162 ルポゼの一日 前
ルポゼの朝は夜勤担当が玄関と裏口を開けることから始まる。
冒険者はダンジョンに長く潜っていたり、依頼で遅くに帰ってくることが珍しくない。そういった者が締め出されないように、夜勤担当が裏口に繋がる部屋で待機するのだ。裏口のノックを聞いて、名前を確認すると開けるのだ。名前の確認は強盗対策だ。
欠伸をしながら夜勤担当が外に出て、冷たい朝の風を受けている。東の空が白み始めていて、そろそろ太陽が上がってくるだろう。
ほかの店でも同じように朝から店の玄関を開けたり、掃除などをやって動いている者がいる。
「ルポゼさんおはようございます」
「おはようございます。今日もいい天気になりそうですね」
「ええ、陽気につられて眠ってしまいそうです」
「それは大変だ。店長に怒られないよう気をつけてください」
ほがらかに挨拶をかわし、屋内に戻る。
夜になにがあったのか黒板に書いて、従業員たちが来るのを待つ。
昨夜は何事もなかったので、なしとだけ黒板に書かれている。
「おはようございます」
起きたルーヘンが夜勤担当に会いにきた。
挨拶を返して少し話した夜勤担当は仕事が終わったと家に帰っていった。
黒板を確認したルーヘンは掃除道具を持って玄関に向かう。同じように掃除をしている人たちに挨拶しながら箒を動かしていると身支度を整えたレスタも出てくる。
「おはよう」
掃除をしている二人に、パンを入れた籠を両手に持った料理人が挨拶をしてくる。
できたてのパンの香りにルーヘンたちの表情が綻んだ。
「おはようございます、セッターさん」
「すぐに朝食を作るから待っててくれ」
「わかりました」
屋内に入っていくセッターを見送った二人も玄関ホールの掃除のため屋内に入る。
掃き掃除と拭き掃除をすませていると、冒険者たちが起き出してくる。
身支度を整えるため井戸を使いに行く彼らに挨拶していると、朝食ができたことを知らせる鐘が響く。
「掃除道具を片付けるからご飯を頼んだ」
「うん」
レスタからモップを受け取って、自分が使っていたものも持ってルーヘンは箒をロッカーに持っていき、モップを洗うため外に出る。
モップを洗って休憩室に入ると、一緒に食べるためレスタがルーヘンを待っていた。その表情は朝食が楽しみだとわかりやすいくらいに上機嫌なものだ。
「さあ早く食べよ」
「おう」
朝食はベーコンエッグ、野菜スープ、豆と野菜のサラダ、スライスしたパンだ。
二人だけのときはレスタが作っていたが、貧乏だったこともあって今より貧しい食卓だった。
食べられる野草をとってきたり、売れ残って硬くなったパン、いたんだ野菜や肉、そういったものを安く買ってたまに腹を壊すという食事だった。調味料も塩のみで味気なかった。
今は安全で美味しい料理を十分なだけ食べられて、日々デッサに感謝している。食べる前のお祈りに信仰している神とデッサを並べるくらいだ。
しっかりと食べられるようになった二人は、痩せ気味だった体から少しふっくらとした体へ変化し、適正体重に戻りつつある。それにともない体力も一般人の平均に戻っていた。
「予定だと今日帰ってくるんだっけ」
兄にいつデッサが帰ってくるのか尋ねる。それにルーヘンは頷いて、口の中のものを飲み込む。
「そう聞いているよ。無事だといいんだが」
「泊まり込んで戦うところは既に行ったことのある階だって言っていたし、無茶はしないと思うんだけど」
「ダンジョンはなにがあるかわからないらしいからなぁ」
「いつもとは違って、同行している人もいるみたいだし大丈夫だって信じよう?」
「そうだな」
話しながら食べ終わり、食器を食堂に返す。そのついでに自分や客の使った食器を洗う。
そうしているとほかの従業員たちもやってくる。
同じように出勤してきたロゾットが、従業員たちに声をかけて事務所に集める。事務所の外からは冒険者たちが話しながら外出していく声が聞こえてくる。
「おはよう。欠席なしだな」
皆を見て、欠席や体調を確認する。
体調など問題ないことをしっかり確認し、仕事の割り振りをやっていく。
「今日もしっかりと働こう」
ロゾットに返事をした従業員たちはいっせいに動いていく。
ルーヘンたちは客室の掃除やシーツと洗濯物の回収だ。
掃除と洗濯の二手に分かれて、それぞれの仕事をやっていく。
セッターたちは食材を買うためのお金をロゾットにもらってから食堂に向かう。
キッチンそばにある食材倉庫でいたんだものがないか、調味料の減りを確認したあと二人で買い物に向かう。
セッターは見習いに食材の選び方を教えながら買い物をすることになる。
従業員たちが午前中の仕事を開始してすぐに、デッサがダンジョンの泊まり込みから帰ってくる。
「おかえりさいませ、オーナー」
受付のため玄関ホールで待機しつつ事務仕事をやっていたロゾットが出迎える。
全体的によれた感じのデッサを見て、少し心配そうに表情を曇らせた。
「ただいま」
「疲れていますね」
「さすがにねー。硬い地面で寝ると疲労が完全には取れなかったよ。モンスターの接近もわかるように気を張っていたし」
「怪我はあるのですか?」
「ポーションで治るくらいの怪我しかしてないから大丈夫」
「無事でなによりです」
「俺はこれから寝るから、急用じゃなければ起こさないで」
「承知いたしました。ごゆっくりおやすみください」
返事代わりにロゾットに手を振ってデッサは部屋へと向かう。
デッサを見送ったロゾットは仕事に戻る。
十五分ほど経過した頃、少年が一人入ってくる。十五歳くらいの若い冒険者だ。
「いらっしゃいませ」
「あ、あの」
おどおどとした少年を怖がらせないように、ロゾットは微笑みを浮かべる。
「お泊りでしょうか」
「い、いえ違うんです。ここにデッサという冒険者がいると聞いて」
「キャラメル色の髪とオレンジ色の目をした若い男の冒険者で間違いないでしょうか」
「はい、そう聞いています」
伝聞系の返事に、知人ではなさそうだとロゾットは判断した。
「たしかにここにいます。どのようなご用件でしょうか。ついさっきダンジョンから帰ってきて、疲れているから起こさないでくれと頼まれています。緊急の用事でなければ夕方頃にでも出直すことをお勧めします」
タイミングの悪さに少し肩を落とした少年は頷く。
「はい、そうします」
ルポゼから出ていく少年を見送り、ロゾットは仕事に戻る。
しばらくして買い物に出ていたセッターたちが食材を持って帰ってくる。
「おかえりなさい。良いものは買えましたか」
セッターは笑顔で頷いた。
「ああ、通常よりも高めのものを置いている店だけあって半端な質のものはないからな。お釣りとそれぞれの代金を書いたメモだ」
「はい、たしかに」
ロゾットは受け取ったメモに今日の日付を書いてから帳簿に挟む。
セッターたちは昼食の準備のために調理場へと歩いていった。
さらに時間が流れて、部屋の掃除をすませた従業員たちと受付を交代しロゾットは事務室に向かっていった。
昼になり、昼食の匂いが宿の中に漂うとデッサが起きてくる。朝の疲れはほとんど感じさせない表情だ。
「あ、おかえりなさい」
「ただいまー」
昼食を食べて休憩していた従業員に声をかけられ、デッサは返事をして食堂に入る。
「ご飯を頼む」
「了解です」
セッターはできあがっているものをすぐに皿に移してデッサに渡す。
デッサはそれを受け取り、夕食について伝える。
「今日の夕飯は外食するから俺の分は必要ないよ」
「わかりました。どこに行くのか決めているんですか?」
「カレーを食いに行こうと思っているよ」
「あれですか。うちでも出せるといいんですけどね。家で挑戦していますが、スパイスの配合が難しくて」
デッサに連れて行ってもらい食べたことがあるのだ。なかなかに衝撃を受けた味わいで、興味が惹かれた料理だった。大人数の分量を一度に作ることが可能なのもありがたい。
「使う材料はわかっている?」
「おおよそは」
「たしかいろいろと入れずに三つでできたはず。コリアンダー、クミン、ターメリックだったかな。まずはここから試してみるものいいかもね」
デッサが日本で生きていた頃、母親がスパイスから作るカレーに挑戦していたことを思い出し、必要なものを口に出す。
「三つですか。もっと入れているものかと」
「俺もそう思っていたけど、基本はそれらしいね。あとはニンニクやショウガ、トマトなんかを入れて鳥肉と玉ねぎでチキンカレーだったかな。辛さが足りないとガラムマサラを入れるのもありらしい」
「なるほど、それで作ってみます」
「楽しみにしているよ」
カレーは好物の一つなので、ここでも食べられるようになるかもしれないとデッサは嬉しそうだ。
そのまま昼食を持って、近くのテーブルで食べ始める。
食事を終えたデッサは食器を返し、美味かったと感想を言ってから部屋に戻る。簡単でも感想を言った方が、作り手としては反応が知れて助かると前世の母親が言っていたのだ。
マッサージに向かうため出かける準備を整え、部屋を出たデッサが受付前を通るとロゾットに声をかけられる。
「オーナー、お知らせしたいことが」
「なに?」
「オーナーが寝たすぐあとに客が来ました。おそらく知人ではないと思われます」
少年の特徴を伝えられて、デッサはたしかに知らない少年だと頷く。
「夕方頃に来るように言っておいたので、その時間帯に尋ねてくるかもしれません」
「そっか。どんな用事か言っていた?」
「いえ、なにも言っていませんでしたね」
「用件はなんだろうな? 伝えてくれてありがと。それじゃ出かけてくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
宿を出るデッサを見送り、ロゾットは事務所に戻る。
食事休憩を終えた従業員たちは受付や掃除、屋内の点検、裏庭の手入れなどを行い午後の仕事をこなしていく。
夕方になる少し前くらいにデッサが帰ってきて、部屋に戻る。ギターを触り出したようで、かすかに音が聞こえてくる。
ギターの音に耳を傾けながら従業員たちは洗濯物を取り込み、それぞれをわけて畳み、客室に持っていく。
そうしているうちに冒険者たちが帰ってくる。
「おかえりなさいませ」
「ただいまー」
受付にいる従業員に声をかけられ、冒険者たちは返事をしてそれぞれの部屋に戻っていく。
そこに朝にやってきた少年が姿を見せる。
受付にいる従業員は玄関ホールにある椅子に座って待つように言い、デッサを呼びに行く。
すぐに私服姿のデッサが玄関ホールにやってくる。見知らぬ相手を部屋に招くつもりはないようだ。
感想と誤字指摘ありがとうございます