天才ピアニストが兄を殺した理由

作者：深瀬アリス

　僕がピアノを始めたのは、三歳の頃からだった。覚えていないが、両親によると僕はピアノをやりたいと言ったらしい。そして近くのピアノ教室に通うようになった。

　最初は失敗することも多かったが、人一倍悔しいという思いが強く、家でも練習できるようにピアノを買ってもらい、普段から練習するようになった。

　いつだろうか、兄がピアノをやりたいと言い出したのは。僕の両親は、幼い兄の心をグシャグシャに破った。

　母は言った。

「あんたは小さいときに習い事をやらせてあげたんだから、我慢しなさい」

　父は言った。

「お前を育てるだけでどれだけお金が掛かったか、分かっているのか？」

　両親が兄に習わせていたのは、兄の苦手なスポーツだった。両親は兄のためになると思っていたようだったが、僕の目に映る兄は苦しそうだった。

　僕は兄が可哀想に思えた。もし僕が居なかったらピアノを習えていたんだろうって。でも僕の口からは一切出さなかった。

　もし僕にピアノが無かったら、何が残るのか。

　お父さんもお母さんも、僕にピアノの才能があったから優しくしてくれているんだ。その僕がお兄ちゃんの心配をしたら、きっと言葉の矛先は僕に向かっていただろう。

　だから僕は兄に対する想いを、心の中に深くしまった。白川家の次男としてでなく、天才ピアニスト白川久七源として振る舞うことにした。

　そして僕が小学一年生になった年のピアノコンクールに優勝し、朝のニュースに出演した。

　僕の名前はあっという間に広がり、街を歩けば声を掛けられる程有名になった。

　ピアノの大きなコンサートにも出るようになった。結果は全て優勝だった。

　だが小学三年生のときに、僕はピアノが嫌いになった。

　昔はピアノを習っている友達だった子たちが、僕を急に避けるようになったからだ。

「結局あいつが優勝する」

「あいつとは世界が違う」

　そう言われるようになった。

　僕は天才ピアニストではなく、兄のように普通の子として生まれたかった。

　これも全て、ピアノがあったから……。

　両親は悩んでいる僕を安心させようと、僕の技術を褒めるようになった。おもちゃも沢山買ってもらえるようにもなった。

　そうやっていつも両親は、求めてもいないことを与え、求めているものを与えてくれない。

　いっそ死んでしまおうか。

　そう考えたこともあった。

　しかし、時はそれを許さなかった。

　四年生のときに母から

「あなたは普通の公立中学校じゃなくて、国立の音大附属中に行くのよ」

と言われたのだ。

　そして僕は普通の受験勉強とともに、音楽に関する勉強や、いつも以上のピアノの練習をさせられるようになった。

　ピアノの練習を休む暇もなく、遊んでいると物を投げつけられたこともあった。

　きっと神は僕がピアノを辞めることを許さないのだろう。

　そして僕は、中学生になれば今までよりかは練習量が少なくなるだろうという、ただ一つの希望を胸に、僕は受験までの時を過ごした。

　そして、僕は母から言われていた国立中に合格し、そこへ通うことが決まった。

　やっとこの地獄から解放される。そう思っていた。しかし、本当の地獄はこれからだった。

　中学生になっても練習量も変わらず、その上学校の授業ペースに着いて行かなければならない為、今まで以上の勉強時間を確保しなければならなくなった。

　もうこの頃から兄のことなど頭に無かった。僕はきっと無意識のうちに諦めていたんだろう。

　僕は一生ピアノと生きていくんだと。

　そんなとき、兄から思いも寄らない言葉を掛けられた。

「俺さ、ピアノやりたいんだよね」

　その言葉を聞いた瞬間、僕は気が付いた。

　僕がこんなに苦しんでいる間、コイツは何にも考えずのうのうと暮らしていたんだと。その上僕に軽々しく「ピアノをやりたい」と言ってくるなんて。

「お前にやる資格は無い」

　僕は兄にそう言い、自分の部屋へと向かい歩いた。

　今日もまたピアノの練習だ。

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