86 予選開始 3
去っていくデッサを見送り、ニルドーフたちもギデスの屋敷へと帰る。
部屋に戻ってからニルドーフはペクテアに話しかける。
「一般人の考えというわけではなかったが、王侯貴族にはない考えを知ることはできたかい」
今回の会話は、ペクテアのためだけではなくニルドーフがデッサをより深く知るためにも行われたものだ。
といってもペクテアとの会話で思考の癖などを知れれば儲けものと考えていたので、ペクテアの見聞を広める方がメインだったが。
貴族の要請などよりも優先するものがあると知れたのは、収穫と言っていいだろう。
「やはりデッサ様の考え方は一般的ではないのですね」
「俺たちが王族ということはわかっていないが、貴族だろうと推測しているはずだ。それでも俺たちの要請を時間の無駄と言い切れるのは普通ではないね。ある程度の知識があるからなおさらだ」
貴族がどういったものか理解しているなら、逆らうようなことは自身に不利になるとわかっているはず。なにごともなく過ごしたいなら、本音を隠して承諾してやりすごそうとするものだ。それを理解してもなお、従う姿勢を見せないのは一般人とはいえないだろう。
「なによりも優先する大事なことがあるのでしょうか」
「あるんだろうね。そこらへんは俺も詳しく聞いていない」
秘の一族については伏せる約束なので、事情に関して聞いていないという返答になる。
「なにかの目的があって鍛えることを最優先で動いているらしい」
「そうでしたか。短い時間でしたが、印象に残った人でした」
「確実に俺たちの周囲にはああいったことを言う人はいないからね」
王との話し合いを無駄と言い切るのは、本人にその気がなくてもインパクトが大きかった。
「兄様はどうしてあの方に身分をばらさないのですか」
「最初出会ったのはとある村だったんだよ。そこで普通の冒険者として顔を合わせたんだ。特に身分をばらすような状況じゃなかったから、そのまま冒険者として接すればいいやと思った。あのときはこうして再会することを想定してなかったしな。再会しても身分をばらさず冒険者として接した方がいいだろうと思って、そのままにしておいた」
「再会してもばらさなかったということは、またどこかで会う気がしたのですか?」
そうだとニルドーフは頷く。情報源とみなしているのだから、再会はどこかでするつもりだった。
「ペクテアも意外なところで再会するかもしれないぞ」
「するでしょうか。兄様は外出が多いので機会はあるでしょうけど、私は基本的にお城で過ごしていますし」
「今回の仕事を失敗なく終わらせられたら、また別のどこかに出る仕事を任せられる可能性はある。そのときに再会するかもしれない」
「偶然がいくどか重なればそんなこともありえそうです」
無理だろうとペクテアの表情に表れていて、まあそうかとニルドーフは苦笑した。
ミストーレから動く気がなさそうなデッサが、ペクテアの仕事先で遭遇する可能性を考えて、かなり無理がある質問だったなと自覚があったのだ。
「再会するかどうかはおいといて、今後どのような方々に会ってもそうそう驚くことはないと思います」
デッサほどのインパクトを与えてくるものはそうはいないだろうとペクテアは思う。
「世の中広いし、彼以上の驚かされる発言をする人はいるぞ。今後も王族としてしっかりと心構えはしておくように。油断しているといらぬ失態を見せることになる」
「心しておきます」
ニルドーフが念を押すように言ったので、ペクテアも表情を引き締めて頷く。そして兄が聞いたことのある驚きの発言はどのようなものがあったのか聞く。
ニルドーフは自身の体験を話しながら、ペクテアが糧にしてくれることを願う。
これは父母や兄姉たちがニルドーフにしてくれたことであり、ペクテアもいつか妹や子供に同じように話すのだろう。
◇
予選二日目、今日も会場へと向かう冒険者たちが多い。
今日も勝ってやるといった発言や今日こそは勝ってやるという発言があちこちから聞こえてくる。
まだまだ皆やる気が満ちている。予選日が進むにつれて、焦った声とかも聞こえるようになるんだろうか。負けてやけになる人もでてきそうだ。
そんな人が暴れるなら実害のあるそっちに目が向いて、タナトスの一族は気にしていられないかもな。タナトスの一族が祭りの日を普通に過ごせるのは、そういった事情もあるのかもしれない。
そんなことを考えつつ転送屋に入る。
今日も四十二階でバフマンと戦っていく。バフマンとの戦いに慣れ始めたことが悪かったのか、祭りの浮かれた気配につられたか、最後に油断してしまった。
これで終わりにしようと思って三体のバフマンと戦っているときに、三体のバフマンが乱入してきたのだ。まずいと思っていたら、さらに三体集まってきた。
いつもはこんなミスをしないように周辺の気配には気を付けている。
(疲れでミスったか。次からはとか反省している暇もないな)
仲間が集まったことで強化されたバフマンたちの攻撃を必死に避けていく。当たれば痛いではすまなさそうな雰囲気があるのだ。事実かするだけでそれなりの衝撃が防具を通して伝わってくる。
避けきれないと思ったものは、転がって避けたりもしたんで体全体が汚れてもいる。
逃げようかと考えたが、逃げた先でさらにバフマンと遭遇すると強化具合が上昇してしまう。
「どうする」
そう考えるが、ここは魔力循環しかないだろうとわかっていた。
でもこの現状で魔力循環を行えば隙だらけで、殴り倒されるのは確実。一度大きく距離を取るため、逃げる方向をしっかりと確認する。
おそらく移動先にバフマンはいない。そっちに走ると決める。
距離をとって足を止めて振り返る。追ってくるバフマンたちを見ながら、できるだけ落ち着いて魔力循環を行う。
深呼吸を繰り返し、焦りそうになる心を鎮める。
「よし!」
先頭のバフマンとの距離が二メートルもなくなったときに、魔力循環が発動する。
先頭のバフマンが拳を振り上げている。俺も剣を振り上げた。拳が当たるよりも先に剣が当たる。そのバフマンがどうなったのか見ずに別のバフマンへと斬りかかる。
魔力循環の効果が切れる前に決着をつけるため、次々とバフマンを斬っていく。
大ダメージを負えば、それだけ動きが鈍くなる。それなら数が多く、強化されていてもなんとかなるはずだ。そう信じて息をするのも忘れて剣を振っていった結果、九体のバフマンは地面に倒れて消えていった。
周りにバフマンがいないのを見て、その場に両膝をついて大きく息を吸う。しばし呼吸を繰り返してようやく落ち着くことができた。
「焦ったー」
そしてすっごく疲れた。疲れたところにあの数は勘弁してほしい。
その場で十分ほど休憩して、落ちている魔晶の欠片を拾ってゆっくりと転送屋のいる階を目指す。
今日はもうギルドで欠片を売らずに、まっすぐ宿に帰ろう。注意深く周囲の気配を探りながらそんなことを思い、転送屋を待っている冒険者たちに合流する。
たいして待つことなくやってきた転送屋と一緒に地上に戻り、転送屋を出る。
すぐ帰るつもりだったけど、ジュースを売っている屋台があったから、休憩がてらそれを飲んでいこうとリンゴジュースを購入し、ベンチに座る。
あーっ、このまま動きたくない。
(しかしすごく頑張れば九体もいけるんだなぁ、たぶんだけどあの強化されたバフマンたちは、四十三階のモンスターよりも強かったんじゃないか)
疲れた体にしみわたるリンゴジュースの甘さと酸味を味わいながら、ぼんやり考えていると誰かが隣に座った。
休憩かなと思いつつ、そのままジュースを味わう。
「体中汚れて、大変そうだ。それだけ強くなりたいということかな」
「……」
もしかして俺に話しかけてる? 隣を見ると、向こうも俺を見てきていた。
ローブを着た男で、年齢は三十歳後半くらいか。表情は穏やかで、不快なものは感じさせない。
「俺に話しかけてました?」
今はあまり会話したくないんだけど。
「ああ、そうだよ。それだけ疲れて汚れていると苦労したんだろうと気になったんだ」
「まあ、しましたね。ちょっとばかりしくじりまして」
いつもより汚れているし気になったのかな。
「しくじった原因は焦りかな」
「焦りというよりは疲れからの判断力低下ですかね。仲間がいれば、ミスはしなかったのかなと思いますが」
「一人? それは珍しい。なにか理由でもあるのかな」
「自己都合ですねー。俺のやり方は誰かと一緒にやるには向いてないのかなと」
詳しく語る必要はないだろ。知らない人だし。
「誰かしら気の合う人はいるのでは?」
「たしかに気の合う人はいるでしょう。やり方が合う人がいるかどうかはわかりません」
コミュニケーションの面で仲間を得られないと思われたんだろうか。さすがにそれは違うと抗議したい。疲れているからしないけど。
「今後も自身のやり方を貫いていくのかな」
「そのつもりですよ」
「苦労するとわかっていても?」
「ええ」
やらないと死ぬからね。やり遂げた先も死なんだけどね!
「そうか……私も何年か前は無茶をしたものだ。目的のため無茶を続けて、どうにかなしとげたはいいものの、体を壊してしまってね」
「ぱっと見はどこか悪いとは思えませんが」
「日常生活はなんとかね。だが戦いは無理だろう」
自身の体調を確認するように手を握ったり開いたりしてみせる。
「私のようにはなってはいけないよ。いらぬ苦労を背負い込むことになる」
「今無茶でもして頑張らないと将来が大変なことになるとしてもですか」
「私も同じようなことを思って無茶をやった手前、偉そうなことは言えないがそれでも自分を大事にすべきだろう」
「大事にはしたいですけどね」
「現状を続けるのか、その気持ちもわかる。まるで過去の自分を見ているようだ。そんな君の助けになるものがある」
「助け、ですか」
うーん、怪しくね? 詳しく事情を話したわけじゃない。ただ一人でダンジョンに行き続けるって言っただけだぞ。それなのにこっちの事情を知ったように言ってくるのはちょっと納得しかねるな。
自分に似ているとか言っているけど、こちらとしては向こうの過去を知らないから、勝手にシンパシーを感じているようにしか思えないし。
これはあれか、若者に声をかけているという。
俺も十四歳だから若いし、体中汚れて苦戦していると思われて、力を与えようという誘いにのると思われた?
「一人ダンジョンに挑むならば、たしかな強さが必要だろう。それは戦い続ければ得られるものだ。だがいつも自身にあった戦いができるわけではない」
「……そうですね」
言っていることは納得できるんだけどなー。今日みたいにキャパシティを超える数との戦いが、今後も起こらないとはかぎらない。
「そんなときに頼りになるのは力だ。何者をもはねのけられる強き力。魔力活性で一時的に力を高めればいいと思うかもしれない。だが魔力が尽きていては意味がない。護符で足りない力を補えばいいのかもしれない。だが護符でも及ばない場合がある。そんなとき力を与えてくれる。それがこの腕輪だ」
テレビショッピングが頭に浮かんだ。『今日紹介するのはこの腕輪!』とかそんな感じ。
男が鞄から取り出したのは、銀色の腕輪だった。特に飾りはないと思えたが、ちらりと見えた裏に紋様なものが刻み込まれ、小さな宝石も見えた。
怪しい人がいると聞いてなかったら、興味を持っていたかもしれない。でも今は危ないものにしか見えないわ。
腕輪を見定めるそぶりで、この誘いをどうしようか考える。
兵やイファルムさんが情報を欲するのは確かだ。頷けば情報が入るかも、でも頷けない。ここで受け取れば実際に使っているところを見たいと言ってくるかもしれない。この腕輪にどんな副作用があるかわからないから、身に着けたくないんだよな。
断ればどこかに行くだろう。それでこの男との繋がりは切れる。尾行するにしても俺にそんな技術はないからばれかねない。
ついでに考え続ける時間もないだろうから、さっさと決めないとね。
「……やめときます」
「なぜ?」
「あんたの言うようになにもかも手段がなくなり、追い詰められるということはあるだろう。そんなとき頼れるものがあれば助かるのは事実。でも同時に不安もある」
「不安とはなにかな。これは最後の最後に助けになるものだと自信がある」
「それは魔法道具なんだろう。ということは消費するものがあるはずだ。でも魔力が尽きても使える」
代償に命を削るとか勘弁だぞ。
「事前に魔力を込めるタイプの魔法道具もある」
「たしかに。でもね俺は魔法を使うタイプではなく戦士タイプ。そんな魔法に不慣れな奴が込めた魔力で発動するものに、最後の最後を頼るってのはどうもね」
ちょいと苦しい言い訳か?
「使い慣れないというなら、慣れるまでフォローを入れることも可能だが? しばらくダンジョンで共に行動しようじゃないか。俺と同じ道筋をたどりそうな若者を見過ごすのは忍びない」
「うーん、どうも気乗りしない」
「この先、腕輪があればと後悔することになるかもしれないよ」
「こないと言い切れたらいいんだけどねー」
きっとピンチは今後もあるんだろう。
「でもいらない。初対面の人にもらうようなものでもないし」
「そうか。君は力を欲すると思ったから声をかけたんだが。どのようなものでも求める雰囲気があった。俺もまだまだ人を見る目がないということだったか」
強くなりたいという思いはある。男はそれを敏感に感じ取ったんだろう。
フェムもそういった雰囲気を見抜かれて、焦燥感から誘いに乗ったのかもしれない。
男は立ち上がり、去っていく。
男が本当に善人で、自身に似た俺を助けたいと思った可能性はある。でも怪しい人物がいると聞いてしまっているから、あの誘いはどうにも頷けない。
男の背を見送るように見ていると、離れたところにいた二人の兵の視線が男に向けられているのに気付く。
兵が男を指差し、一般人が男を追うように動き出した。
(フェム誘拐で動いている兵かな。怪しい人がいないか見張っていたのか。思わぬ形で兵に協力したな。これでフェムが見つかるといいのだけど)
あの男も警戒はするだろうし、そう簡単には尻尾を掴ませないかもな。
温くなりはじめたジュースを飲み干し、立ち上がる。
コップを屋台に返して、宿へと歩く。夕食前に風呂を浴びに行こうか、こんだけ汚れているとさっぱりしたいし。
明日は休暇だし、ちょうどいいから今日の疲れをマッサージでとってもらおう。
感想ありがとうございます