236 シャルモスの斜陽 3
実験場跡地に来て四日経過し、ウィーネスは治療に必要な薬を完成させる。完成といっても不満のある品だ。本拠地で祖母と一緒に作ればもっと完成度が上がったのだ。
皆が集まり、レステンスが目覚める瞬間に立ち会うことになった。
レステンスをうつぶせに寝かせて、背中のボタンを外す。首のつけねのさらに下、そこに注射痕がある。これまで薬を投与してきた痕だ。
ウィーネスは完成させた薬を注射器に入れて、注射痕に刺す。ゆっくりと薬を体内に注ぐ。
注射を終えて、ボタンを留めて、レステンスを仰向けに動かしたウィーネスに女が声をかける。
「すぐに起きますか?」
「体全体に薬が回るまでもう少し」
注射してから十分を過ぎて、レステンスの呼吸が明らかに大きくなる。胸の上下がウィーネスたちから見てよくわかる。
顔に赤みがさして、うっすらと汗もにじみ出る。
「本当に大丈夫ですか? 明らかに体温が上がりすぎているような」
「大丈夫、なはず」
ウィーネスはそう言いつつもやはり完成度の低さがネックとなり、拒否反応が出てしまったのかと不安も抱いた。
時間がたつほどに少しずつ体温が上昇し、汗も大粒になる。
ウィーネスたちは濡らしたタオルを持ってきて体をふいて、体温が下がるように手当する。
体全体をふくので男たちは席を外して、集めた道具の整理をしていた。
レステンスの異常は注射して一時間後がピークで、二時間ほどかけて治まっていった。
すっかり熱が引いて、いつもの様子に戻るとレステンスの瞼がぴくりと動いて目が開かれる。
「レステンス様! よかった」
「ここは?」
体を起こしながらレステンスは聞く。いつもと違った場所であり、雰囲気も違ったように感じられたのだ。
「説明しますが、今は先にお体に異常がないか検査させていただいてよろしいでしょうか」
「ええ」
ウィーネスは手当を手伝っていた女に、男たちを呼んでくるように頼んだあと、触診と問診を行う。
今のところはどこも異常がなかった。
もっと詳細に調べたいのならば、動いてみないことにはわからないだろうとレステンスとウィーネスの意見が一致する。
そうして男たちも戻ってきて、ひとまず自己紹介をする。
男たちの名はクロフトとフセルスといい、女の名はシュシュといった。
ウィーネスが代表して、本拠地でなにがあったのか説明が始まった。
「難しいかもしれませんが、落ち着いて聞いてくださいね。本拠地にアンクレインが侵入してきたんです」
「アンクレインが!?」
「はい。カルベスという組織の一員が裏切ったらしいですか本当かどうかわかりません」
カルベスが原因という会話を部屋の外にいた兵たちはきちんと聞き取れなかったのだ。
「わかっていることはレステンス様を人質にとられて、婆ちゃんと兵は武装解除したらしいということだけです。私たちは侵入を知ったこちらの兵たちと一緒に必要なものを持って隠し通路に身を隠し、レステンス様の確保に動きました。その途中で兵たちはこちらに敵対してきたので、洗脳されたみたいです。婆ちゃんやジートルム様も同じように洗脳されたと思います」
「なんてことっ。国を奪うだけでは飽き足らず、私のために尽くしてくれたジートルムたちも奪うなんて」
レステンスが握りしめた手が震えている。怒りで力を込めすぎているのだろう。
「レステンス様、深呼吸です。薬を投与したばかりなので、強い感情が体にどのような影響を及ぼすかわかりません」
ウィーネスの言葉に頷いて、レステンスは深呼吸を繰り返す。
そうして表面上は落ち着いた様子に戻った。
「続けてちょうだい」
「はい。私たちはレステンス様を連れて、町から離れた実験場に移動しました。ずっとここにいたので今本部がどうなっているのかわかりません。そしてここもまた何者かに滅ぼされていました。タイミング的に魔物がやったのでしょう。今レステンス様にお仕えできるのは私たちだけです。あとは各地に散った仲間たちを集めればそれなりの集団になるでしょう。現状はこのような感じです」
「我儘をいいかしら」
ウィーネスたちは顔を見合わせたあと、レステンスに頷きを返す。
「すぐに本拠地に行きたいの」
「私としては反対したいのですが。理由はあるのでしょうか」
「アンクレインがいるということで我慢がきかない、というのが正直なところ。でもジートルムたちが心配でもあるの。魔物のそばにいる時間が長ければ長いほど、どんな扱いをされるかわかりません」
「心配というのは同意見です。ですが行ってなにをするんですか?」
本拠地を取り戻すのか、ジートルムたちを助け出すのか、アンクレインを殴り飛ばすのか。
そのどれなのだろうと思い聞く。
本拠地を取り戻すというのなら、それはシャルモスの残党という箱を取り戻すことを優先して、ジートルムたちの命は二の次。
逆にジートルムたちを優先するなら、シャルモスの残党という箱に拘らず、別のところでまた力を蓄えることになるだろう。
最後にアンクレインを殴りたいというのなら、シャルモスの残党も人員も全て無視して、暴れることになる。
ウィーネスは予想を立てて、返答を待つ。
心情的にはジートルムたちの奪還を優先してもらいたいが、家族や国を滅茶苦茶にされたレステンスを思うとアンクレイン討伐一択可能性も十分にあった。
討伐を選んでも、ウィーネスたちはレステンスに従うだろう。
子供の頃からレステンスがなによりも一番と洗脳じみた教育が施されているのだ。
「アンクレインを殺したいわね。でもそれだけじゃないわ。ジートルムたちを取り戻したい。国がない私についてきてくれるあなたたちは、私のなににもかえがたい財産。それが危険な目にあっていることも我慢できないのです」
「わかりました。ですがこのまま突っ込むより、まずは情報収集をしたいと思います。すでに本拠地にアンクレインがいない可能性もありますから」
「そのときは本拠地の奪還を優先しましょう」
「承知いたしました」
まずは決めてあったとおり、レステンスの体の確認をすることにして、それと並行して出発準備を整える。
レステンスの体は一般人などはるかに超えて、それどころか一流どころの冒険者の身体能力すらも超えていた。レベルで言えば20を超えるだろう。
風を置き去りにした動きに、岩を穿つ攻撃、バランス感覚も優れていた。
それを見てウィーネスは、ここで作った薬は自分が思った以上の完成度だったかもと思ったのだが、すぐにそうではないと判明した。
全力で動けば体温がすぐに上がって、スペックが落ちるのだ。
体温が上がらないように戦うと、レベル20くらいだろうか。
さらに言うと、戦闘経験と技術が不足しているので体温を気にして戦うと一流に負けるだろう。身体スペックだけで勝てるほど、一流というのは弱くないのだ。
「全力戦闘はここぞというときにやった方がいいみたいですね」
「すみません。薬の完成度が高ければ、そのような欠点はでなかったはず」
ウィーネスが己の力量不足を恥じるように頭を下げた。
「謝る必要はないわ。ここまで動けるようになっただけでも感謝すべきなのだから」
「レステンス様、発言よろしいでしょうか」
クロフトが発言を求め、許可をもらい続ける。
「私とフセルスで町に行って情報を集めてこようと思います。その間、レステンス様はシュシュから戦闘について学ばれてはいかがでしょう。今のレステンス様は自身の肉体に振り回されている形です。アンクレインを倒したいのならば、少しでも体を上手く扱えるようになった方がいいかと。向こうは長く生きた魔物で経験は豊富。身体能力の差など覆してくる可能性が高いと思われます」
「クロフトと同意見です。強さ自体は問題ないと思います。経験を積み、体をきちんと動かせるようになれば魔物などものともしない力を得るでしょう」
「戦闘面でみれば私は未熟者なのだから二人の言葉に従うことに否はありません。しかし二人だけで町に行くというのは危険なのでは?」
城で暮らしていたときは戦闘経験などなく、シャルモスの残党で保護されていたときはほぼ寝ていたのでなおさらだ。そのような生活で戦闘など経験しようがない。
クロフトたちは戦闘に慣れていて、そのような者の言葉をはねのけるほどレステンスは狭量ではない。
「危険と判断したらすぐに退きます」
「わかりました。本当に無理はしないように。私もしっかりと学びます」
クロフトとフセルスは一礼して、出かける準備を始めると言って離れていった。準備が整うと、ウィーネスにいくつか質問してから実験場跡地を出る。
レステンスは早速シュシュに戦闘のあれこれを聞き、ウィーネスはフェムの洗脳を試してみようと監禁部屋に向かった。
実験場跡地を出たクロフトたちは馬を走らせて、町に向かう。
町に到着すると馬を返し、すぐには町に入らず町の外にいる者たちに町の様子を尋ねる。
馬を借りて離れている間、なにか変わったことはあったかと世間話を装って話題を投げかける。
その会話では特に変わったことはないとわかる。
クロフトとフセルスは、まずはシャルモスの残党関係者を避けて町をうろついてみようと決めて町に入る。
町の光景は平和なものだった。いつも見るような人々の暮らしがあちこちで見られた。人々は魔物が町に入り込んだとは想像もしていないのだろう。
「魔物が暴れたということはないのだろうな」
「シャルモスの異変も外にばれていないみたいだ」
次はギルドに行ってみようと、この町で一番大きなギルドに向かう。
そこで仕事を探すふりをしながら依頼書を見て、周囲の声を拾っていく。
ここでもこれまでと違った話は聞こえてこなかった。
「表には異変は知られていないのかもな」
「そうかもしれないな。じゃあ次は関係者をあたってみるか」
関係者に接触するのではなく、入口を教えてくれる人や入口のある家の所有者の様子を遠くから観察するのだ。
日が暮れるまで観察し、わかったことがある。
二人が離れていたところから見ていた分には異常はなかったのだが、偶然酒場から出てきた者たちの会話を聞くことができた。
その内容は、酒場の主人が不愛想というか以前ほど気の利いた会話ができなくなってどうしたんだろうというものだった。
「あの人が不愛想ねぇ」
「酒場の仕事を楽しんでいた人だし、急に変化するのはなにかあった証拠だろうな」
「その変化は魔物に関わりがありそうだけど……洗脳されて反応が鈍っているのか、組織の変化を感じて不安や心配からそんなことになっているのか」
「洗脳されていると思って行動しようぜ。接触してアンクレインに俺たちの行動を伝えられると困るし」
「そうだな」
異常ありという情報を入手して、今日はこれで調査を終えることにして宿をとる。
宿でも従業員に話しかけたり、宿泊客の会話に耳を傾ける。
普通の会話の中で、商人らしき人たちの会話も聞こえてきた。
それは外壁強化のため石材などを仕入れてきてほしいと町長から依頼されたという話だった。
補強のため石材を仕入れるという話は二人も噂として聞いたことがあるが、強化をしようという話題は初めてだった。
この町の外壁は作られてからそれなりに時間が経過しているので、強化という提案がでるのもわからないでもなかった。だから二人もそんな話がでているのだなと思い、怪しむことはなかった。
実際はトップに成り代わったアンクレインの指示で外壁強化が進められていた。魔物が本格的に暴れるときの拠点の一つにするか、この町の人間を操って反乱を起こしたとき防衛を長持ちさせるためといった考えのもとの指示だった。
クロフトたちは翌日も朝から、町を歩き回って情報を集め、昼食後に町から出る。
実験場跡地に帰るのではなく、ウィーネスから聞いた外部から本拠地に入ることのできる場所に行ってみようと思ったのだ。
数日前にウィーネスたちが使ったものとは別にもう二ヶ所あると聞いている。
一つは町の近くにある池の中。もう一つは別の倉庫。
倉庫から調べてみることにして、外から倉庫の中を探り、誰もいないとわかると忍び込む。
倉庫の床には埃が積もっており、ここしばらく誰も使っていないようだった。
「さすがにここから本拠地に向かうのは無謀だろうか?」
「悩むところだな。無理はしないでほしいと言われてはいるが、少しでも情報がほしいというのが正直なところだ」
「そうなんだよな」
二人して悩み、危なくなったらすぐに退却しようと決めて、隠し通路に入ることにした。
ジートルムたちが向こう側と思われるので、ここに罠がはられていると想定して警戒を緩めずに通路を進んだ。
そうして一日後、二人は隠し通路から出てきて食材を買うと実験場跡地へと向かう。
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