20 負け確定の戦い 3
決闘が終わってベルンは足早に去っていき、年上の冒険者もまたどこかでと言って去っていく。
「宿まで送ります」
「ありがとう」
歩けないほどじゃないが、手助けがあると助かる。
ゆっくり歩いて宿に戻り、ベッドに座る。
「このポーションを飲んでください。汚れも落とした方がいいですね。桶をとってくるのでポーションを飲んだあとはベッドで寝ていてください」
「ポーションで動きやすくなるだろうし、ふくくらいは自分でやれるよ」
「迷惑をかけたのでこれくらいはやらせてください」
真剣に言ってくるな。それでハスファが納得するなら、まあいいか。
了承するとハスファはほっとしたように表情を和らげ、部屋から出ていく。
ポーションを飲み、ベッドに寝転がる。じんじんとしていた痛みが引いていく。
「明日までにしっかり治るといいな」
そのままボーッとしていると、ハスファが戻ってきた。
少し顔が赤くなっているような?
そんなことを思いつつ体を起こす。
「手ぬぐいを借りますね」
部屋の隅でロープにひっかけて干していた手ぬぐいを一枚とって、それを桶に入れて水を絞る。
「顔からいきますから目を閉じてください」
「あとで銭湯に行くつもりだし、丁寧にやらなくていいから」
「駄目です、手は抜きません」
言われるまま目を閉じると、ハスファが近づいてきてそっと顔に手ぬぐいをあてる。
「力を入れすぎていたら言ってくださいね」
「あいよー」
ハスファは力を入れすぎずに俺の顔をふいていく。
こんなふうに誰かに顔をふかれるのはいつぶりだろうか。デッサとしては小さい頃に、前世としては散髪屋でやってもらったか。
前世では死ぬ二週間前にやってもらったから、前世が主体の今は誰かにふいてもらって一ヶ月もたってないってことでいいんだろうか?
でも感覚的には久しぶりだし、難しいところだな。肉体的には久しぶりで、魂的にはそこまでじゃないってことで納得しておこう。
考えているうちにハスファは首回りもふいていく。
「次は腕をふきますね」
一度手ぬぐいを洗って俺の右腕を持ち上げて袖を上げる。
もう目を開いてもいいだろうと開いて見えたのは真剣な表情のハスファだ。
見ていることに気付いたハスファの表情がはにかみへと変わる。
「間近で見られると照れるので」
「そう? じゃあまた目を閉じておくよ」
右腕をふき終えて左腕も終わる。
「足はどうしましょう」
「汚れてないし、もう終わりでいいよ」
顔や前腕は転んだときに土や砂がついたけど、足はズボンのおかげでそれらはつかなかったしな。
ハスファは水を捨ててくると言って、手ぬぐいも持って部屋を出ていった。
ポーションのおかげで楽になったし、今のうちに着替えておく。土で汚れた服は隅の籠に入れた。ハスファが帰ったら洗おう。
ベッドに座って、模擬戦を思い返す。
ベルンのあの強さが三十階辺りをうろつける基準なんだろう。今の俺には届かない強さだけど、遠すぎる実力というわけでもなかった。
ゲームを基準にするとレベル8くらいか。今の俺がレベル3と仮定する。差が5つくと、これだけ一方的にやれるわけだ。
あと常人はレベル8に到達するのに一年ちょいかかるというのがわかったのも収穫か。
俺の場合はそれ以下の時間で到達しないと呪いが発動してしまう。
リューミアイオールはたしか三ヶ月で呪いが発動と言っていた。
しっかりとした数値がないからおおよその計算だけど、常人の二倍ちょいの速度で鍛えていけばいいってことらしい。鍛える速度は倍以上って聞いたけど、二倍に近い速度で止めてくれたのか。
三倍とかじゃなくてほっとする。いや常人と同じ速度で鍛えていけないんだから安堵してどうする。
すでにあのときから時間は流れていて、厳しめにみるなら二ヶ月しか時間はない。油断しているとあっという間に時間が流れて、期限が迫ることになりかねない。
「戻りました」
洗った手ぬぐいを持ってハスファが戻ってくる。
手ぬぐいをもとの位置に戻して、椅子に座る。
「さて今後についてですが」
「今後? なにか約束あった?」
「いえ約束していることはありません。今回のことで文字教室に行くことができなかったでしょう? だから二回分くらいの勉強をお礼としてやろうと思いまして」
「あー、助かるかな。マンツーマンでやったら学べることは多いだろうし。でも互いの都合が合わないと思う」
「そうですか? さすがに明日も休みにするでしょうし、明日は確実に都合を合わせることができると思いますよ」
「明日は少しダメージが残っているくらいならダンジョンに行こうと思っているんだが」
ハスファは唖然としたあと、すぐに厳しい目つきになった。
「昨日は死にかけて、今日も大きな負担が体にかかっているはずです。しっかりと休まないと倒れてしまいますよ」
「でも今日休んだし、明日も休むのはちょっとな」
シーミンたちにも休息は大事と言われたけど、時間的余裕があるかどうかわからないし。
「どうしてそこまでダンジョンに行こうとするのですか」
「強くならないといけない事情がある」
「事情ですか、詳しく聞いていいものかわからないので聞きません。ですがその事情は疲れや負担を抱えたままダンジョンに挑まなければならないほど大事なものですか」
「事情が優先される。普通なら休息しながら一歩一歩着実にやっていくんだろう。それは俺もわかる。でもその事情ゆえに無理していかないと間に合わないかもしれない」
「わかっていてもなお、無理をするほどの事情?」
事情がなんなのか気になるんだろう表情に出ている。
「重い内容だから話さない。借金とか実家に仕送りとかじゃないのは言っておくよ。俺個人に関わってくるもの」
「……」
心を見通そうかと言わんばかりにじっと俺を見てくる。一分ほどそうして、ハスファは小さく溜息を吐いた。
「私の言葉ではどうにもできなさそうです」
「誰の言葉でも止められないな。いや一人だけ止められる人はいるけど、止めないだろうな」
リューミアイオールが呪いを解いてくれれば急いで強くなる必要はないのだ。
だけど解いてくれるはずもない。強くなるのは、生き延びたくて俺から言い出したことだしな。
呪いが解かれるのは俺が食われるときだろう。
「決めました」
「なにを?」
「毎日日暮れくらいにあなたの様子を見に来ます。そして疲れがひどかったら無理にでも次の日は休みにします」
「いやいやそこまでしてもらうのは悪い」
ハスファだってシスターとしての仕事があるだろうに。余計な負担を増やすのは悪い。
「私が勝手にやることです。止めても聞きません」
「男の部屋に毎日通っているって噂が立つぞ? シスターとしてそんな変な噂はまずいと思うけど」
「勝手に噂すればいいんです。私は間違っていることをしているとは思いません」
さっきのハスファと同じことを思うとは思わなんだ。俺の言葉ではどうにもできなさそうだ。
ほかのシスターたちが止めてくれるといいなぁ。
「まあほどほどにね」
「はいっ。ほどほどにしっかり見張ります」
ほどほどとしっかりって同列じゃないと思うんだけどな。
ふんすと気合を入れたハスファを今日はもう帰して、少しのんびりとして夕飯前に銭湯に向かおうとホールを通る。
そこで宿の娘にハスファは恋人かと聞かれた。違うと答えたが、たぶんハスファも同じことを聞かれたんだろう。だから桶に水を入れて戻ってきたとき、顔が赤かったんだ。
◇
模擬戦を終えたベルンは燻る苛立ちを抱えて、家へと向かう。
その途中で声をかけてくる者がいた。
「よう、ベルン。教会から帰ってきたってのに不機嫌だな?」
ベルンの仲間だ。雑用をすませたのか、買い物袋を持っている。
「ちっ、うるせーよ」
「おうおう、仲間になんて言い草だ。本当になにがあった?」
「お前には関係ねえよ」
さっさと帰ろうとするベルンを仲間は引き留める。
ベルンは怒鳴りかけたが、仲間の心配する表情に言葉を飲み込む。真剣に自分のことを思って聞いてきているとわかったのだ。
「関係なくねえよ。明日までその不機嫌を引きずられるとダンジョン内でミスが起きるかもしれないんだ。ここで愚痴の一つでも吐いて、すっきりしていけ」
ほら行くぞと近くのベンチへと背を押される。
ベルンはされるままベンチに座る。誰かに話せば苛立ちも少しは治まるかもしれないと頷けるものがあった。
「それでなにがあったんだよ。いつも教会に行ったあとはうざいぐらいにハスファってシスターの話をするってのにさ」
溜息を吐いたベルンは今日教会に行ってから模擬戦を終えるまでのことを話す。
茶々を入れずに仲間は静かにそれを聞いたあと、大笑いする。
その笑いようにむかついたベルンは仲間の胸倉を掴もうとするが、仲間が体をのけぞらせて避ける。
「お前そのシスターにも浮かれた調子で接していたのか。もっと上手く口説けよ」
「口説き方が下手だって言うのか!?」
「嫌がられていたんだから下手ってことだろうよ。俺たちから見ても不安はあったしな」
「不安なんて感じていたのか」
初耳だと言ってベルンは仲間を見る。
「俺たちの様子に気づいてないとは薄々わかっていたが、まじだったか。浮かれすぎだって、それとなく注意はしていたぞ。でもお前が聞かなかったんだよ。この調子が続くなら、もっと強く注意しようってほかの奴らと話していたんだぞ」
「お前たちにまで注意されるほどか」
「ああ、浮かれていたせいかダンジョン内での気の入り方が違ってきていた。数ヶ月前まではいろいろと気を張っていたが、そのシスターと出会ってからは気が抜けるってほどではないけど、真剣味が足りなくなっていたからな」
「そんなことはない」
「ある」
仲間の即答と断言に、ベルンは苦い表情になった。
「わかりやすく例を挙げるなら駆け出しの頃はこういった補充を一緒に行っていたけど、最近は教会に行きたいからって俺たちに任せっぱなしだったろ」
ベルンは言い返せず詰まる。ハスファを優先するあまり、たしかに雑用を仲間に押し付けていたのだ。
ダンジョンで扱うものを自身の目で見て選んだ方がいいと以前は考えていたが、最近はそういった考えを忘れていた。
指摘されてようやく気付けるほどに浮かれていたと自覚させられる。
「……浮かれていたな、たしかに」
認めるしかなかった。
恥ずかしくなり片手で顔を覆う。
「わかってくれたか。最悪パーティ解散にもなりえたからな。反省するように」
「すまん」
ベルンは素直に頭を下げる。解散まで考えていたというのなら、本当に迷惑をかけていたとわかるのだ。
「こういったらお前は怒るかもしれんが、そのシスターと縁が切れて良かったよ」
仲間もハスファが悪女というつもりはない。しかしベルンを暴走に近い状態にさせてしまっていたので、あまり良い印象は持っていなかった。
これがハスファもベルンに惚れていたら、もっと手が付けられないほどにベルンは骨抜き状態になっていたかもしれない。
そうなればもっと早くパーティ解散を決断していただろう。そのままベルンは冒険者を引退して実家の手伝いをやることになったのだろうなと仲間は思う。
「縁は完全に切れたと思うか?」
「切れただろ。近づかないでくれとまで言われたのなら、もう挽回は無理だ」
「そうか」
ベルンは肩を落とす。
自分でも薄々自覚はあったが、仲間に断言されて失恋したのだと受け入れた。
「俺たちのためにも、しばらくは冒険者に専念してくれ」
「わかったよ。いい機会だから鍛えることに集中する」
そう言ってベルンはデッサに打たれた胴に触れる。
ポーションを使うまでもないと思ったため、放置しているその部分はいまだ熱を持っていた。
デッサに有効打を受けたことは、ハスファのことは関係なく悔しい。
この一撃も戦闘への意欲がおかしくなっていたから受けたのだと自身を戒める。
「それで少しはすっきりしたか」
「……ああ、話を聞いてくれてありがとな」
悔しさはあるものの、燻る苛立ちはかなり小さくなっていた。時間が経過すれば燻りも消えてなくなるだろう。
仲間と別れたベルンは家に帰り、家族からも浮かれた雰囲気がないことを指摘される。
なにがあったのかしつこく聞かれて、渋々話して呆れられることになる。
ハスファへの申し訳なさと世間体を気にした親と一緒に教会に詫びを入れることになり、寄付という形で謝罪のお金を教会に渡す。一緒にデッサの治療費も渡された。
このお金は親からベルンへの借金という形になる。親は反省を促すためそういう形にしたのだ。
親はハスファへと直接詫びることも望んだが、ハスファが会うことを避けたがったので無理に会うことはないだろうと考え引き下がる。
ベルンとしてもハスファと会うのは気まずいものがあり、会えなくてほっとしていた。
失恋を自覚して頭が冷えた状態で振り返ると、浮かれ過ぎたと自分でもわかるのだ。
恋をしたことは今でも悪いこととは思わないが、もう少しやりようがあった。そう思えるくらいには反省している。
反省したからといって迷惑かけたことがチャラになるわけでもないので、ハスファの望み通り偶然でも会わないように教会にはしばらく近づかないでおこうと決めた。
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