155 宿営業開始準備 3
宿のあれこれは順調に進む。
俺の妙な運がトラブルを引き寄せるかと思ったけど、そんなことはなかった。
ルーヘンたちの両親が戻ってきて、宿の権利を主張するとかあり得るかなーと思っていた。でもよくよく考えると、借金取りに見つかったら潰された面子の件で碌な目に合わないだろうし、当分の間ミストーレに近寄ることはないだろう。
従業員との交流も少しはやって、それぞれの性格もなんとなくだけど掴んでいく。
ケイスドが連れてきた人たちは、表の仕事をやれるということでやる気に満ちていた。指導者にしっかりと質問し、知識と経験を蓄えていく。
クリーエが紹介してきたフェーンは家事の手伝いくらいしかしたことがなく、本格的に働くこと自体が初めてということで戸惑うことが多かった。それは周囲もわかっていたので長い目で見ようという反応だった。もちろんミスは注意したり叱るが、理不尽に叱ることはなかったのでフェーンも納得していた様子だ。
料理人二人には食事を作ってもらい、腕を確かめるということもやった。できた料理は問題なく人に出せるものだったけど、さすがに高級店には負ける。もっと美味いものを作ることができるように、レシピなどの勉強としてこれまで食べ歩いた店に連れて行くなんてこともやった。
支配人を任せたロゾットさんはさすがに経験が豊富で、宿の仕事について忘れていたことを思い出すと早い段階で指導者に合格をもらっていた。
ルーヘンとレスタは最初からわかっていたように従業員教育と従業員勉強、経営勉強をやって忙しそうだった。疲れた様子も見えてマッサージに連れていくこともあった。だが弱音ははかず、教えられたことを血肉にしようと笑みを浮かべて頑張っていた。
俺も書類仕事について教わり、要点をまとめたメモを残して、いつでも確認できるように部屋に置いてある。
そうしてセンドルさんたちに宿泊してもらう日がやってくる。
ついでに俺もこの日に宿を移ることにして、朝から荷物を自分の部屋にした一室に運び込む。
これまで使っていた宿の従業員たちに世話になったと挨拶すると、別れを惜しまれつつ見送ってもらえた。
自分のものとなった部屋はこれまで使っていた宿の部屋よりも広く、しっかりとした作りだ。職人たちによるとそれなりに重い武具をまとって歩き回ってもきしむ音すら出さないそうだ。
部屋の中にはベッド、タンス、棚、テーブルと椅子、金庫、魔法道具、香炉も置いてある。
ベッドは以前注文した寝心地の良いもの。タンスと棚とテーブルは普通のもの。三つの椅子は座り心地を重視したものを発注した。
金貨三枚した金庫は床と壁に固定されていて、高さ五十センチの中型。金属製で魔法仕掛けの鍵付きだ。中には俺個人のお金以外に、権利書といった重要書類が入れられている。
魔法道具は気温操作と消火用と明かりだ。ほかの部屋には消音の魔法道具も設置されているけど、俺は自前のものがあるから設置しないでもらった。
香炉はどの部屋にも置いてあり、就寝時間が近くなると従業員がお香を入れていく。使うのは魔力の回復を促すお香だ。匂いも数種類の中から選ぶことができ、アロマの役割も負っている。
着替えや武具といったものをそれぞれの場所に置いていると、扉がノックされる。
入室許可を出すとルーヘンが入ってくる。
「お客様がおいでになられました。聞いていた通りの人数と性別です」
「部屋に案内した?」
「はい。二人部屋を二つ希望したので、そちらに案内しました」
「従業員たちの様子はどう? さすがに練習だとわかっているし緊張はしてないかな」
「練習とわかっていても初めてのお客様ですし、動きや表情が硬いと思えましたね」
「理不尽を言う人たちじゃないし、これまで練習してきたとおりにやれば大丈夫だろう」
部屋の番号を聞いて、ルーヘンと一緒に挨拶に向かう。
挨拶をしにきたというと、四人一緒の方がいいだろうということでレミアさんとプラーラさんも男部屋にやってくる。
「いらっしゃいませ。オーナーのデッサです。こっちは従業員のルーヘン。明後日までよろしくお願いします」
俺が頭を下げるとルーヘンも一緒に下げる。
「こうして挨拶されることで本当に宿を買ったんだなって実感したよ」
「引退した人ならともかく、この年齢では買わないでしょうしね」
「そうだね。それで俺たちは泊っている間になにかやることはあるのかな」
俺は首を横に振る。特別やってもらいたいことはなかった。普通にしてもらえればそれで十分なのだ。
「いつも通りに過ごしてください。そして最終日に感想を聞かせてもらえると助かりますね」
「わかったよ。このあとダンジョンに行くつもりなんだけど、その前に宿でできることについて再確認しておきたい」
「どうぞ」
「俺たちが使っている宿と同じく食事が出て、洗濯も同じようにやってもらえるんだよね」
「はい」
通常の宿との違いは、洗濯物がより綺麗になるということか。
俺が宿泊していたような通常の宿でも汚れを落としてくれるけど、怪我したときにでた血の汚れまでは落としてくれないのだ。だからある程度は汚れが落ちて、うっすらと血の汚れが服に残るなんてことが珍しくない。
冒険者の宿は血で汚れることを前提としていて、専用の洗剤を使って綺麗にしてくれるらしい。
この宿でもその洗剤は常備してある。
「じゃあ次だ。急な発熱とかのちょっとした病気の際に薬を出してくれるかい」
頷く。発熱、腹痛、頭痛、捻挫といったものに対応できるように薬も常備してある。
薬で治りそうにないなら、近所の医者に連れて行けるように住所の把握もしてある。
もしものときは世話になりますとロゾットさんと一緒に菓子折りを持っていって挨拶もした。
以前の営業していたときも世話になっていたらしく、再開したのかと驚いた様子だった。
医者は、ルーヘンたちの両親はいるかと心配そうに聞いてきて、ロゾットさんがいないと断言したことでほっとした様子になったのが印象的だった。
思い返していると次の質問がくる。
「一時的な荷物の預かりは?」
「できます。地下に保管することになっています」
大きなものではないが地下に倉庫があり、そこも金庫と同じ魔法仕掛けの鍵がかけられている。
今は空っぽだが、人が泊まるようになったら使われるだろう。
食材や酒を入れる倉庫も調理場の地下にある。
「部屋に置いてあったものが紛失した場合の対応は?」
「宿の中だけですませず、兵も伴っての調査です。ちょいとこっちからも質問なんですが、よその宿はこんな感じのことをやっているぞって教えてくれています?」
やけに念入りに聞いてくるなと思って聞くと、センドルさんは苦笑を浮かべた。
「余計なお世話だったかな」
「こっちを思ってくれた言動なので、気になりませんよ」
「じゃあここからが本当に聞きたいことだ。君が泊まっていた宿との違いはなにかあるかな」
「マッサージチェアを置いてますね」
地球にもあったやつだ。魔晶の欠片を使って動く魔法道具の一種だ。
リラックスできる道具を探してみたら、これがあったので三台購入し、雑談できるスペースに置いてある。
五十階で得られる魔晶の欠片で十日ほど稼働するそうだ。たまにロゾットさんや料理人や指導者が使っているところをみかける。
「プロのマッサージに比べたらものたりないですけど、それなりに気持ちよかったです」
「へー、ダンジョンから帰ってきたら使ってみようかな」
「ほかに暑い時期は氷をサービスしたり、冷えたタオルをサービスしますね」
大量に氷やタオルを持っていかれると困るんで、数量は限定するけどね。
夏は魔法道具を使って涼しく温度を保つし、大量に必要とされることはないかなと思っているけど。
「ああ、暑い時期は助かるね」
ほかのサービスは実際に営業を始めて必要だと判断したら追加する予定だ。
挨拶と話を終えて、部屋を出る。
四人は少ししてダンジョンに向かい、俺もダンジョンに向かうことにする。
「それじゃ行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
掃除をしていた従業員に見送られて、ダンジョンに向かう。
◇
センドルたちは四十五階での戦闘を終えて、ルポゼに戻ってくる。
防具のみならず顔や髪などに泥がついている。マッドヌーバとの攻防で体のあちこちに泥が飛び散ったのだ。
武具についた泥は自分たちで落として、服は洗濯してもらおうと話しながらルポゼに入る。
「おかえりなさいませ」
フロントでほかの従業員たちと仕事の再確認をしていたレスタが四人に声をかける。
さぼっていたわけではなく、まだ忙しくないので暇があるときに習ったことを覚えているか話し合っていたのだ。
「ただいま。デッサは帰ってきているかな」
「まだです。なにかご用事があるなら、帰ってきたときに伝えておきますが」
「いや、いいよ。帰ってきているから気になっただけだから。汚れた服を籠に入れておくから、あとで洗濯を頼むね」
「承知いたしました」
四人は部屋に入り、武具を外して、洗濯してもらうものを籠に入れ、武具や体についた泥を庭で落とそうと部屋を出る。
フロントにはまだレスタたちがいて、そばを通った四人に話しかける。
「すみません、聞きたいことがあるのですが時間は大丈夫ですか?」
「かまわないよ。なにを聞きたいんだい」
従業員が質問しようとしたところ、入口から「ごめんください」と人の声がする。
全員がそちらを見るとハスファがいた。
教会がなんの用事だろうかと内心首を傾げつつレスタが近づく。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」
「デッサさんはいますか」
「オーナーですか、いえまだ帰ってきていませんが」
「そうですか。中で待たせていただくことはできますか」
なにか言伝があるのではなく、会いに来たのかなとレスタは判断する。
「オーナーに会いにきたんですか?」
はいと頷くハスファを見て、センドルたちは誰なのか見当がついた。
「ハスファという名前であっているかしらー?」
「はい、あっています」
「デッサの友達ねー」
「はい、その通りです。そちらは草人と獣人の女性陣……皆さんはデッサさんが恩人と言っていた人たちですね」
初めましてとハスファが頭を下げて、四人も礼を返す。
誰なのか確認ができたレスタも頭を下げた。
「オーナーの知人でしたか、中へどうぞ」
「ありがとうございます」
レスタがフロント近くの椅子にハスファを連れて行き、それを横目にルーヘンは従業員たちがなにを聞きたかったのか尋ねる。
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