93 雨の日 前
朝になり、窓から雨音が聞こえていた。小雨より強い雨音だ。雨の中歩き回るのはめんどうだと、マッサージを受けるまでのんびりと部屋で過ごす。
昼食にはまだ早い時間に財布と剣を持って宿を出て、ガルビオの師匠の方に行くことにした。そう遠くなくそっちを利用するから今日はお試しにと思ったのだ。混んでいるかもしれないから、そのときはガルビオの方に行くつもりだ。
宿で借りた傘をさして、ここ数日より人の少なめな大通りを歩く。
店内には人が多かった。でもガルビオと違い複数人でやっているところなので、二十分ほど待てば順番が回ってくるらしかった。それくらいなら問題なく待てるので、待合室の椅子に座る。
そうして二十分を少しだけ過ぎて名前を呼ばれ、施術室に入る。待っていたのは二十歳過ぎの青年だ。
どこか気になっているところはあるか、ダンジョンはどこまで潜っているのかといった問診を受けて、ベッドに横になる。
やってもらうのは体全体をまんべんなく。
マッサージを受けてみて、ガルビオとの差はそこまでなかったように思えた。若い人だし、まだまだ精進している最中なんだろう。ミスなんかしていないので、マッサージに文句はない。
ガルビオのところよりも少し高い料金を払って、店を出る。
近くの食堂で昼食をとって、タナトスの家に向かう。相変わらず雨は降っていて、今日はさすがに予選会場も人は少ないだろうと思いつつ歩いていると、何かを叩く物音が聞こえてきた。
すでにタナトスの家に近くまできていて、ここらへんは空き家が多いのは知っている。
これまで通っていて子供たちが遊んでいる声が響く以外に、大きな音はなかった。
こんな雨の中、雨漏りの修理でもやっているのかとそちらへと歩いていく。なんとなく気になったのだ。遠回りするわけでもないし、なにをしているのか確認したらタナトスの家に行くつもりだ。
音がしているのは古びた一軒家だ。そこはローガスさんとディフェリアが借りている家だった。三人の男たちが閉じられた玄関を蹴っていて、今まさに蹴破られて中へと入っていった。
男たちは武器を抜いていた。中に入る方法が穏便ではないし、武器を抜いている時点で穏やかではない。おそらくディフェリア狙いの奴らに見つかったということなんだろう。
すぐに近くにあった塀に隠れたためか、男たちは俺に気付いていないので奇襲ができる。
(魔力循環でいっきにやってしまえるといいけど)
できるならシーミンたちに協力を求めたい。でもここから離れているうちにディフェリアがさらわれる可能性があるし、騒ぎに気付いてくれることを祈るのみだな。
男たちが出てくる前に塀から出て、玄関の死角からそろりそろりと家に近づく。
玄関近くに来て、傘を壁にたてかけ耳をすませると、雨が地面を叩く音のほかに家具が倒れる音やローガスさんの怒声などが聞こえてきた。
今中に入ってもこちらとしても動きにくいので、ローガスさんたちには耐えてもらうしかない。
奇襲するタイミングを逃さないようにしっかりと耳を澄ませて、魔力循環が使えるように準備を整える。雨が全身を濡らしていく。
ローガスさんの抵抗の声が途絶えて、ディフェリアの泣く声が耳に届く。もしかするとローガスさんは死んでしまったのでは、なんて考えたけど、今更動いてもどうにもならない。
男たちがディフェリアを袋詰めすると話している声も聞こえてきて、ディフェリアの泣き声が聞こえてこなくなった。袋を回収すればよさそうだと思いつつ待つ。
そろそろ出てくるだろうと身をかがめて魔力循環を使い、そっと剣を抜く。
男たちの足音が玄関に近づいてくる。外に俺がいると気づいていないようで、落ち着いた足音だ。
こちらは息を潜めて、ディフェリアを入れた袋を持った奴をぶっ叩くため待ち構える。
そうして男たちが出て来て、周囲を見る。
「よし誰も見て」
いないなと続けようとしたのだろう。俺を見て一瞬固まり、警告の声を上げようとした。
だが遅い。タイミングを計っていたこちらはすぐに動いていた。
大きな袋を肩に担いでいた男へと接近し、袋を奪い取る。
『きゃあ!?』
奪取が乱暴になったせいかディフェリアのくぐもった悲鳴が聞こえてきた。
「ごめん」
続けて雑な扱いで袋を地面へと落とす。さらに悲鳴が聞こえてきたが、謝るしかできない。
相手の力量がわからないので、人間の入った袋を持ったまま戦えるかわからなかったんだ。
ディフェリアを下ろし、身軽になって三人へと突撃する。
三人も応戦のためにショートソードやナイフを抜く。彼らの武器はローガスさんを斬ったのか血が付着していた。それが雨に流れて地面へと落ちている。
時間制限があるんで、多少の怪我は無視して攻め続ける。殺す気はないので、剣の腹で叩いて叩いて叩きまくる。
「なんだこいつ!?」
「三人がかりだが、分が悪い!」
どうにかしてディフェリアを確保したいのか、ちらちらと視線を袋へと向けている。
三人は目配せして、二人が俺へと声を張り上げ挑んでくる。
二人で足止めして一人が袋へと向かおうとしたいのだろう。でも二人になれば楽になるのはこっちだ。あっというまに蹴り飛ばし、袋へ向かうため背を見せているもう一人も蹴倒して、さらに頭部を蹴飛ばす。
「ぐがっ」
その痛みで武器を手放したから、それも蹴って遠くへやっておく。
気絶させたいんだけど、締め落とすのはさすがに隙だらけになるし。さっきの蹴りで気絶してくれていたらよかったんだけど。
あまりやりたくないんだけど、足の骨を踏み砕くか。
まだ動ける二人がいるから迷っている暇はない。
倒れて泥まみれの男の足首あたりをおもいっきり踏む。靴越しになにかを潰す感触が伝わってくる。モンスター相手なら気にならないんだろうけど、悪人だとしても人間相手だと嫌な感触だ。
「がああっ」
男の悲鳴が上がる。
これで動きが制限されるはずだ。無力化したと意識をそらすと這いずってディフェリアまで移動し人質にとられかねないから、気にかけておく必要はあるけど三対一よりだいぶましだ。
正直袋からディフェリアが出てきてタナトスの家に避難してくれると助かるんだ。でも袋から出てくる様子はない。内から開けられないか、外を警戒しているのか。
そんなことを考えつつ残る二人の動向を見る。
立ち上がった二人はちらりと家に視線を向けた。
(……ローガスさんを人質に?)
そう思いついた途端一人はこっちへと向かってきて、もう一人は家へと向かう。
やばいな。どう考えても手が足りない。
目の前の男を倒して家に入ったら、倒れている男がディフェリアになにするかわからん。
どうすればいいと迷ったことが悪かったか、襲いかかってくる男の相手で精一杯になる。
そうしている間に魔力循環もそろそろ切れる頃合いになり、片方の男が家の中に入っていく。
(ディフェリアだけでも拾ってタナトスの家に逃げ込むべきか)
焦りを感じつつローガスさんを見捨てる方向で考えていると、家の中から悲鳴が聞こえてきた。
ローガスさんのものではない。入っていった男のものだろう。
思わず俺の注意がそちらに向いたけど、目の前の男もこれには動揺したようで注意がそれる。
互いに我に返り、攻撃をしかけて俺の剣の方が先に男の腹に当たって吹っ飛ばした。
倒れた男に急いでかけより、また足首を踏み砕く。
それと同時に家の中から、人が出てきた。
「シーミン!?」
「お疲れ。わりと来たばかりでどんな状況かわからないから説明をお願いできる?」
「俺も詳しいことはわからないんだ。ローガスさんは?」
答えつつディフェリアの入った袋へと小走りで向かう。
「切り傷があって血が出ていたわ。ポーションで治したけどしばらくは安静にする必要があるでしょうね」
シーミンも言いながら俺についてくる。
袋を開けると怯え顔のディフェリアがいて、シーミンの顔を見るとすぐに抱き着く。
シーミンはディフェリアの頭を撫でつつ、俺へと顔を向ける。
「男たちを見張っててくれる? 家族を呼んでくるわ」
「わかったよ」
ディフェリアを抱えてシーミンは去っていき、すぐに雨避けの外套を着たタナトスの人たちがロープを持ってやってきた。
男たちの身体検査をしてから手足を縛り、引きずっていく。気絶したローガスさんは背負われていった。それに俺もついていく。
タナトスの家に入ると、シーミンの母親が待っていてすぐにポーションとタオルを渡される。
「ありがとうございます」
ポーションを飲んでから、体をふいていく。
服があちこち破れてしまっている。新しいものを買いにいかないと。風呂にも入りたいな。
ある程度水をふき取るとリビングに案内される。
そこにはシーミンとディフェリアがいた。ディフェリアはシーミンの膝に乗っていてギュッと抱き着いている。
「お茶をどうぞ。飲んで温まりなさいな。そろそろ雨も冷たくなってくる時期だし、風邪をひくかもしれないわ」
シーミンの母親が湯気の立つお茶を目の前の置いてくれる。
それを両手で包むように持ち、口に持っていく。
温かいものが体内に入っていき、ほうっと溜息が出た。
お茶を飲み干したところで、シーミンから再度なにがあったのか聞かれる。
「昼食後にここに来ようとしたんだ。そしたらなにかを叩く音がしたんで気になった。ここらへんはいつも静かだし、タナトスの家以外から音がするのは珍しかったから」
母親はそうなのかと頷いて、シーミンはまた妙な運を発揮したのだなと呆れた表情を見せている。
「音の発生源はディフェリアたちの家だった。その玄関を蹴破ろうとしていた男たちがいた。これはただごとではないな、ディフェリアがついに見つかったと思っていたら、家の中に入っていった。そのまま追いかけても家の中だと暴れにくいから、出てくるのを待ち伏せた。あとは戦って、シーミンが現れたという流れ」
「なるほどね。ディフェリア、あの三人はあなたを連れ去ろうとしていた人たちで間違いない?」
確認のためにシーミンが声をかけ、ディフェリアが頷く。
「ようやく見つけたとか言ってたよ」
「追手で間違いないようね。でもなんで真昼間から誘拐しようとしたのかしら? 場所がわかっているなら夜でもよかったと思うのだけど」
シーミンの母親がおそらくだけどと前置きして続ける。
「最近日が落ちて殺人事件が起きたり、若い冒険者が暴れているから夜の見回りが例年より強化されていて、夜も動きにくかったのでしょうね。ここらは人が少ないし、雨も降っていてさらに人目が減っている今日が逆に動きやすいと考えたのかもしれないわ」
そうかもしれないなぁ。俺が偶然通りかからなければ、上手く行っていただろうし。偶然といえば、シーミンはどうして家から出てきたんだろう。
シーミンがどうしてあの場にいたのか聞いてみる。
「戦う音が聞こえたとかそういったことはなくて、なんとなくあっちが気になったの。勘で動いたとしか言いようがないわ」
「対面した人に対して察しがいいのはいつものことだけど、そういったなんとなくといった勘で動くのは珍しいわよね」
母親から見ても珍しいことだったのか。そのおかげで助かったんだけどさ。
「もしかしたら強くなったことで勘がさらに強化されたのかもね」
「そうなのかしら」
シーミン本人はあまり自覚がないようだった。
「そこらへんがどうなっているのかは今後はっきりとしてくると思う」
「勘とか鍛えたり制御したりはできないし、なるようにしかならないわな」
俺がそう言うとシーミンは頷く。
「ちなみに今はなにか勘が警告を発してたりするのか?」
「してない。特にこれといった気になることとかはないわ」
「だとすると捕まえたあの三人が暴れたりしなさそうだな。そういえば兵に連絡したんですか?」
母親に尋ねる。
「まだというか、あなたに頼むつもりよ。私たちが行くよりスムーズに話が進むでしょうし」
「りょーかいです。あとで行きます」
イファルムさんたちにも今回のことを伝えておこうか。繋がりがあるかどうかわからないけど、怪しい道具を渡しているっていう共通点があるし、念のため。
まあ向こうの調査とかがどれくらい進んでいるかわからないし、とっくにフェムを取り戻している可能性もある。そのときは意味のない連絡になるな。
ローガスさんの様子やディフェリアたちの今後について、タナトスの一族から見てあの捕まえた三人はどう思うかといったことを話して、席を立ち家から出る。
感想ありがとうございます