129 少年のその後
大人が手を繋いでいるあの子には見覚えがある。
年末に捕まえた子だな。ここに入れられたのか。
俺があの子に気付いたように、あの子も俺に気付いたようで動きを止めてじっと俺を見てくる。
動かなくなったあの子に隣にいる大人は不思議そうな表情を向ける。
あの子の表情は気の抜けたような表情に乏しいものだった。でも徐々に顔に赤みがさし、歯を食いしばり、目つきが鋭くなっていく。
「コレフ、どうしたのかしら」
あの子に変化にリオが首を傾げる。
繋がれた手を振りほどいて、コレフはこっちへと駆けてくる。怒りの表情で、拳を振り上げて殴りかかってきた。
腰を浮かしかけたリオを手で制して、俺はコレフのパンチを手のひらで受け止める。
コレフは怒りの感情のまま拳を振るってくる。そのすべてを受け止めていると、口を開いた。
「お前のせいだ! お前がいたから、皆にっアーネさんにあんなことをっ。お前が悪い! お前さえいなかったから皆と一緒にいられたんだ!」
一緒にいた大人も庭で遊んでいた子供も、ここまで感情を表に出したコレフに驚いたようで注目が集まっている。
「デッサさん、この子になにをしたんですか?」
「この子の事情は知っているか? それによって話していいのか話さない方がいいのか決めるんだけど」
「私は聞いていません」
リオは大人の方に視線を向ける。視線を受けた大人は頷いた。
「聞いているわ。でも子供たちの前で話さないでもらえると助かる」
「じゃあ話さない。その範囲で言えるとしたら、俺とこの子が会ったのは年末。兵に渡したのも俺。そして俺は間違ったことはしてないよ」
泥棒だとわかっているのに放置はない。捕まえられるのなら捕まえて兵に受け渡すのが自然じゃないかな。
「お前があのとき捕まえなかったら、アーネさんに誤解されなかったんだ! 優しいままのアーネさんだったんだ!」
疲れからか拳を振るう速度は落ちているけど、殴りかかるのは止まらない。
アーネというのは泥棒仲間なんだろう。誤解というのはコレフの行動で壁の穴に気付けたことかな。女がコレフを都合よく使うとか言っていたはずだ。
「お前さえ! お前さえ!」
コレフの拳が止まり、肩で息をしながらも俺を睨んでくる。
ここまで怒りとかの感情を向けられたのは久々だな。前はシーミンに採取場所から離れろとか言っていた人たちだったかな。
もう殴らないと思ったようで大人がコレフを誘い、建物の中へと戻っていく。
「手は大丈夫ですか?」
「子供のパンチなんて痛くもなんともないよ」
「驚きました。ここに来てからずっと大人しくてあんな姿は初めてです」
「それだけ俺に怒りを抱いたんだろうね。でも俺がやったことを謝ることはない」
「中に入りませんか? そこで事情を聞きたいです」
「俺はいいけど、大人たちが許すかな」
「たぶん許可は出ると思いますが」
子供たちにこのまま遊んでいるように言ってからリオは立ち上がり、屋内に入る。
俺もそれについていく。
「コレフはどこにいます?」
掃除をしていた年長にリオが聞く。
「いつも使っている部屋に連れて行かれたよ」
「あまりよくない興奮の仕方だったし、休ませるつもりなんでしょうね」
「騒いでいたけど、どうして?」
「ショックなことと言えばいいんでしょうかね。あの子にとって許せないことがあったみたい。大人たちは事情を知っているみたいだから、聞いてみようと思っています」
「そうだったんだ。これがきっかけになって感情を出してくれるようになるといいんだけどね」
「そうですね」
年長と別れて、院長の部屋に向かう。
扉をノックして返事を聞いてから中に入る。院長は書類を片付けていたようだ。
「デッサ君も一緒なのか。なにか用事かな」
「コレフに関してです。デッサさんを見て、コレフが興奮して殴りかかったんです。どうしてそのようなことをしたのか気になりまして」
「あの子がそんなことを? しかしなぜ殴りかかったのかは私にもわからないよ」
そこは俺が説明した方がいいだろう。
鎮魂会の日にスリをしていたのがコレフで、あとをつけて捕まえたのが俺だと説明する。
「冒険者に捕まったと聞いたが、君だったんだね」
「ええ、広場でスリだという声が聞こえてきて、コレフが人々の間をすり抜けながら走っているのを見たんです。鎮魂会の開始まで時間があるし、捕まえようかと思って兵と一緒にあとを追ったんですよ。そしたら壁に穴が開いていてそこからコレフが出てきて、捕まえたという感じです。そのあとにコレフの仲間たちの捕縛の手伝いもして、鎮魂会の見物という流れでしたね」
「そういうことだったんだね」
納得したようで院長はうんうんと頷く。
リオはスリということを聞いてなかったようで驚いた様子だ。
「あんなに若い子がスリですか」
「強盗団に利用されていたみたいだ。強盗団と会う前から生きるために盗みをしていたそうだね」
「孤児院に入ることができなかったのでしょうか」
「入っていたそうだよ。でもまともな扱いをされなくて、逃げ出したみたいだ」
「そんな孤児院があるんですか。子供たちを預かる場所なのになにを考えているんでしょう」
憤るリオに院長は苦笑する。
「ここみたいにどこも余裕があるわけじゃない。それにともない質も落ちる。だからといって仕方ないと私も言うつもりはないけど、世の中には駄目な運営をしている孤児院は当たり前のようにあるよ」
「そうなんですか?」
「ここも支援を受ける前は、余裕があるわけじゃなかった。覚えてないか? 以前は今よりも食べ物とか服とか貧相だったことを」
「言われてみればそうだったような」
リオは思い出すように一瞬遠いところを見るような目つきになる。
今は余裕があるし、以前のことはあまり覚えてないんだろう。
「コレフは問題のある孤児院から抜け出して、強盗団に見つかり利用するため優しくされた。それで懐いて、一緒に行動を始めた。彼らは悪人だとしても、利用されていたとしてもコレフにとっては恩人のようなものだったんだろう。その恩人たちから罵倒されて傷ついた」
「それでデッサさんのせいだと殴りかかったのですね」
「だね。でも早いうちに彼らと離れられてよかったと思うよ。今回捕まらなくてもそのうち兵か冒険者に討伐されることになっていただろう。死ぬことになりえただろうし、生き残っても行き先は牢獄や環境の悪い労働施設。辛い人生を送る可能性が高かった」
「捕まりますかね。その昔大盗賊がいたと聞いています。そんな奴のように被害を広げながら生き続ける可能性もあったのでは」
院長に思ったことを聞いてみる。
「悪人の多くは捕まる。国もいつまでも悪人を放置するほどいいかげんじゃないから。いつまでも生き残る悪党はいないよ」
「そうなんですね。悪さをしている貴族とかいて、いつまでも悪さしているイメージがあった」
俺がそう言うと院長は困った表情を見せる。
「うーん、貴族に関してはなんともいえないな。私は庶民だから、庶民から生まれる悪党のことしか話せないよ。話をコレフに戻すよ。あの子はここに保護されたわけじゃない。監視のため入れられたんだ」
「監視!?」
リオが驚きから大きめな声を出した。
「彼がやったのは死罪までにはいかない犯罪だ。だから罰も軽めのものですむ。罰を受けたその後は自由にしていいんだけど、放り出したらまた犯罪をやる可能性があったんだよ。町長たちはそれを危惧してここに入れることにした。ここは兵がよく立ち寄るから、悪さしていないか確認するのにちょうどいいんだ」
「あの年齢の子が一人で生きていくのは大変だろうし、これまでやっていたことをまたやりそうというのはわかります」
「うん、新たな犯罪を防ぐためにもここに入れられた。まあ、あの意気消沈した様子だと、ここに送らず放置しても悪さはせずに餓死していたかもしれないけどね」
餓死は苦しいって聞く。それを選ぶほどにショックを受けたのか。あいつらの懐かせ方が相当に上手かったということか。
「デッサ君に一つの頼みがあるんだ」
「なんでしょ」
「何日かに一回孤児院に顔を出してもらえないだろうか」
「理由はなんですか」
「コレフの感情を刺激したい」
待ってくださいとリオが止める。
「院長、二人の関係は良好とは言えません。そんな状態で合わせるのはコレフにとってストレスになると思いますし、デッサさんにも迷惑をかけることにしかならないと思います」
「そうだね。だから一回二回様子を見て、まずそうなら止めるつもりでいるよ」
「私はいい方向に進むとは思えないのですが」
「あの子を預かって数日だけど、感情を表に出したのは今日くらいだ。あのまま心を閉ざしたままだと、成人したときそのままここから出すことになりかねない。ここは病院ではなく、孤児院だ。子供を受け入れる場所であって、成人になってもいられる場所ではない」
「そうだとしても孤児院から出るまでまだ時間はあるはず、急いでどうにかしなくても」
「これまで子供たちを育ててきた私の経験から判断したことなんだ。ああいったタイプは、心を動かした方がいい。それが怒りであっても、活力となる」
もともと孤児院を抜け出して一人で生きていた強さはある。その強さを少しでも取り戻せば、大きく手のかかる子ではないだろうと院長は言う。
「しばらくしたら別の心動かされることが起きるかもしれないじゃないですか」
「かもしれないな。だが「かも」なんだ。起きるかもしれないことと違って、デッサ君との接触は確実に心が動く。わかってくれリオ。あの子に元気になってほしくての提案であって、私も傷つけたいわけじゃないんだ」
本心なんだろう。駄目なら中断するって言ってたし、無理に自身の意見を押し通すつもりはないとわかる。
「……できるかぎり私もフォローしますよ?」
「頼んだ、と言いたいところだが、ほどほどにしておいた方がいい。子供たちの嫉妬がコレフに向くかもしれない。子供の拙い害意とはいえ、疲労している心には毒だろう。というわけで君に負担をかけることになると思うのだが、訪問を頼めるだろうか」
リオから俺へと顔を向けて頼んでくる。
「短時間でいいなら構いませんが、俺がコレフにできることってなにもないと思いますよ」
「会って怒りの感情のはけ口になってもらえるだけで十分だ。それ以外のことはこちらの仕事だよ」
「本当にいいんですか? 嫌われ者になるってことですよ?」
あっさり受けたことで心配するようにリオは言う。
「ずっとこの町にいるわけじゃないしね。短期間一人から嫌われる程度なら平気だよ」
生贄に差し出したデッサの家族に比べたらかわいいもんだ。
「次はいつ来たらいいですかね?」
「そうだね。今日の影響を確かめたいし明日明後日は観察期間として三日後でお願いしたい」
「わかりました。リオ、また料理を頼みたいから三日後にお願いできる?」
「わかりました」
「費用は当日に渡すよ」
「いや費用はこちらもちにしよう。コレフのことを頼むのだから、そのくらいはこっちが出す」
院長の言葉に頷いて、話し合いを終える。
二人で廊下に出る。
「院長のやり方で、本当に元気になるのでしょうか」
「俺にはわからんよ。子育てした経験なんてないし、傷ついた子供のフォローをしたこともない。経験豊富な院長を信じるしかないと思う」
「院長は信じてますけど」
「駄目そうなら別の方法を探すって言っているし、悩みすぎなくていいと思うよ」
「そう、ですね」
リオはなんとか気持ちを飲み込んだようだ。
深呼吸して、料理のリクエストを話しながら、孤児院の入口まで見送ってくれた。
正体不明の影を見て、コレフと再会してといろいろあった日から時間が流れていく。
今は新年に入って四十日ほど。相変わらず寒さは続くものの、雪はさほど積もらず、森に行くのに苦労はしない。
技術習熟を中心とした鍛練。森に行って影を探す。カイナンガで模擬戦。孤児院に行く。
だいたいこんな感じの過ごし方で、変わったことはなかった。
唐竹割りは少しずつ様になってきている。ナルスさんが見せてくれたものには程遠い。でも完成形がわかっているだけ、目指すのは楽だ。
影に関しては進展はほとんどない。夜に行っていないからか、俺が見かけることはない。でもゼーフェはたまに夜の森で見かけると会ったときに言っていた。あと植物が萎れたのは、浸食のせいじゃないかとも言っていた。ということはあの影は魔物の力の一部という考えで合っているのかもしれない。
カイナンガでの模擬戦は相変わらず苦戦することはない。ギルドメンバーは鍛錬に力を入れているようだけど、中ダンジョンで鍛錬を続けているから、劇的な変化はなかった。
本当ならば今頃大ダンジョンへと少人数を送っているはずだった。でもミーゼさんが予定を変更し延期になったらしい。ギルドメンバーが理由を聞いても、都合が悪くなったとだけ答えて首を傾げることになったそうだ。
そのミーゼさんは最近緊張したような険しい顔でいることが多いらしい。
孤児院へはクッキーなどお土産を持っていっているので、子供たちからの反応は悪くない。俺がリオ目当てで通っていたら嫌われていたかもしれないな。
孤児院に行く目的であるコレフに関しては、院長の狙った通りにいっているようだ。コレフは俺が行くたび、殴りかかってくる。それを適度に相手して疲れたら離れていくという流れだ。
子供たちがこれに関して聞いてくることはない。孤児院には様々な事情で入ってくることがわかっているので、そういった事情に関したことと理解しているようだった。大人たちからも喧嘩しているわけではないとフォローが入っているらしい。
コレフは以前のように塞いだままではなく感情を動かしているからか、日常的にも反応がでてきたらしく徐々に子供たちと打ち解けているとリオが言っていた。
元気になってきたのは俺の成果だけではなく、リオのおかげでもある。ほどほどに世話を焼くという話だったが、ほどほどというには行きすぎなくらい世話を焼いたそうだ。そのせいで嫉妬する子供も出てきて、そのフォローを院長たちが頑張っているおかげでコレフは平穏な生活を送れているそうだ。
リオはコレフをかまいすぎだと院長から説教を受けたようで、ほかの子供たちの世話にも力を入れている。そのせいでコレフがほかの子を嫉妬するような雰囲気をだしているそうで、だいぶリオに懐いたみたいだとわかる。
感想ありがとうございます