173 不安
春もそろそろ終わりという時期が来る。
俺が俺として意識を持ち、活動を始めて丸一年だ。
リューミアイオールと見つめ合うというしょっぱなから大きなイベントを経験して、ミストーレに向かった。
山を下りたときには想像もしていなかったことを多く経験して、今がある。
一年前にはもっていなかった強さや物やお金、経験や伝手がある。おいたてられたとはいえよくここまでやれたもんだ。
一年でここまで強くなれたし、もう一年経過する前には一般人の限界には到達しているだろう。
来年の今頃はリューミアイオールの腹の中という笑えない未来が待っているかもしれない。
どうにか時間を稼げたらいいんだけど。
身体能力が限界に達したから次は技術の熟成と言って、そっちに時間をかけられたらそれが一番なんだけど、そこまでのんびりと待ってくれるのかわからない。将来を思うとさすがにひやりとしたものが背筋を走る。でも呪いという時間制限があるから、急ぎ足で強くなることもやめられない。
この先どうなるのか考えるのが本当に怖くなってきた。
前はまだ時間があると思って、先を考えるのをやめたけど、終わりが見えてくるとどうしても意識してしまう。
そのテンションのまま食事をとって食器を返すと、セッターに心配そうに声をかけられる。
「熱でもあるんですか? いつもより元気がありませんよ」
簡単に見抜かれるくらいに顔にも不安が現れているのか。
「体調はどこもおかしくない。この先のことを考えて、不安を抱いたんだ」
「この先っていうとルポゼの経営ですかね」
「そっちは心配していないね。予定通りにいっているから。不安を抱いたのは俺個人の将来だ」
「なにか不安になることあります? 冒険者としてもここのオーナーとしても順調だと思うんですがね」
「約束があってね。それが楽しいものではないんだよ」
「必ず守らないと駄目な奴ですか?」
「駄目だね。今の俺があるのはそれのおかげでもあるし」
「約束を守りつつ、別の方向で約束を果たすのとは違う結果を得て、それで満足してもらうとか無理なんでしょうか」
「違う結果ね……」
この場合は美味しく育った別人を準備して差し出す? それはさすがに外道すぎる。
ほかには……駄目だ思いつかない。
倒せばいいのではとちらっと思ったけど、そんなのは無理だ。
ゲームだと限界突破した主人公たちが若いリューミアイオールに挑んで勝っていた。長きを生きて強くなったリューミアイオールに、一般人の限界に到達した俺が勝てるわけがない。
それでもなんとか勝機を見出すとしたら、良い武具と道具をそろえて、魔力循環を四往復以上といったことが必要になってきそうだ。
良い武具も店ぞろえとかじゃなく、帝鉄とか手に入れないと駄目だろうし、鍛錬しながらどうやって探すのか。
しかもそこまでして確実に倒せるとは言えないんだよなぁ。
「……考えてみたけど駄目そうだ」
「そうですか」
「今日も美味かったよ」
簡潔にだけど感想を言って部屋に戻り、武具を身につけてダンジョンに向かう。
今日もハードアントを相手に戦っていく。でも一時間もしないで六十五階に引き返す。
「駄目だな」
兜を外し、壁に寄りかかり座って、ポーションを取り出す。
「どうにも調子が上がらない」
いつもよりミスが多くて、怪我も多い。
将来のことがちらついて集中しきれない。この状態で戦い続けたら、ハードアントの群れに飲み込まれて今日でおしまいになると思ったから、退いてきたのだ。
「考えるんじゃなかったよ」
まったく困ったもんだ。呪いがある時点で逃げるのは無理、戦うのも無理、どうにか時間稼ぎが関の山。
死にたくないけど、解決方法もないときた。
やれることが死に向かっての鍛練のみ。そう考えるとただでさえ沈み気味の気分がさらに沈む。
溜息を吐いて、弱気が顔を覗かせる。
いっそここでハードアントに突っ込んで死んだ方が楽なのでは? 鍛え続けることもしなくてすむし。こうして悩むこともなくなる。
受ける痛みはカルシーンのときと同じくらいだろ。
悪くない考えなんじゃないか?
六十六階に戻ろうと腰を浮かせる。
空のポーション瓶が地面に落ちて、カツンと乾いた音を立てる。それではっと我に返った。
魔が差す状態ってのは今みたいなことなんだろう。
「……馬鹿を考えたわ。悪くないわけあるか」
拳で額を強く殴りつける。籠手の先端が肉を裂いて温かい血が額から眉間へ鼻へと流れていく。
ポーションを額に振りかける。
さすがにここで死を選ぶのはない。不安が積み重なって気の迷いで馬鹿な選択肢が浮かんだ。
ここで死ぬことを良しとするなら、リューミアイオールに出会った時点で素直に食べられておけよと思う。
生きることを選んでここまでやってきたのに、すべて放り出すのは馬鹿の極みだろう。
楽になるのは違いないけど、悔しさもある。
……悔しいか、そうだな悔しい。デッサから押し付けられて、自分から交渉した結果とはいえ厳しい鍛錬を続けてきた。この一年楽しいこともあったけど、苦しいこともあった。押し付けられた生き方をしてきて最後までその生き方というのは気に入らない。一矢報いるくらいはしたいじゃないか。
食べられるときにひと暴れして、少しくらいは俺が受けた痛みや苦しみを思い知らせてやりたいっ。
「そうと決まればっ」
頬を叩いて気合を入れる。兜を被り、勢いよく立ち上がる。
休んでいる場合じゃない。少しでも強くなって、暴れるときに与えられるダメージを大きくしよう。
心のどこかでやけになっているだけだと、冷静に指摘する自分がいる。
わかっている。やけになって空元気を発揮しているだけだ。
それでもいい。さっきまでの沈んだ状態なんかより、はるかにましだ。
弱気からきていた気怠さは消えて、力がみなぎる。
ハードアントなんぞなにするものぞ。鬱屈した思いを晴らすついでに暴れて暴れて暴れまくって蹴散らしてやるっ。
感情のままに戦ったせいか、いつもより怪我が多くなった。でも少しはすっきりした。たまには怪我や丁寧さなんか気にせず、苛立ちとか怒りとかを叩きつけるように戦うのもいいかもしれない。
周りから見たら勝手に沈んで勝手にやけになった、危ない人物だろう。
まあたまにはそんな日もあるだろうさ。
ルポゼに帰ると、アーデアとハスファが話していた。
ハスファはちらりとこちらを見て、そのまま固まる。そして溜息を吐くと、アーデアになにかを告げた。
アーデアは頷いて立ち上がり、俺に一言挨拶して帰っていった。
ハスファと一緒に部屋に戻ると、若干睨むような目つきで俺を見てくる。
「デッサさん、いつもより一段と無茶してきたみたいですね」
「今日は自覚あるよ」
「なにがあったんです?」
「特別トラブルがあったわけじゃない。ただ調子が悪かっただけなんだ。たまにはこういった日もあると今日は許してほしい」
「……」
ハスファはなにを言うこともなくじっと見てくる。
「病気ではないようですね。気分的なものでしょうか」
「本当によく見ている」
「ほんの少しだけ不安そうな部分も見えますけど、引きずっているわけでもなさそうです」
不安がまだ残っていたのか、暴れただけでは全部吐き出せなかったみたいだ。
思わず顔に手を当てて確認してしまう。
「なにを思っているのかわかりませんが、峠は越しているように見えますよ。でも明日はゆっくり休んでほしいですね。肉体的な疲労も見て取れますし」
「そうだね、明日は休むよ。今日は思うがままに暴れた感じだし、そのせいで疲労も溜まってる」
「思うがままですか。ストレスの発散とか思い通りにならないことに対して癇癪を起こしたときに、そういった行動をとりますよね」
「その両方かな」
「感情のままに振舞うというのは珍しい気がしますね。そうなった原因である問題は解決しました?」
基本的にハスファと接するのは日常だし、感情剥き出しで動くということがないから珍しいのは当然かもしれない。
「してない。開き直った感じ」
「いつでも相談に乗りますよ」
「ありがたいけど、ハスファだと解決は無理だな。解決できる人はいないんじゃないか?」
「もしかして以前から言っていることですか、聞いたら止められないという」
「それ関係で間違いない」
「そうでしたか。せめてストレスを癒せたらいいんですけどね」
ハスファは片手を頬に当ててなにかを考え込む様子を見せる。そうだと呟くと先に部屋に戻っててくれと言ってくる。
「私は準備したいものがありますから、あとで行きます」
なにを準備するんだろうか。そう思いつつ頷いて部屋に戻り、武具を外す。
ハスファが来るまで武具の手入れをしようと鎧の細部を見ていく。そうしているうちに、ノックされてハスファが入ってきた。湯気の上がる桶とタオルを持っている。
「耳かきしますよ」
「耳かき?」
「ええ、孤児院の子供たちに頼まれてやることがあるんです。すっきりすると喜んでくれますよ。少しはストレスも発散されるんじゃないですかね」
「子供じゃないんだけど」
「癇癪を起したそうじゃないですか。子供に近い精神状態になっていたと言えるかと」
「そう、なのか?」
俺が首を傾げている間に、ハスファはタオルを濡らして絞りベッドに腰掛ける。
「こちらにどうぞ」
と言って太腿をぽんぽんと叩く。
どうしようかと思っていると、来ないのかと首を傾げられる。
「まあいいか。お願いします」
俺もベッドに腰掛けて、ハスファの足に頭を置く。
誰かに耳かきしてもらうのなんて久しぶり、前世の母親にやってもらって以来だな。
ベルンと模擬戦してぼこぼこにされたときも、顔とか拭いてもらって誰かにふいてもらうのは久しぶりって感じたっけ。
ハスファには、そういった久々の感覚を思い起こすということに縁があるなー。
「まずは濡らしたタオルで耳を温めていきますね」
耳にタオルが当てられる。しばし温かさを感じていると、タオルが動いて耳をふいていく。そしてタオルが外された。
反対側の耳では服越しにハスファの体温が感じられる。温めたタオルほどじゃないけど、こっちも安心する温かさだ。
「それでは耳かきを始めます。注意しますけど痛かったら言ってくださいね」
見やすいように耳が引っ張られて、耳かきがそっと耳に入れられる。まずは浅いところからのようだ。
「そこまで汚れはありませんね」
「たまに自分でやっているしね」
ハスファは話しながらちょいちょいと耳かきを動かす。ちゃんととっていたつもりだったけど、取り残しがあるんだろう。
少し奥に入れますと断りを入れてハスファは慎重に耳かきを奥へと進ませる。
カリカリカリカリと細かく動く音が続く。
それに聞き入って集中してしまう。ハスファも集中しているようで、無言の時間が続く。
静かな時間だけど、心地よい時間だ。
「はい、こっちは終わりました。一度起きてください」
「気持ちが落ち着く時間だったよ」
それは良かったと笑みを浮かべて、冷めたタオルをもう一度お湯に入れる。
「はい、反対側の耳をどうぞ」
また足に頭を置くとタオルが当てられる。
そうして先ほどと同じように、心地よい時間が訪れた。
このまま寝るのもいいななんて思いつつ穏やかな時間が過ぎて、耳かきが終わる。
もともとかゆかったりはしなかったんだけど、すっきりした感じがする。
「やってもらってよかった」
「リラックスできたみたいですね。不安そうな雰囲気もなくなっています」
「そっか」
この時間で死が迫っているという恐怖や理不尽へのいらつきが和らいだのかぁ。おもいのほか俺は単純なのかね?
いやまだ心の奥底には燻っているんだろう。表に出ない程度に落ち着いたといった感じか。
またいずれ不安は顔を出すんだろう。
「またやってもらうのもありかもしれないな」
「任せてください」
何度でもやりますよと微笑んだハスファは耳かきを握りしめる。
調子を崩したときにやってくれと頼んで、帰るハスファを玄関まで見送る。
明日からまた鍛錬を頑張って、どうにかして長く生きていけるようにやっていこうと決める。
どうすればいいのかさっぱりだけど、今はまだその手段がみつかっていないだけだと思うことにした。
なんの根拠もないけど、不安に沈んでいくよりはましだろう。
感想と誤字脱字指摘ありがとうございます