充分伝わっているみたいだった。
「川下さんが監査委員会をやりたい気持ちはわかったけど、でも、どうして生徒会長になるのを諦めてまでやりたいの?」
「それは、単純に龍矢を懲らしめるためかな」
「え?」
「まあ、平たくいえば、ちょっとわけありで龍矢に復讐したいってこと。それには、立候補として対抗するより、監査委員会として龍矢の選挙活動を徹底的に妨害するほうがマシでしょ?」
私の考えは単純だった。選挙で立候補として龍矢と争うよりは、龍矢を監視できる監査委員会のほうが都合がよかった。なぜなら、龍矢は必ず選挙活動において権力を使ってあれこれ画策するのがわかっているからだ。
その画策を徹底的に潰すためには、監視する立場のほうがやりやすいし、なにより美姫の権力を充分に発揮できるという思惑があった。
その一晩考えて出したアイデアを披露すると、涼介は呆れとも困惑ともとれる表情を浮かべて口を開けたまま固まってしまった。
「どうしたの?」
「いや、龍矢くんって川下さんにそんなに恨まれるような人かなって思って」
困惑しながら理由を説明する涼介を見て、この時代の龍矢がまだその毒牙を隠して善人ぶったままだったことを思い出した。涼介は未来の龍矢を知らないから、なぜ美姫が恨んでいるのか不思議で仕方ないんだろう。
「その点については、今はまだ答えられない。でも、これだけははっきり言える。龍矢を生徒会長にしては絶対にダメだってね」
理由をどう説明するか迷ったけど、結局は未来の話をしたところで意味がないとさとった私は、強引に涼介を丸め込むことにした。
「変な話にいきなり巻き込んで悪いってのはわかってる。でも、みんなのためにも私に協力してほしいの」
力強く涼介の目を見つめながらありったけの気持ちを込めて頭を下げると、涼介はびっくりしながらも、ようやく自然な笑みを浮かべてくれた。
「よ、よくわからないけど、でもなにか事情があるみたいだし、僕でよかったら協力するよ」
「ほんと? ありがとう!」
ようやく硬い雰囲気をといてくれた涼介の手を握り、仲間になってくれたことに感謝を告げると、涼介は顔を真っ赤にして笑ってくれた。
――よし、これで龍矢を追い詰める舞台は作れそうかな
欲しかった涼介を味方にできたことに喜びながら、私は今後の展開を頭のすみでじっくり考えることにした。