194 教会と残党 後
四人が向かう先は限られた者しか入ることのできない部屋に繋がる通路だ。
その部屋になにがあるのか知っているガイセンたちはひそかに興奮している。
ジートルムが扉を開けて中に入り、三人も続く。
そこは謁見室だ。さほど広くはなく、綺麗に掃除された部屋の中に玉座がある。
玉座には十四歳の少女と同じ大きさの人形が座らせられていた。質の良いドレスを着て、宝石のアクセサリーを身に着け着飾られている。
ただの人形ではない。たしかな存在感があった。
それを見て四人は疑問など抱かずに、両膝を床につけて頭を下げる。
人形は無反応だ。しかしそれを気にせずジートルムは話しかける。
「レステンス様、今日は良い知らせをお持ちしました。こちらの三人が持ってきた素材により、ついに肉体の齟齬がなくなるかもしれません。すぐに準備いたしますので、もうしばらくのご辛抱を」
やはり人形から返事はない。
ジートルムは頷いて、立ち上がる。反応がないことはわかっていたのだ。
レステンスと呼んだ人形が動くのは一年のうち、かなり少ない時間だけ。そうしなければ人形に宿る魂と入れられている脳が耐えきれない。
ここに来たのは聞こえてないとしても報告をしたかったからということと、三人の功績の褒美として拝謁させたかったからだ。
「よし、また移動するぞ」
謁見室から出た四人は、研究区画へと向かう。
研究区画に足を踏み入れたジートルムは、研究員たちに挨拶されながら責任者の部屋に入る。
「バーテル、良い知らせだぞ!」
「ジートルム? ここまで来るとは珍しい。なにか用事があるなら呼び出すだろうに」
そこにいたのはジートルムと似た年齢の女だ。
「レステンス様の問題が解決しそうでな。直接足を運んで話したかったのだ」
「どういうことか説明しろ」
「この三人が竜の血を手に入れてきた」
「竜の血だと? たしかに素材としては上質なものだが」
バーテルはそこまで喜ぶものではないだろうと呆れた顔だ。
火竜や風竜といった竜種の素材はこれまで手に入れていたことがあるのだ。手に入れば嬉しいものではあるものの、わざわざジートルムが知らせてくるものでもない。
「ただの竜の血じゃない。遊黄竜の血だ」
その言葉にはさすがに表情が変化する。
「なんだって? 間違いじゃないだろうね」
「間違いではありません。遊黄竜から直接もらったものです」
ガイセンが本物だと言い、バーテルはガイセンたちに顔を向ける。
「なにがあったのか話しておくれ」
ジートルムにも話したように、遊黄竜の背であったことを話す。
「まずは魔物の討伐を祝おうじゃないか。命懸けで得たものなんだろうが、それでも確認はさせてもらうよ。偽物を姫様に使うわけにはいかないからね」
「すまんな。こやつは疑うことが仕事だからな」
血の欠片を渡してジートルムが三人に詫びる。
「気にしないでください。遊黄竜の血など普通は手に入れられるようなものではないと俺たちもわかっています」
バーテルはほんの少しだけ欠片を削って、シャーレに欠片を入れる。
そのかけらになにかの液体を一滴だけふりかけた。
「誰か! ネズミを一匹持ってきておくれ!」
作業中の研究員に声をかける。すぐに若い研究員が動いて、ケージにネズミを入れて持ってくる。
十六歳ほどの少女で、どことなくバーテルに似た顔立ちだ。
「婆ちゃん、持ってきたよ。なにに使うの?」
「ありがと。ちょっとした実験さ。まあ見てな」
分厚い手袋をしたバーテルはネズミを掴んで、その口をシャーレへと持っていく。
皆の注目を浴びたネズミは、バーテルの手の中でもがきながら、欠片が溶けた液体に口をつける。
途端にネズミは力強く暴れ出し、バーテルはゲージにネズミを戻す。
「よし、あの欠片が本物なら」
ケージに戻されてもネズミは激しく動く。そしてその体の変化に皆が気づく。
毛が逆立ち、肉体が膨らんでいる。普通のネズミの三割増しといったところまで大きくなり、そこで変化が収まったことで落ち着きを取り戻した様子のネズミは、金属製のケージに齧りつく。
簡単にとはいかないが、何度も齧りつくことでケージが破壊されていく。
「もっと頑丈なケージを準備しないといけないね」
「とってくるわ」
バーテルの孫が小走りで離れていく。
「バーテル、なにをネズミに飲ませたんだ?」
「少しだけ特殊な栄養剤だよ。疲れたときに効くといったもので、それ以上の効果はない。それなのに欠片を混ぜたことで、ここまでの効果を発揮した。ただの竜の血でもここまではならないよ。遊黄竜の血というのは本当のようだ」
「だったら使えるだろう?」
「ああ、使えるね。このまま混ぜてもいいが、もっと効果を出すためにも工夫をしたいところだ。竜の血と相性のいい素材がもっとあれば」
それならとジートルムはガイセンたちが持ち帰った植物について話す。
「遊黄竜の背で育った植物かい。それならたしかに相性は抜群だろう。まずはなにからやろうかね」
「考え込む前に、簡単にでも方針を聞かせてもらいたい」
そのままだと考えに没頭すると知っているジートルムが声をかける。
「まずは欠片をほんの少し削ったものとこれまで使っていた薬を混ぜて、レステンス様に投与して反応を確かめる。もしかすると遊黄竜の血との相性が悪いかもしれないからね。問題ないとわかれば、そのまま遊黄竜の血を使った薬の作成を決定する。決定だけで実行はまだだ。先に回収してきた植物の育成もやって、増やしていこう。増やした植物を使って薬を作って、これまで使っていたものの改良や改善を目指す。そして改良されたものに竜の血を混ぜてレステンス様に投与だ。こういった方針で行こうと思っているよ」
「安全に気を遣うのならなんの文句もないな。これまでの薬に血を混ぜたものを使うときは、俺も一緒に確認するぞ」
「わかっているよ。今日中にやってみるからそのつもりでいておくれ。三人とも本当によく手に入れてくれた。順調にいけば、レステンス様は当たり前の生活を送れるようになる」
感謝の篭った視線に三人は恐縮だと一礼する。
ジートルムとガイセンたちはまたジートルムの部屋に戻る。回収してきたものは研究員に渡してある。
「バーテルも言っていたがよくやってくれた。まずは体をゆっくりと休めてほしい。今日中にお前たちの書類は作るから受け取ってくれ」
「わかりました。レステンス様についてお聞きしてよろしいでしょうか」
「いいぞ。なにが聞きたい」
「俺たち平の構成員だと、レステンス様の状態は詳しく知らされていません。せいぜいがシャルモスがまだ存在していた頃に生きていた方ということと、当時の王家の姫、その時代からどうやってか生きている。この三つです。そこらへんの詳細は聞けるのでしょうか」
「ふむ……まあいいだろう。記録によれば王家が滅びたとき、レステンス様もまた命の危機にあったそうだ」
家族と一緒にレステンスが兵によって斬りつけられ、刻々と死に近づいていたとき、魔法研究所の所長に助けられた。
家族は死んでいたが、レステンスだけはまだなんとか息があった。
ハイポーションでも回復できない傷で猶予がなく、このままでは死んでしまうと考えた所長は一か八かの賭けに出た。傷ついた肉体を別のものに置き換えるという研究が行われていて、それを使うことにしたのだ。
しかしその研究は手や足を置き換えるだけだ。レステンスの損傷部位は体全体に及んでいた。このまま行ってもデータ不足で成功確率は低い。放置しても死ぬし、失敗しても死ぬ。どうせなら生き延びる可能性のある、体全体の交換をやることにした。
研究所の地下にレステンスを運び、協力してくれる者たちと一緒に準備を進めて、生き延びてくれと祈りながら魔法を使った。
その結果、肉体のほとんどが魔物素材という人形に、レステンスの脳といったいくらかの部位と魂が宿ることになった。
命自体は拾うことができたが、やはり無理が祟ったようで代替の肉体に拒否反応がでた。
痛がり苦しむといったことはなかったが、意識がわずかに浮き上がるだけでほとんど眠った状態になってしまった。
だが悪いことだけでもなかった。そんな状態だからか、老化がかなり遅くなったのだ。
その状態をそばにいる者たちはよしとせず、普通に過ごせるように研究を続けて、一年間に半日まで活動可能に時間を伸ばしている。
「レステンス様の事情はこのような感じだな」
「一つ疑問なのですが、普通の生活ができるようなったら寿命ももとに戻ったりしないんですか?」
ジートルムは肯定するように頷く。
「それはありそうだ。眠っている間は老化がほぼゼロだが、起きている間は普通に過ぎているようだからな。しかしレステンス様自身が当たり前の生活を望んでいる。ならば叶えたいというのがレステンス様を助けた所長の希望であり、先祖たちの希望なのだよ」
「長生きを望む人は多いと思うんですけど、実現するとまた違った感想を持つようになるんでしょうかね」
「普通の長生きとはまた違っているからな。長生きではあるが、そのほとんどを寝て過ごしているのだから、生きているという実感はないのかもしれない」
「やりたいこともできそうにないし、生の実感はないかもしれませんね。レステンス様の事情を教えてくださりありがとうございました」
「もういいのかね」
確認するように聞かれて、三人は頷いた。
三人が退室し、ジートルムは書類を作っていく。
三人を労うための書類を完成させて、部下を呼び出し渡す。その後、報告書などを読んでいるとバーテルからの使いがやってくる。
竜の血を試すということで仕事を中断し、謁見の間に向かう。
謁見の間にはバーテルとほか二名の研究員がいた。ジートルムには使い道のわからない器具がいくつか持ち込まれていた。
レステンスの口に細い管が入れられていて、それが胃まで届いている。
「準備はできているのか?」
「できている。いつでも始められるが、いいかい」
ジートルムが頷くと、研究員たちは慎重に薬を胃に送り込んでいく。
準備してあった薬を全て送り込み、管を抜いて吸収されるのを待つこと二十分ほど。
かすかにレステンスの体が動いて、俯いていた顔が上げられる。そして瞼が開き、アメジストを思わせる瞳がジートルムたちを捉える。
「ジートルムにバーテル、また一年たったのかしら」
「おはようございますレステンス様。まだ一年経過しておりません。今回は特別な素材を手に入れることができて、試してみたのです」
ジートルムの言葉に、レステンスは小さく頷く。
「どういったものなのかはバーテルにお聞きください」
「ジートルムにかわって説明いたします」
構成員が遊黄竜の血を手に入れたこと、今回は試しにわずかな量を投与したこと、体に異常がないか聞きたいことを伝えた。
「上位竜の血とはまた貴重なものを……苦労をかけましたね」
「その労いの言葉、三人に伝えておきましょう。さぞ喜ぶことかと」
「お願いしますね。それで体に異常がないかということでしたか」
「はい。少しの異常でもあれば教えてください。今は小さくとものちのち大きな障害となりうるかもしれません」
「少し待ってちょうだいね」
「急かすつもりはないので、しっかりと確認をお願いします」
レステンスは目を閉じて、自身の体に意識を集中する。わずかに手足を動かして反応を確かめ、痛みや違和感の有無を確かめる。
レステンスは自身がどういった状態なのか、よくわかっている。助けてくれた人たちから説明を受けていて、あっというまに時間が流れていくのを実感しているのだ。
そして自身のスペックの高さも自覚があった。起きていられる時間が短すぎて生かすことはできないが、岩を握りつぶすことが可能なくらい身体能力が高い。起きている時間さえ長ければ、アンクレインを自身の手で殺すことができるのにと思ったこともある。
「私がわかる範囲では異常はなさそうです」
「私どもが触れて調べてもよろしいでしょうか」
「ええ、許します」
「ジートルム、服を脱がすから外にでていきな」
「わかった。終わったら知らせてくれ」
ジートルムは謁見室から出て、扉の前で結果を待つ。
三十分ほど経過し、扉が開く。研究員が中へどうぞと声をかけてくる。
研究員たちは器具を片付けていて、バーテルは書類になにかを書き込んでいる。
「結果はどうだった?」
「異常なしとみていいね。このまま予定通りに進める」
「完成すれば、この体になる前のように普通に寝起きする生活を送れるようになるのですね?」
レステンスの問いにバーテルは頷くことはできなかった。遊黄竜の血に余裕がないため、一発勝負になるからだ。今度は逆に睡眠を必要としない体になる可能性や数日寝て数日起きるといった不規則な体になる可能性もあって、一般的な過ごし方ができるとは言えなかった。
竜の血を得た者たちから譲り受けるか奪うことも考えたが、その過程で偽物の血や異物を混ぜた血を提供され、それを見抜けず素材にすることになったらレステンスに迷惑がかかるため、手持ちの血だけで進めることにしたのだ。
「断言はできませんが、かなり可能性のある話です」
「そう、楽しみだわ」
「いつくらいに完成しそうだ?」
「実際に研究を始めてみないことにはわからないわね。でも十年とかそこまで長期間を要することはないわ」
「そうか。アンクレインの拠点確認とどちらが早いだろうか」
バーテルが答える前に、レステンスが疑問を発した。
「拠点とはどういうことですか?」
「魔物からアンクレインの拠点と思われる情報を得ました。その確認を始めようと思っているのです」
「ついに居場所を突き止めたのですね」
レステンスが握りしめた手がわずかに震えている。力を込めすぎているのだ。
「レステンス様。どうか落ち着いてください。あまり興奮してはお体に障ります」
肉体と魂のバランスが悪いため、興奮すると本当に悪影響がでてしまうのだ。
バーテルが研究員たちに目配せして、頷いた研究員たちはそっとレステンスの背を擦る。
レステンスは深呼吸して落ち着きを取り戻す。
「ありがとう。ジートルム、確認をお願いします」
「お任せください」
もとより手を抜くつもりはなかったが、レステンスからの願いによってジートルムはあらゆる手段でもって確認することに決めた。
まずは現状わかっている砂漠の地理確認やルート確認だろうと考えをめぐらしながら、レステンスに一礼し謁見室から出ていった。
感想と誤字指摘ありがとうございます