157 宿営業開始準備 5
食事が終わり、俺の部屋にセンドルさんたちを招き入れる。
椅子を二つよその部屋から持ってきて、その一つに座る。センドルさんがもう一つに座った。
もとからあった椅子に座ったレミアさんがすぐに椅子の感触を確かめる。
「いい椅子ね、これ」
「椅子とベッドはいいものでそろえたんですよ。疲れが取れやすくなるようにって」
センドルさんたちは少し部屋の中を見てから、本題に入る。
「聞かせてほしい」
「もう一度言いますけど信じられないと思いますよ?」
「それでもいいから聞きたいね」
「そうですか。じゃあ最初から話しますかね」
前世うんぬんまで話すと胡散臭さが増すから話さず、デッサが生贄にされたところからリューミアイオールに会ったこと、なんとか生き残るために交渉して山を下りて、村でいちゃもんつけられたところまでを話す。
「そのあとは話さなくていいですよね」
「死黒竜?」「いや、ちょっと」「さすがにね」「でもそれならー」
四人の表情は戸惑い一色だ。信じられないけど、嘘を言っている気配もないとかそういった感想を抱いたのだろう。
「呪いは胸に刻まれているんですよねー? 触れてみてもー?」
「服の上からでいいのなら」
頷いたプラーラさんが近づいてきて、呪いが刻まれている部分に触れた。服越しに指先がかすかに触れた途端、素早く下がる。その顔色は悪い。触れた指先をなにか確かめるように見て、動かしている。
リューミアイオールがなにかしたんだろうか。
その尋常ではない様子に、センドルさんたちはなにがあったのかと聞く。聞かれたプラーラさんは戸惑ったように三人を見る。
「皆は感じられなかったー?」
「なにをだ」
「指先が触れた途端、強大ななにかに見られているような感じがして、氷を体に入れられたような寒気がしたのー」
「いやそういったことはなかったが」
「私ははっきり感じたわー。間違いじゃないー。あれが死黒竜の気配だと言われたら納得できるくらいには恐ろしいものだったわー」
「プラーラは、呪いを受けたという話を本当だと判断したの?」
「うん、本当のことでしょうねー。これを見てー」
プラーラさんは触れた指先を三人に見せる。
人差し指の先にインクでも塗ったかのように数ミリの黒い点がある。黒子にも見えるそれを、センドルさんたちは真剣な表情で見る。
「重度の浸食と同じ症状」
カイトーイさんが呟く。
ひどい浸食のときは皮膚の色が変わるらしい。色はそのうちもとに戻るけど、変色した部分の触覚はなくなるそうだ。
普通の浸食は魂にダメージが行くわけだけど、稀に肉体にも影響が出て、そんなときはもっと大きく変色するらしい。
インクで塗ったわけじゃないよねと聞くセンドルさんに、プラーラさんはこすって少しも色が落ちないのを見せた。こんなところに黒子がなかったことも付け加える。
プラーラさんに嘘を吐いた様子がないことと指先にある浸食から三人の表情から疑念が薄れる。
「強くなり続けなければ死ぬか。たしかに話を聞いたら止められない。むしろ止めることは殺すことに等しい。死にたくないなら頑張るしかないよな」
納得だとセンドルさんは苦い顔で言う。
「でもそれだけなら急いで強くなる必要はないと思うけど」
「ペースの指定もされているんですよ。指定された期限までに指定された強さに届かなければ、呪いが発動します」
そういうことかとレミアさんが片手で顔を覆う。
「でも早いペースといっても、最初に示されたものよりは遅いものなんですよ。最初は一年でリューミアイオールに傷を残せるくらいに強くなれというものでしたから」
「それは無茶だな」
「カイトーイさんもそう思いますよね。俺も無茶だと思ったんで今のペースに落としてもらったんです」
「譲歩してくれたことが奇跡だな。交渉できた時点で奇跡なんだが。ちょいと疑問に思ったんだが、強くなれとは言われたが、どこまで強くなれという指定はあったのか?」
「傷を残せというもの以外は聞いてないですね。一般人の限界値までいくか、それを超えるかの二択なんでしょう」
「後者は可能なのか?」
「可能にするには大ダンジョンのコアを壊すしかないでしょうね」
カイトーイさんは顔を顰める。
「かなり難しいだろ。そこに行くこともだけど、コアを壊すってことは魔晶の欠片の産出地を潰すってことでもある」
「それはまだまだ先の話なんでそのときになったら考えることにしてますね。今はただ強くなることだけを目指しています」
先のことばかりに気をとられて強くなることを疎かにしたら、呪いじゃなくてモンスターにやられるし。
こう言うと四人は納得だと頷く。
「想像以上の話を聞くことになったな」
センドルさんが大きく溜息を吐いて言う。竜が絡んでいるとは思いもしなかったんだろう。
呪われていると知られて避けられることも覚悟していたけど、逆に心配してくれているようでほっとした。
「話を聞く前は隠れ里からなにかしらの目的を持って出てきて、強くなるのはその目的のためと思っていたんですけどねー。竜の石や四神の誓いといった知識はそこから持ち出したと考えていましたー」
「そんなふうに思われていたんですね。石はリューミアイオールが去ったあと拾いました。知識は偶然知っただけですよ」
それらの理由に、そうですかーとプラーラさんはなんの疑問も抱かなかったようだ。
話にインパクトがあって、偶然知れるようなものかという違和感は抱かなかったようで助かった。
「死黒竜は呪いをかけたあとは干渉してこなかったのか? 魔物が出現したのはあれの差し金とか」
「魔物とリューミアイオールは無関係ですよ。干渉はありますね。俺が遠出するときは、リューミアイオールの指示で強いモンスターとかと戦いに行っています。それ以外の干渉は今のところないですね」
「格上の冒険者と模擬戦したり大会で時間稼ぎしたのは、死黒竜の指示じゃないのね」
「それは違いますね。それぞれ偶然トラブルに巻き込まれた形です。何度もそういったことをやって、友達たちにあったことを話すと呆れられています」
「でしょうね」
「リューミアイオールに関した話はこれくらいですかね」
呪いを発動させたくないから、今後も急ぎのペースでダンジョンに挑みますと締めくくる。
「止めはしないし、止められないけど、健康と怪我には気を付けるんだぞ」
「そのための自分に都合の良いこの宿です、本当は風呂もほしかったんですけどね」
大きな風呂を設置するための工事とか排水関連の工事とかで開業時期が思った以上に伸びるようだったから断念したのだ。
宿を営業するための規則とはまた違った規則もあって、面倒だと思ったのも原因だ。
「お風呂があったら便利ですよねー」
風呂があったらこの宿に移ってきたかもしれないとセンドルさんたちは言う。
その後は雑談に移っていき、夜になにをして過ごしているのかと話したりした。
ギターのリクエストもされて、それに答えていくうちに寝る時間になり解散した。
翌朝、朝食後にロゾットさんに声をかける。
「明後日の夜、店の集まりがあるそうで、それに行ってくれ」
いいですよと了承しかけてロゾットさんは止めた。
「一緒に行きませんか。今後はそういった場には私がでますが、一度は顔を見せておいた方がいいと思うのですよ」
「まあ一度くらいならいいか。わかったよ」
「ありがとうございます」
ロゾットさんと別れて、部屋に戻り武具を身に着けて宿を出る。
いつも通りの鍛練を終えて、宿に戻り昨日と同じように過ごす。帰りに明日の反省会に出す焼き菓子も買っていく。
そして翌朝の食堂に、帰り支度をすませたセンドルさんたちがいた。
「三日間世話になった」
「依頼を受けていただきありがとうございます。食後に従業員を集めるので感想をお願いしてもらっていいでしょうか。厳しめで大丈夫ですよ」
「わかった。厳しめかどうかはわからないけどね」
朝食を終えてそのまま食堂で反省会を開く。
飲み物と焼き菓子をテーブルに広げて、センドルさんたちに評価を頼む。
従業員たちは緊張した様子で静かに感想を待つ。ロゾットさんだけは落ち着いた様子だ。
傍観者の俺はクッキーを齧りながら気楽に眺める。
「感想ということだが、大きく不満はなかったと最初に言っておくよ」
注目を受けながらセンドルさんが言い、それにほっとした雰囲気が漂う。
「細かく言っていくと、緊張からか表情とか口調が硬かったね」
「ですねー。常に笑顔でいろとまではいいませんが、自然体でいてくれた方が客としてもゆっくりできますー」
「拭き掃除した場所で足を滑らせたこともあったから、気を付けてほしいかな」
「離れたところから従業員同士の会話が聞こえてくることがあった。客によっては不快に思うかもしれないから雑談の場合はもっと小声で話すか、休憩室に行った方がいいと思うぞ」
次々とあがってくる感想に、ほっとしていた従業員たちは消沈した雰囲気を漂わせる。
「俺たちが気づいたのは、こんなところだろう。じゃあ次は俺たちが知っている宿の失敗談でも話していこうか。知っていれば君らも注意するようになるだろうからね」
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと、仕事だからねとセンドルさんは言い、話し出す。
「宿にとって重要な客と知らずにいい加減な対応して、取引先をなくしたと聞いたことがある。この宿だと食材の仕入れ先にいい加減な対応をして、良い食材を仕入れられなくなるといったことになる。客の対応に差をつけすぎると後悔しかねないということだね」
「私からは忘れ物に関してですー。その客にとって大事なものだと知らずに処分して怒りを買ったと聞いたことがあります。どんな忘れ物でも勝手に処分せず、事務所に預けた方がいいですねー」
「じゃあ次は私。体調が悪いまま仕事をして、ミスを連発したと聞いたことがある。客を怒らせることになるから体調管理はしっかりとしておきなさい」
「俺は預かったものについてだ。あとで倉庫に保管しようと思って放置したら忘れて、なくしてしまったと聞いたことがある。もちろん客は激怒した。頼まれたことは後回しにせず、さっさとすませてしまうことだ」
ほかには準備のできていない部屋に案内したり、チェックアウトの日を間違えたりといった話を聞けた。
よその宿もいろんなミスをしているんだな。
「どうしてそんなに色々と知っているんですか?」
従業員から質問が出る。
「俺とカイトーイはギルド立ち上げが夢で、経営に関して話を聞くことが多い。そのときに聞いたことなんだ」
「私とプラーラはその会話を聞いたことがあるのよ」
そういうことかと納得したように従業員たちは頷いた。
「感想や助言はこれくらいだ。君たちの糧になって今後仕事の役に立つことを願っているよ。じゃあデッサ、俺たちは帰る」
「はい。全員起立。四人に礼」
ありがとうございましたと若干ばらばらだが感謝の言葉を送る。
それに頷き、荷物を持った四人に近づく。
「依頼料です。多くはありませんけど、どうぞ」
「ありがとう。デッサも経営を頑張ってな」
「俺はお金を出して少し口出しするだけのつもりなんですけどね」
「オーナーなんだから協力的じゃないと従業員は不安に思うんじゃないか?」
「どうなんでしょうね。亭主元気で留守がいいとも言いますし、あれこれ口出しするのはどうでしょ」
「そのことわざは、現状を表すのになんかちょっと違うような気がするぞ」
「まあ、完全放置はしませんよ」
「そうか。なにか困ったことがあれば相談してくれ、大変な状態なんだからな。力になれないこともあるだろうが、話すことでストレスが軽減することもあるだろう」
「ありがとうございます」
玄関先まで四人を見送り、食堂に戻る。
手を叩いて皆の注目を集める。
「研修はすんだことだし、指導者たちからの評価を聞いて、開業届を出すことにする。近々開業だから、今回のことを教訓にして働いてくれ」
はいっという元気な返事がくる。
「宣伝はそこまでやってないし、いきなり大勢の客が来ることはないだろ。もしかするとしばらくゼロなんてこともあるだろうし、のんびりやっていこう」
宣伝はゴーアヘッドにお金を払い、ギルド内の壁に張り紙をしたくらいだ。
ほかの冒険者の宿からわざわざ定宿を変えようと思う人は多くないだろうし、宣伝効果は薄いだろうな。
掃除などの業務をやるように告げて、俺もダンジョンに向かうための準備をする。
感想と誤字指摘ありがとうございます