237 シャルモスの斜陽 4
実験場跡地に戻ってきたクロフトたちは、洞窟の外でシュシュに見守られながら体を動かしているレステンスを見つけて近づく。動きやすいようにドレスからカンフー服に似たものへと着替え、髪も後頭部でまとめられている。
レステンスはアンクレインを倒すため真面目に鍛錬していたようで、動きにキレが増している。
数日という短期間では動き方を学び実践することだけしかできなかったようだが、頑丈な体から繰り出されるパンチやキックは質の悪い武器など必要とせず、無手での戦いであっても十分すぎるほど武器となるだろう。
熱心なのはアンクレイン討伐以外に、純粋に体を動かすことが楽しかったという理由もある。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい。無事に帰ってきてくれて嬉しいですよ」
「ありがとうございます。レステンス様の鍛練は順調でしょうか?」
「シュシュによるとかなり上達したということでしたが、私自身ではよくわかりませんね」
「少し見ただけですが、数日前より良くなっているのでシュシュがお世辞を言っているわけではないのでしょう」
「それはよかったです。まだまだ鍛錬を続けようと思います。二人も指導に加わってくれませんか」
「わかりました。ですが買ってきた食材を先に置いてきてもよろしいでしょうか」
レステンスが頷くと二人は洞窟に向かって歩いていった。
その二人を見てレステンスは若干違和感を覚えたが、なにがどうおかしいのかわからず首を傾げるだけだった。
用事をすませたクロフトたちも合流し、レステンスの鍛練は続き、正午になる。
「簡単なものですがパンを作ります。作り方は町で聞いてきました。すでにこねていますから、あとは焼くだけです。少々お待ちいただけますか」
「そこまでしてくれたのですね、ありがとう」
クロフトたちは礼に頷いて、窯に火を入れて内部の熱を上げる。
パンが出来上がるまでに、シュシュがスープなどを作っていく。
料理がそこまで上手な者たちではないので、味もそこそこだ。
だがレステンスに文句はない。普通の日常生活を送れるだけでも楽しいのだ。治療を受ける前は、長時間煮込んで具を溶かしたスープくらいしか体が受け付けず、味覚も正常とは言えなかったため、食事を楽しむ余裕もなかった。
あの日々に比べたら、味が悪かろうが食事をとっているという実感のある今の方がはるかにましだった。
そんなふうに味覚の許容範囲が広かったことが悪かったのか、パンの味に混ざる雑味は失敗したからだと思ってしまった。
まず異常を起こしたのは身体的には一般人のウィーネスだ。
手足のしびれを感じたと思うと、それがすぐに体全体に広がっていった。
テーブルに突っ伏したウィーネスは呼吸すら難しいようで、苦しそうな表情を浮かべている。
そんなウィーネスにレステンスが声をかけている間に、シュシュも倒れる。
「な、なにが起きているの?」
シュシュは鍛えているおかげか喋る余裕はあるようで、首を動かしほかの者たちの様子を見る。
すると慌てているのはレステンスのみで、クロフトとフセルスは無表情のままどこともしれない場所に視線を向けていた。
「まさか!? レステンス様っクロフトたちは洗脳されている可能性が高いです!」
「そんな!?」
レステンスがクロフトたちに視線を向け呼びかける。だが鍛錬していたときにはあった返答といった反応はなかった。
「申し訳ありませんが、ウィーネスと私を連れてここを出てください! ここに潜伏していることがばれているからすぐに離れないと」
わかったとすぐにレステンスは苦しそうなウィーネスとシュシュを抱えて洞窟から出る。
そこにはアンクレインたちが待ち受けていた。
「あら、動けたの。あの薬でも効かないとなると、かなり丈夫な体を得たのね」
「アンクレイン!」
知識として知っている容姿と瓜二つで、レステンスは怒りと憎しみの視線を向ける。
その烈火の視線だけで一般人なら腰を抜かしてしまいそうだが、アンクレインはそよ風を受けたようにころころと笑う。
「国と家族と残党の者たちのみならず、クロフトたちまで奪ったのかっ」
「あの二人は、あなたのためにと危険を冒して本拠地に侵入してきたのよ。健気なことよね。運さえよければ、そのまま少しの情報を持って脱出できたのだけど、私の部下と遭遇してしまってね。捕まってしまったの。あなたの不運さが彼らにも移っていたのではないかしら」
アンクレインとしては町長の洗脳を終えたばかりで、町の掌握に集中したかったのだが、レステンスの情報が入ってきたからには無視できなかった。
自分を狙っているという話をクロフトたちから聞いて、せっかく奪った町で暴れられる可能性も出てきた。町長に指示を出して、防衛強化に力を入れ出しているのに、だいなしにされると困るということで対処することにしたのだ。
それが強い毒薬を用いて、動きを封じるというものだった。改造された肉体のサンプルとして魅力的だったので、殺す選択は選ばなかった。
「さて捕まえさせてもらうわよ。私の技術とは似て非なる人とモンスターの融合体。貴重なサンプルに心躍るわ。きっと手荒になってしまうけどごめんなさいね。毒にやられていれば、人形に戻って解剖されたというのに。耐えちゃうから余計な苦しみを受けることになる」
アンクレインから憐みの視線を向けられて、レステンスの怒りの炎に油が注がれる。
「ちょうどいいわ。あなたへの憎しみ恨み、今ここで晴らさせてもらう!」
早くウィーネスたちの毒を治療したいが、大人しく逃がしてくれるとも思わない。
ここで倒してからウィーネスたちを医者か薬師に診せることにして、抱えている二人をそっとその場に下ろす。
「すぐに終わらせるからウィーネスは頑張ってちょうだい」
「お……お気をつけて、くだ、さい」
精一杯の励ましを発したウィーネスはまた苦しげな表情に戻る。
「どれだけ動けるのか見せてもらいましょう」
「その余裕を悔いて死んでいきなさいっ」
最初から全力でいくことにしたレステンスは、笑みを浮かべているアンクレインへと風を追い抜く速さでまっすぐ突っ込む。
その速さに目を見開いたアンクレインは腕を交差して防御態勢をとり、殴り飛ばされる。
追撃しようとしたレステンスに、二人の部下が攻撃をしかけてくる。
迫る二つのナイフを手で受け止めて、力任せに奪い取る。
それをアンクレインへと投げて、無手で襲いかかってくる二人に反撃する。
戦いの駆け引きなどはまだまだ未熟だが、肉体スペックで二人の動きを見切り、殴り倒し蹴り飛ばしてからアンクレインへと向かう。
「思った以上の強さだったわね。バーテルから詳しい話を聞かないと」
「お前はここで倒れるのだから、あとのことなんて気にしなくていいわ!」
二人の魔物を倒した勢いのままアンクレインにも攻撃をしかける。
それをアンクレインは避けていく。
「かするのにっ」
「攻撃が素直すぎるのよ。姫と呼ばれているわりには、所作に技巧がなくて粗雑な動き。人形姫ではなく獣姫と呼ぶ方が相応しい」
数日で学んだものでは付け焼き刃でしかなく、長きを生きたアンクレインには届くものではなかった。
「ほらほらもう少しで届くわよ」
レステンスの動きを把握したアンクレインはその場に止まり、挑発するように笑みを浮かべた。
殴りかかるレステンスの拳を半身で避けて、足を払って転がす。
すぐに起き上がったレステンスは体についた土を落とすこともせずにアンクレインに突っ込む。
少しずつ体温が上がってきているのがわかっていて、刻一刻と制限時間が迫ってきている。
動けるうちにどうにか倒さなければと焦りが胸の内に生じて、動きがより大雑把になってしまっていた。
それに当然アンクレインは気付いていて、転がすだけではなくレステンスの勢いを利用した投げを行う余裕も生まれていた。
「私を殺すと言うわりには、動きが鈍ってきているわよ。恨みはその程度?」
「……」
土にまみれたレステンスに言い返す余裕はない。
視線だけは強く睨んでいるが、それはなんの意味もなさない。
「最初の動きは目を見張るものがあったけど、制限時間つきというのはいただけないわね。所詮人間の技術といったところかしら。とんだ失敗作だったわね。復讐も遂げられないのでは、あなたを生かした者たちの行動は無意味」
「黙れ! 私を助け、現代まで繋いでくれた者たちを馬鹿にするのは許さない!」
「だって馬鹿にするしかないじゃない。あなたを意味なく生かして、遂げられない願いを託す。その行動の過程を褒めろとでも言うの? 結果を出せない行動になんの意味がある?」
「ここで私があなたを殺せば、少しは報われるっ」
「それができないから馬鹿にしているのよ」
それにとアンクレインは指差す。
つられるように示す先をレステンスは見る。
そこでは動けるようになった魔物たちによって、ウィーネスとシュシュが地面に押し付けられ拘束されていた。
「二人を放しなさいっ」
「私だけに集中した結果、あなたを助けていた者たちへの注意を疎かにして、また失うのよ」
アンクレインはそう言いながら、部下たちにやれと合図を出す。
待ってとレステンスが発する前に、部下たちは指でウィーネスとシュシュの首を掻き切った。
ウィーネスたちの首から血が飛び散って、びくびくと体を震わせ、そして静かになった。
「あああああああああっ」
嘆くレステンスへとアンクレインが話しかける。
「国を失い、家族を失い、組織を失い、配下を失う。失い続けるあなたの人生になんの意味がある。あなたに希望を託した者たちの無意味さを理解できた? あなたはなにもできず、なにもなせず、なにも果たせない。その名が示す通り、ただそこに飾られていただけの人形、愛でられただけの姫」
「あああああああああっ」
「壊れたかしら? つまらないわね。さっさと意識を落として、解剖に回しましょうか」
隙だらけのレステンスの首へとアンクレインが手を伸ばす。
指が首に触れると、レステンスの声が止まる。
さすがに反撃されるかしらとアンクレインが思っているが、それ以上の反応はなく魔力を手に込める。
唐突にアンクレインの視界がぶれる。
(なっ!?)
地面が近づいて、自分が殴られたのだと気付く。さらに腹に衝撃を感じて地面を転がっていく。
手を地面にひっかけて勢いを止めて、起き上がる。
目の前に、目を赤くしたレステンスがいた。迫ってきた拳をアンクレインは受け止める。大きな衝撃を受け、手に深いダメージを負う。
「熱い?」
力づくで押し込んでくる拳から感じられる体温の高さに疑問を抱く。
「体温の高さはなぜなのかわからないけど、怒りで肉体の限界を取り払ったみたいね」
そんな状態でどこまでやれるのかと受け止めた拳を振り払う。
すぐにレステンスは殴りかかる。その速さはこれまでで一番のものだった。
避け損ねて殴られたアンクレインは、この状態はいつまでも続くものではないと見抜く。
「体内がどんなことになっているのか。限界以上の力を引き出したことでぐちゃぐちゃになっていても不思議じゃないわね」
寿命を削っているとわかるレステンスに、アンクレインは憐みを感じた。
「そこまでやっても私を殺すには至らない。残念だったわね。そして中身がぐちゃぐちゃになってしまえば、解剖しても役に立たない。最後の最後まで役立たずで終えるなんて、あなたの生きた意味はなにもなかったのね」
憐み嘲り、それらをレステンスは感じ取ったのか
憤怒の雰囲気を発し、さらなる速さと力強さを発揮した。同時に体のあちこちからなにかが砕け、ちぎれる破壊音が聞こえてきた。
怒りによって引き出された最高の一撃は、レステンス自身をも壊す一撃だった。
その自滅の一撃はアンクレインの反応を越えて回避を許さず胸部に命中する。アンクレインの胸に凹みができる。
「おしかったわね」
そう言いながらアンクレインは地面に膝をつく。
レステンスは手が砕け、足腰も力が入らず、地面に崩れ落ちた。その体からはうっすらと湯気が上がっている。
「もう少しあなたの体が頑丈だったら、この胸を貫いて相打ちになっていたかもしれないわね」
「アンクレイン様、ご無事ですか」
「ええ、少なからずダメージを負ったけど、それだけ。回復に時間がかかりそうだけど、しばらくは暴れることもないからゆっくりと回復していきましょう」
部下の一人がアンクレインを支えて、もう一人は倒れたレステンスを拾い上げる。
レステンスは意識があるのかないのか、されるがままだ。もっとも意識はあっても体がぼろぼろで動けないだろうが。
そんなレステンスをアンクレインは診察するように触れていく。
「やっぱりあちこちがたがきているわね。解剖したところで意味はないかも」
「では捨てていきますか」
「持ち帰るわ。一応解剖には回しましょう。素材回収はできるかもしれないし」
アンクレインたちは空を飛び町に帰っていく。
洞窟に残されたクロフトたちは新たな命令がなく、そこから動かず飢餓で死ぬことになる。
本拠地に連れて行かれたレステンスは、命令を受けたバーテルたちの手によって解剖される。そのときには上がりすぎた体温のせいで意識はほぼなく、ただ生きているだけといった状態だった。生かしてくれていた配下たちの手によって、体を解体されたと知ればショックを受けただろう。だが意識がないおかげでショックを受けずにすんだのは運が良いと言えたのだろうか。
解体されたレステンスは使えそうなところは保存され、不必要なものは粉砕され焼却処理された。
そのような状態のレステンスは存在しているとは言えない。
トップであり象徴でもあるレステンスを失い、シャルモスの残党はこの日に滅びたと言えるだろう。各地に残る構成員もやがては好き勝手やる犯罪者となっていく。
そして誰もいなくなったかと思われた実験場跡地で動く者がいる。フェムだ。
治療を受けたことで動けるようになったフェムは、監禁部屋の鍵が開いていたことで正気を失ったまま外に出たのだ。
そのままふらふらと歩き出す。彼の頭の中には、愛しい人のことだけが浮かんでいた。
ただしその行く先は故郷とはまるで違う方向。彼が故郷の土を踏むことはないのだろう。
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