235 シャルモスの斜陽 2
時間は少し遡る。
アンクレインが研究区画でバーテルの報告を待っていたとき、逃げた兵たちからアンクレインの侵入を聞いたウィーネスたちは脱出用の隠し通路に潜んでいた。ランタンくらいしか光源がない暗い通路だ。
アンクレインが考えるように治療を完成させてから戻ってくるということも考えたのだが、レステンスを残したまま脱出することに葛藤があり、二手に分かれたのだ。
実験場に連絡に行く者とレステンスを奪還する者の二組だ。
実験場に行く者にはレステンスの受け入れ態勢を整えることも頼んでおいた。急いでもらいたいのでお金以外は大きな荷物を持たずに出発してもらった。今頃馬を借りて実験場に向かっているだろう。
治療に必要な物は隠し通路に置いてある。
「残っておいてあれだけど、私は研究一筋だから隠密行動とかできないのよね。だからできる人に先導をお願いするわ」
ウィーネスが残った四人に向けて言う。荒事があるかもしれないのでウィーネス以外は戦える兵だ。
「実験場に一緒に行けばよかったじゃないですか」
二十五歳ほどの男が呆れた表情を向ける。
「脱出メンバーの中だと一応私がトップでしょ。危険なところに行ってこいって命じた私が安全なところに逃げられないわよ」
「トップが生き残ることが大事だと思いますけどね。とはいえ幹部だけが使えるものとか知っていることもありますし、残ってくれるのはありがたくもあるんですが」
いつまでも話しても仕方ないと、五人は使えそうな隠し通路などをささっと話し合い、謁見室まで移動を開始する。
謁見室には万が一を考えて、もう一つの出入口が作られている。そこを目指していた。
バーテルたちが傀儡となったことをウィーネスたちは知らないが、いつになく本拠地が騒がしくただごとではない。アンクレインが大暴れした感じではないが、なにか異変が起きていることはわかる。
すでにアンクレインがここを制圧していることも考えて、組織の仲間にもばれないようにこそこそと移動をしていた。
「兵があちこちに走り回っているわね」
隠し通路の壁にある外を見るための穴からたまに外を見ると、兵たちが誰かを引きずっているといった様子が見えた。侵入してきた誰かに対してではなく、同じ組織の人間にそんな扱いをしていた。
「魔法か薬か、そういったもので兵を操っているのでしょうね」
「婆ちゃんたち無事だといいけど」
そう言いつつも自分と同じく研究一筋のバーテルがアンクレインと相対して無事だとは思えない。もし無事であればむしろのその方がおかしいと考えつつ、足を止めずに進む。
それほど時間をかけずに謁見室の隠し扉に到着する。
短い梯子があり、天井にドアノブがついている。
「あれはどこに出るんですか」
「レステンス様の椅子の背後」
「つまりここは謁見室の真下ということに?」
ウィーネスは頷く。
仲間たちは目を閉じて、誰か謁見室にいるか探るため頭上に意識を集中する。
騒いでいればわかりやすかったが、静かでわからない。
「誰かいるという前提で動いた方がいいですね。あれを開けたとき大きな音はでますか」
「そこまで大きな音はでないかな。でも低い音が出たはず」
「部屋が静かだとそれでも目立ちそうですね」
さっさと開けて素早くレステンスを確保して逃げることに決めて、一人が天井のドアノブに手をかける。
ドアノブを掴んで、重い隠し扉を上へと押す。
ズズズズッと擦る音が響き、隠し通路に明かりが差し込んでくる。
隠し扉を押し開けた男が素早く謁見室に出る。
そこにいる二人の兵に、男は警戒した視線を向けた。
アンクレインがいたはずなのに、どこも荒れておらずなにもなかったかのような部屋の様子は、逆に警戒心をかきたてた。
傀儡化した兵たちはゆっくりと男へと体を抜けて、武器を構える。
「レステンスを守る」
「レステンスに近寄る者を排除」
「どういった状態なのかはさっぱりだが、お前らは向こう側か」
男も武器を構えて先制するように攻撃をしかける。
隠し通路からはどういった状況なのか仲間が聞いてくる。
「わからんが敵だ。俺はこいつらをおさえる、レステンス様を頼む」
「わかった!」
操られた兵たちからは、レステンスを抱えて運び出そうとする様子が見えた。
アンクレインからの命令を最上としている二人の兵は、命令を果たすため限界を超えた動きで目の前の障害排除に動く。
いきなり動きが変わった二人の兵に、反応が遅れた男は軽くない怪我を負わされつつも二人を掴んで止める。
「大丈夫か!?」
「俺は気にせずさっさと行け! ポーションで治せる怪我だ!」
「あなたもさっさと逃げてきなさいよ!」
レステンスを抱えた二人は隠し扉を通って地下へと戻る。
地下から運び込んだぞという声を聞いて、男は二人の兵を掴んだまま過剰活性を使う。
「お前ら吹っ飛べ!」
掴んでいた二人を投げ飛ばす。
男は転んでいった兵たちを見ながら隠し扉に向かうが、兵たちが武器を投げてきて、そのうちの一つが足を貫いたことで転んだ。
過剰活性の反動で急速に力が抜けていく。
「このままだとお荷物にしかならんな」
そう言いつつ気力を振り絞って立ち上がる。
(これだけ暴れているのだから部屋の外にも物音は聞こえているだろう。奪還がばれたと考えた方がいい。素早い離脱が必要だが、お荷物の自分がいたら移動速度が落ちる)
実際にはレステンスの眠りを妨げないように謁見室は防音性に優れていて、外に暴れる音は漏れていなかった。しかし男はここに来たことがなかったためわからなかったのだ。
隠し扉までくると降りることはせずに、扉に手をかける。
「俺は一緒に行くのは無理です。レステンス様を頼みました」
それだけ言ってドアノブを壊してから隠し扉を閉じる。
さらに重い椅子を倒して、下から開かないようにする。
そしてレステンスを取り戻そうと向かってくる兵へと武器を向けた。
頭上の隠し扉が閉じて、ウィーネスたちは呆然と扉を見ている。
助かる気のない行動が彼女たちにとっては突然だった。お荷物がどうとかウィーネスたちにはわからなかったのだ。
「助けないと!」
我に返ったウィーネスが慌てて言う。
一人が梯子を上って天井を押すが、ほんの少しだけ浮くだけで開くことはなかった。
「ドアノブがないせいか、開きません!」
「……あいつも事情があってのあの言動なんでしょう。レステンス様を連れて脱出しませんか。いつまでも隠れていられるかどうかわかりませんし」
苦渋の決断といった兵の発言に、ウィーネスも苦しげな表情で頷いた。
兵二人でレステンスを支えて、急ぎ足で外へと繋がる場所へと移動する。
途中で荷物を回収して、長い通路を進むと金属扉が見える。
「少し待って開けるから」
ウィーネスはこの扉の仕掛けはどうだったかと記憶を探る。
ここは鍵自体は単純だ。しかし鍵を開けても力を必要とする扉だと思い出す。
すぐに扉の下部にある小さな蓋を開けてそこの部品を抜く。するとガコンと扉から音がした。
「重い扉を力づくで開くから手伝って」
レステンスを一人に任せて、ウィーネスと二人が扉を横に引っ張って扉を開く。三人がかりで扉はゆっくりと開いていった。
明かりのついていない地下室に出て、扉をもとに戻す。
「ここはどこなんですか?」
「町の外にある小屋、その地下室。うちが所有している倉庫ということになっているわ」
緊急時に使うことになるため、旅に必要な道具やお金が棚に置かれている。
ウィーネスはそれらを集めて、レステンスをフード付きの外套で隠す。
ウィーネスが移動の準備を進めている間に、二人がお金を持って外に出る。馬を借りに行ったのだ。
ここから実験場までは徒歩だと三日はかかる。いつも馬を借りて移動していて、今回も同じところで借りる。
小屋に残ったウィーネスたちが静かに待っていると、馬のいななきが聞こえてくる。
「借りてきました。いきましょう」
小屋の外に人がいないことを確認して、四人は馬に乗る。
借りてきた馬は三頭だ。ウィーネスは馬に乗れないのでタンデムだ。レステンスも一番乗馬が上手い者が抱えている。
ウィーネスたちは町から離れて、実験場を目指す。
急ぎなので宿場を使わず、食料だけを確保して野宿で進む。到着したのは翌日の昼すぎだった。
そして今四人の目の前には瓦礫と化した実験場が広がっていた。
アンクレインの部下たちが暴れて帰ったあとに到着したのだ。彼らに見つからなかったのは幸運だが、実験場が頼れないことは不運だろう。
もとは山を切り開いて敷地を確保していた場所で、建物がいくつかあり、山を掘って作った洞窟もあったのだ。だが今は建物はどれも壊れて、洞窟の入口も崩れてしまっている。
「な、なにがあったの?」
ウィーネスは呆然と呟く。
「ひとまず身を隠せるところを探しましょう。そのあと誰か生き残りがいないか探しませんか」
「そ、そうね。レステンス様を安全なところに運ばなければ」
馬を連れて、建物一つ一つを調べていく。
そこに死体はあっても、生きている人間はいなかった。頭部がなかったり、胴を貫かれたりと致命傷を受けた遺体ばかりだ。
建物も倒壊したものばかりで、レステンスを寝かせられる綺麗なところはなかった。
馬を木につないで、次は洞窟を調べる。
三つある入口から一番崩れ方が軽いところを選んで、土砂を除去する。
その作業に三時間ほど時間をかけたが、中へと入ることができるようになる。
けれども足が止まる。数歩進んですぐわかるほどに血の匂いで満ちていた。そのせいもあって奥は異様な雰囲気に感じられ、足が進まなかったのだ。
「どうします?」
兵に聞かれてウィーネスは進むことを選択する。
「中にいる人たちは全て死んでいるでしょう。これだけの血の匂い。大量の殺人が起きているのは想像に難くない。でももしかすると誰かいるかもしれない。それにレステンス様の治療をここで安全に行うためにも内部の確認は必要」
「ここで作るんですか?」
「必要な器材がそろっているのは本拠地かここくらいなのよ。それに保管庫から持ち出したから、材料はどんどん劣化していくわ。ここで作るか、本拠地を取り戻して保管庫に戻すかの二択」
四人で本拠地を取り戻すというのは容易ではなく、現状ここで作ってしまうのが現実的な案だった。
さっさと作ってしまわないと材料を無駄にしてしまうとウィーネス以外も理解し、布で口と鼻をおおって進むことにする。
「入口だけじゃなくて内部も壊れている可能性があるから、注意して進んでください。少しでも危ないと思ったら引き返すか、別のところに行きます。いいですか?」
「うん、それでお願い」
仲間からの提案にウィーネスは頷く。
ほんの少しだけましになった匂いの中を、魔法の明かりを頼りにして進む。
ここには居住区と実験室と監禁部屋と倉庫の四種類がある。
一番近いのは居住区と倉庫で、地下に実験室と監禁部屋がある。監禁部屋には誘拐してきた者、実験のせいで正気をなくし暴れる者などが入れられている。
居住区も外と同じく死体だらけで、生きている者は皆無だった。
生存者を探している最中に個室を見つけて、そこに入る。誰もおらず死体もなく綺麗な部屋だった。
「ここにレステンス様を寝かせませんか?」
「ええ、そうしましょう」
ベッドにレステンスを寝かせて、四人はこのあとの行動を話す。
「私は器具の確認をしたい。誰か一人ついてきてくれるかしら。崩落しそうなところとか私じゃわからないし」
「でしたら私が」
女が立候補し、男二人はそれでいいだろうと頷く。
「俺たちは生存者を探し続けます。ついでにこのまま滞在できるのかあちこち点検します」
「お願いね」
二手に分かれて、それぞれができることを開始する。
ウィーネスは治療に必要な器具を集めて、祖母から聞いた手順を正確に思い出すことから始めた。
ウィーネスに同行していた女はウィーネスの手伝いはできないので、風の魔法で異臭を外へと追い出したあとは、レステンスの護衛を行うことにしてそばで警戒を続ける。
男たちは点検や生存者探しがてら、死体を外へと運び出す。
三時間ほど時間が流れて、ウィーネスが紙に書き出した知識を読み直して間違い探しをしていると、男たちが戻ってきた。
「一通り見てきました」
「ありがとう。生存者はやはりゼロでしたか?」
「仲間はゼロでした。ですが監禁部屋に生きている者はいました」
監禁部屋の者たちも魔物に見逃されたわけではなく、きっちり殺されていた。だがすでに死にかけだった者は放置したのだ。
「あそこの生存者ですか。こっちの言うことを聞いて戦力として使えそう?」
「正気ではないので難しいでしょうね。誰かに会いたいようで、俺たちが声をかけてもその誰かの名前をぶつぶつと呟いていました」
「薬でも使ってレステンス様をその誰かと思わせることができれば便利に使えそう」
「可能ですか?」
「ここにある材料次第かな。今はレステンスの治療最優先なので手をつけられないけど」
「一応生かしておいた方がいいですかね」
「元気になりすぎないように、少しだけ治療とかできる? あとそれが誰でどういった魔法や薬が使われたか記録を探してほしい」
やってみますと男たちは頷く。
監禁部屋に観察記録があるはずだからとウィーネスは言い、男たちは水やポーションを持って監禁部屋に戻っていく。
男たちはぶつぶつと呟いている者に治療を施して、監禁部屋付近の部屋を探って記録を見ていく。
監禁部屋の番号と記録を照らし合わせて、おそらくこいつだろうと見当をつけることができた。
記録にはフェムと書かれていた。デッサとの戦闘後、幼馴染のことをどうやっても忘れさせることができず、言うことを聞かないため、その強固な精神を崩す薬の実験体とされていた。薬漬けとなって正気を失った状態であり、近々毒薬実験に使い廃棄予定だった。
それをウィーネスに報告すると一度だけ洗脳を試してみて、無理そうなら廃棄ということになった。
男たちは死体運びを再開し、焼いて処理したあとは使えそうなもの探しを始めた。
感想ありがとうございます