23 モンスター暴れる 前
人が足を踏み入れない砂の砂漠の奥。
周囲にはオアシスがなく、商人が通るような行路からも外れた場所。
そこに立ついくつかの巨石群の中身をくりぬいて作った空間の一つに彼らはいた。
縦横二十メートルほどの広間で、魔法の明かりが広間を照らす。中央には向かい合う二人、少し離れたところにスーツやメイド服を着た数人が並んで静かにしている。
向かい合っているうちの一人は獅子の顔を持つ巨躯の男。動物の毛皮をはいでそのまま服にしたものを身に着けている。
もう一人は黒いボブカットの女。前髪から触角がでていて、背中からは虫の羽が出ている。黒のロングドレス姿だ。
両者ともに明らかに人でも草人でもない。男は獣人かというとそうでもない。顔が動物の獣人はいないのだ。
デッサが見れば魔物と言うだろうし、知識ある者たちも同意するだろう。
「現地に行って確認してきたが、そろそろ王の封印が解ける頃だろう。こっちの配下作りは順調だが、そっちの研究はどうだ? 以前聞いたときは問題ないと言っていたが」
「大詰めよ。実際に成果を試して、どこか問題があるのか確認するつもり」
「確認ということは大ダンジョンに向かうのか」
「ええ、場所はミストーレ」
獅子顔の男は目を見張る。
「死黒竜の近くで実験するのか」
「邪魔されると思っているのかもしれないけど、その心配はないでしょう。今の死黒竜は人間に興味なんてない。町が荒れたところで関心を持たないわ。それにもし本番で邪魔されたら大変だけど、実験で邪魔されても被害は少ない」
「その騒ぎが我ら魔物の仕業とわかればさすがに関心を向けそうだが? あれも王の復活は予期しているはず。それに合わせて魔物が動けば警戒心を刺激しかねない」
「私たちのような大物が動けば、その通りになるでしょう。でも小物がおいたするくらいなら偶然だと考えるはず。本当にこの考えがあっているのかの確認もあるのよ。私たちが動き出して人間に被害がでたとき、死黒竜がどの程度の被害で動き出すのか知っておきたい」
「たしかにそこは気になる。しかしそこらの小物にお前の研究を任せるのか?」
「そんなことしないわ。小物が倒されて、研究を人間たちに知られるのは困るもの。私が行く」
「大物が動けばばれると言ったばかりだが」
わかっていると触角の女は頷いて、手を軽く叩く。
するとスーツを着た一人がワンドを持って近づき、それを触角の女に渡して下がる。
「これも研究の成果。見ていてちょうだいな」
ルビーのような赤い宝石を人差し指で触り、一振りする。
すると女の姿に変化が現れる。
触角が消えて、羽も消えた。それだけではない、獅子顔の男には触角の女の気配が人のもののように感じられた。
「変装の道具か」
「その通り。王が復活すれば、人間たちの中に入って工作することもあるかもしれない。そのときのために作った道具。姿だけではなく、気配も誤魔化す代物。竜を前にして完全に人間に似せることはできないけど、私たちの気配は誤魔化せて、小物の魔物が変装していると思わせることができるわ」
「本当に誤魔化せるだろうか」
「これを使って、草人の隠れ里近くまで行っているわ。警戒はされたけど、大物ではなく小物への対応だった」
「隠れ里というとゼスノートのバス森林に行ってきたということか」
ゼスノートは大陸の南にある国で、バス森林はゼスノートで一番大きな森だ。
二人もそこになにがあるのかわかってはいない。調べようとしたことはあるが、厳重な守りで近づけばすぐに対応されたのだ。強い魔物は倒そうと過激な反応になるが、弱い魔物は追い払うといった対応になる。
そういった状態なので、草人たちが守らなければならないものがあるとだけ認識していた。
「あそこでその対応なら効果はあるのだろう。ただし油断はするなよ、草人と竜は違うのだから」
「わかっている。死黒竜が反応を見せたらすぐに退く」
獅子の顔の男は深々と頷く。
「そうしてくれ。お前は王のための研究を行っている。そのお前が倒れて研究が無駄になると魔王軍として損害が大きい」
「軍としては上層部が薄いけどね。あいつは見つかったの?」
「まだだ」
「これだけ見つからないってことは死んだ可能性もない?」
「ない、とも言いきれないが王を置いて死ぬだろうか」
「まあ忠誠心は一番だったからね」
二人ともが行方不明の一人の忠誠心は認めていた。
それだけに魔王を守れず封印されてしまったことのショックが大きいのだろうと想像もできる。
ゆえにその封印が解けそうな現状で動きを見せないのは、死んでしまっているからなのではと思えてしまう。
「誰か新しく将として迎え入れることも検討しておいて」
「わかった。だが部下からは無理だな。どれも俺たちより劣る」
「……過去の魔王の部下がまだ生きていないか情報を集めてみるわ。ただし見つかる可能性は低いし、部下を鍛える方向で考えた方がいいかも」
「俺たちと同格ではなく、俺たちの下に置くというならなんとかなるだろう」
「さすがに私たちと同格を求めるのは贅沢ということか」
話を終えて獅子顔の男は空を飛べるモンスターに乗って自身の拠点へと帰っていった。
触角の女も拠点の入口を隠して、ミストーレへと飛ぶ。
鳥よりも高く速く長く飛び、一度止まる。もう一時間ほどでミストーレに到着予定なのでワンドを使って変装しておくのだ。
再び移動し、夜闇に包まれたミストーレの上空までくると高い建物の屋上に着地する。そこからはダンジョンの入口が遠目にだが確認できる。
「今から始めたら発動は朝くらいかしらね」
そう呟くと触角の女は屋上の床に魔力で魔法陣を描き出す。
三十分ほどかけて完成させ確認も済ませる。
その魔法陣を軽く踏みつけると、見えない糸が魔法陣から出て大ダンジョンへと何本も伸びていく。
「あとは魔法陣の確認をしながら待つだけ」
触角の女は魔法陣と大ダンジョンを交互に観察して、成果がでるまで待ち続ける。
夜が明けて、人間たちが動き出す。
町に取れたての野菜などを運び込む馬車がぞくぞくと入っていき、市場でそれらが並び、売り子の声が響く。
幾人もの冒険者たちが準備を整えてダンジョンに挑んでいく。
そうした朝の当たり前となった光景に異変が生じる。
井戸端会議や売り買いの交渉をかき消す、大きな悲鳴。建物の破壊音。それらに気を取られた人々。
日常が消えて、非日常が姿を見せる。
◇
今日もダンジョン探索だ。
朝食を終えて、武具をきちんと身に付けて、護符にジャーキーに水筒と持っていくものを確認していく。
準備が整ったら部屋を出て、鍵を閉めて宿の玄関に向かう。
従業員や同じように長期宿泊している客に挨拶をして「今日もダンジョンかい」「そうですよ」などと一言二言話して宿を出る。ちょっとした会話をする程度にはこの宿にもなじんできた。
宿を出ると、道行く人々の話し声が聞こえてくる。それらを聞きながら、教会に向かう。特に変わった話は聞こえてこない。これからどんどん暑くなっていくわねなんて会話が聞こえてくる、いつも通りの朝だ。
ポーションを購入し、昼食も買って、転送屋に向かう。
転送屋の建物が遠目に見えてきて、ふと視線を上に向ける。なにか気になるものがあるわけじゃなく、本当になんとなく周辺を見上げたのだ。
視線の先に見えるのは建物の屋上などで、そこに黒い服の女がいた。顔までは確認できないけど、体つきから女だとわかる。
こっちの視線に気づいたらしく、女の顔がこちらに向く。
わりと距離が離れているのに視線に気づいたのか。
感覚が鋭いんだなと思っていたら、悲鳴が聞こえてきた。
誰かがぶつかったり驚いたような軽い感じの悲鳴じゃない。本気で怖がっていたときに聞こえてくるようなものだ。
「なんだ?」
屋上の女から視線を外して、悲鳴が聞こえてきた方向を見る。周りの人たちも同じようにそちらを見ていた。
悲鳴はダンジョンの方から聞こえてきて、そちらから必死の形相で走って逃げてくる人たちがいる。
一般人もいれば、俺のような駆け出し冒険者も逃げてきていた。
その流れに押されるように俺もダンジョンとは反対へと歩く形になる。
確実になにかあったな。でもなにが? 周囲の声に耳を傾ける。
「なんだ?」「強い奴らが喧嘩でもしたのか?」「いやどうやら違うらしいぞ」「じゃあいったいなにが」
そんな会話を聞いていると、咆哮が聞こえてきた。
咆哮? これまで町中でそんなもの聞いたことないぞ。せいぜい野良犬の遠吠えくらいだ。
「まさか」「いやそんな」「間違いなさそうだぞ」
察しがついた人たちの表情が引きつって、彼らの口から原因が語られる。
「ダンジョンからモンスターが出てきた?」
それを証明するように鬼のような巨体の魔物が姿を見せた。
四メートルに近い身長で、太りぎみだが筋肉もついたがっしりとした体。肌は赤黒く、額からは雄々しくそりかえった一本角が生えている。その威圧感は離れていても肌を刺すように感じられた。
レッドオーガのように見える。でもゲームに出てきたレッドオーガとは違うところもある。レッドオーガは茶の短髪、あれは肩を越す白髪。角のサイズもあれの方が大きいし、身長もあれの方が大きいと思う。
「いや違いを考えている場合じゃない。俺も逃げないと」
レッドオーガと戦える階はゲームだと五十階辺り、今の俺がどう頑張っても敵う相手ではない。
周囲の冒険者も挑むつもりはないようで逃げ出す者が多い。
それらの流れにそって俺も走り出そうとしたそのとき、頭上からなにかが降りてきた。
着地点にいた人が下敷きになり、弱々しい呻き声を上げている。
現れたのは、甲虫のような甲殻を体のあちこちに身に着けた虎だ。グルルと低い唸り声を出して、周囲を見ている。
(アーマータイガーッ)
声に出せば注意を向けられると、頭の中に名前を浮かばせる。
これも知っているモンスターだ。レッドオーガのように変化はなく、通常種だった。でも四十階くらいに出てくる魔物でやはり俺が勝てる相手ではない。
足を止めた人々は、下敷きになっている者を助けようとはせず我先にと逃げ出した。
俺も同じように路地へと駆け込む。
すぐ後ろでアーマータイガーの咆哮が聞こえてきて、悲鳴もすぐに聞こえてきた。
モンスターの咆哮はほかの場所からも聞こえてくる。
レッドオーガとアーマータイガー以外にもモンスターが出現しているらしい。
(たしかセンドルさんたちが大ダンジョンからモンスターが出てくることがあると言っていたっけ。あれがそうなのか。でも前兆があるとか言っていた気がする)
そんなものはなかったはずだ。町に来てそう時間がたっていない俺が見逃すことはあっても、この町の住人たちが見逃すはずはない。
警告が発せられ、避難指示が事前に出されるはずだ。
なにかこれまでとは違うことが起きているのかもしれない。
(なにかが起きていたとしても弱い俺がどうこうできやしない。今は逃げることだけを考えよう)
そんなことを考えながら通ったことのない道を走る。
「「「きゃあああああっ」」」
悲鳴だ。いくつも声が同時に聞こえた。進む先からか。モンスターがこっちにもいるんだな。
声の主たちには悪いけど、道を変えさせてもらう。
足を止めて新たな道を探すと、さらに声が聞こえてきた。
「お前たちだけでも裏から逃げなさいっ」
「先生!」
「早くっ」
いるのは子供か。迷いが生じる。
アーマータイガーのときに下敷きになった人を助けなかったのに、今更子供を見捨てられないと迷うのは笑える話だ。
早く立ち去ろうと思う俺の耳にさらに悲鳴が聞こえてきた。
「早く、行きなさいっ」
モンスターから攻撃を受けたのか苦しそうな声だ。そして子供たちはまだ逃げていないのだろう。先生という泣き声が聞こえてくる。
足が動かない。意識が彼らの方に引っ張られる。
「……ああっもうっ」
馬鹿らしい行為だけど、時間稼ぎくらいやってやるっ。
声の方へと駆け出す。
そこは二階建ての大きめな建物があり、建物の前には広い庭があった。
声の主たちは建物から出ようとしたところをモンスターに塞がれる形になったようだ。
子供たちを背にかばうように二十歳くらいの男がいて、五人の子供が震えていた。
男の服は腹の辺りが破れていて、ちらりと血の汚れも見えた。
「おらっこっちだ!」
そこらへんに落ちていた空の植木鉢をモンスターに投げる。
「俺が時間を稼ぐからさっさと逃げろ! 言っておくが俺は強くないから時間稼ぎしかできないぞ!」
「あ、ありがとうございます」
男は子供たちに支えられて建物の中に入っていく。
モンスターは逃げる彼らを追うことなく、ちょっかいをかけた俺に注意を向けている。
運がいいことに目の前のモンスターはレッドオーガたちに比べると格段に弱い。
名前はオオアリクイで、見た目もオオアリクイそのままだ。大きさも俺とそう変わらない。
ゲームだと十階から十五階に出てきたはずだ。俺にとってはきつい相手だけど、まだなんとかなる。
「っ!?」
あれの行動を思い出していると、口が俺の方に向けられるのが見えて、とっさに横に避ける。
俺がいたところに薄紫色の長い舌が伸びてきて風を切る音がした。
「ゲームと同じく鞭のように舌を使い攻撃してきたか」
中距離はあの舌で、接近すると前足を振り回すというのが攻撃方法だったはずだ。
顔を俺に向けて口を動かすという前兆を見逃さなければ、舌に当たることはないと思う。
オオアリクイの口に注目し、また伸びてくる舌を避ける。
(よし。前兆さえ見逃さなければ当たらない。このまま避け続けて時間を稼いで逃げよう)
さらに伸びてきたものを避けると、オオアリクイは逃げていった男たちを追う方がいいと判断したようで建物の玄関へと体を向けた。
(もう大丈夫か? いや時間を十分に稼げたとはいえないよな? やりたくないけど攻撃するか)
ポケットから護符を取り出し、オオアリクイに接近しながら破き、魔力活性を行う。
隙を晒している今のうちに強烈な一撃を叩き込む。
弱点の腹に攻撃したいけど、回り込むのは危ないから仕方ない。
俺の接近にオオアリクイは気付いて振り返ろうとしたけど遅い。このまま頭に向かって剣を振り下ろす。
感想ありがとうございます