24 モンスター暴れる 後
「くらえ!」
オオアリクイの頭蓋骨に剣が当たる。硬いものに当たった感触があり、一瞬オオアリクイがぐらりと揺れる。確かにダメージを与えたと確信を持つ。
それが油断に繋がったのか、オオアリクイが振り回した腕に横腹を殴られる。
「ごほっ」
強烈な痛みを感じながら下がる。朝食べたものが胃から逆流してきそうになる。
我慢できない痛みが横腹を中心に広がる。このままだと動きが鈍くなる。
まだまだ下がりながらかすかに震える手でポーションを取り出して、いっきに飲み干す。
すぐにズンッズンッとした痛みが、少しずつ減っていく。
ほっとしながら俺を追ってくるオオアリクイの口が動くのを見る。
「あぶねえなっ」
舌を避けて、痛みが完全に引くのを待つ。
たぶんだけど舌の速度が落ちた。あの一撃が効いたんだろう。よく見るとたまにふらついてもいる。
これは欲張ってもいいんだろうか? ここで倒せたら経験値が美味いと誘惑にかられる。
「……いや、無理だな」
だけどもなんとか我慢する。よくよく考えれば絶好の機会で最大の一撃を叩き込んでようやくあの状態だ。普通の攻撃でどれくらいダメージが入るのか。
倒せるとしたらオオアリクイがまた油断したときだ。
その機会が訪れたらラッキーというくらいの気持ちで、予定通り時間を稼いで逃げよう。
もうポーションもないんだから、また攻撃を受けてしまうと動きが確実に鈍るということもしっかり念頭に置いておかないと。
伸びてくる舌、突進、振られる腕を回避していく。
油断さえしなければ回避は問題ない。ベルンの動きの方が早かったのだ。あの模擬戦のおかげでと喜びたくはないが、あれも糧になっている。
回避を重視しているけど、攻撃できる隙ができたら手を出している。ただし護符も魔力活性もない攻撃だとダメージを与えたように見えない。
やはり地力のみで戦うにはまだ早い相手なんだろう。もう少し実力を上げて、武具の更新もすればまともに戦えそうだという感触はある。
そうやって体感で十五分ほど対峙して、さすがにもういいだろうと思う。
(あとはどこに逃げるか)
逃げた先でレッドオーガなどが暴れていたら大変だ。大きな物音がしない方角はどこだと周囲の物音を探る。
そんなとき頭上から音がしたと思うと、一瞬地面に影がはしってなにかが降りてくる。
「アーマータイガー!?」
血で体のあちこちを汚したアーマータイガーだ。
俺が驚きで固まっている間に、突然の乱入者にイラついたらしいオオアリクイがアーマータイガーに舌を伸ばす。
オオアリクイの舌はアーマータイガーに命中するが、一切のダメージを与えた様子がない。
しかし注意を引きつけることはできてしまったようで、一瞬体を沈めたアーマータイガーがオオアリクイに接近して、右前足で引き裂いた。
一撃だった。俺が与えたダメージなんて関係なく、オオアリクイは体を四散させ消えていった。残ったのは魔晶の欠片のみだ。
あの攻撃を見れば、今の俺にどんな奇跡が起きても勝てないとわかる。
脳と魂が逃げろと一致した警告を発して、それに逆らわず魔力活性を意識せず使い、即座にその場を離れようとしたとき、アーマータイガーはすでに動いていた。
走り出そうとした俺に突進をしかけてきて、俺は吹っ飛ばされて近くの壁にぶつかる。
(体が痛い)
たまたま逃げようと方向と突進のタイミングが合って、ダメージを減らす形になった。魔力活性も多少はダメージを減らしてくれたのだろう。
いくつかの運の良い偶然が重なった。それでも動けなくなるほどのダメージを受けてしまった。
ポーションはない。痛みに耐えて這って逃げても、すぐに追いつかれる。
ここで終わりなのかと心に浮かぶ。もうどうしようもない状況だと心に浮かぶ。諦めても仕方ない状況だと心に浮かぶ。
「でも」
かすれて弱い声が漏れる。
「死にたくない」
心に浮かんでくるものとは反対の言葉が、体を動かす。
死にたくないからリューミアイオールからチャンスを得た。小ダンジョンもなんとか踏破した。跳ね鳥の群れからの攻撃もどうにか生き延びた。
迫っていた死を何度もやり過ごした。それを無駄にしてたまるか。
どうにか逃げようと腕と足を動かす。体を動かせば痛みが体にはしる。
(痛みがあるのは生きている証拠)
少しでもアーマータイガーから離れようとじりじりと移動する。
そんな俺の近くにアーマータイガーが移動してくる。
とどめをさそうと前足を振り上げて、振り下ろされる。
「くっ」
それを転がって避けた。
空振りした前足が地面を叩く。その振動が体に届く。
アーマータイガーは今度は避けられないように、仰向けになった俺の腹に左前足を置く。圧迫感で苦しい。
もう一度右前足が振り上げられる。
どうにかもがくが力の差で動けない。
(死にたくないっ)
諦めずもがく。
必死になったことでスローモーションに感じた時間の中、誰かが駆けてくる音が聞こえた。
そしてアーマータイガーが吹っ飛ばされた。
誰かが飛び蹴りをアーマータイガーに当てたのだ。
「こんなところにいたのね」
聞き覚えのない若い女の声が聞こえる。
「続きといきましょ」
アーマータイガーと戦っていた誰かなのだろうか。
俺のことは気にせず、その女はアーマータイガーと戦い始めて、優勢に戦いを進めていく。
俺は助かったのだとほっとしたせいか動く気力もなくなり、倒れたままその戦いを見る。
百五十センチ前半という小柄な体で、筋肉質な体つきでもない。
しかしその女は格闘でアーマータイガーをぶちのめしていき、そう時間をかけずに倒した。
「強い」
思わず零れ落ちた言葉がその女の耳に届いたのか、振り返る。
「生きていたの」
「なんとか。動けないので、このままの姿勢で、悪いが、礼を言う。ありがとう」
話すのも痛みが体にはしって苦労する。
「礼はいいわ。私が逃がしちゃったせいで怪我させたみたいなものだし。詫びとしてポーションをあげるから、さっさと逃げなさい。弱い冒険者にはこの騒動の対応は無理よ」
弱いとこちらを嘲るような意思はなく、事実を述べた感じだ。
その通りなので反論のしようがない。
「そうさせて、もらう」
俺の返事に頷いた女はポーションをコトリと俺のそばに置く。
再度礼を言ったけど、女はそれには応えず走って去っていった。
置かれたポーションのふたを開けて、いっきに飲む。
「あーっ、楽になっていく」
そのまま周囲の物音に警戒しながら空を見る。
このまま目を閉じると眠ってしまいそうだ。
痛みが引くまで寝転がっていよう。
(不思議だな)
ぼんやり空を見ながら、先ほどまでのことを考える。
やっぱり納得いかない。子供がモンスターに襲われるのはかわいそうだと思う。それは正直な気持ちだけど、それ以上はない。どんなモンスターがいるのかわからないのにどうして見捨てられなかった?
自分の命と子供の命なら自分の方が大事だ。なのに子供を救うことを優先した。
(なんらかの干渉を受けた? 心当たりは呪いかな。リューミアイオールから受けた呪いに勇猛になる効果でもあったのか? いやでもそれなら最初から迷わず助けにいくはずだ)
助けに行くのは自分で決めたことなのに、どうしても違和感がある。
前世の記憶を取り戻す前のデッサとしての本質が、誰かを助けたいというものだったりして引きずられた……なんてそれはないか。そんな勇気があるならリューミアイオールを前にしても逃げたりしないだろ。
十分ほど寝転がったまま考えているうちに痛みはほぼ引いた。少しの痛みと体に重りをつけたような怠さを我慢して立ち上がる。
周囲を見ていると、地面に二つの魔晶の欠片が落ちていた。
オオアリクイとアーマータイガーが残したものだ。アーマータイガーが残したものの方が大きく、色が澄んでいる。
「オオアリクイは俺がもらっても問題ないだろうけど、アーマータイガーは渡した方がいいよな」
若くてあれだけ強いならある程度知名度はあるだろうし、探しやすいはずだ。
「今はさっさと逃げよう」
戦ったり休んでいる間に、町の中は静かになっている。聞こえてくるのは戦闘音ばかりだ。
その音とは反対の方向へと歩く。そうしているうちに大通りに出た。
建物の陰から大通りの様子を見る。今俺がいるところの近くでは戦闘は起こっていない。
安全なうちに移動してしまおうと大通りを走る。ダメージのせいでいつもより遅い。
町と外の境が見えてきて、そこのさらに向こうに多くの人が避難していた。
自警団や町の兵たちが大声で怪我人の誘導などを行っている。修道士やシスターたちがポーションなどを使って治療している様子も見える。
近づきながらそれらを見ていると兵に声をかけられる。
「避難してきたのか?」
「ええ、どうにか」
「怪我はあるのかな」
「ポーションで治しました」
「そうか。町中がどうなっていたのか聞きたいが、大丈夫だろうか」
「大丈夫ですが、詳しいことはわかりませんよ」
少しでも情報がほしいということなので、俺が見聞きしたものを話す。
転送屋に向かっていたら前方から悲鳴が上がったことから始まり、路地裏に逃げてオオアリクイと戦ったこと、アーマータイガーに襲われて助けられたこと、人のいない町中を移動してここまできたことを話す。
「アーマータイガーは殺されたか」
「おかしなレッドオーガも出たことは知ってますけど、ほかに強いモンスターの目撃情報はあったんですか?」
「一番強いのはレッドオーガというモンスターだ。ほかには倒されたアーマータイガーをはじめとしてロックリザードやバフマンといった四十階辺りに出てくるモンスターも目撃されている。強いとされるものは確実に二十体。浅い階層のモンスターは数えきれないくらいにでてきたようだ」
「レッドオーガを倒せる兵や冒険者はいるんです?」
「大ギルドのダンジョンに入っていなかった上位メンバーが対応してくれている。レッドオーガがいる階に行ったことがあるそうだから、心配はいらないだろう」
「それなら安心ですね。ちなみになんですけど、今回の騒動で前兆はあったんですかね。俺はこの町に来たばかりでそれを見落としたのか気づかなかったんですが」
兵は首を横に振る。
「なかったんだ。過去の記録には必ず前兆があったとされている。それは見落とすようなものじゃない。しかし今回は突然魔物がダンジョンから出てきた。どうなっているのかはこの騒動が終わったあとに調査されるだろうな」
「なるほど」
聞きたいことは聞けて離れようとした兵を引き留める。
俺を助けてくれたあの子について知っているかもと思ったのだ。
肩辺りまでの薄茶の髪を紐で縛っていたこと、黄色人種、小柄、俺より少し上の年齢、強い格闘家といった情報を伝えると心当たりがあるようだった。
「おそらく頂点会に所属している子だろう。若手の中ではトップクラスだと聞いたことがある。名前はミナだったかな」
「ありがとうございます」
頂点会のミナか、名前と所属がわかってよかった。
兵と別れて、ゆっくり休むためそこら辺で不安そうにしている人に混ざって地面に座る。
風は穏やかで、日差しもそこまで強くはない。疲れもあって座ったまま眠る。
いくらか時間が経過した頃、周囲からの歓声で目を覚ます。
聞こえてくる会話からレッドオーガといった大物が倒されて、残るは小物ばかりでもう少ししたら町に戻れるらしいとわかる。
どれくらい時間が経過したのか太陽の動きで確認する。
まだ昼にはなっていないから三時間はたってないはずだ。
レッドオーガは二時間くらいで倒されたということになるのか。
(これくらいの戦闘時間が当たり前なのか、それとも通常とは違ったように見えたから強くなっていたのか。そこらへんは戦った人に聞いてみないことにはわからないことだなぁ)
帰れるまでまたのんびりしておこうと、周囲の話に耳を傾ける。
誰もがほっとした様子で、問題は過ぎ去ったと緊張感なく話していた。
荒れた町の後片付けが大変だという話も聞こえてきて、しばらくは町が慌ただしい雰囲気に包まれそうだ。
◇
ダンジョンに伸ばした糸が無事効果を出したことを触角の女は確認する。
その成果に満足そうな表情はない。
ダンジョンからモンスターが出現したのは触角の女にとっても予想外だったのだ。
本来はダンジョン内に溜め込まれた力のみを回収するはずだった。
「小ダンジョンばかりで試していたときはこんな結果にはならなかったのよね。今のうちに失敗してよかったわ。魔法陣の動きは観察できたし、調整も上手くいきそうね」
魔法陣を消して、こうなった原因を考える。
「糸が力をからめとって戻ってくるときに、モンスターに触れたことが原因かしらね。触れたモンスターの情報を力が真似て、形となってしまったというところでしょう。小ダンジョンで試したときは、回収する力が小さかったからモンスターに触れても力がモンスターの形になれなかった」
確認するように口に出す。考えをまとめるときの彼女の癖なのかもしれない。
触角の女以外に誰も聞いていないそれは風に流されて消えていく。
「レッドオーガが魔物になりかけたのは……モンスターから魔物へと進化する条件は、ダンジョンから出て経験を得て生き延びること。その中の一部が魔物へと進化……今回は力のみ増大して経験はなかった。だから魔物にはなれずパワーアップのみでとどまった。こんなところでしょう」
出した結論に満足して頷く。
「長く生きてきてあんな現象は初めて見たわね。楽しめたし、魔法陣の確認もできた。死黒竜に気付かれる前にさっさと帰りましょ。私の魔法陣とは別のなにかが死黒竜のいる方へとダンジョンの力を流しているのは気になるけど、好奇心であれに近づく気はないし」
成果を得て、触角の女は空へと飛ぶ。そしてかなりの速度で町を離れていった。
触角の女が去っていく様子を、たまたま空を見上げていたごく少数の人間が見ていた。
一般人は鳥かと思ったが、目がいい冒険者は人型のなにかだとわかる。
魔法で浮遊できる人間はいても、飛翔できる人間はいない。
魔物だと認識し、それは町の上層部に伝えられた。
これによって今回の件は魔物が起こしたものだと上層部は結論を出す。
なにが狙いなのかはわからないが、ダンジョンからモンスターを引っ張り出すことが可能という情報は、ほかの大ダンジョンを保有する国にも伝えられることになる。
魔物がなにかやろうとしているかもしれない。それが各地で噂となるまでもう少し時間がかかる。
感想ありがとうございます